「香水への情熱は、クラウディアから数年前に贈られた香水がきっかけで生まれました。彼女はその後、私の共同事業者になりました。」
— ミルコ・ブッフィーニ(創設者)
贈り物の香水が、最初から気に入ったわけではなかった。ところが肌の上で時間を置くと、それまで知らなかった表情が現れた。その驚きから、自分の求める香りを探す旅が始まった。
MIRKO BUFFINI FIRENZE(ミルコ ブッフィーニ フィレンツェ)は、イタリア・フィレンツェの香水ブランドである。街に根づくものづくりを土台に、和歌や俳句、日本の美意識、アイルランド文学までを創作の題材にしてきた。その中心にいるのは、着想を選び、調香師とともに香りへ仕立てるミルコ・ブッフィーニだ。
基本情報
設立年:2012年
最初のコレクション発表:2013年6月、ブラック・コレクション
創設者:Mirko Buffini(ミルコ・ブッフィーニ)
誕生の地:イタリア・トスカーナ州フィレンツェ
公式サイト:MIRKO BUFFINI FIRENZE / 日本総代理店 olfatto
ブランド名には創設者の名前と、故郷の都市名「フィレンツェ」が並ぶ。ブッフィーニはディレクター兼デザイナーであり、香水は調香師との協働によって生まれる。
創設者とブランドの成り立ち
化粧品の仕事と、贈られた香水
香水ブランドを始める前から、ブッフィーニは化粧品製造に携わり、アロマ・フィレンツェという会社を営んでいた。香りに関わる事業のつながりはあったが、自分の名を冠した香水へ向かうきっかけは、仕事の計画よりも、一本の贈り物にあった。
2010年、友人から受け取った香水に心を動かされる。贈り主は、のちに共同事業者となるクラウディアだった。ブッフィーニが惹かれたのは、同じ香水なのに香りが絶えず変わっていくこと。その体験が、香水そのものへの関心を深めていった。
「最初にスプレーしたときは、嫌いでした。」
— ミルコ・ブッフィーニ
そう振り返るほど、初めの印象は好ましくなかった。だが10分ほど経つと、肌の上に、それまでまとった香水にはない木のような香りが現れた。翌日もう一度つけると、また違った印象になる。その変化への驚きが、理想の香水を自分でもつくりたいという探究へつながった。
約50種類の試作から生まれたNo.31
最初の作品となったのが、No.31(トレントゥーノ)である。ブッフィーニが向き合ったのは、個性の強いパチュリを、どう優雅な香りへ仕立てるかという課題だった。土や木を思わせる陰影を持つ素材に、ブランデーやバニラ、チョコレートなどの要素を合わせていく。
調香師と試作を重ね、候補は約50種類に及んだ。二年をかけて選び抜いた香りを、ブッフィーニは友人たちへ販売した。簡素なガラス瓶を、印のない箱に収めた最初の100本は、およそ一週間で売り切れたという。自分のために始まった香りの探究が、ほかの人にも届く。その手応えが、香水を事業として育てる道を開いた。
海外へ事業を広げるためには、幼なじみのマルコ・マリも加わった。マリの家族は長く国際貿易に携わっていた。香りを考えるブッフィーニと、それを国外へ届ける協力者。ブランドは創設者一人の着想から始まりながら、別の経験を持つ人々とともに形を整えていった。
2013年、12の香りをフィレンツェで発表
2012年に設立されたブランドは、2013年6月、フィレンツェで開かれる服飾の見本市ピッティ・イマージネ・ウオモで、最初のブラック・コレクションを発表した。約二年を費やしてつくり上げた12の香りによるデビューだった。
その発想の土台には、日本の「侘び寂び」があった。ただし、作品を一つの香調にそろえたわけではない。No.31のように素材の扱いから出発した香りもあれば、詩歌、人物、物語から生まれた香りもある。
ブッフィーニにとって、作品名は後から付ける飾りではなかった。古い文章や、とりわけ東洋の物語を探るなかで、それぞれの名に強い個性を持たせる。一つひとつが、それ自体で別のブランドになり得るほどの名前を目指していたのである。「ブランドの中にブランドがある」といわれる背景には、この作品ごとの独立した発想がある。
旅の着想を調香師とともに形にする
