ブノワ・ラプーザ(Benoist Lapouza)──海と音楽に育まれた、香りのハーモニー

ブノワ・ラプーザのスケッチと代表作品を掲載した調香師名鑑のサムネイル

「私はノルマンディーで、音楽院と海との間を行き来しながら育ちました。」

ブノワ・ラプーザ、ローズ デグランジュのインタビューより

フランス・ノルマンディー出身。

チェロの響きと海の広がり。ブノワ・ラプーザの感覚を育てたのは、この二つでした。音楽を学び、船で旅をし、土地の食べ物や自然に触れる。その経験を、素材の組み合わせと調和を考える仕事につなげてきた調香師です。

キリアン(Kilian Paris)のエンジェルズ シェア(Angels’ Share)で広く知られるようになりましたが、キャリアは1980年代に始まっています。師のピエール・ブルドン(Pierre Bourdon)と歩んだ時代、仲間との共同制作、古い香水の再解釈。その積み重ねの上に、コニャックの豊かな香りも生まれました。

調香史

チェロを学んだ少年と、ブルドンとの出会い

ノルマンディーで過ごした子ども時代、ラプーザは音楽院でチェロを学びました。音楽家として訓練を受ける一方、幼い頃から調香師にも憧れていたと、ブランドの人物紹介は伝えています。

進路を決める大きな出来事は、学校を出た後のブルドンとの出会いでした。ラプーザはその意味を、はっきりした言葉で振り返っています。

「ピエール・ブルドンとの出会いは啓示でした。高砂で4年間、彼の弟子として学びました。」

ローズ デグランジュのインタビューより

1986年に高砂香料(Takasago)へ入り、ブルドンのもとで原料と香水作りを学びます。後にダビドフ(Davidoff)のクールウォーター(Cool Water)などを手がける師を、制作の現場で見てきたのです。

1991年にはブルドンに続いてクエスト(Quest International)へ移籍。そして1993年には、フレグランス リソーシズ(Fragrance Resources)のフランス拠点の設立に加わります。師弟関係は、同じ創作の場を作る関係へと発展していきました。

フレグランス リソーシズで育まれた共同制作

ラプーザはフレグランス リソーシズで調香師として働き、やがて創作を率いる立場になります。クリスティーヌ・ナジェル(Christine Nagel)やデルフィーヌ・ルボー(Delphine Lebeau)らとの共同制作も、この時代の重要な仕事です。

ロリタ レンピカ(Lolita Lempicka)のシー ロリータ(Si Lolita)、ケンゾー(Kenzo)の限定作品、フェンディ(Fendi)、モーブッサン(Mauboussin)、パルファン・ロジーヌ(Les Parfums de Rosine)など、異なるブランドの個性をチームで形にしました。

後輩を育てる役割も担っています。ジュリー・マッセ(Julie Massé)は、ラプーザから得た助言を日々の仕事で使い続けていると、後年のインタビューで振り返りました。師から学んだ人が、次の世代の師になる。フレグランス リソーシズは、そうした技術の受け渡しの場でもありました。

ナジェルは私生活のパートナーとしても紹介されています。仕事ではそれぞれのキャリアを築きながら、複数の作品で名前を並べてきました。

ドローム、そしてジボダンへ

2014年、ラプーザはドローム(Drom)のパリのファインフレグランスチームに参加します。同年11月の業界誌パフューマー&フレーバリスト(Perfumer & Flavorist)でも、その加入が報じられました。

2019年にはジボダン(Givaudan)がドロームを買収。7月の発表を経て、9月に買収を完了します。ラプーザはジボダンの調香師として活動を続け、同社の人物紹介や天然香料の紹介にも登場しています。

2025年には、ル クヴォン(Le Couvent)のアノリ(Anori)が、上海のゴールデン オスマンサス アワード(Golden Osmanthus Awards)のクラシックフレグランス部門で銀賞に選ばれました。ジボダンはこの受賞を、ラプーザの仕事として紹介しています。

創作哲学

自然を知るために、旅をする

ラプーザにとって旅は、休息であるとともに、素材に出会う時間です。風景、知り合った人、その土地ならではの料理。鼻だけに限らない経験が、香りの発想へとつながります。

「私は自然とのつながりを感じていますし、自然を尊重することが好きです。」

パルファムスタールチェスの人物紹介に収録された本人の言葉

帆走やダイビング、ときには飛行機の操縦にも関心を持つ彼は、広がり、自由、力強さという感覚を大切にしています。香りにも、濃密な官能性と、息をつけるような新鮮さの両方を求めます。

