ケイト・スペード ニューヨーク――ジョイと色彩が宿る、ニューヨーク発のフレグランス

ケイト・スペード ニューヨークの世界観と代表製品「Kate Spade New York Eau de Parfum」を表現したブランドイメージ

“I kept coming up with these names. And Andy kept saying Kate Spade because we were 50-50 partners. And finally I just said, ‘OK.’ And everyone said, ‘I love it, Kate Spade New York.'”

― ケイト・スペード(旧姓ブロスナハン)

日本語訳:「私はいろいろな名前を考え続けていました。でもアンディは、私たちは対等なパートナーなのだからと、ずっと『ケイト・スペード』と言うのです。最後には私も『わかった』と言いました。するとみんなが『いいね、ケイト・スペード ニューヨーク』と言ってくれました。」

基本情報

  • 設立年: 1993年
  • 創設者: ケイト・スペード(キャサリン・ノエル・ブロスナハン)、アンディ・スペード、エリス・アロンズ、パメラ・ベル
  • 公式サイト: katespade.com /日本語公式 katespade.jp
  • フレグランスライセンス: アンテルパルファム S.A.(フランス、2019年〜11年間の独占契約)

創設者・ブランドの成り立ち

カンザスシティの少女、ニューヨークを目指す

ケイト・スペード(本名キャサリン・ノエル・ブロスナハン)は、1962年12月24日、ミズーリ州カンザスシティのアイルランド系カトリック家庭に生まれた。地元のカトリック女子校セント・テレサ・アカデミーを卒業後、アリゾナ州立大学へ進学。同大学でジャーナリズムを学び、1985年に卒業した。在学中に出会ったのが、のちにビジネスパートナーとなるアンディ・スペード。そのアンディと、ケイトは1994年に結婚している。

卒業後、ケイトはニューヨークへ移り住む。「一晩だけニューヨークに立ち寄った」ところを、人材が認められてそのままマドモアゼル誌(コンデナスト傘下)に雇用されたというエピソードが残っている。そこからキャリアを重ね、アシスタントからアソシエイト・エディター、さらにシニア・ファッション・エディター兼アクセサリー部門長へと昇進した。

不満から生まれた一つのアイデア

マドモアゼル誌で世界各地のバッグや靴を取材し続けるうち、ケイトはある不満を抱え始めた。当時市場に出回っているバッグは、ハイエンドのヨーロッパブランドは高価すぎ、かといって手頃なものはデザインが凡庸で、「シンプルでスタイリッシュ、かつ手の届く価格帯のバッグ」が見当たらなかったのだ。

“At the time, things were very—bags were too complicated. And I really loved very simple kind of architectural shapes.”

― ケイト・スペード

日本語訳:「当時、バッグはあまりにも複雑でした。私は、建築的な、とてもシンプルな形が本当に好きだったのです。」

“I said to myself, ‘Where’s a bag that I can afford, that’s simple, that’s not saying too much and that I won’t be embarrassed to pull out every season?'”

― ケイト・スペード(1997年)

日本語訳:「手の届く値段で、シンプルで、主張しすぎず、毎シーズン持ち出しても気恥ずかしくならないバッグはどこにあるのだろう、と自分に問いかけました。」

この憤懣と問いかけが、ブランド誕生の出発点となった。

辞職の日、決意を胸に

1991年、ケイトはマドモアゼル誌を辞職した。アンディが当時のシーエヌビーシー(CNBC)の番組で明かしたところによれば、上司が部下を粗略に扱う場面を目の当たりにしたことが直接のきっかけだったという。その日、ケイトはオフィスを後にし、それきり戻らなかった。

ブランド誕生に先立つ1991年、ケイトとアンディはある夜、メキシコ料理店での夕食中に話し合った。アンディが「ハンドバッグはどうだろう」と提案し、ケイトは当初「ハンドバッグ会社なんて急に始めるものじゃない」と返したという。アンディは「なぜ? そんなに難しいのか?」と笑った。この問いかけが、ケイトの背中を押した。

“And he just said, what about handbags? And I said, honey, you just don’t start a handbag company. And he said, why not? How hard can it be?”

― ケイト・スペード(エヌピーアール(NPR)インタビューより)

日本語訳:「彼はただ『ハンドバッグはどう?』と言ったのです。私は『ねえ、ハンドバッグ会社なんて、そう簡単に始めるものじゃないのよ』と答えました。すると彼は『どうして? そんなに難しいの?』と言いました。」

ケイトはアパートでトレーシングペーパーと厚紙、セロテープを使ってバッグの試作品を作り始めた。

“I sat down with some tracing paper, and I knew immediately what the shape should be – a very simple square. At the time no one was doing anything that clean.”

