スージー・ル・エレー(Suzy Le Helley)──植物のある庭から、光と質感を描く香水へ

スージー・ル・エレーのスケッチと代表作品を掲載した調香師名鑑のサムネイル 調香師名鑑

「香水は、それが伝えようとするメッセージそのもののように香らなければなりません。技術の熟練は、いつも美しさと感情に奉仕するべきです。」

スージー・ル・エレー

調香史

庭の一角で育てていた香り

スージー・ル・エレーが子どもの頃を思い出す匂いは、刈りたての草です。

外で過ごすことが好きで、季節とともに変わる庭を、何時間も眺めていたといいます。庭には自分で植物を育てるための小さな場所もあり、スズラン、スイカズラ、ヒヤシンス、そして祖母のバラから取った挿し木を植えていました。

「香りの植物への情熱を私に伝えてくれたのは、祖母です。」

スージー・ル・エレー、フランス・フレグランス財団のインタビューより

母が旅先から持ち帰るスパイスやハーブ、父の料理も、香りや味を知る入り口でした。植物を見て、触れ、匂いを嗅ぐことは、特別な勉強というより、毎日の楽しみだったのです。

この好奇心が、職業としての調香へ向かうのは高校時代です。業界媒体のプロフィールでは、2008年に調香師という仕事に関心を持ったと紹介されています。

その後、ヴェルサイユ・サンカンタン=アン=イヴリーヌ大学(Université de Versailles Saint-Quentin-en-Yvelines)で化学を学び、2012年に香水教育機関のイジプカ(ISIPCA)へ進みます。2014年までの課程では、処方と官能評価を学びながら、マン(Mane)で香りを評価する仕事にも携わりました。

自分がよいと思う匂いを見つけるだけでなく、香りを比較し、その特徴を言葉にし、目的に合っているか判断する。創作に入る前から、香りを客観的に見る経験を積んでいたのです。

ホルツミンデンで過ごした4年間

2014年、ル・エレーはシムライズ(Symrise)の社内調香学校に入ります。場所はドイツのホルツミンデンでした。

そこから約4年間、創作と技術の両面から訓練を受けます。植物を好きだという気持ちを、実際に香水を作るための技術へ変えていく時間でした。

2018年にはパリに戻り、シムライズで香水の再処方や新しい天然原料の探索に取り組みます。同年、会社がファインフレグランス部門の新体制を発表した際には、社内学校から加わる若い才能の一人として、ル・エレーの名前も紹介されました。

その後の仕事を支えた師として挙げられるのが、アニック・メナルド(Annick Ménardo)とモーリス・ルーセル(Maurice Roucel)です。二人はメンターとなり、ル・エレーはのちに、それぞれとの共同制作も手がけていきます。

規制に合わせて既存の香りを組み直す仕事と、新しい香りを生み出す仕事。一見すると違う方向に見えますが、どちらにも、素材が処方の中で何をしているのかを理解する力が必要です。

ル・エレーが好むのは、短く、明確で、読み取りやすい処方だといいます。成分の数を誇るのではなく、一つひとつの役割をはっきりさせる。その姿勢は、冒頭の、技術は美しさと感情に奉仕すべきだという言葉に表れています。

原料の向こうにいる、生産者に会う

ル・エレーの原料への関心は、調香室の中だけでは完結しません。植物が育つ土地を訪ね、生産者や蒸留に携わる人たちと話すことも、大切な仕事です。

カナダ、スリランカ、グアテマラ、エルサルバドル、ブラジル、レバノン。さまざまな土地への旅が、彼女の創作を育ててきたと紹介されています。中でも深く関わってきたのが、マダガスカルです。

シムライズはこの島で、バニラをはじめ、スパイスや芳香植物の生産に取り組んでいます。ル・エレーも、ベチバー精油、手搾りのマンダリン、フレッシュなグリーンペッパーなど、新しい天然原料の開発・導入に参加しました。

島には多様な気候と豊かな土壌があり、多くの香料植物が育ちます。彼女は、バニラの季節以外にも別の作物を育てることを生産者に提案し、香料の選択肢を広げてきたと説明しています。

