「可能性が、どこまでも広がっているからです。」
デルフィーヌ・ルボー、なぜ香りを表現の手段に選んだのかという問いに
フランス・パリ生まれ。
一枚の絵画に漂う緊張、大福のふっくらとした手触り、アイスランドの冷たい空気と温かな蒸気。デルフィーヌ・ルボーの作品には、目や手、舌で感じたことを香りに置き換える仕事が見えてきます。
明るさと暗さ、冷たさと温かさを並べながら、それぞれの印象を一つの香水にまとめる。冒頭の言葉は、そうした創作の幅を端的に表しています。
調香史
医学から、香りの世界へ
ルボーはパリで育ちました。スペインとイタリアに家族のルーツがあり、幼少期にはモンスーリ公園の周辺で過ごしたと紹介されています。母と市場に出かけると、食べ物や花の匂いを次々に確かめる子どもでした。
香水店にあるゲラン(Guerlain)のメテオリット(Météorites)のパウダーにも、特別な魅力を感じていたといいます。香りと触れた感覚が近くにあることは、後年、香水に柔らかさや布のような質感を求める姿勢にも通じています。
父は医師で、ルボー自身も当初は医学を学ぶ方向に進みました。ところが、調香師を紹介する記事を読んだことが、進路を変えるきっかけとなります。科学的に材料を扱いながら、感情や記憶も表せる仕事。その存在を知り、化学の勉強と香水の世界へ踏み出しました。
ゲランの品質管理部門で実務を経験した後、ジボダン・ルール(Givaudan Roure)の調香学校で訓練を受けます。学校では仲間と学びながら、自分だけの処方を試すこともあったそうです。感覚を持っているだけでは香水は作れません。それを再現できる処方にしていく技術を、ここで身につけていきました。
ジボダンから高砂、そしてアイ・エフ・エフへ
1993年からジボダン(Givaudan)でキャリアを重ね、ケンゾー(Kenzo)、ラコステ(Lacoste)、グレ(Grès)、エイボン(Avon)などの仕事に携わります。約15年の在籍中には、自分の新作だけでなく、歴史ある香水の再調合という仕事も経験しました。
2008年には高砂香料工業(Takasago)のヨーロッパ拠点へ移り、2010年にはフレグランス・リソーシズ(Fragrance Resources)へ。その会社が2017年にアイ・エフ・エフ(International Flavors & Fragrances/IFF)に買収され、その後はアイ・エフ・エフのシニア調香師として活動しています。
2020年のピッティ・フラグランツェの質問集で、自分の最も大きな強みを尋ねられると、短く答えました。
「粘り強さ。」
デルフィーヌ・ルボー、ピッティ・フラグランツェの質問集より
同じ質問集では、自信のなさも自分の弱点として挙げています。完成した香水の静かな輪郭の後ろに、試し、考え、もう一度作る人の姿が見えてきます。
2023年にはアントワープのファッション教育の場にも参加し、分野を越えた創作に関わりました。香水だけの世界に閉じず、服や絵画、食べ物などから発想を受け取るところも、ルボーの仕事の特徴です。
バンディ──他者の作品を受け継ぐ
1999年、ルボーはロベール・ピゲ(Robert Piguet)のバンディ(Bandit)の再調合を手がけます。原作は、1944年にジェルメーヌ・セリエ(Germaine Cellier)が生み出したレザー・シプレーです。
鋭いグリーンの印象と、革や苔の暗い輪郭。かわいらしい花の香水とは異なる強さを持つ作品でした。一度廃番になった後、新しい処方として復活させる際に、ジボダンにいたルボーが関わっています。
この仕事を、バンディの原作者としてのクレジットと混同してはいけません。セリエが作った香りを、後の時代の材料や製造条件のもとで再び成立させる仕事です。香水の作者には、新しいものを作る場面だけでなく、他者の表現を理解して手渡す場面もあることを示しています。
ファン ディ フェンディ──花とレザーの対比
フェンディ(Fendi)のファン ディ フェンディ(Fan di Fendi、2010年)は、ルボーの名を広く伝えた作品の一つです。フランソワ・ドゥマシー(François Demachy)と協働し、果実の明るい立ち上がり、チュベローズなどの花、パチョリやレザーの印象を組み合わせました。
華やかな花があるだけでも、革の強さがあるだけでもありません。明るく近づきやすい部分の奥に、少し引き締まった質感が残ります。フェンディのダブルエフをかたどったボトルとともに、ファッションの輪郭を香りに移す仕事となりました。
その後のプール オム(Pour Homme、2012年)やラ アクアロッサ(L’Acquarossa、2013年)では、ブノワ・ラプーザ(Benoist Lapouza)とも協働しています。新しい一本を作るだけでなく、シリーズの中で香りの個性をどう変えていくかにも関わってきたのです。
ルーヴルの「かんぬき」を、ユリとムスクにする
2019年、オフィシーヌ・ユニヴェルセル・ビュリー(Officine Universelle Buly)は、ルーヴル美術館の作品を香りにする企画を発表します。8人の調香師がそれぞれ美術作品を選ぶ中で、ルボーが向き合ったのは、ジャン=オノレ・フラゴナール(Jean-Honoré Fragonard)の「かんぬき」(Le Verrou)でした。
男女の身振りと、明暗の強い室内。その場面に漂う緊張を、ユリとムスクを中心とする香りとして表現しました。アルコールを使わないオー トリプル(Eau Triple)として仕上げられた作品です。
