「音楽から始めた。それが最初のインスピレーションの源だった。」
―― Filippo Sorcinelli(フィリッポ・ソルチネッリ)
基本情報
設立年: 2014年(UNUM(ウナム)コレクションとして香水ブランドの活動を開始)
創設者: Filippo Sorcinelli(フィリッポ・ソルチネッリ)
公式サイト: filipposorcinelli.com
創設者・ブランドの成り立ち
モンドルフォの少年
1975年7月1日、フィリッポ・ソルチネッリはイタリア・マルケ州の小さな町、モンドルフォに生まれた。家族は布職人と仕立屋の家系であり、幼いフィリッポのまわりには常に布地と糸の世界があった。だが彼の魂を最初に揺さぶったのは、布地ではなくパイプオルガンの轟音だった。
「5歳のとき、私はオルガンの音を聴いて気を失ったことがある。」
―― Filippo Sorcinelli(フィリッポ・ソルチネッリ)(Nose Paris(ノーズ・パリ) インタビューより)
後年、彼はその原体験をこう語っている。「母について教会の掃除に行ったとき、初めて乳香の香りを嗅いだ。祭具室(サクリスティ)で聖衣を見て、オルガンに触れた。これが私の背景であり、教育であり、芸術と人生の糧だった」。
こうした幼少期の感覚体験——乳香の煙、石の壁、聖衣の布地——は、後のブランド「フィリッポ・ソルチネッリ」のすべての香水に脈打つことになる。
13歳のオルガン奏者
フィリッポが13歳になったとき、彼はファーノ大聖堂のオルガン奏者に就任した。リミニとサン・ベネデット・デル・トロントの大聖堂でも、のちにオルガン奏者を務めている。同世代の子どもたちがサッカーをしていたころ、彼は司教の典礼式典でオルガンを演奏するために付き添いを頼んでいたという。「13歳でオルガン奏者になるということは、名誉だけでなく大きな責任であり、普通の子どもの活動を脇に置くことを意味した」と、ソルチネッリは後のインタビューで振り返っている。
並行して彼は1992年にファーノ芸術学校でマエストロ・ダルテ(Maestro d’Arte/美術課程の修了資格)を取得し、ペーザロのロッシーニ音楽院でも学んだ(1996年まで)。1997年には「ピオ・ソダリツィオ・デイ・ピチェーニ」奨学金を得てローマ教皇庁立神聖音楽学院に進み、オルガン専科で研鑽を積んだ。ローマに滞在したこの時期は、単なる音楽修行にとどまらなかった。バチカンで典礼を近くで目にし、神聖な音楽と聖衣の美しさを深く内面化したのである。
また、若いころから現代芸術家のアトリエで働き、多くの音楽フェスティバルのアートディレクターも務め、ルーヴル美術館を含む国際的な展覧会や芸術インスタレーションにも参加した。絵画・写真・グラフィックデザインを横断するこの多面的な活動は、後に「さまざまな芸術の交わり(contamination/コンタミネーション)による産物」と彼自身が形容するブランドの哲学を先取りしていた。
LAVS(ラヴス)誕生:聖衣の仕立屋へ
ローマ留学から地元に戻ったフィリッポは、ある問いを自分に投げかけた――「さて、これから何をすべきか?」。音楽を学び、絵を描き、インスピレーションを得て選択をした。そして「どんな仕事でも、常に最高を目指せ。降りていくのはいつでもできる」という母の言葉を胸に、2001年、彼はLAVS(ラヴス/ラボラトリオ・アトリエ・ヴェスティ・サクレ)を創設した。
ラテン語で「讃美」を意味するLAVS(ラヴス)は、カトリック典礼のための聖衣・聖具を手作りするアトリエである。幼い頃から親しんだ家族の仕立屋が原点となった。ソルチネッリはこう語る。「LAVS(ラヴス)はロマネスクとゴシックという二つの特別な歴史時代に深く沈潜することから生まれた。そのスタイルの思想的土台を現代的な形で翻訳したかった」。
やがてLAVS(ラヴス)はその卓越した品質によって教会界で注目を集め、ある日、教皇庁典礼祝典局から一本の電話が入る。こうして2007年、ソルチネッリはベネディクト16世の聖衣制作を始め、同教皇のために50点以上を制作した。2013年にはフランシスコ教皇の最初のミサで着用される聖衣も手がけた。マスコミはソルチネッリに「教皇のテーラー」という称号を与えたが、本人は「単に仕事をよくやっているだけ」と語っている。
なお、両教皇が逝去した際には、いずれもソルチネッリ制作の白絹製ミトラ(司教冠)が、柩に納められた遺体に着用された。2025年には教皇レオ14世のためにも聖衣を制作している。2021年には教皇庁立典礼学院から「聖衣における革新の芸術・典礼賞」を受賞した。
UNUM(ウナム)の誕生:「嗅覚の仕立て」へ