珍しい匂いを一つ見つけるだけではありません。その植物を育て、収穫し、香料にする人たちと関わりながら、継続して使える素材にしていく仕事です。

幼い頃に祖母から教わった、植物に向き合う姿勢は、こうして産地と調香室を結ぶ仕事へ広がっていきました。

天然原料と合成香料、そして人工知能

植物への愛着が強いル・エレーですが、天然香料だけにこだわっているわけではありません。合成香料が、調香師のパレットと表現の幅を広げることにも関心を持っています。

フレデリック マル(Frédéric Malle)の公式プロフィールでも、日常や旅先の植物から得る着想と、合成香料への関心が並べて紹介されています。自然と合成は対立するものではなく、伝えたい香りを形にするための、異なる可能性なのです。

また、パリでの仕事には、人工知能を用いた調香支援ツール、フィリラ(Philyra)の開発への参加も含まれます。

フィリラは、シムライズとアイ・ビー・エム・リサーチ(IBM Research)が共同で開発したものです。2022年に発表された拡張版では、再生可能な原料や、生分解性のある原料を考慮しながら、処方を提案する機能が紹介されました。

調香師が長年培った経験を、機械に置き換えるという話ではありません。新しい組み合わせを考えたり、別の素材の使い方を探したりするための道具です。

産地で植物を知ること、既存の香りを再処方すること、新しい技術を試すこと。ル・エレーの経歴では、これらが同じ時期の仕事として並んでいます。その幅広い経験の先に、彼女が調香師として名を連ねる作品が増えていきます。

ボス ボトルド パルファム──師と作る、新しい深み

2022年、ヒューゴ ボス(Hugo Boss)のボス ボトルド パルファム(Boss Bottled Parfum)が登場します。ル・エレーとメナルドの共同制作です。

メナルドは、初代ボス ボトルドを手がけた調香師でもあります。そのシリーズに、新しい世代の感覚を持つル・エレーが加わった仕事でした。

香りは、マンダリンとインセンスから始まり、オリスとイチジクの根を思わせるアコードへ進みます。シダーウッドと植物的なレザーの印象が、深く温かな土台を作っています。

単に濃度を上げたというより、シリーズを別の重さや質感から捉え直す作品です。2023年には、ドイツ香水賞ドゥフトシュター(Duftstars)で、男性香水の読者・消費者投票部門を受賞しました。

二人の共同制作は、ボス ボトルド エリクシール(Boss Bottled Elixir、2023年)や、ボス ボトルド トライアンフ エリクシール(Boss Bottled Triumph Elixir、2024年)などにも続いていきます。

ニュアージュ スリジエ──桜の色を、やわらかな雲へ

ル・エレーが、自分一人で最初から作り上げた香水として挙げるのが、ケンゾー(Kenzo)のニュアージュ スリジエ(Nuage Cerisier、2024年)です。メモリ(Memori)コレクションの一作として登場しました。

テーマは、桜のやわらかな印象です。ただし、花の匂いをそのまま写し取るというより、色や空気の感覚を、香りの構造に置き換えようとしています。

「日本のミニマルな美意識から着想を得ました。桜の花びらのやわらかな色合いが、その精神を表しています。そこに、マダガスカルで倫理的に調達されたマンダリンの香りで明るさを添えたいと思いました。最後に残る香りは、心地よいムスクによる、やわらかな雲として思い描きました。」

スージー・ル・エレー、ケンゾーの公式コメントより

マンダリンの明るさと、ムスクの包み込む感覚。彼女が産地で関わってきた原料と、日本の桜というイメージが、一つの作品で出会っています。

植物の名前を増やすのではなく、花びらの色、光、空気のやわらかさを伝える。そのために素材を選び、配置するところに、ル・エレーの明確な処方への好みが感じられます。

アクネ ストゥディオズ パー フレデリック マル──洗いたての清潔感を、香水に仕立てる

2024年、ル・エレーの名がさらに広く知られるきっかけとなったのが、アクネ ストゥディオズ パー フレデリック マル(Acne Studios par Frédéric Malle)です。

スウェーデンのアクネ ストゥディオズ(Acne Studios)にとって、初めての香水でした。ブランドの創業者でクリエイティブ・ディレクターのヨニー・ヨハンソン(Jonny Johansson)とフレデリック・マルが、パリのカフェ・ド・フロールで出会ったことから、企画が動き出します。

二つのブランドの感性を、一つの香水にまとめる。その処方を託されたのが、ル・エレーでした。

「フローラル・アルデヒドの構造を、大胆で現代的なひねりを加えて捉え直すことです。」

スージー・ル・エレー、『サイドウォーク・ハッスル(Sidewalk Hustle)』のインタビューより

彼女が目指したのは、古典的な形を持ちながら、現代の目線で新しく見える香水でした。毎年多くの新作が登場する中でも、嗅いだ人が覚えていて、もう一度出会えば分かるような香りです。