― ケイト・スペード(2003年)

日本語訳:「トレーシングペーパーを前に座ると、どんな形にすべきかはすぐにわかりました。とてもシンプルな四角です。当時、あれほどすっきりしたものを作っている人はいませんでした。」

最初の試作品はバーラップ(麻布)という最も安価な素材で作られた。アンディは自分の401K(確定拠出年金)から3万5千ドルを引き出してハンドバッグの製造資金を調達し、ブルックリンのメーカーに試作を持ち込んだ。

ブランド名の誕生

「ケイト・スペード」というブランド名には、小さな物語がある。ケイト・ブロスナハンは様々な名前候補を考えたが、アンディが「ケイト・スペード」を繰り返し提案した。ふたりは対等なビジネスパートナーだったから、ケイトの名とアンディの姓を組み合わせるのが自然だという提案だった。

“I kept coming up with these names. And Andy kept saying Kate Spade because we were 50-50 partners. And finally I just said, ‘OK.’ And everyone said, ‘I love it, Kate Spade New York.'”

― ケイト・スペード

日本語訳:「私はいろいろな名前を考え続けていました。でもアンディは、私たちは対等なパートナーなのだからと、ずっと『ケイト・スペード』と言うのです。最後には私も『わかった』と言いました。するとみんなが『いいね、ケイト・スペード ニューヨーク』と言ってくれました。」

なお、ふたりが正式に結婚したのはブランド設立(1993年)の翌1994年のこと。社名と結婚は、ほぼ同時進行で進んでいった。

6つのバッグから世界的ブランドへ

1993年のアクセサリーショーで6モデルを発表したケイトは、展示ブース代を回収するだけの売り上げにも届かず涙したという。しかしその瞬間、アンディが電話でバーニーズとフレッド・シーガルという米国を代表する2つのセレクトショップからの注文を伝えた。

“Katie, you’ve got two of the best stores in America. Why are you crying? Let’s not quit.”

― アンディ・スペード

日本語訳:「ケイティ、アメリカでも指折りの二つの店から注文が入ったんだよ。どうして泣いているの? やめるのはよそう。」

1996年には、マンハッタンのソーホーに約37平方メートルの路面店を初出店。同年、CFDA(アメリカ・ファッション・デザイナー協議会)から「アメリカのニュー・ファッション・タレント イン アクセサリーズ」を受賞し、1998年には同機関の「ベスト・アクセサリー・デザイナー・オブ・ザ・イヤー」も受賞した。ハンドバッグはやがてジュエリー、シューズ、文具、アイウェア、ホーム用品、そしてフレグランスへとカテゴリーを拡大していった。

ブランド売却と第二の章

1999年、ニーマン・マーカス・グループが同社の56%の株式を3360万ドルで取得し、グローバル展開が加速した。しかし2006年、ケイトとアンディはひとり娘フランシスの育児に専念するため、ブランドを離れることを決断した。2006年、リズ・クレイボーン社が約1億2500万ドルで買収。ブランドは同社傘下で展開を続け、2017年にタペストリー社(旧コーチ社)が24億ドルで買収、現在に至る。

ブランドを離れたケイトは2015年にフランシス・バレンタインという新ブランドの計画を発表し、2016年に発売を開始した。「フランシス」は娘と同じ名、「バレンタイン」は母方の祖父のミドルネームに由来する家族の物語が込められた名前だった。

2018年6月5日、ケイト・スペードはマンハッタンのパーク・アベニューのアパートで55歳の生涯を閉じた。夫のアンディは「彼女は長年うつと不安に苦しんでいた」と述べ、ファッション界や彼女のブランドを愛した多くの人々が深い悲しみに包まれた。

ブランドのこだわり

「ジョイ」を香りに封じ込める哲学

ケイト・スペード ニューヨークのフレグランスは、ブランドそのものの世界観――色彩、機知、ポジティブな女性らしさ――を嗅覚のかたちで表現することを一貫した命題としている。ケイト・スペード ニューヨーク初のアンテルパルファムとのフレグランス契約を発表した際、当時の最高経営責任者アンナ・バクストはこう語った。

“Fragrance is an aspirational category and the perfect way for our customer to discover the joy and femininity our brand is known for.”

