ストラ・スクガン(Stora Skuggan)― 影の中に宿る物語の香り

ストラ・スクガンの世界観と代表製品「Moonmilk」を表現したブランドイメージ ブランド創業者

「私たちは、確立された調香師やデザイン会社を雇うという従来のやり方でフレグランスラインを立ち上げたわけではない。すべてを自分たちの手でやってきた。細部にいたるまで、私たちの手で形づくられたものだ。」

— トマス・ヘンペル(Tomas Hempel)、共同創業者

基本情報

  • 設立年: 2015年
  • 創設者: アンナ・バークネ(Anna Barkne)、トマス・ヘンペル(Tomas Hempel)、オル・ヘメンドルフ(Olle Hemmendorff)、ヨナス・ノーディン(Jonas Nordin)、マルティン・ニコラウッソン(Martin Nicolausson)
  • 拠点: スウェーデン・ストックホルム(エストイェータガータン18番地/Östgötagatan 18)
  • 公式サイト: storaskuggan.com

創設者・ブランドの成り立ち

ストックホルムの郊外で育った少年

ストラ・スクガンの中心人物であるトマス・ヘンペルは、ストックホルム郊外で育った。幼少期から嗅覚への関心は強く、妹たちと庭に咲く花を摘んで「自家製香水」を作って遊んでいたというのが、彼の最も古い香りにまつわる記憶だという。

しかし若き日のヘンペルは、香りの世界とはほど遠い場所にいた。広場恐怖症と社会不安を抱え、「やりたいことに踏み出せない」状態が続いていた。チョコレート工場での勤務、自転車便の配達員、郵便配達、保険会社の管理職など、さまざまな仕事を経験しながらも、自分の天職を見つけられずにいた。

転機となったのは、大学での映画専攻であり、その後オーストラリアへ渡ってグラフィックデザインを学んだことだった。「それまで自分には到底できないと思っていたことに挑戦するようになった」と彼は振り返る。 そしてストックホルムに戻ったヘンペルは、スウェーデン有数のデザイン専門校ベックマンズ・カレッジ・オブ・デザイン(Beckmans College of Design)への入学という、人生最大の転機を迎えることになる。

ベックマンズの出会いとDIY調香の始まり

ヘンペルは、2005年頃、ベックマンズを中心としたパーティーシーンを通じてアンナ・バークネ、オル・ヘメンドルフ、ヨナス・ノーディン、マルティン・ニコラウッソンと出会った。 いずれもデザイン・アート・イラストレーションといった異なるバックグラウンドを持つクリエイターたちだった。

「香りに関わる何かを一緒にやろうと話したことはあった。でも、その段階では実現しなかった。2010年に私が本格的に調香を学び始めてから、ようやく形になっていった。そして仲間たちが一人ずつ加わっていった。」

— トマス・ヘンペル

2010年、ヘンペルはアートディレクターとして広告代理店に勤める傍ら、「自分が本当にやりたいことは何か」という問いを自分に投げかける。「いつか嗅覚と向き合いたい」という思いが長年ぼんやりとあった彼は、ついにそれを職業にする決意を固めた。

最初の一歩はインターネットから始まった。世界中の調香フォーラムで情報を集め、書籍を注文し、原材料を取り寄せ——最初は安価なエッセンシャルオイルを自宅のリビングルームで混ぜ合わせることから始めた。

「最初は、インターネットで世界中から取り寄せた原料を自分のリビングで試していた。数ヶ月後、バスガレージの中にスタジオを見つけて、そこに約4年間居続けた。その間に、街外れに自分たちのラボを設け、それ以来、そこで手作業で香水を調合し続けている。」

— トマス・ヘンペル

こうしたDIY(自前)の探求が、やがて本物の調香師への扉を開いた。ヘンペルは独学を基本としながらも、初期の数年間は2人の調香師をメンターとして迎え、クラフトを磨いていった。調香学校には通っていないという事実は、彼が後に語るブランドの「アウトサイダー精神」とも深く結びついている。

「コレクト・アンド・ボトル」との並走、そして2015年の誕生

香水づくりへの情熱が高まる中、ヘンペルはまず友人のマルティンとともにコレクト・アンド・ボトル(Collect & Bottle)というスタジオを立ち上げた。これは他ブランド向けの香水やキャンドルをOEM製造するビジネスで、ストラ・スクガンの財政的・技術的基盤となった。

コレクト・アンド・ボトルとストラ・スクガンは、いわば「裏方」と「表看板」の関係として並走する形で育っていった。そして2015年12月、ストラ・スクガンは最初の香水ファントーム・ド・モール(Fantôme de Maules)を発売し、独立したニッチフレグランスブランドとして正式に産声を上げた。