出発点に置いたのは、洗いたての衣類を思わせるアコードでした。そこには、北欧の光や、洗練されたデザインの印象があったといいます。

その上に、花とパウダーの中心部、やわらかく包み込むムスクの土台を重ねていきます。ローズ、スミレ、オレンジブロッサムに、ピーチやバニラ。さらにサンダルウッドやインセンスが奥行きを作りました。

アルデヒドは、古典的な香水の華やかさと、日常の清潔な匂いの両方に通じる素材です。この作品では、マルが特に関心を向けていたアルデヒドを、ル・エレーが新しい組み立ての中で扱っています。

身近な衣類の心地よさと、少し意外な華やかさ。服の素材や仕立てを考えるように、香りでも質感を重ねる仕事でした。

ル・エレーは、このような機会がキャリアの早い段階で訪れたことに驚き、マルと仕事をできた幸運を語っています。単独の大型プロジェクトとしても、大きな節目となりました。

ビター スプラッシュ──光る柑橘と、マットなレザー

同じ2024年、ドリス ヴァン ノッテン(Dries Van Noten)から、ビター スプラッシュ(Bitter Splash)が発売されます。

中心にあるのは、グレープフルーツとレザーという組み合わせです。ひんやりした果汁の印象と、温かな革の印象。簡単には重ならない二つを、光と質感の対比として捉えました。

「矛盾しているようで、釣り合いの取れた、光と質感の戯れを探ることにしました。グレープフルーツのきらめく明るさを、レザーのマットなやわらかさで覆うのです。」

スージー・ル・エレー、ドリス ヴァン ノッテンの公式コメントより

グレープフルーツとサイプレスに始まり、オリスやキャロットシードを思わせるアコード、ゼラニウムへ。ベースにはレザー、ベチバー、シダーウッドが置かれています。

ここでのレザーは、動物の革をそのまま原料にするという意味ではなく、香料を組み合わせて表現した香りです。柑橘の明るさを消さずに、表面の質感を変える。その違いを楽しむ香水になっています。

桜を雲へ変え、清潔な衣類を香水へ仕立て、柑橘の光をマットな質感で包む。ル・エレーの仕事には、匂いの名前だけでは説明しきれない、触れるような感覚がたびたび現れます。

暗闇の中で受け取った依頼

別の角度から彼女の感覚を引き出したのが、ダン ル ノワール?(Dans le Noir ?)とのプロジェクトでした。

夜のための香水を考える、その最初の打ち合わせは、完全な暗闇の中で行われました。目で見る手がかりのない状態で、香りの世界を思い描く経験です。

「暗闇の中でのこの説明は、私の直感的な側面を強めてくれました。」

スージー・ル・エレー、ダン ル ノワール?の公式コメントより

彼女は、夜の時間に寄り添うサンダルウッドを中心に考え、ムスクやアーモンド、トンカビーンの印象を添えました。評価には、目の見える人と見えない人の両方が参加し、パリ、ロンドン、マドリードで香りを確かめていきます。

これは、視覚的なイメージを香水に翻訳する仕事とは、反対の出発点でした。しかし、何を伝えたい香りなのかを明確にし、そのために技術を使うという姿勢は変わりません。

師との共作から、次の素材の表情へ

その後も、ル・エレーの作品は大手ブランドからニッチブランドまで広がっています。

ラバンヌ(Rabanne)のミリオン ゴールド フォーハー(Million Gold for Her、2024年)は、アリエノール・マスネ(Aliénor Massenet)、ナタリー・ベナロー(Nathalie Benareau)、ロック・ドン(Loc Dong)との共同制作です。単独の作品も、複数の調香師が関わる作品も、彼女の経歴を形作っています。

2025年には、ゴールドフィールド&バンクス(Goldfield & Banks)のテイルズ オブ アンバー(Tales of Amber)を発表。ジョルジオ アルマーニ(Giorgio Armani)のアルマーニ プリヴェ リュミエール(Armani Privé Lumières)では、師のルーセルと共同制作しました。

また、メゾン マルジェラ(Maison Margiela)のフィット オブ フォリー(Fit of Folly)では、フィリップ・パパレラ=パリ(Philippe Paparella-Paris)と、パチュリの新しい表情に取り組んでいます。土を思わせる側面とは異なる、抽象的なムスクやアンバーウッドとの関係を探る仕事です。