LAVS(ラヴス)のアトリエには、完成した聖衣の箱に香りを加えるという慣習があった。聖衣を受け取る人の感覚体験を豊かにするためである。このことが、香水創造への扉を開いた。
「UNUM(ウナム)の起源はここにある。私たちの創作物をさらにユニークにできる香りを作ることへの欲求だ。」
―― Filippo Sorcinelli(フィリッポ・ソルチネッリ)(Kafkaesque Blog(カフカエスク・ブログ)インタビューより)
ソルチネッリの長年のパートナーであるMarcello(マルチェッロ、姓は非公表)は、LAVS(ラヴス)の最初期から共に働いており、二人は正式な会社としてUNUM(ウナム)を創設した。2014年、最初の香水「LAVS(ラヴス)」がリリースされ、UNUM(ウナム)コレクションが幕を開けた。
名称のUNUM(ウナム)はラテン語で「一つ」の意。「体と魂が一体となり、時代を超越し、調和のとれた香りの交響楽を作り上げる」という意志を表している。
ブランドのこだわり
哲学:「素材と探求がすべて」
ソルチネッリは自らのモットーを「素材と素材の探求こそがすべて(It’s about the raw material and the research of materials)」と語っている。香水は彼にとって知的・精神的な体験であり、単なる官能的な快楽ではない。
「香水は音楽と同様に、具象的な参照を必要としない芸術媒体だ。香水は嗅覚の芸術である。」
―― Filippo Sorcinelli(フィリッポ・ソルチネッリ)(Nose Paris(ノーズ・パリ)インタビューより)
各香水は発売のたびに、綿密な思想的・文学的・宗教的テーマと結びついている。インスピレーションの源泉は、ゴシック建築、バロック絵画、教会音楽、写真、オペラ、文学など多岐にわたる。匿名を希望する調香師とともに、ソルチネッリはビジョンを出し、調香師はそのビジョンを嗅覚の言語に翻訳するという協働制作スタイルを採っている。彼自身は「鼻が重要なのではなく、私がそれを通して解釈できることが重要だ」と述べている。
黒と素材への執着
UNUM(ウナム)のアイデンティティに深く刻まれているのが、黒への徹底したこだわりである。
「黒は社会からの離反、それでいて社会の一部であること。黒は地下の生、根なし、謎めいた自己への旅。これが真の貴族性だ。UNUM(ウナム)のキャラクターが黒いままであり続けるなら、存在する意味がある。」
―― Filippo Sorcinelli(フィリッポ・ソルチネッリ)(nero profumo(ネロ・プロフーモ) インタビューより)
UNUM(ウナム)のボトルは黒い金属のモノリス(一枚岩)を思わせる直線的なフォルムで、金属的・黄金的な質感を持つ。各香水は黒い厚紙箱に収められ、古代の書物の新たな章の幕開けを感じさせるという。
フィボナッチ数列と黄金比
ソルチネッリがパッケージ設計にフィボナッチ数列と黄金比を取り入れていることも特筆すべき点である。比率や構造に数学的美しさを内包させることで、香水瓶そのものが造形芸術となる。「細部への徹底したこだわりと知性」が香水記述の随所に現れており、それはソルチネッリが「知識人的・理論的探求」として香水を位置づけていることの証左でもある。
エクストレ・ド・ミュジークの木製ボックス
「エクストレ・ド・ミュジーク」コレクションでは、ボトルがノートルダム大聖堂のグランオルガン音栓のノブを忠実に再現した形状をしており、ボックスはパイプオルガンの響板を想起させる木製の完全手作りである。香水の内容物だけでなく、パッケージそのものがコンセプトの不可分な一部となっている。
香水ラインナップ
フィリッポ・ソルチネッリのフレグランスは、複数のコレクションで構成されている。ここでは、その中から代表的な三つを紹介する(その他のコレクションや単独作品も存在する)。
UNUM(ウナム)コレクション
ブランドの中核をなす香水群。第13作までの展開が紹介されており、その後も作品が加わっている。いずれも「エクストレ・ド・パルファン」という高濃度の香水区分で、ソルチネッリの個人的・精神的・芸術的体験を一作ごとに凝縮している。
代表的な作品を以下に紹介する。
LAVS(ラヴス) — コレクション第一作にしてベストセラー。聖衣アトリエの空気を閉じ込めた「香水の中の乳香(incense of incenses)」。黒胡椒、カルダモン、ジャスミンから、エレミ、ラブダナム、クローブ、コリアンダーへ進み、オポポナックス、オークモス、ローズウッド、アンバー、トンカマメへと重なる。乳香やバルサム、樹脂、古い革を思わせる荘厳な印象が広がる。聖衣の箱に施した香りの原型が、こうして世に出た。