― アンナ・バクスト、ケイト・スペード ニューヨーク 最高経営責任者

日本語訳:「フレグランスは憧れをかたちにするカテゴリーであり、お客様が、私たちのブランドで知られる喜びと女性らしさに出会うための、まさに理想的な方法です。」

フレグランスはハンドバッグと同様に、「デザイナー製品へのはじめての出会い」となるカテゴリーと位置づけられている。価格帯を含めたアクセシビリティと、確固たるブランドアイデンティティの両立が、その背景にある哲学だ。

ボトルデザイン――ブランドのコードを香水瓶に宿す

ケイト・スペード ニューヨークのフレグランスは、ボトルデザインにも同ブランドならではのコードが随所に組み込まれている。

旗艦香水「ケイト・スペード ニューヨーク オードパルファム」のボトルはソフトなカーブを描くモダンなフォルムで、ピンクのキャップにはスペードのシンボルが刻まれている。外箱にはブランドのシグネチャーであるスペードフラワーパターンが光沢のある型押しで施されており、白いラベルに香水名がエッチングで刻まれるというシンプルかつ上品な仕上げだ。

「スパークル」はポピーピンクからミッドナイトブルーへとボトルのカラーが変化し、夜のニューヨークが薄明かりに沈む瞬間を表現した。「シェリー」は光沢のある球体に近い形のボトルで、赤とホットピンクの大胆な配色が特徴。アウターパッケージにはアーティスト、エルズワース・ケリーのミニマルな形と色彩へのオマージュがあり、ケイト・スペードのアイコニックなレーシングストライプも取り入れられている。「ブルーム」は淡いピンクとローズゴールドのキャップ、マルチカラーパステルのフラワーパターンという、花束を連想させるデザインとなっている。

調香師たちへの信頼

アンテルパルファムとのパートナーシップ以降、ブランドは世界トップクラスの調香師たちと組んでいる。マリー・サラマーニュ(フィルメニッヒ)、ルイーズ・ターナー(ジボダン)、ソフィー・ラベ(ディーエスエム・フィルメニッヒ所属)といった、業界で名高い「ノーズ(nez)」たちがケイト・スペード ニューヨークのフレグランスを手掛けてきた。各香水の創作においては、単に香調を設計するだけでなく、調香師自身の記憶や感情的体験が積極的に反映されており、それがこのブランドのフレグランスを個性豊かなものにしている。

香水ラインナップ

アンテルパルファム以前のフレグランス歴史

ケイト・スペード ニューヨークがフレグランスに初参入したのは2003年のこと。初期にはエリザベス・アーデンとのライセンスのもと、「ツワール(Twirl、2010年)」をはじめとする複数の香水が展開された。また2013年には、ブランドの20周年を記念し、ル・ラボ(Le Labo)の共同創業者ファブリス・プノとエドゥアール・ローシュ、そしてポピー・キングをコンサルタントに迎えた「ライブ・カラーフリー(Live Colorfully)」を発表した。その後、アンテルパルファムとの契約直前まで「ザ・パフューム・センター」とのライセンスが続き、「イン・フル・ブルーム(In Full Bloom、2018年)」や「イン・フル・ブルーム・ブラッシュ(2019年)」なども生まれている。

アンテルパルファム時代のラインナップ

2019年6月、ケイト・スペード ニューヨークとアンテルパルファム S.A.(パリ)は11年間の独占ライセンス契約を締結した。この契約に際し、アンテルパルファムのジャン・マダール会長は以下のように述べた。

“The Kate Spade brand’s youthful, colorful spirit and touch of humor give it a unique and entirely new position within our portfolio which will allow us to develop very creative projects closely aligned with the image conveyed by Nicola Glass, its creative director.”

― ジャン・マダール、アンテルパルファム会長 兼 最高経営責任者

日本語訳:「ケイト・スペードというブランドの若々しく色彩豊かな精神と、さりげないユーモアは、私たちのブランド構成の中で独自の、まったく新しい位置を占めます。それによって、クリエイティブ・ディレクターのニコラ・グラスが伝えるイメージと密接に結びついた、とても創造的な企画を展開できるでしょう。」

2020年秋から製品の展開が始まり、現在までに以下の主要ラインが生まれている。

ケイト・スペード ニューヨーク オードパルファム(2020年〜)

アンテルパルファム時代の旗艦香水。調香師は、フィルメニッヒのマリー・サラマーニュ。ワイルド・ストロベリーを中心に据え、ベルガモットのスパークリングなシトラスでオープニングを飾る。ハートはローズエッセンスとフリージアのフローラル、ベースはアンブロキサンとカシュメランが温かみのあるウッディな余韻を残す。キャンペーンフェイスはダンサー・女優のマディ・ジーグラーで、ハドソン川沿いのニューヨークスカイラインを背景に撮影された。マディはこの香水について次のように語った。

“I already relate New York with joy and energy, and that’s how I also feel about the perfume.”