ブッフィーニの役割は、旅や読書で得た着想を、香水の方向性へまとめることにある。世界を巡って新しい匂いや題材を探し、表したい性格や中心となる香りを調香師へ伝える。そこから素材を選び、釣り合いを整え、頭のなかにある香りへ近づけていく。
「新たな香りを生み出すのには、大体2〜3年を要します。」
— ミルコ・ブッフィーニ
2018年、ブッフィーニはこう語っている。信頼する調香師と話し合い、数えきれないほどのサンプルを確かめながら、一つの作品にたどり着く。自ら処方のすべてを手がける調香師というより、創作の題材と方向を定め、専門家との往復によって実現させる作り手なのである。
日本への関心も、その創作の一部だ。『武士道』や山本常朝の『葉隠』を読み、戦いに向き合う姿勢だけでなく、装いや暮らし方にも惹かれた。香水の題材を探す旅は、原料の産地を訪れることに加え、異なる文化の考え方に出会うことでもあった。
ジョイスの文学から、イタリアを表すコレクションへ
2017年9月、ピッティ・フラグランツェで発表したH.C.E.(エイチ・シー・イー)は、ジェイムズ・ジョイスの小説『フィネガンズ・ウェイク』から生まれた。小説の登場人物の頭文字であるH.C.E.は、「Here Comes Everybody」という言葉にもつながる。名前や言葉の重なりを、香水の題材へ持ち込んだコレクションである。
ブラック・コレクションの続きを同じ調子でつくるのではなく、別の物語を開く。ブッフィーニは、この新しいコレクションを、新しい顧客との出会いと進化として捉えていた。文学の言葉遊びを入り口にしたH.C.E.では、作品ごとに異なる香りの表現を展開していく。
2020年3月には、NOÛS COLOGNE(ノウス コロン)が登場する。今度の題材は、イタリアの北部・中部・南部。国外の文化を取り入れてきたブランドが、自国の風景や暮らしに目を向けた三つの香りである。
日本での10周年に生まれたフーガ
2024年、日本での発売10周年を迎えたブランドは、3月20日にFÛGA(フーガ)を日本限定で発売した。日本を「第二の故郷」と呼ぶブッフィーニが、調香師ベルトラン・ドゥショフールとともにつくった香水である。
題材となったのは、桜の花びらが水面を流れる様子、緑の濃い庭園、秋の金木犀、雪に覆われた野山。そして寺社や建築、車窓から見える田園、都市の風景までを含む、日本での記憶だった。これらは香料の一覧ではなく、作品へ託した情景である。
フーガの名には、日本語の「風雅」と、音楽形式のフーガが重なる。香りをかいで記憶を思い出すのとは逆に、記憶のなかの印象や感情を香りとして表す。和歌や俳句への関心から始まった日本とのつながりは、実際に訪ね、親しんだ場所の記憶を作品にするところまで育っていた。
ブランドのこだわり
和歌と俳句を題材にした香りづくり
No.31の「31」は、五・七・五・七・七の31音からなる和歌にちなむ。自然を抽象的な題材として眺めるだけでなく、人の感情に関わるものとして捉える。その考え方を、短い詩の形式から香水へ持ち込んでいる。
一方、香りの組み立ては簡単ではない。No.31はパチュリを中心に、60以上の香りの要素を含む複雑な作品だ。ブランデーとチョコレートの要素、ローズやバニラ、樹脂の温かさが重なる。短い名の背後に、多くの要素を釣り合わせる設計がある。
HAIKU(ハイク)の着想は、松尾芭蕉の「古池や蛙飛び込む水の音」である。池の匂いをそのまま再現する発想ではなく、静寂のなかで一瞬の変化が起こる、その感覚を題材にした。
香りでは、白い花々とダマスクローズを軸に、ベリーやシダーウッド、バニラ、ホワイトムスクなどを組み合わせる。水音の題材に対して、花の柔らかさと広がりを選んだところに、ブッフィーニの解釈が表れている。詩歌の形式や情景が、香水を考えるための入り口になっているのである。
素材選びと、75日間の熟成
ブッフィーニは、フィレンツェの香水づくりの伝統を、素材の探究と細部への配慮から受け継ごうとしている。アイリスやラベンダー、ローズをはじめ、トスカーナの修道院で育てられてきた植物への関心も、その一部である。
初期のブラック・コレクションでは、天然原料から得た香りのエッセンスを75日間寝かせ、安定させてからブレンドする方法が紹介されている。ブッフィーニも2018年、天然の原材料を熟成させて使うことを、制作上の工夫として語っていた。素材を手に入れるだけでなく、時間をかけて扱うことに重きを置いていたのだ。
