Maison IRFĒ(メゾン・イルフェ)— 百年の記憶を、ドレスと香りへ

メゾン・イルフェのセンティフォリアローズのドール型ボトルと、赤いドレスのあるパリ風の室内 ブランド創業者

「過去の物語をただ語り直すだけでは、今の時代には十分ではない。」

— オルガ・ソロキナ(オーナー兼クリエイティブディレクター)

銀色の頭と肩、赤や黒のガラスでできた丸い身体。Maison IRFĒ(メゾン・イルフェ)の香水瓶は、小さなドレスを着た人形のようである。その姿の向こうには、ロシアからパリへ渡った創業者夫妻と、一冊の本からメゾンを再興する仕事へ踏み出した女性の物語がある。

このブランドを知るには、百年の歴史と、今の香水をつくる視点の両方を見ておきたい。髪の色や年齢で女性を分けた1920年代の香水から、気分や人物像を題材にした現行のコレクションへ。服を選ぶことと香りを選ぶことのつながりが、時代を越えてどう変わったのかをたどってみよう。

基本情報

設立年:1924年(2008年に再始動、2024年に現行の香水コレクションを発表)
創設者:Irina Romanova Youssoupoff(イリナ・ロマノヴァ・ユスポワ)、Felix Youssoupoff(フェリックス・ユスポフ)
現オーナー兼クリエイティブディレクター:Olga Sorokina(オルガ・ソロキナ)
誕生の地:フランス・パリ
現在の本拠地:米国・ニューヨーク
公式サイト:Maison IRFĒ

IRFĒという名前は、創設者のイリナ(Irina)とフェリックス(Félix)の名前を組み合わせたものだ。フランスに生まれたメゾンでありながら、その名には、故国を離れた二人の人生が残っている。

創設者とブランドの成り立ち

故国を離れた夫妻が、パリに開いたメゾン

イリナは、ロシア皇帝ニコライ2世の姪である。夫のフェリックスはユスポフ家の公爵で、宮殿の室内や、母が身につける衣装と宝石に囲まれて育った。後に彼が手がける室内装飾やメゾンの美意識には、この環境で養われた感覚がつながっていた。

1914年に結婚した夫妻は、ロシア革命の後にヨーロッパへ移り、パリを生活の場とした。1924年、ヴァンドーム広場のリッツでメゾン・イルフェを披露する。深夜の発表には、イリナ自身も衣装をまとって登場した。

創業家の身分だけが、その服の特徴だったわけではない。当時の衣装は、少年のような髪型と結びつく、現代的で両性的なシルエットを持っていた。イリナがブランドの姿を伝え、親族や友人たちが仕事に加わる。やがてノルマンディー、ロンドン、ベルリンにも拠点が広がった。

宮廷の記憶を携えながら、1920年代の新しい服をつくる。この「受け継いだ美意識を、今の姿へ移す」という関係は、後の再興を考えるうえでも手がかりとなる。

1926年、女性の違いを香水で表そうとした

服に続いて、1926年には香水を発表した。グラースのモリナールで製造された4つの香りは、「ブロンド」「ブリュネット」「ティシアン」「グレー・シルバー」。髪の色や年齢によって、異なる女性像を想定していた。グレー・シルバーは、皇太后マリア・フョードロヴナに捧げられた。

現在の感覚から見れば、この分類は外見を強く前提にしている。それでも、単に一つの香りを全員へ届けるのではなく、まとう人の違いを香水の企画へ持ち込んでいたことが分かる。現行の香水を読むときも、昔と同じ処方が続いていると考えるより、「どんな人物を香りで表すか」という発想の変化に目を向けたい。

経済的な困難から、クチュールのメゾンは1931年に閉じた。公式の歴史では、香水の製造はその後も1940年代まで続いたとされる。服と香水の活動は同時に終わったわけではなく、そして、そのまま今日まで途切れず続いたわけでもない。

