「アスプレイは、デザインの高品質と独自性を誇る品物を——身につけるものとしても、テーブルや家を美しく豊かに飾るものとしても——、洗練と見識を重んじる人々のために供し続ける。」
— アスプレイ公式サイト、ブランドの信条より
基本情報
設立年: 1781年
創設者: ウィリアム・アスプレイ(William Asprey)
本拠地: イギリス・ロンドン(現在のフラッグシップはメイフェア、ブルートン・ストリート36番地)
公式サイト: https://www.asprey.com
※「アスプレイ」は英語で Asprey と綴り、「アズプレイ」と表記されることもあるが、日本市場では一般に「アスプレイ」と呼ばれている。
創設者・ブランドの成り立ち
ユグノーの末裔、絹の工房からはじめた物語
アスプレイの起源は、近世フランスにおける宗教的迫害にまで遡る。創設者ウィリアム・アスプレイの祖先は、フランス国王ルイ14世の治世下にプロテスタントへの弾圧が激化した時代、本国を離れてイングランドへと逃れたユグノー(フランスのカルヴァン派プロテスタント)の一族であった。 彼らは伝統的な皮革細工、時計製造、金属加工の技術をイングランドの地で息づかせた。
1781年、ウィリアム・アスプレイはサリー州ミッチャム(Mitcham, Surrey)に絹の印刷工房を開いた。 これがアスプレイの出発点であった。工房はほどなく、旅行用のドレッシングケース(化粧道具入れ)を中心とした高級品を扱う店へと発展していく。当時の旅人にとって、精巧に作られたドレッシングケースは旅の必需品かつステータスの象徴であり、アスプレイの職人技はたちまち富裕層のあいだで評判を呼んだ。
ボンド・ストリートへ——ロンドンの贅沢の中心へ
1820年代後半にウィリアムが没すると、後継を担ったのは息子のチャールズであった。 チャールズは1841年にロンドンのボンド・ストリートに拠点を持つ文房具商と提携し、その後1847年には独立して167 ニュー・ボンド・ストリートへと店を構えた。 このニュー・ボンド・ストリートという住所は、アスプレイのアイデンティティの核心となり、以後150年以上にわたって英国ラグジュアリーの聖地として君臨することになる。
店の看板商品であったドレッシングケースは、1851年のロンドン万博(グレート・エキシビション)で名誉賞を獲得。 そして1862年、ロンドン国際博覧会における出品によってヴィクトリア女王の目に留まり、旅行用品・ドレッシングケースのカテゴリで念願の王室御用達(ロイヤルワラント)が授与された。 同じ年に博覧会でも金メダルを受賞しており、1862年はまさにアスプレイにとって歴史的な転換点となった年であった。
19世紀後半——拡張と職人技の結集
その後アスプレイは、積極的な買収と事業拡張によって高級品の総合商社へと脱皮していく。1858〜59年にかけては、王室御用達を持つケースメーカーのエドワーズ社を吸収合併し、さらに1861年にはニュー・ボンド・ストリートの店舗に隣接するアルバマール・ストリートのアルフレッド・クラブを取得することで、二つの高級通りに面した広大な売り場を確保した。 1888年にはドレッシングケースメーカーのルーカーズ&サン(Leuchars & Son)を買収し、金細工師やエナメル師の技術もハウスに取り込んでいった。
店内の工房では、宝飾師、銀細工師、時計師、製本職人らが一堂に会し、顧客の注文に応じた一点物を生み出した。 その職人のひとりに、後に詩人ジョン・ベジェマンの父として知られるアーネスト・ベジェマン(Ernest Betjeman)がいた——彼は当時屈指のデザイナーとしてアスプレイの仕事に携わった。
20世紀——王侯貴族から映画界へ
1920〜30年代はアスプレイにとって「黄金時代」と呼ぶべき時期であった。 パリ万博が世に送り出した「アール・デコ」の新様式を積極的に取り込み、カクテルの時代にふさわしい遊び心ある一点ものを次々と世に出した。 アメリカの億万長者ジェイ・ピー・モルガン(J. P. Morgan)やインドの藩王・マハラジャをはじめとする世界中の富裕層がニュー・ボンド・ストリートを訪れた。
1953年、エリザベス2世の戴冠式に合わせてアスプレイは「コロネーション・イヤー・ゴールド・コレクション」を発表した。18カラット金製のデザート、コーヒー、リキュールのサービスセットで総重量は約27ポンド(約12キログラム)に及び、ニュー・ボンド・ストリートの店頭に展示された後、アメリカ全土を巡回して話題を呼んだ。
第二次大戦中でさえ、アスプレイはユーストン・ロードのネットルフォード・ハウスに工房を存続させ、職人技を生かした製作を続けた。その間、銀細工師たちは海軍省などの政府機関からの発注に応じていたという。
リンゴ・スターへのカスタム・チェスセット、16名用の食卓を備えたピクニック用トレーラーなど、セレブリティからの奇抜な特注品にも柔軟に応え、後に創業225周年のクレストに掲げられる「It Can Be Done(イット・キャン・ビー・ダン/やろうと思えばできる)」という精神を体現し続けた。映画の世界とも深い縁を持ち、ジェームズ・ボンド映画『007/オクトパシー』(1983年)、映画『タイタニック』(1997年)でケイト・ウィンスレットが劇中で身につけたエドワード朝スタイルのネックレス、そして『プラダを着た悪魔』(2006年)などの作品に品物を提供している。