好きな素材の一つはベチバーです。ジボダンの天然香料紹介では、ピーチの素材についても語っています。馴染みのある果実を、柔らかさとみずみずしさの対比から捉える姿勢には、料理への関心も重なります。料理人のアラン・パッサール(Alain Passard)との協働も紹介されており、食材の組み合わせは香水とは別の場所から発想を広げる手がかりになっています。

香水を、楽譜のように読み直す

音楽の経験は、素材を並べる時の考え方にもつながっています。ただし、音楽と香水を単純に同じ仕組みとして扱うわけではありません。重要なのは、一つの構成にも、異なる解釈があり得るということです。

「音楽を学んだ者であり、音楽の熱心な愛好家でもある私からすると、楽譜を演奏するのは時に難しいことです。解釈がいくつもあるからです。」

ローズ デグランジュのインタビューより

古い香水を再解釈する時には、元の構造を理解し、現在の原料でどう響かせるかを考えます。香りの一つ一つを目立たせるのではなく、組み合わせた時の均衡を見つける仕事です。

代表作とその背景

エンジェルズ シェア──コニャックの記憶を香りへ

2020年のエンジェルズ シェアは、キリアン・ヘネシー(Kilian Hennessy)とラプーザの初めての協働でした。ヘネシー家に伝わるコニャック作りと、キリアン自身の記憶が題材です。

天使の取り分という名前は、酒をオーク樽で熟成させる間に蒸発する分を指します。時間をかけて失われていくものを、逆に香りとして残す。その発想を、コニャック、木、スパイス、甘さの重なりにしました。

ブランドの説明によれば、コニャック由来のエッセンスが、香りだけでなく自然なカラメル色にも関わっています。コニャックオイルにオークのアブソリュート、シナモン、トンカビーンを合わせ、サンダルウッド、プラリネ、バニラが余韻を作ります。

酒そのものの刺激を強調するだけでなく、熟成した樽や、口に含んだ時の甘く温かい感覚までを一つにしています。食材の印象と香りを結びつけるラプーザの仕事が、広く知られるきっかけになった一作です。

2025年には、ラズベリーやローズを加えたエンジェルズ シェア パラディ(Angels’ Share Paradis)と、冷たいシトラスやアルデヒドの印象を加えたエンジェルズ シェア オン ザ ロックス(Angels’ Share On the Rocks)が登場。後者はコニャックを氷とともに飲む感覚から、元の温かさを捉え直しています。

シー ロリータ──ナジェルと描いた別の表情

2009年のシー ロリータは、ナジェルとの共同作です。ロリタ レンピカの幻想的な世界を引き継ぎながら、独自のスパイシーで花のある表情を与えました。

二人は同年、アイコノフライ(ICONOfly)のアタッシュ モワ(Attache-Moi)も担当しています。さらに2010年にはケンゾーのワンス アポン ア タイムの女性用、男性用にも参加。単発の共同制作ではなく、複数の依頼の中で互いの感覚を生かしてきたことがわかります。

ブリティッシュ ブーケ──老舗の再出発に関わる

1799年創業のアトキンソンズ(Atkinsons)が再出発を図った時期、ラプーザも新しい香水作りに参加しました。2013年のブリティッシュ ブーケ(British Bouquet)は、その仕事の一つです。

長い歴史を持つ名前を、今の人が身に着けられる香りにする。過去をそのまま再現するのではなく、英国のブランドとしての個性を現在へつなぐ役割でした。2015年のジ エクセルシオール ブーケ(The Excelsior Bouquet)にも、その協働が続いています。

ローズ デグランジュ──金庫に眠っていた処方を読む

ローズ デグランジュ(Rose Desgranges)は、1950年代の香水の処方を現代へ戻す仕事でした。家族が大切に保管してきたフォーミュラを受け取り、元の骨格を保ちながら、使える原料と現在の基準に合わせて組み直します。

ラプーザは、ローズ、エジプト産ジャスミン、イランイラン、アイリスなど、花の質に目を向けました。特にローズについては、次のように説明しています。

「私が使うローズのエッセンスはトルコ産です。とても特別で、少しライチを思わせる、非常にフルーティーなものです。」

ローズ デグランジュのインタビューより

蒸留の中から望ましい部分を選び、上質なアブソリュートを合わせて持続性を補います。さらにバニラとアンブレットで洋梨を思わせる調子を作り、シチリアのマンダリンとカラブリアのベルガモットで明るさを与えました。