絵画を説明する文章を、そのまま香料に置き換えることはできません。どの花やどの質感なら、この場面の距離や温度を感じられるか。ルボーの仕事は、絵に見えるものの一覧を作ることより、その空気を捉えることにありました。
大福の香りと、一人で過ごす贅沢
2020年、アイ・エフ・エフの調香師たちによるコレクター向け作品集は、スロー・スメリング(Slow Smelling)をテーマにしました。ルボーが着想を得たのは、日本の大福です。作品にはモシ(Moshi)という名がつけられています。
ふっくらした外側と、内側の甘さ。その柔らかさを、バニラと複数のムスク、少量の甘い香料で表現しました。さらにオークの抽出物を使い、暖炉のそばにいるような落ち着いた印象も加えています。単にお菓子そっくりの香りを目指すのでなく、食べたときの安心感まで含めた作品でした。
同年のピッティの質問集で、最も贅沢だと思うことを問われたときの答えは、この香りとよく響き合います。
「一時間、一人で、好きなことをすること!」
デルフィーヌ・ルボー、ピッティ・フラグランツェの質問集より
人に囲まれて暮らし、仕事をする中で、静かに自分へ戻る時間。その価値が、柔らかな香りとして形になっているように感じられます。
レイキャビク──冷たさと温かさを一つの瓶に
コント・ドゥ・パルファン(Contes de Parfums)のレイキャビク(Reykjavik、2022年)は、アイスランドの旅に基づく作品です。緑の斜面、氷河、冷たい空気、火山の地面、サウナの蒸気。異なる温度の体験が一つの香りに組み込まれています。
カルダモンやピンクペッパー、セージやローズマリーが作る清涼感に、木やアンバーの温かさが重なります。冷たさを強調するために温かさが必要になる。その構造は、ルボーが得意とするコントラストを、旅の記憶と結びつけたものです。
フェティッシュ ランブル──アンバーに、予想外の緑を
クリスチャン・ルブタン(Christian Louboutin)のフェティッシュ ランブル(Fétiche L’Ambre、2024年)では、温かなアンバーの表現を捉え直しました。本人は、作品の意図をこう語っています。
「このアンバーの特徴を、予想外のグリーンの清涼感と、パチョリのコントラストを加えることで、解釈し直したいと思いました。」
デルフィーヌ・ルボー、ナウ・スメル・ディス掲載の発言より
チュベローズの青い花の表情と、アンバーの温かさ。そこへパチョリの土や木を思わせる輪郭を重ねています。豊かで包み込むような香りに、別の方向から光を当てることで、その質感が際立つのです。
ルボーの仕事は、ただ材料を減らすことでも、対比を大きくすることでもありません。それぞれの要素が、香りの中で役割を持つように整えること。レザーの名作の再調合から大福まで、題材が変わっても、その姿勢はつながっています。
ちなみに…
ピッティの質問集には、ルボーの好みが具体的に残されています。なくてはならない材料はアイリスの根。他者の作品では、カルティエ(Cartier)のデクラレーション(Déclaration)を、自作ではブラン シック(Blanc Chic)を挙げています。
最もよい匂いのする場所は、地中海沿岸の低木が生い茂るマキでした。南欧のルーツに触れるプロフィールとあわせると、花だけでなく、乾いた草木や海の近くの空気も大切な感覚なのだと分かります。
10歳のクリスマスには、当時パリの華やかなレストランだったマキシム(Maxim’s)での食事を両親にお願いしたという逸話もあります。味や空間への好奇心は、早くからあったようです。
そして、何がいちばん幸せかと聞かれたときの答えは、とても身近なものでした。
「子どもたちの笑い声。」
デルフィーヌ・ルボー、ピッティ・フラグランツェの質問集より
大きなファッションブランドの香水と、家庭の中の喜び。その距離を自然に行き来できる感覚が、柔らかさや心地よさを探る作品にも表れているのでしょう。
調香作品
主な作品を年代順にまとめました。再調合は原作と区別し、共同作者の記録に差がある場合は注記しています。
| 年 | ブランド | 作品名 | 共同調香師・注記 |
|---|---|---|---|
| 1999 | ロベール・ピゲ | バンディ再調合版 | 原作はジェルメーヌ・セリエ、1944年 |
| 2001 | ジール(Zirh) | ジール | — |
| 2003 | ランテリック(Lentheric) | 41 ブレス(41 Breaths) | — |
| 2004 | ラルフ・ローレン(Ralph Lauren) | ラルフ クール(Ralph Cool) | 作者の記録に差あり |
| 2007 | イヴ・ロシェ(Yves Rocher) | ネオナチュラ スフル(Néonatura Souffle) | — |
| 2010 | フェンディ | ファン ディ フェンディ | フランソワ・ドゥマシー |
| 2011 | フェンディ | ファン ディ フェンディ オードトワレ(Fan di Fendi Eau de Toilette) | フランソワ・ドゥマシー |
| 2011 | フィーユ・デ・ジル(Filles des Iles) | アンバー シック(Amber Chic) | — |
| 2011 | フィーユ・デ・ジル | フラワー シック(Flower Chic) | — |