1970〜2000年代——中東の富と混乱の時代
1970年代になると、石油収入を手にした中東・湾岸諸国の富裕層がロンドンを訪れるようになり、アスプレイはその恩恵を大きく受けた。当時の経営を担っていた一族の次世代、ジョンとモーリスのアスプレイ両氏が中心となって事業を牽引し、日本、オマーン、アブダビ、カタール、クウェート、バーレーンへのコンセッション出店を実現した。 特にオマーンのスルタン・カブース国王との関係は深く、アスプレイは宮廷向けのロレックスなどの時計を供給する正規ルートとなり、いわゆる「ハンジャル」文字盤ウォッチ——オマーン王室の紋章が刻まれた希少な腕時計——の供給源として今も知られている。
しかし1980年代以降、一族の株式をめぐる対立が激化した。1995年には過大な拡張投資と景気後退の煽りで経営が行き詰まり、ブルネイのジェフリ・ボルキア王子に2億4300万ポンドで売却された。 その後アジア通貨危機で王子の資産も縮小し、1998年には同じく英王室御用達の宝飾店ガラード(Garrard)と合併して「アスプレイ&ガラード(A&G/エー・アンド・ジー)」となった。 2000年にはトミー・ヒルフィガーへの投資で財を成したサイラス・チョウとローレンス・ストロールがアスプレイ&ガラードを買収し、元ルイ・ヴィトン幹部のジャンルカ・ブロゼッティが最高経営責任者に就任した。
ブロゼッティが描いた未来は、アスプレイをエルメスやルイ・ヴィトンと並ぶグローバルなラグジュアリーハウスへと引き上げることであった。 ノーマン・フォスターが設計した大規模リノベーション(ロンドン旗艦店の改装とニューヨーク店の新設に計1億ドルを投じたと伝えられる)を敢行し、著名デザイナーのフセイン・チャラヤンをクリエイティブ・ディレクターとして迎えたのもこの時期のことである(2001〜2004年)。 かつてブルガリの香水・コスメティクス部門の立ち上げに関わったブロゼッティの指揮のもと、バスソープや香水などのライフスタイル製品が展開され、シグネチャーカラーであるパープルを纏った全ラインのパッケージングが実現した。
2002年にはアスプレイとガラードがそれぞれ独立したブランドへと再分離された。しかし拡張は過剰となり、2006年には主要債権者のHSBC(エイチ・エス・ビー・シー)に事業が引き渡され、両事業は別々に売却された。 アスプレイはアメリカ系プライベート・エクイティへと渡ったが、詳細な現在の株主構成については公開情報で確認できる範囲は限られている。ブルートン・ストリート36番地(メイフェア)に旗艦店を構え、世界各地に複数の直営店を持っている。
ブランドのこだわり
パープル——王室と気品のシンボルカラー
アスプレイの代名詞といえば、深みのある「パープル(紫)」である。この色は古来、ムレックス貝から採取されたティリアン・パープルという極めて高価な染料として知られ、王族や最高権力者のみが身につけることを許された色であった。 アスプレイはこの紫を全ブランドのシグネチャーカラーとして採用し、ショッピングバッグ、包装紙、店頭の旗、そして香水のボトルに至るまで一貫して使用している。旗艦店の外壁に翻るパープルの旗は、ニュー・ボンド・ストリート(現在はブルートン・ストリート)のランドマークでもあった。
ロイヤルワラント——英国王室との絆
アスプレイは1862年のヴィクトリア女王によるロイヤルワラント授与以来、エリザベス2世に至る歴代のイギリス君主から王室御用達の称号を受けてきた。 エドワード7世がアスプレイのイニシャルデザインを大変気に入り、市内の公共郵便ポスト(ピラー・ボックス)にもそのモノグラムを使おうとしたという逸話も残っている。 チャールズ3世がウェールズ公であった時代にも王室御用達を授与されており、エリザベス2世、マーガレット王女、故ダイアナ元妃、そしてウェールズ公妃キャサリンなどが愛用していることでも知られる。
職人技と「イット・キャン・ビー・ダン」の精神
ジュエリー、シルバー、革製品から時計、クリスタル、特製本の製本まで、アスプレイが扱う全ての品物は徹底した職人技によって生み出される。 工房での手仕事を重んじる姿勢は長い歴史を通じて受け継がれてきた。創業225周年に作られたブランドの紋章(クレスト)には「It Can Be Done(イット・キャン・ビー・ダン)」の言葉が刻まれており、どんな特注にも応えるという精神を象徴している。
エンジン・ターニング——刻みが伝える歴史
アスプレイの製品に多用されるデザインモチーフのひとつが「エンジン・ターニング(engine turning)」——精緻な幾何学的線彫り細工——である。精巧な回転彫刻機によって施されるこの模様は、19世紀以来のアスプレイ製品に共通する美的シグネチャーとなっており、香水の外箱やボトルラベルにも採用されている。
香水ラインナップ
パープルウォーター(Purple Water)——唯一の香水