一冊の本が、モデルの仕事の先を開く

再興を担ったオルガ・ソロキナは、ベラルーシのヴィテブスクに生まれ、モデルとしてファッションの世界へ入った。ロンドン、ニューヨーク、ベルリンなどで働いた経験について、彼女は2015年の取材で、異なる人々と出会い、自分の考えを持つ助けになったと振り返っている。

転機となったのが、アレクサンドル・ワシリエフの著書『Beauty in Exile』だった。革命後に故国を離れた人々とファッションの歴史を読むうちに、イルフェの物語に惹かれたのである。2010年の取材によれば、2006年には創業者夫妻の孫、クセニアと出会っている。

パリでのその出会いは、眠っていた名前を使うための手続き以上のものになった。ソロキナは、創業家の精神を保ちつつ、完全に現代的な美意識をつくるという信頼を託された。イルフェは、彼女にとって初めてのクリエイティブディレクターとしての仕事となる。

再興で問うたのは、過去をどう動かすか

2008年、パリのパレ・ド・トーキョーで、ソロキナによるメゾンの再始動が披露された。2013年にはパリ・ファッションウィークでショーを行う。この発表に先立つ『Vogue』の取材でも、再興には創業者夫妻の孫の賛同を得たことが紹介された。歴史の長い名前を、現在の服づくりへ戻していく仕事である。

2013年の『Vogue』の取材では、メゾンが活動を止めなかったかのように、最初のコレクションをつくったと語っている。八十年近い空白を埋めるとは、昔の服を増やすことではなく、その間にもメゾンが変化し続けていたら、今どんな服をつくるだろうと考えることだった。

「イルフェを、レトロなシックのなかに固定したくはない。」

— オルガ・ソロキナ

2010年のこの言葉は、彼女の姿勢をよく表す。当時、見つけられた昔の本物の服はわずかで、十分なアーカイブを前提にした復刻はできなかった。ソロキナが残したのは、衣装の細部をすべて写すことより、ユスポフ家の王冠の意匠や、イリナが好んだスミレにつながる紫色といった手がかりだった。

一方で、現在を生きる人の服は気分によって変わる。構築的な形を選ぶ日も、柔らかく量感のある形を選ぶ日もある。ソロキナは、周囲の人々の態度や好み、望みを観察し、素材からコレクションを考えると語っていた。過去の名品だけでなく、今日の人の変化が、創作の題材となったのである。

ニューヨークで、つくりたいドレスへ戻る

2016年には、本拠地とデザインスタジオをニューヨークへ移した。ソロキナは公式の自述で、初期の現代的なコレクションが広がる一方、喜びのある美しいドレスをつくるという当初の目的から離れたように感じたと振り返る。そこで、カクテルドレスや夜のためのドレスを中心とする方向へ、メゾンの考え方を見直した。

パリからニューヨークへの移動は、住所の変更だけではなかった。どんな服をつくり、どんな人を思い描くのかを選び直す時間だったのである。そのドレスと人物像の関係が、香水をつくるときの出発点にもなる。

百周年に生まれた、5つの香りの人物像

2024年、創業100周年を迎え、ソロキナは5つの香りからなる新しいコレクションを発表した。パリにいた頃から望んでいた香水の企画を、ドレスと、それを着る人の感情や性格からつくったのである。

制作ではdsm-firmenichの調香師たちと協働し、香りとボトルにそれぞれの人物像を通わせた。ソロキナが服づくりで培った視点を、調香師の素材選びと容器の造形へ渡す仕事である。

ブランドのこだわり

ドレスと人物像を、香りとボトルで表す

「私にとって、年齢、肌の色、国籍は関係ない。」

— オルガ・ソロキナ

ソロキナが香水に描こうとしたのは、年齢や外見よりも、その人の気分や好むスタイルである。服づくりで思い描いてきた人物を、香りにも登場させる。ドール型のコレクションは、そんな発想から生まれた5つの肖像として捉えたい。