| 2011 | パルファン・ロジーヌ パリ(Les Parfums de Rosine) | グラム ローズ(Glam Rose) | ブノワ・ラプーザ |
| 2011 | パルファン・ロジーヌ パリ | グラム ローズ エクストレ ドゥ パルファン(Glam Rose Extrait de Parfum) | — |
| 2011 | サルバドール・ダリ(Salvador Dali) | ラブリー キス(Lovely Kiss) | — |
| 2012 | フェンディ | ファン ディ フェンディ プール オム | ブノワ・ラプーザ。フランソワ・ドゥマシーも参加とする資料あり |
| 2012 | レオナール(Leonard) | レオナール | — |
| 2012 | モーブッサン(Mauboussin) | ネロリ(Neroli) | — |
| 2012 | モーブッサン | ローズ プール エル(Rose Pour Elle) | ブノワ・ラプーザ |
| 2013 | フェンディ | ファン ディ フェンディ オー フレッシュ(Fan di Fendi Eau Fraîche) | ブノワ・ラプーザ、フランソワ・ドゥマシー |
| 2013 | フェンディ | ファン ディ フェンディ プール オム アクア(Fan di Fendi Pour Homme Acqua) | ブノワ・ラプーザ |
| 2013 | フェンディ | ラ アクアロッサ | ブノワ・ラプーザ、フランソワ・ドゥマシー |
| 2013 | モーブッサン | ア ラ フォリ(À La Folie) | ブノワ・ラプーザ |
| 2013 | モーブッサン | ラブリー ア ラ フォリ(Lovely À La Folie) | ブノワ・ラプーザ |
| 2013 | ラレー(Rallet) | 47 ヴャツカヤ ストリート(47 Vyatskaya St) | — |
| 2014 | フェンディ | ラ アクアロッサ オードトワレ(L’Acquarossa Eau de Toilette) | ブノワ・ラプーザ、フランソワ・ドゥマシー |
| 2014 | フェンディ | ファン ディ フェンディ レザー エッセンス(Fan di Fendi Leather Essence) | ブノワ・ラプーザ |
| 2014 | グレ | カボティーヌ ロザリー(Cabotine Rosalie) | — |
| 2014 | アイディー パルファム(ID Parfums) | カップ ヴェルデ(Cap Verde) | — |
| 2014 | パルファン・ロジーヌ パリ | バレリーナ ナンバー1(Ballerina No.1) | — |
| 2014 | セルジオ・タッキーニ(Sergio Tacchini) | プレシャス ホワイト(Precious White) | ブノワ・ラプーザ |
| 2015 | アイディー パルファム | ソレンティーナ(Sorrentina) | — |
| 2015 | パルファン・ロジーヌ パリ | バレリーナ ナンバー3(Ballerina No.3) | — |
| 2015 | サベ・マソン(Sabe Masson) | アーティスト(Artist) | — |
| 2015 | サベ・マソン | ラ レーヌ ソレイユ(La Reine Soleil) | — |
| 2015 | サベ・マソン | ストリップティーズ フラワーズ(Striptease Flowers) | — |
| 2015 | サベ・マソン | ザズー(Zazou) | — |
| 2015 | ウンガロ(Ungaro) | フリュイ ダムール ゴールド(Fruit d’Amour Gold) | — |
| 2015 | ファベリック(Faberlic) | シャルマント(Charmante) | — |
| 2015 | ファベリック | プロムナード(Promenade) | — |
| 2015 | ファベリック | ファンテジー(Fantaisie) | — |
| 2016 | アクア ディ パルマ(Acqua di Parma) | ノート ディ コロニア ワン(Note di Colonia I) | — |
| 2016 | エスプリ(Esprit) | ライフ バイ エスプリ ナイト ライツ マン(Life by Esprit Night Lights Man) | — |
| 2016 | ファベリック | トロピック ストーリー(Tropic Story) | — |
| 2016 | ファベリック | クルーザー エクストリーム(Cruiser Extreme) | — |
| 2016 | ジバンシイ(Givenchy) | オードモワゼル ローズ ア ラ フォリ(Eaudemoiselle Rose à la Folie) | ニコラ・ボンヌヴィル(Nicolas Bonneville)、ジョエル・ルリウー・パトリス(Joëlle Lerioux Patris) |
| 2017 | ファベリック | ブーム クチュール(Boom Couture) | — |
| 2017 | ファベリック | カリビカ(Caribica) | — |
| 2017 | ファベリック | ヴァレンティン ユダシュキン ローズ(Valentin Yudashkin Rose) | — |