現在もブランドが掲げるのは、世界各地での素材選び、香料会社との協働、手作業による丁寧な制作である。古い工房の作法を守ることと、外部の技術や異なる文化を取り入れること。その両方が、フィレンツェに拠点を置くこのブランドのものづくりを支えている。
イタリアの地方と暮らしを表すノウス コロン
ノウス コロンは、イタリアの三つの地方を、それぞれを特徴づける香りで表す。たとえばEAU SAVOIR(オー サボア)にはトスカーナのイチジクが使われ、ブランドが生まれた土地とのつながりが示されている。ローズとイチジクを、パチュリやベチバーの要素に重ねる構成だ。
北イタリアの生活を題材にしたEAU(オー)では、食前に飲み物や会話を楽しむアペリティーボの文化に目を向ける。ベルガモットやグレープフルーツに、冷えたジンを思わせる香りを組み合わせた。こちらは、場所を植物の産地からだけでなく、人の過ごし方から表している。
同じイタリアを題材にしても、一つの風景にまとめない。土地に根づく素材と、その土地での暮らしをそれぞれの作品に託すことが、このコレクションの特徴である。
ボトルデザインに表れるコレクションの違い
No.31のボトルは、正面の広い透明なガラスに、ブランド名と大きな作品名を印刷した簡潔な造形である。金色の円筒形キャップと厚いガラスの底が、淡い金色の液体を囲む。装飾を重ねるより、作品名そのものを強く見せるデザインだ。
ノウス コロンでは、グレーを含んだ緑へと色を変える。ブッフィーニが「レオナルド・グリーン」と呼ぶこの色は、レオナルド・ダ・ヴィンチと、水の色としての緑への関心から選ばれた。三作品の名に共通する「EAU=水」と、容器の色を結びつけている。
近年のロル・ドゥード・コレクションでは、ウードを中心とする重厚な世界に、金色のモチーフを用いる。また、インデレビル・コレクションは都市や記憶、欲望を、アビサル・コレクションは内面への沈潜や不完全な美を題材にしている。創作の範囲は広がっているが、すべてを同じ物語で包むことはしない。コレクションごとに、香りの題材と見せ方を選び直している。
ちなみに…
ノウス コロンのボトルの色を知るために、一日がかりの講義を受けた人がいる。2019年10月、ブッフィーニのアトリエを訪ねた日本のスタッフ、大竹創である。
話は侘び寂びから千利休、九鬼周造、日本の文学へと広がり、さらにレオナルド・ダ・ヴィンチ、ルネサンス、アリストテレスへ。途中で休憩を申し出ても、「あと少しだから」と説明は続いた。昼食はデリバリーで取り、色の由来を聞くまで、ほぼ丸一日を費やしたという。
一本のボトルの色にも、これだけの寄り道がある。ブッフィーニの文化への関心の深さと、伝え始めると止まらなくなる人柄が見える小話である。
参考文献
- Vogue Italia:創設者インタビュー「Profumi by Mirko Buffini: il lato esotico del Made in Italy」(2015年) — https://www.vogue.it/beauty/notizie-bellezza/2015/03/mirko-buffini-firenze-profumi-fragranze-made-in-italy
- MIRKO BUFFINI FIRENZE:Brand — 設立年、協働と制作方針 — https://mirkobuffinifirenze.com/brand/
- olfatto:ブランドの成り立ちと、ディレクターとしての役割 — https://olfatto.jp/pages/mirko-buffini-firenze
- The Beauty Gazette:創設者への取材、贈り物の香水、No.31の試作と初期販売(2017年) — https://beauty-gazette.com/2017/05/27/new-fragrance-label-to-watch-mirko-buffini-firenze/
- Icon Magazine:創設者インタビュー「Mirko Buffini: profumi made in Italy」(2015年) — https://www.iconmagazine.it/beauty/mirko-buffini-profumi-made-in-italy-2/