公式の現行フレグランス商品として確認できるのは、「パープルウォーター(Purple Water)」ただ一作である。 当初、男性用・女性用の別フレグランスも開発が計画されていたが、そのプロジェクトは実現しなかった。※なお、この点はシングルソースの情報であるため参考として記す。
発売年: 2004年
調香師: アルベルト・モリヤス(Alberto Morillas)
種類: オーデコロン(Eau de Cologne) / ユニセックス
香りの構成:
- トップノート: レモン、マンダリン・オレンジ、ジャカランダ
- ミドルノート: オレンジ・フラワー、ジンジャー、バジル
- ベースノート: ベチバー、ペッパー、ムスク
パープルウォーターは、フレッシュなシトラスを軸にしながらも、ジンジャーとバジルの爽やかな辛味、そしてベチバーの土っぽい深みが折り重なる、独特のユニセックス・フレグランスである。「アスプレイの過去の豊かで創造的な歴史と、刺激的でラグジュアリーな現在を融合したもの」として作られたと、公式説明には記されている。
調香師:アルベルト・モリヤスについて
パープルウォーターを手がけたアルベルト・モリヤスは、1950年にスペインのセビリアで生まれた。 ジュネーブの美術学校(ボザール)で学んだ後、1970年にスイスのフレグランス会社フィルメニッヒ(Firmenich)に入社。いわゆる香水学校を出たわけではなく、自ら「ほぼ独学」と述べる異色のキャリアを歩んだ。 カルバン・クライン「シーケー・ワン(CK One)」、ジョルジオ・アルマーニ「アクア・ディ・ジオ」、マーク・ジェイコブス「デイジー」、ケンゾー「フラワー」などを世に送り出し、約7000のフォーミュラを生み出したとも紹介される「現代香水界の巨匠」である。 2003年にはフランスの権威ある賞「プリ・フランソワ・コティ」を受賞し、フレグランス・ファウンデーションのライフタイム・アチーブメント・アワードにも輝いている(調香師を対象とした同賞の最初の受賞者)。
ボトルデザイン:ティエリー・ド・バシュマコフについて
パープルウォーターのボトルをデザインしたのは、フランスのパッケージデザイナー、ティエリー・ド・バシュマコフ(Thierry de Baschmakoff)である。 1985年にパリでエステット(Aesthete)というエージェンシーを設立し、ブルガリのオー・パルファメ・オ・テ・ヴェール、ディオール・アディクト、ゲラン、カルティエなど6000点以上のラグジュアリー製品デザインを手がけてきた人物である。
パープルウォーターのボトルは、アスプレイが伝統的に手がけてきた「ガラス製マッチストライカー(match striker)」——マッチを擦るための溝入りガラス容器——からインスパイアされたリブド(ribbed/縦溝)入りの背の高い円筒形フラコン。 シルバーコーティングのキャップには、発売当時のロンドン旗艦店の住所「167 New Bond Street, London(ロンドン、ニュー・ボンド・ストリート167番地)」の刻印が施されたアスプレイ伝統のボタン型デザインが用いられている。 ボトル外箱はブランドカラーであるパープルで統一され、エンジン・ターニングのモチーフが型押しされている。 パッケージング全体が一つのコレクタブルと化すような、工芸品としての完成度の高さが特徴的だ。
この外箱パッケージはヴィクトリア&アルバート博物館(V&A/ヴィー・アンド・エー)のコレクションにも収蔵されており(アクセッション番号:E.935-2008)、英国デザイン史の証言として保存されている。
パープルウォーター コレクション(ホーム&バス)
アスプレイのパープルウォーターは香水単体にとどまらず、同じ香りを用いたバス・ボディケア製品ライン、ルームセント、キャンドルなどへと展開されている。容量や取り扱いは販売時期・市場によって異なる。
- フレグランス: 50ml・100ml(オーデコロン)
- ルームセント: 100ml
- センテッドキャンドル: 250gなど(8oz表記の製品もある)
- バス&ボディライン: シャンプー、コンディショナー、シャワージェル、ボディローション、ハンドローション(50ml・75ml・295mlポンプ・3Lリフィル)、ソープ等
この包括的なライフスタイルラインは、ホテル向けのアメニティとしても広く展開されており、かつてはリッツ・カールトン(Ritz-Carlton)グループの全世界の客室に採用されていた。 リッツ・カールトンとの提携は2013年頃から開始され、パープルウォーターのローションは「まるでお金のような匂い」とも称され、旅行者のあいだでカルト的な人気を博した。 なお2022年11月には、リッツ・カールトンはディプティック(Diptyque)のフィロシコス(Philosykos)へとアメニティを切り替える提携を発表している。
ちなみに……
性別を超える香り
パープルウォーターは2004年のリリース当初からユニセックス(性別を問わない)フレグランスとして設計されており、男女どちらが使っても成立するシトラス系の普遍的な清潔感が特徴である。
ヴィクトリア&アルバート博物館が認めたデザイン