その人物像は、香りを嗅ぐ前からボトルに現れている。ソロキナのスケッチをFranceLabが形にし、銀色の頭と肩、色のついたガラスの身体で、小さなドレス姿をつくった。箱のデザインには、ルイ・クラヴェリーも携わっている。赤いガラスのセンティフォリアローズなら、題材となった「赤い服の人」が、容器にも残る。

このメゾンでは、人物、ドレス、ボトル、香りを一緒に見ると、制作の考え方が分かりやすい。では、目で見える服の印象を、調香師はどんな素材へ移したのだろうか。

赤いドレスを、花の名だけで終わらせない

Centifolia Rose(センティフォリアローズ)を手がけたオノリーヌ・ブランは、ソロキナの赤いドレスから、大胆な人物と、その人に贈る花を思い描いた。ローズを選んだ出発点は、その服を着る人の姿にあった。

ブランの制作説明では、ローズにベルガモットとピンクペッパーを合わせて大胆さを与え、ネロリ、アイリス、ホワイトムスクで柔らかさを加える。そして、シダーとサンダルウッドで木の渋みを添える。強さと柔らかさの両方を、一つの人物に重ねる設計である。

ここで面白いのは、赤い服の印象を、花だけで表しきろうとしていないことだ。ローズの周囲に置く素材が、人物の輪郭をつくる。ドレスの色から香りを連想するだけでなく、その服を着こなす人を想像するところまで、調香師の仕事が進んでいる。

待ち遠しさと夜の熱気を、同じ調香師が描き分ける

アレクシス・グリュジョンが手がけたMarshmallow Musk(マシュマロムスク)の題材は、ロマンチックな人物である。彼が制作で表そうとしたのは、何かを待つときの期待がふくらむ感覚だった。そのために、マシュマロを思わせる甘い質感へ、アイリスとジャスミンを合わせ、花やお茶の要素を重ねている。

一方、同じグリュジョンによるSmoldering Pepper(スモルダリングペッパー)は、夜の街の熱気や、人を惹きつける存在感が題材となる。こちらでは、黒胡椒、オリバナムという樹脂、スモーキーなレザーに、ブルボンバニラを組み合わせた。甘さは、花やお茶とは異なる素材のなかに置かれている。

二つの作品を並べて読むと、一人の調香師が、同じメゾンのなかで異なる感情を描き分けていることが分かる。甘さを花やお茶と結びつける作品と、胡椒や革と重ねる作品が、一つのコレクションに共存する。共通するのは、人物の気分を素材の組み合わせへ変えるという制作の発想である。

変化を求める人を、素材の組み合わせへ

「オルガは、相容れない素材、珍しいものと馴染みのあるものを、この香りで組み合わせたいと考えていた。」

— フランク・フォルクル(調香師)

この依頼を受けたフランク・フォルクルの作品が、Patchouli Forever Worn(パチョリフォーエバーウォーン)である。題材は、日常を抜け出し、新しいものを求め続ける人物。フォルクルは、3種類のパチョリに関わる素材を、蜂蜜やタバコと組み合わせたと説明している。

ここでは、人物の「変化を求める」という性格が、珍しいものと馴染みのあるものを一緒に扱う依頼へつながっている。香りの名前にパチョリがあること以上に、ソロキナがどんな組み合わせを望み、調香師がどう応えたかに注目したい。人物像は、作品を飾る紹介文にとどまらず、素材を選ぶための具体的な条件となっている。

人物から土地へ、メゾンの記憶を香りにする

人物を描くドール型の作品に対して、ヘリテージでは、メゾンの歩みと結びついた土地が題材になる。こちらを見ると、イルフェが香りに残そうとしているものは、現在のドレスだけではないことが分かる。

Ma France Folie Parisienneは、パリのクチュールの歴史と、創業期のブティックがあったデュフォ通りに着想を得た作品。ロドリゴ・フローレス=ルーが手がけ、ジャスミン、ローズ、アイリスに、オークモスやパチョリ、レザーを重ねる。花と苔、木を軸にしたシプレという香りの系統で、パリの記憶を扱っている。

