古い本の匂いはチョコに似ている?香りを記録する研究

古い本の匂いはチョコに似ている?香りを記録する研究 香りの科学

古い本から作ったにおいの試料を、正体を知らせずに嗅いでもらうと、最も多く出た言葉は「チョコレート」でした。次には「コーヒー」。一方、歴史ある図書室を実際に訪れて嗅いだ少人数の評価では、全員が「木のような」と表現しました。

この意外な違いを報告した2017年の論文は、古い本が何に似ているかだけを調べた研究ではありません。消えてしまいやすいにおいを文化遺産として捉え、その価値、成分、人の感じ方をどう記録して残すか、という枠組みを提案しています。

「どんな匂いか」の前に、なぜ残す価値があるのか

著者らは、歴史的なにおいを扱う手順として、文化的な重要性の評価、化学分析、官能評価、記録・保存の四段階を挙げました。古いもののにおいを何でも集めるのではなく、その場所や営み、人々の記憶にとってどんな意味があるかを、まず考える方法です。

事例に選んだのが、古い紙と図書室のにおいでした。ロンドンのセント・ポール大聖堂の図書室には、空間のにおいを好意的に記した来訪者の記録がありました。本や家具を含む場の歴史と、人々がそこで経験する感覚が結び付いていると考えられたためです。

また、においの成分は紙の劣化とも関係します。文化的な意味を記録することと、物としての資料の状態を知ることを、同じ研究の中で結ぼうとしています。

一冊の古書と、図書室の空気を化学分析

試料にした古書は、1928年にパリで刊行されたPanait Istratiの小説『Les Chardons du Baragan』で、ロンドンの古書店から入手しました。袋の中に室温で二週間置き、周囲にたまった揮発成分を細い採取用ファイバーに取り込んで分析しました。図書室でも空気中の成分を採取しています。

用いたのは、固相マイクロ抽出とガスクロマトグラフィー質量分析を組み合わせる方法です。本の周りの空気を調べる部分は、資料を壊さずに成分を記録できます。古書と図書室には共通する成分が多く、論文ではそれらを一つの表にまとめました。

表には、酢酸、ヘキサナール、フルフラール、ベンズアルデヒドなどが並びます。既存のにおいデータベースでは、フルフラールにはパン・アーモンド・甘い、ベンズアルデヒドにはアーモンド・焦がした砂糖といった表現が対応しています。

ただし、これは検出された化合物と既知の香調を照合したものです。各成分の濃度を定量するための校正や、成分を混ぜ直して本のにおいを再現する検証は行っていません。どの分子が実際の印象にどれだけ寄与したかは、別に確かめる必要があります。

本と知らせずに嗅ぐと、チョコレートやコーヒーに

バーミンガムの博物館・美術館では、来館者79人から、古書由来の試料について120個の記述語を集めました。容器には文字のラベルだけを付け、中身が本だという視覚的・言語的な手掛かりは与えていません。

ここで嗅いだのは、単に一冊の本を開いたときの空気ではありません。古い紙を100℃で2時間加熱してから溶媒で抽出し、抽出液を含ませたガーゼから溶媒を蒸発させて提示した試料です。この作り方は、日常の本のにおいとの対応を考えるうえで重要です。

「チョコレート」は21回登場し、ココアなどの近い表現も合わせると27回でした。次いでコーヒーが10回、古いが8回、木と焦げたがそれぞれ4回です。これは記述語の出現回数で、全員がチョコレートと答えたという結果ではありません。

同じ展示では、チョコレートやコーヒーを含む計八種類のにおいが提示されていました。その体験が言葉の選択に影響した可能性も、著者らは認めています。一方、紙の劣化で生じる揮発成分には、コーヒーやカカオの香りにも見られるものがあるため、化学的な共通性も候補の説明になります。この調査だけで、共通成分と展示の文脈の影響を分離することはできません。

実際の図書室では、木・煙・土のような印象

別の評価では、訓練を受けていない7人がセント・ポール大聖堂の図書室に入り、あらかじめ用意された21語と自由記入欄から、においを表現しました。

「木のような」は7人全員が選び、「煙のような」「土のような」が続きました。甘い、かびっぽい、アーモンド様などの表現もあります。においの強度の平均は、研究の尺度で「強い」と「とても強い」の間にあり、多くの評価者が快いと評価しました。

こちらは本棚や木製家具が見える場所で、選択肢の言葉も与えられています。博物館の試料と図書室では、においの対象、提示方法、質問方法、参加者が異なります。そのため、二つの結果を「目で見ただけでチョコの匂いが木に変わった」という比較実験として扱うことはできません。

成分と言葉をつなぐ「古書の匂いの輪」

研究者は、こうした記述と化学分析を組み合わせ、「Historic Book Odour Wheel」という記録の道具を提案しました。大まかなにおいの分類、その内訳となる具体的な表現、関係しそうな化合物を対応させるものです。

たとえば、古い部屋、湿気、かびっぽさといった言葉を一つの大きな分類に整理し、分析結果や既知の香調情報と結び付けます。目的は、専門家だけでなく一般の人も、感じたにおいを言葉にし、保存担当者や化学分析の専門家と共有しやすくすることです。

この輪は、完成した再現レシピや、嗅ぐだけで紙の劣化を診断できる検査ではありません。新しい測定や記述が加われば更新される、記録の出発点です。誰が、どこで、どんな手掛かりのもとで嗅いだかも残すことで、化学成分だけでは保存しきれない体験の側面を扱えます。

まとめ

正体を知らせずに提示した古書由来の抽出試料には、チョコレートやコーヒーという表現が多く集まりました。実際の歴史的図書室では、木、煙、土のような印象が目立ちました。化学分析では、古書と図書室に共通する揮発成分も記録されています。

この研究の大きな提案は、においを残すには、成分の一覧だけでなく、その文化的な意味と、人がどう感じたかを一緒に記録することです。古書の匂いの輪は、消えやすい感覚を、話し合い、調べ直せる資料にするための一歩になりました。

研究は英国EPSRCの芸術・遺産・考古学に関する博士課程教育拠点とNational Trustの支援を受けています。著者らは利益相反なしと申告しています。

参考文献

Bembibre C, Strlič M. Smell of heritage: a framework for the identification, analysis and archival of historic odours. Heritage Science. 2017;5:2. doi:10.1186/s40494-016-0114-1