5人のファウンダーたちは「一つの鼻」(nose in unison)と自らを呼ぶ。調香から概念設計、ビジュアル制作、パッケージング、発送まで——すべてをストックホルムの自分たちのスタジオとラボで手作業で行う、という完全内製のスタジオとして機能している。

ブランドのこだわり

自律性という哲学

ストラ・スクガンの最大のこだわりは「オートノミー(自律性)」にある。他社への外注ゼロ。確立された調香師を雇うことも、外部のデザイン会社に依頼することも、意図的に選ばなかった。 これは単なるコスト意識ではなく、「創造的完全性を保つ」ためのポリシーだ。

公式サイトのFAQには、素材へのこだわりが率直な言葉で記されている。

「コーナーカットをして高価なオイルを安価な代替品に置き換えることは、数百万本を売る計画がある場合にしか意味をなさない。それは私たちの目指すところではない。」

合成香料についても明確な立場をとっている。「自然素材」を謳うフレグランスへの需要に対して、共同創業者のオル・ヘメンドルフはこう反論する。

「天然成分への需要は、非常に情報不足な状態から来ている。『ナチュラル』は安全で自然に良いものだと当然視されているが、香水においてはそうではない。最良の素材は一般に、環境負荷と人体への安全性の両面で、ラボで製造された合成素材だ。1キログラムのローズオイルを得るには広大なバラ畑が必要で、大量の水と土地を使う。しかしローズオイルの中核成分のほとんどは、ほとんど地球の資源を必要としない化学プロセスで製造できる。」

— オル・ヘメンドルフ

神話と現実の境界線に立つ

各香水のインスピレーション源は、ヘンペルの言葉を借りれば「真実と神話の境界線上にある物語」だ。 実在した現象、絶滅した植物、古代神話、未解明の自然現象——いずれも100%の真実でも100%のフィクションでもない、曖昧な領域を好んで選ぶ。

アンナ・バークネはそのプロセスをこう描写している。

「異なる香りはそれぞれ、現実かもしれないし現実でないかもしれない神話や現象を中心に展開する。それらは香りが育っていく、小さな世界や宇宙のようなものになっていく、まるで小さな赤ちゃんのように。」

— アンナ・バークネ

ボトルとパッケージのデザイン

パッケージデザインは、スカンジナビアのモダニズムを基調とした極めてミニマルなガラスボトルに、大きな球体状の蓋(オーブ・キャップ)を組み合わせたものだ。 この球体の蓋はファウンダーの一人であるヨナス・ノーディンが制作したもので、ブランドのシグネチャーとなっている。

各ボトルの蓋にはそれぞれの香水のコンセプトを反映したデザインが施されており、たとえばサムサッカー(Thumbsucker)の蓋にはヒンドゥー神話の神インドラの指紋が刻まれている。 ボトルは「美しいオブジェとしても機能する」ことが設計思想に組み込まれており、香水をコンセプト・ウェアラブルアート・審美的オブジェの三位一体として位置づけている。

香水ラインナップ

ストラ・スクガンは発売開始以来、作品数を意図的に絞り込み、2026年3月時点で以下の9種のオードパルファムをリリースしている。

第1作:ファントーム・ド・モール(Fantôme de Maules)(2015年)

スイスのフランス語圏にある小村モールの森に現れると言われる謎の人物「ル・ロワヨン」(Le Loyon)の物語に着想を得た作品。迷彩服に古びたマスクを着けた約2メートルの人影が、十年以上にわたって地元の森を徘徊し、植物の匂いを嗅ぎながら花を摘んでいたという。 グリーン・ウッドのシプレ系。ヘンペルは「最もクラシックな作品」と評しており、デビューゆえの「目立ちすぎることへの恐れ」が少し影響したと振り返っている。

第2作:シルフィウム(Silphium)(2016年)

古代ギリシア・ローマで薬草・香辛料・香料として珍重されながら、栽培が難しく、やがて絶滅したとされる伝説の植物「シルフィウム」を香りで再現した作品。 現存するとされる近縁種を研究し、合成香料分子(アロマケミカル)を用いてその姿を再構築した。 2018年のアート・アンド・オルファクション・アワード(Art and Olfaction Awards)アーティザン部門のファイナリストに選出された(最優秀賞の受賞ではない)。スカンジナビアのフレグランスハウスとして初の同賞ファイナリストとなった記念碑的作品である。

第3作:ムーンミルク(Moonmilk)(2017年)

16世紀スイスの博物学者コンラート・ゲスナーが1555年の著作の中に記した洞窟内の白い液体現象「ムーンミルク」に着想を得た作品。ブランドが紹介する古い記述では、鍾乳石から滴り落ちる白い液体が乾かない水たまりになると描かれる——その神秘的なイメージが作品の背景にある。 香りの構成の約50%をマイソール産サンダルウッドとサンダルウッド系分子が占める「倒立したサンダルウッド」と称される個性的なコンポジション。ストーリーはヘメンドルフが発掘し、香りはヘンペルが創った。