慣れ親しんだ素材でも、組み合わせ方や量の関係を変えると、別の輪郭が現れます。ル・エレーが植物と合成香料、技術と感覚を行き来するのは、その可能性を広げるためなのでしょう。

ちなみに…

最初に身につけた香水は、贈り物でもらったキャシャレル(Cacharel)のアナイス アナイス(Anaïs Anaïs)でした。一方、自分で初めて作ったものとして挙げるのは、レコルト(Récoltes)の香りつきキャンドル、カカオ フュメ(Cacao Fumé)です。暖炉を思わせる煙の印象に、チョコレートの甘さを重ねた作品でした。

ドルセー(D’ORSAY)では、リスボンの夜明けを描くキャンドル、05:33 ア ミーニャ ヴィダ ポルトゥゲーザ(05:33 A Minha Vida Portuguesa)も手がけています。肌にまとう香水と、部屋で過ごす時間に寄り添う香り。その両方が、彼女の仕事です。

旅先では、カメラを手に植物や風景を観察します。料理や職人の手仕事にも関心があり、香りの原料だけでなく、ものが作られる過程にも惹かれているといいます。

また、プラド美術館が香りになるとしたら、という問いには、ヒエロニムス・ボス(Hieronymus Bosch)の《快楽の園(The Garden of Earthly Delights)》から、イチゴを中心とするグリーン・フルーティ・フローラルを想像したと紹介されています。絵をそのまま描写するのではなく、その作品の欲望や豊かさを、別の感覚で表す発想です。

庭の一角で花を育てていた頃から、世界の産地を訪ね、ファッションや絵画を香りで考える現在まで。好奇心の向かう先は広がっても、その中心には、よく観察し、感じたことを明確な形にする仕事がありました。

調香作品

主な香水とホームフレグランスです。「—」は共同調香師の記載がないもので、全作品を単独制作と断定するものではありません。

ブランド 作品名 共同調香師・補足
2022年 ヒューゴ ボス ボス ボトルド パルファム アニック・メナルド
2023年 ヒューゴ ボス ボス ボトルド エリクシール アニック・メナルド
2024年 フレデリック マル アクネ ストゥディオズ パー フレデリック マル
2024年 ドリス ヴァン ノッテン ビター スプラッシュ
2024年 ケンゾー ニュアージュ スリジエ メモリ コレクション
2024年 ラバンヌ ミリオン ゴールド フォーハー アリエノール・マスネ、ナタリー・ベナロー、ロック・ドン
2024年 ヒューゴ ボス ボス ボトルド トライアンフ エリクシール アニック・メナルド
2024年 ヒューゴ ボス ボス ボトルド アブソリュ(Boss Bottled Absolu) アニック・メナルド
2024年 デヴィッド ベッカム(David Beckham) ボタニカル レジン(Botanical Resin)
2024年 ラウラ ビアジョッティ(Laura Biagiotti) ディヴィヌム フィクス(Divinum Ficus)
2024年 ラウラ ビアジョッティ ウーヴァ ドゥルキス(Uva Dulcis)
2024年 ヘレニスト(Hellenist) レ ブラ ド モルフェ(Les Bras de Morphée)
2024年 ヘレニスト ア ロンブル ダルテミス(À l’Ombre d’Artémis)
2024年 ダン ル ノワール? ダン ル ノワール? 夜のための香水
2025年 ゴールドフィールド&バンクス テイルズ オブ アンバー
2025年 ラバンヌ ミリオン ゴールド フォーハー パルファム(Million Gold for Her Parfum) アリエノール・マスネ、ナタリー・ベナロー、ロック・ドン
2025年 ラバンヌ ミリオン ゴールド フォーハー ピュア ジャスミン(Million Gold for Her Pure Jasmine) アリエノール・マスネ、ナタリー・ベナロー、ロック・ドン
2025年 ラウラ ビアジョッティ ローマ ウオモ ネロ エストレモ(Roma Uomo Nero Estremo)
2025年 ボーントゥスタンドアウト(BornToStandOut) ブラック グアバ(Black Guava)
2025年 ジョルジオ アルマーニ アルマーニ プリヴェ リュミエール モーリス・ルーセル
2026年 ボッテガ ヴェネタ(Bottega Veneta) バッリアーモ(Balliamo)
2026年 メゾン マルジェラ フィット オブ フォリー フィリップ・パパレラ=パリ
年不詳 レコルト カカオ フュメ キャンドル。本人が最初の創作として紹介
年不詳 ドルセー 05:33 ア ミーニャ ヴィダ ポルトゥゲーザ キャンドル

参考文献