オーパス1144(Opus 1144) — 1144年、パリ郊外サン=ドニ大聖堂の内陣献堂を象徴とするゴシック様式の「真の香り」。「ゴシックは垂直の花であり、物質の暗闇から生まれる光だ」とソルチネッリは語る。白麝香・グレイアンバー・革・バニラ・サンダルウッド・カシミアウッドにタンジェリンとベルガモットが交差する。
ロサ・ニグラ(Rosa Nigra) — 「Nigra sum, sed formosa(ニグラ・スム、セド・フォルモーサ/われは黒いが美しい)」という聖書の言葉を香りに昇華した、聖母被昇天のオマージュ。ローズを実際には配合せず、フリージア、桃、サンダルウッド、アルテミシア、アニスなどを重ねてバラを想起させる。UNUM(ウナム)コレクションの中で最も制作期間が長かった作品とされる。
アニュイ・ノワール(Ennui Noir) — 「退屈は空虚ではなく、充満であり、肥沃な充満だ。人間が自らの存在を省みることだ」とソルチネッリは語る。孤独の霧の中で自己と美を発見する、「水平な香水」として描写された。
シンフォニー・パシオン(Symphonie Passion) — 20世紀の偉大なオルガン奏者、ルーアン生まれのマルセル・デュプレが1921年に即興演奏し、のちに作品化した楽曲に着想。「あの教会の麓で誰かがオルガンを弾いているのを聴いた旅の記憶から生まれた。音楽が始まった瞬間、音は木と粉に浸っていた」。
リリクヴィア(Reliqvia) — ソルチネッリが実際にオルガン奏者・芸術監督を務めるセニガッリアの「十字架教会(1608年建立)」にインスパイアされた作品。聖遺物、金箔に覆われた木の壁、フェデリコ・バロッチの16世紀の絵画をモチーフに、「層を重ねた乳香と泥炭の堆積」を描く。
ネ・イル・ジョルノ・ネ・ローラ(né il giorno né l’ora) — UNUM(ウナム)コレクション第12作。恐怖という感情と向き合う香水。マタイ伝「十人の乙女」の寓話から着想を得た。銀のボトルを黒いベルベットバッグに収め、内側の金属ハサミで封をした熱収縮フィルムを切って開封するという儀式的なパッケージ。
キウーディ・リ・オッキ・エ・ポイ・ヴェーディ(chiudi gli occhi e poi vedi) — 第13作。道化師恐怖症(コロフォビア)とスティーブン・キング「IT(イット)」のペニーワイズをモチーフに、「恐怖の意味についての研究の完成」として位置付けられている。
エクストレ・ド・ミュジーク(Extrait de Musique)コレクション
旧名「SAUF(ソフ)」から改名されたこのコレクションは、ノートルダム大聖堂のグランオルガンの音栓(レジスター)を共感覚的に香りへ変換するという野心的な試みである。
「SAUF(ソフ)はフランス語で『例外』と『救済』の二つの意味を持つ。これほどこのプロジェクトを的確に表す言葉はない。」
―― Filippo Sorcinelli(フィリッポ・ソルチネッリ)(Tone Glow(トーン・グロウ)インタビューより)
旧ラインナップの各香水は音栓の名前を冠している。「プラン・ジュー III-V(Plein Jeu III-V)」「ヴォワ・ユメン8(Voix Humaine 8)」「ヴィオロン・バス16(Violon Basse 16)」「ウンダ・マリス8(Unda Maris 8)」「トロンペット8(Trompette 8)」「コントル・ボンバルド32(Contre Bombarde 32)」が展開された。現在の公式サイトでは「ORGAN(オルガン)#1〜#7」の新コレクションが案内されている。「ウンダ・マリス(Unda Maris)」はラテン語で「海の波」を意味し、一方の管が微妙にピッチをずらした二本の管から生まれる揺らぎのある音に由来する。ボトルはオルガン音栓のノブを忠実に再現し、手作りの木製箱に収められている。
「SAUF(ソフ)では、音楽と香水がかつてないほど近かった。両者について『音程』『オルガン』『ハーモニー』という言葉が使える。音楽と香水は両方とも、なんと愉快なほど無形で、はかなく、消えやすく、だからこそ忘れられない。」
―― Filippo Sorcinelli(フィリッポ・ソルチネッリ)(Tone Glow(トーン・グロウ)インタビューより)
アトモスフェール・デモシオン(Atmosphere d’Emotion)コレクション