― マディ・ジーグラー

日本語訳:「ニューヨークといえば、私にはもともと喜びとエネルギーのイメージがあります。この香水にも、まさに同じものを感じます。」

ケイト・スペード ニューヨーク スパークル(2022年)

調香師はジボダンのルイーズ・ターナー。夜のニューヨークが輝く瞬間にインスパイアされたアンバー・フローラル系。トップのブラックカラント、イタリアンレモン、フロステッドピンクペッパーコーンから始まり、パープルピオニーとサンザシの花のハートへと展開し、バニラ・クレームブリュレのノートを含むシダーウッドとオークウッドがベースを形成する。ターナーは香りの着想をこう語った。

“I wanted to create a fragrance that recalls the magic of the lights in New York and how the city seems to sparkle in the night. I remember being in the city years ago, as the sun was going down, sipping a delicious blackcurrant cosmopolitan, a gigantic bouquet of peonies placed on the table and smelling the lingering scent of a vanilla creme brûlée that had been delivered to a nearby table — all the scents came together in such an impactful and memorable way.”

― ルイーズ・ターナー(調香師)

日本語訳:「ニューヨークの光の魔法と、夜に街がきらめいて見える様子を思い起こさせる香りを作りたかったのです。何年も前、日が沈みかけた街で、おいしいブラックカラントのコスモポリタンを飲んだことを覚えています。テーブルには大きなピオニーの花束があり、近くのテーブルに運ばれてきたバニラのクレームブリュレの香りが漂っていました。すべての香りが、強烈で忘れられないかたちで一つになったのです。」

ケイト・スペード ニューヨーク シェリー(2023年)

「シェリー(Chérie)」はフランス語で「愛しい人・恋人」の意。同じくジボダンのルイーズ・ターナーが手掛けた。レッドカラントとラズベリー、イタリアンマンダリンのトップノートに、スウィートピーとジャスミン・サンバックのハート、そしてホワイトウッドとアンブロフィックスのベースからなるフルーティ・フローラル・ムスク。ポップアートにインスパイアされた丸くて鮮やかな赤×ホットピンクのボトルが印象的だ。

ケイト・スペード ニューヨーク ブルーム(2024年)

2024年春に発表された、フローラルのライン。調香師はソフィー・ラベ。初摘みレモン(レモン・プリモフィオーレ)、グラニースミスアップル、スウィートオレンジのトップから、ホワイトカメリア、オレンジブロッサム、イランイランのフローラルハートへと展開し、シダーウッド、サンダルウッド、カシュメランのウッディ・ムスクで包まれるオードトワレ。ラベはこの香りの意図をこう語った。

“Just like a bouquet of beautiful flowers, the fragrance projects a spectrum of colours, from the brightest to the most enveloping, projected onto delicate petals that bloom at the heart of a woody, musky comforting trail. The idea was to create a delightful and joyful aura that reflects the spirit of the Kate Spade New York woman.”

― ソフィー・ラベ(調香師)

日本語訳:「美しい花束のように、この香りは、ひときわ明るい色からやさしく包み込む色まで、さまざまな色彩を映し出します。その色は、ウッディでムスキーな心地よい余韻の中心に咲く、繊細な花びらへと投影されます。ケイト・スペード ニューヨークの女性の精神を映す、心躍る喜びに満ちた雰囲気を作ることが、私たちの考えでした。」

ちなみに…

ブランド名と結婚名の不思議な関係

「ケイト・スペード」というブランド名は、ケイト(創業者の名)とスペード(アンディの姓)の組み合わせだが、創業時にふたりはまだ結婚していなかった。1993年のブランド誕生から1年後の1994年に結婚し、ケイト・ブロスナハンはケイト・スペードになった。ブランド名が先に存在し、結婚名が後からついてきたという、ファッション史でも珍しい逆転の物語だ。

フランシス・バレンタイン――最後の夢

ブランド離脱後、ケイトが晩年に注いだ情熱はフランシス・バレンタイン(Frances Valentine)というブランドだった。娘フランシスの名と、バレンタイン・デーに生まれた母方の祖父のミドルネームを組み合わせた命名で、ケイト自身も姓を「バレンタイン」へと変えていた。2018年6月に彼女が世を去った後、フランシス・バレンタインでは4シーズン分ものデザインが完成していたことが明かされた。

ケイト・スペードとレイチェル・ブロスナハンの縁

ドラマ『マーベラス・ミセス・メイゼル』で主演を務める女優レイチェル・ブロスナハンは、ケイト・スペードの兄の娘にあたる。レイチェルの叔母こそがケイトであり、同ドラマは奇しくもケイトがブランドを育てたニューヨークの女性を主人公とした物語だった。

参考文献