ドール型の作品では、服を着る人の印象を素材へ移す。ヘリテージでは、メゾンが過ごしてきた場所を香りの題材にする。対象は変わっても、人物や記憶を今の表現へ戻すという視点で、二つの企画をつなげて読むことができる。

創業家から受け継ぐ名前と、自分がつくるドレス。その間を香りでつなぐところに、今のイルフェを知る面白さがある。人形の姿から入っても、花や木の組み合わせから入っても、その向こうには、過去の物語を今日の表現へ動かすソロキナの仕事が見えてくる。

ちなみに…

2015年当時、ソロキナがパリで構えたスタジオの隣には、ホテル「ル・バーガンディ」があった。実は彼女は、スタジオを開く以前に、すでにこのホテルに泊まっていた。後に仕事場となる場所のすぐ隣に、先に滞在していたのである。

その一帯のデュフォ通りは、創業期のメゾンがあった場所でもある。ソロキナは昔の通りの写真を眺め、街がどう変わったかにも関心を寄せていた。創業家の歴史をたどるパリに、彼女自身の小さな思い出も重なっていた。

参考文献

  1. CRASH Magazine「OLGA SOROKINA ON HERITAGE」(2015年4月20日)— 再興への考え方、読書と創業家との出会い — https://www.crash.fr/olga-sorokina-interview/
  2. Maison IRFĒ「Heritage」— 創業者、1924年の発表、初期香水、活動の中断と再始動 — https://irfe.com/heritage/
  3. Maison IRFĒ「ABOUT FRAGRANCE」— 1926年の香水、ニューヨークへの移転、現行コレクションの着想 — https://irfe.com/about/
  4. Modem「Olga Sorokina」(2010年10月19日)— 2006年の出会い、アーカイブ、再興後の服づくり — https://www.modemonline.com/modem-mag/article/964-olga-sorokina
  5. Maison IRFĒ「Olga Sorokina」— 生い立ち、著書との出会い、2008年の再始動 — https://irfe.com/olga-sorokina/
  6. British Vogue「Couture House Maison Irfé Relaunched」(2013年9月19日)— 2013年のショーと創業家の協力 — https://www.vogue.co.uk/gallery/maison-irfe-couture-house-relaunched-olga-sorokina
  7. Maison IRFĒ/Newsfile「Maison IRFE Creates Captivating Fragrances and Gowns in NYC」(2024年5月6日)— 百周年の5作品と調香師との協働 — https://www.newsfilecorp.com/release/207508/Maison-IRFE-Creates-Captivating-Fragrances-and-Gowns-in-NYC
  8. Maison IRFĒ「FRAGRANCE」— ドレスとドール型ボトル、FranceLab — https://irfe.com/fragrance/
  9. Maison IRFĒ「FRAGRANCE ARTISANSHIP」— 調香師による制作説明、ボトルと箱の制作 — https://irfe.com/artisanship/
  10. Maison IRFĒ「CENTIFOLIA ROSE」— 着想、ノート、調香師 — https://irfe.com/product/centifolia-rose/
  11. Maison IRFĒ「MARSHMALLOW MUSK」— 着想、ノート、調香師 — https://irfe.com/product/marshmallow-musk/
  12. Maison IRFĒ「SMOLDERING PEPPER」— ノート、調香師、男女に向けた説明 — https://irfe.com/product/smoldering-pepper/
  13. Maison IRFĒ「PATCHOULI FOREVER WORN」— 着想、ノート、調香師 — https://irfe.com/product/patchouli-forever/
  14. Maison IRFĒ「MA FRANCE FOLIE PARISIENNE」— 着想、ノート、調香師 — https://irfe.com/product/irfe-ma-france-folie-parisienne-eau-de-parfum-spray-100ml/