香りの楽譜を読み直すという言葉は、この仕事で具体的な意味を持ちます。音を増やすことより、元の花々が持っていた表情を、今の素材でどう響かせるかが大切だったのです。

ローズ ミュスカード──バラにスパイスとスエードを重ねる

ラ クロズリー デ パルファム(La Closerie des Parfums)のローズ ミュスカード(Rose Muscade)では、同じローズでも異なる輪郭を作っています。

「フレッシュで官能的、スパイシーで、スエードによるほのかなレザー感を持つローズを作りました。そのスエードの側面が、香水に肉感的な印象を与えます。」

ラ クロズリー デ パルファムの本人インタビューより

ナツメグの温かさと、柔らかな革の質感。バラの華やかさに異なる素材を沿わせることで、花に触れた時のような感覚まで伝えようとしています。

アノリ──冷たい風を、花と木で描く

2019年のアノリは、ル クヴォンの作品です。ジャン=クロード・エレナ(Jean-Claude Ellena)が香りの創作を監修するブランドで、ラプーザとエレナの両名が調香に関わった作品として記録されています。

北の冷たい風を思わせる世界を、カルダモン、マグノリア、流木の印象で構成します。海に親しんできたラプーザにとって、広がりや空気の動きは自然な題材だったのでしょう。

2025年のゴールデン オスマンサス アワードで銀賞を受けたのは、このアノリです。発売から年月を経た作品が、改めて評価された例でもあります。

ヴィー エテレ──詩の中の無限をたどる

ブルネロ クチネリ(Brunello Cucinelli)のインカンティ ポエティチ(Incanti Poetici)は、2024年に登場した詩的な香水のコレクションです。ラプーザが手がけたヴィー エテレ(Vie Eteree)は、ジャコモ・レオパルディ(Giacomo Leopardi)の詩「無限」(L’Infinito)に着想を得ています。

ベルガモットとシトロンに、バジル、カルダモン、シダーを重ねたアロマティック・ウッディ。明るい柑橘に草のような表情が加わり、木の落ち着きへ向かいます。海や旅から得てきた広がりの感覚が、ここでは詩を通して表現されています。

ボン パフューマー 701──天然素材の新鮮な表情

ボン パフューマー(Bon Parfumeur)の701(701 Eucalyptus, Coriander & Cypress)は2017年作。ユーカリ、コリアンダー、サイプレスを軸にした、アロマティックでウッディな香りです。

ペッパーやローズマリー、木やアンバー、インセンスが重なり、植物の新鮮さと香水としての厚みを両立させています。素材への愛着と、爽やかさの中にも官能性を残す姿勢が伝わる仕事です。

ちなみに…

ラ クロズリー デ パルファムの質問票では、好きな色は青、料理はタイカレー、旅の形は船旅と答えています。音楽ではベートーヴェン(Ludwig van Beethoven)のピアノ協奏曲第5番「皇帝」を挙げました。

好きな映画は、ジャック=イヴ・クストー(Jacques-Yves Cousteau)の人生を描いた「オデッセイ」(L’Odyssée)。音楽と海は、子ども時代の思い出としてだけでなく、現在の好みにも続いています。

ローラ ジェームス ハーパー(Lola James Harper)を始めたラミ・メクダシ(Rami Mekdachi)とは、1997年からの友人です。メクダシは、ラプーザとブルドンが香りの世界を開いてくれたと語っています。後にはブランドのオードトワレ制作にも協力しました。