第4作:ミストプファー(Mistpouffer)(2019年)

湖や海岸沿いで聞こえることがある、科学的に未解明の遠雷のような轟音現象「ミストプファー(海鳴り)」を香りに変換した作品。日本では「海鳴り(uminari)」と呼ばれ、太陽風・地震・ガス泡・霊的存在など様々な説が語られてきた自然現象だ。 4年間の研究と試行錯誤の末に完成した。ヘメンドルフはその困難をこう語る。

「霧の朝の空気そのものの香りを作れると素人は考えるかもしれないが、それを香水として濃縮すれば全く別の、必ずしも快い香りではないものになってしまう。」

— オル・ヘメンドルフ

第5作:サムサッカー(Thumbsucker)(2020年末)

赤ちゃんが親指を吸う習慣の起源を古代インドのプラーナ神話に求めた作品。王ユヴァナーシュヴァが神々のために準備された魔法の水を誤飲して自ら妊娠し、神インドラが指を割いて命の蜜を子どもに与えたという物語。 「甘く懐かしい慰めと、いかがわしくきわどい裏面」を同時に表現した官能的なグルマン系。蜜蝋を含むため、唯一完全なビーガン対応ではない。

第6作:アザライ(Azalai)

サハラ砂漠のテネレ地方を千年にわたって往来した塩と金のキャラバンルート「アザライ」と、そのルート上に孤立して立ち続けた世界で最も孤独な樹「テネレの木」の物語に着想を得た作品。 地下30メートル以上の水脈に根を伸ばし生き続けたアカシアの木は、1973年、酒を飲んで眠り込んだトラック運転手によって撥ねられ命を絶たれた。 サフラン、ブラッドオレンジ、アンバーの温かみを中心とした香り。

第7作:ヘクセンザルベ(Hexensalbe)

中世魔術で用いられた「魔女の飛翔軟膏」をテーマにした作品。猛毒の植物成分を混合したこの軟膏は幻覚状態を引き起こし、空を飛ぶ感覚を生んだとされる。「箒にまたがる魔女」のイメージの起源もこの軟膏の使用法にあると言われている。 ワームウッド(ニガヨモギ)、チューベローズ、ベラドンナ、パチョリなどのノートを描いた、ダークフローラルの香り。

第8作:パイン(PINE)

ストラ・スクガンが初めて「神話的物語」から離れ、素材そのものを主役に据えた作品。ブランドの説明文には「松の香りがする」とだけ書かれており、そのシンプルさが逆説的に異彩を放つ。地球上の長い歴史を生き抜き、森の風景を形づくる松という生命体への、一種のオマージュ。 2025年のアート・アンド・オルファクション・アワード、アーティザン部門のファイナリストに選出(最優秀賞の受賞ではない)。ストラ・スクガンは同賞に2度ファイナリストとなった初のスカンジナビアのフレグランスハウスとなった。

第9作:モンキーフラワー(Monkeyflower)

19世紀のヴィクトリア朝イングランドで窓辺を彩り街路を香らせた「ムスク・モンキーフラワー(Erythranthe moschata)」が、20世紀初頭に突然香りを失ってしまったと語られる、いまも謎を残す植物の物語に着想を得た最新作。 失われた香りを「再現する」のではなく、その「不在から先を想像する」という手法で構築されている。ツシラゴ、イチジク、ヘイ(干し草)、ムスクなどで構成された、柔らかく夢幻的なフローラル。

ちなみに…

  • ブランド名「ストラ・スクガン(Stora Skuggan)」はスウェーデン語で「大きな影(The Big Shadow)」を意味し、ストックホルム北部にある実在の自然公園の名前でもある。ただしヘンペルは「地理的なつながりはとくにない。神秘的でシュールな響きのあるスウェーデン語の名前を探していたら、たまたま近所の地名だった」と述べている。
  • ストラ・スクガンは、ストックホルムの自社店舗(エストイェータガータン18番地/Östgötagatan 18)に使用済みボトルを持参するとリフィルを受けられるサービスを提供している(料金は100ユーロ)。
  • コレクト・アンド・ボトル社がメーカーとして製品に記載されており、ストラ・スクガンは同社の「自ブランド」として機能している。両者が同じスタジオ・ラボで並走している点は興味深い。
  • ヘンペルは2016年頃のインタビューで、「将来のプロジェクト向けに待機しているパイン・アブソリュート(松の抽出香料/pine absolute)のサンプルを受け取り、その香りに驚嘆した」と語っていた。 それから数年後、その素材が「パイン」という単作品になったのかどうかは、公開情報からは確認できないが、興味深い符合ではある。
参考文献