このコレクションは大気現象を主題とし、2025年に全10作品として刷新された。霧をテーマとした3作品(ネビア・スペッサ、ネビア・デンサ、ネビア・フィッタ)、雨をテーマとした3作品(ピオッジア・フォルテ、ピオッジア・モデラータ、ピオッジア・デボレ)、そして風をテーマとした新作4作品(ヴェント・フォルテ、ヴェント・インペトゥオーソ、ルア、ブレッツァ・レッジェーラ)から成る。これらは聖書における風・霧・雨の象徴的意味に立ち戻りながら、創造から新約聖書の具体的場面までの神的なメッセージを探求するとされている。
ちなみに…
- ソルチネッリは一度、オルガンの音を聴いて気を失ったことがある、と語っている(5歳のとき)。この体験は後に彼をオルガン奏者として形成する原体験となった。
- ソルチネッリの最も古い嗅覚記憶は二つある。「一つは、聖歌隊の少年として自分が砕いた乳香の粒の香り。二つ目は、ピアノを練習していた部屋の隣にあった父の工房から漂ってきた切り木の香りだ」。香水ブランドを立ち上げる以前から、彼の人生は既に香りで満ちていた。
- 若いころ、ソルチネッリはマリオ・ジャコメッリ(世界的に著名なイタリアの写真家、1925-2000)と親交を持っていた。セニガッリアからわずか12キロほど離れたモンドルフォのシルクスクリーン工房でジャコメッリのポスター印刷を手伝い、セニガッリアの彼の印刷工房で本人と出会ったのである。この体験は後に香水「io non ho mani che mi accarezzino il volto(イオ・ノン・オ・マーニ・ケ・ミ・アッカレッツィーノ・イル・ヴォルト/私の顔を撫でる手がない)」として結実する。
- ソルチネッリは2015年にアルバム「フランコフィリー(Francophilie)」をリリースし、ヨハン・ゼバスティアン・バッハ、ピエール・コシュロー、シャルル=マリー・ウィドールらの作品を演奏・録音した。
- ソルチネッリはカトリック信者であり、オープンリーゲイとして知られる。神聖な典礼美術と自身の個人的な人生哲学を融合させた姿は、「教会の美と現代の自由を同時に生きる者」として独自の存在感を放っている。
- 2024年12月、カトリックの芸術協会から聖年(ジュビレオ)に向けた「芸術における希望のしるし(Segno di Speranza nell’Arte/セーニョ・ディ・スペランツァ・ネッラルテ)」という称号を授与された。
参考文献
- Le Secret du Marais – Filippo Sorcinelliブランド紹介ページ
- Filippo Sorcinelli公式サイト – About us
- Filippo Sorcinelli公式サイト – UNUMコレクション
- Nose Paris – フィリッポ・ソルチネッリ インタビュー
- Nero Profumo Blog – UNUM: An Interview With Filippo Sorcinelli
- Kafkaesque Blog – Interview: Filippo Sorcinelli of UNUM & LAVS (2015)
- Tone Glow – Holy Endeavors: An Interview with Filippo Sorcinelli (2017)
- Wikipedia EN – Filippo Sorcinelli
- Wikipedia IT – Filippo Sorcinelli
- Connection Parfumerie – UNUM Perfumes
- Connection Parfumerie – Extrait de Musique Collection
- Filippo Sorcinelli公式サイト – Extrait de Musique
- The Perfumery Barcelona – Reliqvia 商品ページ
- OSB.org – New Vestments Dignify 125th Anniversary Mass at Sant'Anselmo
- Holy Spirit – The Forumist
- The Artistry of Filippo Sorcinelli and LAVS: A Tribute to
- Filippo Sorcinelli | Belodore
- UNUM – Like a Perfume of Eternity – LECLAIREUR
- FILIPPO SORCINELLI EXTRAIT DE MUSIQUE TROMPETTE 8 …
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