師から受け取ったものを、後輩や別の表現者へ渡す。ラプーザのキャリアには、作品の向こう側にこうした人とのつながりも残っています。

調香作品

主要作品を年代順にまとめます。共同者の記載には、ブランドの制作資料で紹介される監修・協働も含まれます。

年 ブランド 作品名 共同調香師
1998 イヴ・サンローラン(Yves Saint Laurent) オピウム フレシュール ドリアン(Opium Fraîcheur d’Orient) —
1998 イヴ・サンローラン ライブ ジャズ(Live Jazz) —
1999 タン・ジュディセリ(Tan Giudicelli) ゼン(Zen) —
2000 タン・ジュディセリ アンナム(Annam) —
2000 ヨープ(Joop) ロココ(Rococco) —
2003 アナ スイ(Anna Sui) ドーリー ガール(Dolly Girl) —
2005 ジャン=シャルル・ブロッソー(Jean-Charles Brosseau) コレクション オム アトラス シダー(Collection Homme / Atlas Cedar) —
2007 エスプリ(Esprit) コネクト ヒム(Connect Him) —
2007 ピエール・カルダン(Pierre Cardin) プール ファム/プール オム(Pour Femme & Pour Homme) —
2008 ピエール・カルダン プール ファム/プール オム ウィンター エディション(Pour Femme & Pour Homme Winter Edition) —
2009 アイコノフライ アタッシュ モワ クリスティーヌ・ナジェル
2009 ロリタ レンピカ シー ロリータ クリスティーヌ・ナジェル
2009 ピエール・カルダン コレクション アイリス ソヴァージュ(Collection Iris Sauvage) —
2010 ケンゾー ファム ワンス アポン ア タイム(Femme / Once Upon A Time) クリスティーヌ・ナジェル
2010 ケンゾー オム ワンス アポン ア タイム(Homme / Once Upon A Time) クリスティーヌ・ナジェル
2010 プッチ(Pucci) ミス プッチ(Miss Pucci) クリスティーヌ・ナジェル、フランソワ・ドゥマシー(François Demachy)
2011 ベンシモン(Bensimon) ギャラリー エス ベンシモン(Gallery S. Bensimon) —
2011 パルファン・ロジーヌ グラム ローズ(Glam Rose) デルフィーヌ・ルボー
2012 フェンディ ファン ディ フェンディ プール オム(Fan di Fendi pour Homme) デルフィーヌ・ルボー、フランソワ・ドゥマシー
2012 モーブッサン ローズ デルフィーヌ・ルボー
2013 アトキンソンズ ブリティッシュ ブーケ —
2013 フェンディ ファン ディ フェンディ プール オム アクア(Fan di Fendi pour Homme Acqua) デルフィーヌ・ルボー
2013 フェンディ アクアロッサ(L’Acquarossa) デルフィーヌ・ルボー、フランソワ・ドゥマシー
2013 パルファン・ロジーヌ ヴィーヴ ラ マリエ(Vive la Mariée) —
2013 モーブッサン ア ラ フォリー(à la Folie) デルフィーヌ・ルボー
2013 モーブッサン ラブリー ア ラ フォリー(Lovely à la Folie) デルフィーヌ・ルボー
2013 アリソン オルドイーニ(Alysonoldoini) オランジェ モワ/ローズ プロフォン/ブラック バイオレット/マリン ウォッカ/キュイール ダンサン ほか(Oranger Moi / Rose Profond / Black Violet / Marine Vodka / Cuir d’Encens(他多数)) —
2014年頃 ローズ デグランジュ ローズ デグランジュ —
2014 パルファン・ロジーヌ バレリーナ ナンバー 2(Ballerina No. 2) —
2014 グレ(Grès) カボティーヌ ロザリー(Cabotine Rosalie) —
2015 アトキンソンズ ジ エクセルシオール ブーケ —
2017 ボン パフューマー 701 —
2018 ラ クロズリー デ パルファム ローズ ミュスカード —
2019 クレージュ(Courrèges) ワイルド オーシャン(Wild Ocean) —
2019 ラリック(Lalique) ソレイユ(Soleil) アレクサンドラ・モネ(Alexandra Monet)、バーバラ・ツェーベライン(Barbara Zoebelein)
2019 ル クヴォン アノリ ジャン=クロード・エレナ
2019 ホリスター(Hollister) フェスティバル ナイト フォー ヒム(Festival Nite for Him) —
2020 キリアン エンジェルズ シェア —
2021 ロベルト カヴァリ(Roberto Cavalli) ヴェルール サフラン(Velour Saffron) —
2021 ロベルト カヴァリ ワイルド インセンス(Wild Incense) —
2023/2024 ジョルジオ アルマーニ(Giorgio Armani) プリヴェ ブラン コガネ(Privé Blanc Kogane) —
2024 ブルネロ クチネリ ヴィー エテレ —
2025 キリアン エンジェルズ シェア パラディ —
2025 キリアン エンジェルズ シェア オン ザ ロックス —

ブラン コガネは資料によって2023年/2024年の記載があります。ローズ デグランジュは現代版の再解釈を指します。

参考文献