前述のとおり、パープルウォーターの外箱パッケージは同館のプリント・ドローイング・ペインティングス・コレクションに収蔵されている。 香水ボトルや外箱が博物館の永久コレクションに加わる例は珍しく、アスプレイのデザイン哲学が工芸・デザイン史の文脈においても評価されていることを示す興味深い事実である。
ガラスのマッチ擦りからフレグランスへ
パープルウォーターのボトルのモチーフとなったガラス製マッチストライカーは、アスプレイが古くから手がけてきた実用品であった。 その歴史的な製品から着想を得て現代のフレグランスボトルを生み出すというアプローチは、アスプレイの「過去と現在をつなぐ」ものづくりの姿勢を如実に表わしている。
参考文献
- Asprey – Wikipedia
- The Rise and Fall of Asprey of London – watchesbysjx.com
- Asprey and Garrard separate; Asprey to diversify – JCK Online
- The History of Asprey & Co. – Dawsons Auctioneers
- Purple Water by Asprey – parfumo.com
- Alberto Morillas – Wikipedia
- Alberto Morillas Perfumer Fragrance – theperfumegirl.com
- Thierry de Baschmakoff on Objects of Free Expression – BeautyMatter
- The Ritz-Carlton Offers Asprey Bath and Body Products – thelifeofluxury.com
- The Ritz-Carlton To Replace Asprey Purple Water with Diptyque – superadrianme.com
- Ritz Carlton Lotion's Cult Following – Business Insider
- Purple Water, V&A Explore The Collections – collections.vam.ac.uk
- Asprey London – the British jeweller, its book, and its perfume – mymoderndarcy.com
- A History of House of Asprey – wilsonsestatejewelry.com
- Asprey – Hancocks London
- Asprey – Regent Antiques
- Alberto Morillas – Perfume Society
- Asprey Heritage
- Asprey – Antique Jewelry University
- Asprey. London.
- The History of Asprey & Co.
- House Of Asprey
- The essence of Asprey
- Asprey / Purple Water
- 英国王室御用達の高級ブランド・アスプレイのオーデコロン
- Asprey – Facts about the Perfume Brand – Parfumo
- Purple Water Fragrance, 50ml
- Purple Water by Asprey
- Asprey Purple Water
- Alberto Morillas, Perfumers Directory – Luckyscent
- Alberto Morillas: Fifty years of olfactory insubordination – Scentissime
- Master Perfumer Alberto Morillas – Fine Fragrance – DSM-Firmenich
- Asprey – British Luxury – Hotel Amenities & Professional Cleaning Supplier Malaysia – Hawthorn Essentials
- Purple Water Room Scent, 100ml – Asprey London
- Purple Water Scented Candle
- Large English Match Striker by Asprey at 1stDibs | asprey match striker
- Asprey公式 — 王室御用達の歴史
- WIPO — ドメイン名紛争裁定 D2000-1754
- Moodie Davitt Report — アスプレイのヒースロー空港出店
- 川辺 — アスプレイ パープルウォーターの商品紹介
- Hospitality Net — ザ・リッツ・カールトンとディプティックの提携発表
- Antique Box Guide — アスプレイの歴史