- ISETAN MEN’S net:創設者インタビュー — 最初の作品とユニセックスの香り(2018年、後編) — https://www.imn.jp/post/108057199486?page=2
- MIRKO BUFFINI FIRENZE:About — 各コレクションの発表時期 — https://www.mirkobuffini.jp/pages/5
- MIRKO BUFFINI FIRENZE:Black Collection — 侘び寂びと色の考え方 — https://mirkobuffinifirenze.com/black-collection/
- ISETAN MEN’S net:創設者インタビュー — 開発期間、熟成、H.C.E.(2018年、前編) — https://www.imn.jp/post/108057199486
- HIGHSNOBIETY JAPAN:創設者インタビュー — 日本文化への関心と制作方法(2018年) — https://highsnobiety.jp/p/interview-with-mirko-buffini/
- MIRKO BUFFINI FIRENZE:E-Shop — H.C.E.の名前と文学的な着想 — https://mirkobuffinifirenze.com/en/e-shop/
- olfatto:FÛGA発売のプレスリリース(2024年2月20日) — https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000002.000136819.html
- MIRKO BUFFINI FIRENZE:No.31 — 和歌との関係と香りの構成 — https://mirkobuffinifirenze.com/negozio/black-collection/no-31/
- olfatto:No.31 — 香りの構成と公式商品画像 — https://olfatto.jp/products/no-31
- MIRKO BUFFINI FIRENZE:HAIKU — 松尾芭蕉の俳句と花の表現 — https://mirkobuffinifirenze.com/negozio/black-collection/haiku/
- MIRKO BUFFINI FIRENZE:EAU SAVOIR — トスカーナのイチジク — https://mirkobuffinifirenze.com/negozio/nous-cologne/eau-savoir/
- MIRKO BUFFINI FIRENZE:EAU — 北イタリアの暮らしとアペリティーボ — https://mirkobuffinifirenze.com/negozio/nous-cologne/eau/
- MIRKO BUFFINI FIRENZE:The birth episode of NOÛS COLOGNE — ボトルの色(2021年) — https://www.mirkobuffini.jp/blog/detail/41
- MIRKO BUFFINI FIRENZE:L’or d’Oud Collection — 金色とウードの世界 — https://mirkobuffinifirenze.com/l-or-d-oud-collection/
- MIRKO BUFFINI FIRENZE:Indélébile Collection — 都市と記憶を題材にした作品 — https://mirkobuffinifirenze.com/indelebile-collection/
- MIRKO BUFFINI FIRENZE:Abyssal Collection — 内面への沈潜と不完全な美 — https://mirkobuffinifirenze.com/abyssal-collection/
- 大竹創:The birth episode of NOÛS COLOGNE2 — アトリエでの講義(2021年) — https://www.mirkobuffini.jp/blog/detail/42


