香りを混ぜると、鼻の入口で信号が弱まる? インドールで探る受容体の働き

香りを混ぜると、鼻の入口で信号が弱まる? インドールで探る受容体の働き 香りの科学

花の香りにも、糞便のにおいにも登場する分子、インドール。香水では花らしさや動物的なニュアンスに使われますが、濃度や周囲の成分によって受ける印象が違います。

2020年の研究は、この分子を手がかりに、香りを混ぜると、鼻の受容体の段階ですでに信号を抑える作用が広く起こることを調べました。におい情報は、脳へ届いてからだけでなく、受け取る入口でも組み替えられていたのです。

香りの混合を、受容体の「抑制」から見る

におい分子は、鼻の嗅神経細胞にある嗅覚受容体に作用します。一つの受容体が複数の分子に反応し、一つの分子も複数の受容体を刺激する。その組み合わせが、においの情報を作ります。

ところが、自然の香りは多くの分子が混ざっています。各分子による活性化をすべて足し合わせるだけなら、成分が増えるほど、たくさんの受容体の応答が上限に近づき、違いを表しにくくなるはずです。

Patrick Pfisterらが注目したのは、ある分子が、別の分子による受容体の活性化を妨げる「拮抗」という作用でした。これはどれくらい普通に起こるのか。どの受容体で起こるかに規則性はあるのか。近縁の受容体どうしでも違うのか。細胞の実験と数理モデルで、この問題に取り組みました。

インドールに反応する細胞を、一つずつ観察する

最初に使ったのは、マウスの鼻から取り出した嗅神経細胞です。インドール単独のときと、別の香り分子を加えたときのカルシウム応答を比べました。カルシウムの変化を光で捉えることで、細胞がどれくらい反応したかを観察できます。

構造の異なる36種類の香り分子を調べると、32種類は、少なくとも一部のインドール応答細胞で、応答を完全に抑えました。すべての細胞が一様に止まるのではなく、どの分子を加えたか、どの細胞を見たかによって、抑制の強さが異なりました。

抑制は、インドールとよく似た形の分子だけで起こるものでもありませんでした。構造があまり似ていない成分の中にも、強く抑えるものがありました。また、選んだ3成分を濃度を変えて調べると、濃度が高くなるにつれて、抑えられる細胞が増え、抑制も強まる傾向が見られました。

細胞をばらばらにしたことで生じた現象ではないか、という点も確認しています。嗅上皮の構造を保ち、嗅球への接続も残した標本を別の顕微鏡法で調べたところ、代表的な抑制成分で同様の現象が見られました。

抑える働きは、どの受容体に由来する?

細胞の応答が弱まっただけでは、それが受容体によるものか、細胞内の別の過程によるものかは分かりません。そこで研究チームは、反応パターンの分かった6個の嗅神経細胞を取り出し、一細胞ごとにRNAを調べました。

その結果、インドールに反応する3種類のマウス嗅覚受容体、Olfr740、Olfr741、Olfr743を同定しました。これらを培養細胞に発現させ、同じ香り分子への反応を測ると、元の嗅神経細胞で見られた感度の順位がよく再現されました。

このように、鼻の神経細胞で見えた現象を、受容体を選んだ実験系へ移して確かめることで、受容体の作用として調べる道が開けました。研究はさらに、これらと近縁の受容体にも対象を広げました。

800成分のうち430成分に、受容体を抑える作用

大規模な探索では、インドールに応答する同じ遺伝子群の10受容体を対象にしました。抑制を調べる試験は800成分、単独での活性化を調べる試験は700成分で行っています。

その結果、800成分中430成分が、少なくとも一つの受容体でインドールへの応答を抑えました。活性化の試験では、700成分中328成分が少なくとも一つの受容体を活性化しました。二つの試験は分母が違うので、単純に成分数を並べて、どちらが多い現象かを比較することはできません。それでも、抑制がごく珍しい例外ではないことは、この探索から分かります。

抑制した430成分のうち149成分は、この10受容体の中で一つだけに作用し、281成分は複数に作用しました。さらに詳しい濃度試験では、ある受容体を抑える一方で、別の受容体を活性化する成分もありました。

一つの分子に「抑える成分」という固定した役割があるのではなく、相手の受容体や濃度によって働きが変わる。活性化と同様に、抑制にも組み合わせのパターンがあるのです。

似た受容体にも違いがあり、混合物の信号を調整する

遺伝子配列が似た受容体どうしでも、同じ成分への感度や、活性化されるか抑制されるかは異なっていました。ある分子が結びつけることと、結びついた後にどんな信号が出るかは、別の性質として変わりうるのです。

著者らは、受容体の進化を考えるときにも、活性化する分子の違いだけでなく、抑制する分子の違いが重要になると考察しています。近い受容体が複数あることは、混合物の情報を表すパターンを増やす可能性があります。

数理解析では、複数の分子が受容体への結合を競い合うモデルが、実験の濃度応答によく当てはまりました。このモデルに測定結果を組み込むと、混ぜる成分が増えても、単純に足し合わせる場合ほど受容体集団の応答は上限へ近づきませんでした。

これは、抑制によって信号が調整され、複雑な混合物でも違いを表す余地を保てる、という可能性を示す計算結果です。実際の人やマウスが、何種類の混合臭を区別できるかを、この研究で行動試験したわけではありません。

人の鼻で感じる「消臭」とつなぐには

今回の主役は、マウスの嗅神経細胞、マウス由来の特定の受容体群、そして培養細胞での反応です。人に混合臭を嗅いでもらい、不快さが何%減ったかを測った研究ではありません。

香り分子は液体に溶かして細胞へ与えており、その濃度を、そのまま空気中や人の鼻での濃度へ置き換えることもできません。著者らも、液相と気相の違い、今回の受容体群や成分集が全体を代表するかという点を議論しています。

また、受容体の信号が抑えられても、原因となる分子が空間から取り除かれたわけではありません。この研究の価値は、消臭製品の完成した効能ではなく、混ざったにおいの情報が入口でどう変わるかを、幅広い実験で明らかにしたところにあります。

まとめ

インドールを手がかりにしたこの研究では、別の香り分子が嗅神経細胞や受容体の応答を抑える作用が、広く、しかも組み合わせに応じて起こりました。10受容体の探索では800成分中430成分に抑制が見られ、近縁の受容体でも作用のパターンは異なりました。

競合的な結合のモデルは、こうした抑制が、複雑な混合物による信号の飽和を避ける仕組みになりうることを示しました。香りの混合は、個々のにおいを足してから脳でまとめるだけではない。鼻の入口で起こる活性化と抑制の両方が、届く情報の形を作っているのです。

研究当時、著者の大半はFirmenichの社員で、同社の社内資金とSimons Foundationの助成を受けています。研究の一部に関する公開特許出願も開示されています。

参考文献