| 2017 | パルファン・ロジーヌ パリ | コロン ローズ オセアン(Cologne Rose Océan) | — |
| 2017 | パルファン・ロジーヌ パリ | ローズ ニュ(Rose Nue) | — |
| 2018 | ファベリック | スポーツライフ フットボール(Sportlife Football) | — |
| 2018 | ファベリック | スポーツライフ アイス(Sportlife Ice) | — |
| 2018 | パルファン・ロジーヌ パリ | バレリーナ ナンバー4(Ballerina No.4) | — |
| 2018 | パルファン・ロジーヌ パリ | ル マグノリア ドゥ ロジーヌ(Le Magnolia de Rosine) | ピエール・ブルドン(Pierre Bourdon) |
| 2018 | スタルク パリ(Starck Paris) | ポー ドゥ ニュイ アンフィニ(Peau de Nuit Infinie) | — |
| 2019 | オフィシーヌ・ユニヴェルセル・ビュリー | かんぬき | ルーヴル美術館との協働 |
| 2019 | ファベリック | デザイアラブル(Desirable) | — |
| 2019 | イネス・ド・ラ・フレサンジュ(Ines de la Fressange) | ブラン シック | — |
| 2019 | パルファン・ロジーヌ パリ | バレリーナ ナンバー5(Ballerina No.5) | — |
| 2019 | パルファン・ロジーヌ パリ | エロージュ デュ ヴェール(Éloge du Vert) | — |
| 2019 | パルファン・ロジーヌ パリ | モン アミ ラ ローズ(Mon Amie la Rose) | — |
| 2019 | パルファン・ロジーヌ パリ | ヴァニーユ パラドックス(Vanille Paradoxe) | — |
| 2020 | ジリー(Zilli) | ブルー チタニウム(Blue Titanium) | — |
| 2020 | ジリー | カシミール ノワール(Cachemire Noir) | — |
| 2020 | ジリー | キュイール アンペリアル(Cuir Imperial) | — |
| 2020 | アイ・エフ・エフ | モシ | スロー・スメリング限定作品 |
| 2022 | コント・ドゥ・パルファン | レイキャビク | — |
| 2023 | ヒューゴ・ボス(Hugo Boss) | ザ セント マグネティック フォー ヒム(The Scent Magnetic For Him) | — |
| 2023年ごろ | セント オブ アフリカ(Scent of Africa) | ネフェ(Nefee) | — |
| 2023 | ラコステ | エル トゥエルブ トゥエルブ ブラン オー インテンス(L.12.12 Blanc Eau Intense) | ジャン=クリストフ・エロー(Jean-Christophe Hérault) |
| 2024 | クリスチャン・ルブタン | フェティッシュ ランブル | — |
| 年不詳 | ザラ(Zara) | ザラ オム(Zara Homme) | — |
| 年不詳 | ノード43(Nord43) | サルテーヌ(Sartène) | — |
参考文献
- Pitti Immagine Fragranze — Fragranze’s Proust Questionnaires, Vol.2
- V Perfumes — Perfumer of the Day: Delphine Lebeau
- Nord43 — Delphine Lebeau
- The Perfume Girl — Delphine Lebeau-Krowiak
- Fragrantica — Delphine Lebeau
- Now Smell This — Bandit by Robert Piguet
- Now Smell This — Perfumers L to S
- Now Smell This — Fendi Fan di Fendi Pour Homme
- Now Smell This — Fendi L’Acquarossa
- The Beauty Influencers — Du Musée au Parfum
- The Perfume Society — Buly 1803 at the Louvre
- The Fragrance Foundation France — Slow Smelling by IFF
- IFF — Perfumer Delphine Lebeau: 2020 Slow Smelling Collector’s Edition
- Contes de Parfums — Reykjavik
- Now Smell This — Christian Louboutin Fétiche Collection
- Now Smell This — Hugo Boss The Scent Magnetic
- IFF — IFF to Acquire Fragrance Resources
- Fragrantica — Precious White


