思い出のある香りを嗅ぐと、当時の場面とともに気分も動く。2013年の研究は、その体験をしているときの脳活動と、血液中の免疫に関わる物質を同時に調べました。
事前に選んだ10人では、思い出の香りの後に、対照の香りより懐かしさと記憶の想起が高く、一部の血中指標が低くなりました。中心となる問いは、こうした主観・脳・身体の反応がどう結び付くかです。小規模ながら、香りから自分の過去を思い出す体験を、複数の側面から捉えた研究です。
本人にとって思い出のある香水を使う
対象は20〜35歳の健康な10人、男性3人と女性7人です。単に香りが好きな人を集めたのではなく、質問紙で、香りに結び付いた個人的な出来事を、時と場所も含めて明確に思い出せる人を事前に選びました。
前日に、本人が自分の記憶を呼び起こす香水を選びました。比較には、別の54人による予備試験で懐かしさや自伝的な記憶を引き起こしにくかった、未市販の二つの香水を用いています。脳画像の比較のため、空気だけの条件も設けました。
これは、全員が同じ「懐かしい香り」を嗅ぐ設計とは違います。本人の経験に結び付いた香りを使うことで、においの記憶が実際に起きる場面を調べようとしました。
2分間の香り、脳の血流、直後の採血
参加者はPET装置の台に横たわり、機器から送られる香りを2分間嗅ぎました。その間の60秒間、脳の局所的な血流をPETで測定しています。香りの終了後には採血し、2分以内に気分などを評価しました。
思い出の香り、対照香、空気の三条件を各2回行い、計6回撮像しました。条件の順序は参加者間で相殺し、セッションの間に休憩を入れています。
主観評価は、においの強さ、懐かしさ、記憶の想起、その時点の快い気分、眠気から覚醒までの状態です。血液では、免疫系で情報を伝えるサイトカインのうち、IL-2、IL-4、IL-6、IL-10、TNF-α、IFN-γの6種類を測りました。
以下の気分・血中指標の主な結果は、香りを嗅いだ後の条件間比較です。においを嗅ぐ前からどれだけ改善したか、という測定とは分けて考える必要があります。
懐かしさと想起が高く、二つの血中指標が低かった
思い出の香りでは、対照香より懐かしさと記憶を思い出す評点が有意に高くなりました。においの強さには有意差がありませんでした。
著者らは、快い気分と覚醒度も対照より高かったと報告しています。ただし、快い気分の検定は、本文のt値・自由度から通常の両側検定で求めるp値と、記載された「p<0.05」が整合しません。気分の平均が高い方向は図でも確認できますが、その有意性には記載上の留保があります。覚醒度は眠気より目が覚めた側の尺度であり、鎮静を示す結果とは異なります。
6種類のサイトカインでは、TNF-αとIFN-γが、思い出の香りの後に対照香より有意に低くなりました。ほかの4種類には有意な低下が示されていません。著者らの以前の研究で低下したIL-2も、今回は同じ結果にはなりませんでした。
サイトカインは免疫の働きを調整する多様な物質なので、値が低いことを、そのまま「免疫力が上がった」と読み替えることはできません。今回測ったのは、健康な人が特定の体験をした直後の血中濃度です。
記憶と快い体験に関わる脳領域との関連
PETでは、思い出の香りの条件で、対照香や空気との比較から、内側眼窩前頭皮質と、楔前部・後部帯状皮質の活動増加が報告されました。著者らは既存研究を踏まえ、前者を快い価値の処理、後者を個人的な記憶の想起に関わる候補と解釈しています。
思い出の香りの条件では、これら二つの領域の活動が高い人ほど、IFN-γの濃度が低いという負の相関がありました。また、二つの脳領域の活動どうしには正の相関がありました。対照香では同じ脳活動とサイトカインの相関は見つかっていません。
原著の考察冒頭には、IFN-γとの関係を「正」とする一文がありますが、抄録、結果の数値、図では負の関係です。ここでは、一致している結果と図に沿って紹介しています。
この組み合わせから著者らは、思い出に伴う感情と、脳・免疫系の働きが関連する可能性を提案しました。ただし、相関を測った研究なので、これらの脳領域がサイトカインの分泌を直接抑えたことまでは確かめられていません。
とくに重要なのは「短時間」と「個人的な香り」
著者ら自身が大きな限界としたのは、2分という短い提示時間です。従来のサイトカイン研究では、刺激から少なくとも30分後に変化を調べる例が多く、今回の変化は速すぎる可能性があります。血中の免疫細胞の分布が短時間で変わったという説明も挙げていますが、細胞の分布は今回測定していません。
さらに、思い出の香りは、本人にとってなじみ深く、快いものであった可能性があります。記憶を思い出すこと、香りの快さ、親しみのどれが脳と血中指標の関係を生んだかは、分離できていません。
対象も、鮮明な香りの記憶を持つ10人に限られます。脳画像は多重比較未補正の探索的な基準で、複数のサイトカインや主観指標の検定にも、多重比較補正の記載がありません。著者らは健康やウェルビーイングへの応用可能性を論じていますが、持続する健康効果や病気の改善を測った試験ではなく、今後確かめる仮説として位置付けられます。
まとめ
事前に選んだ10人では、本人の思い出を呼び起こす香りが、対照香より強い懐かしさと記憶の想起を伴いました。同じ条件でTNF-αとIFN-γが低く、記憶や快い体験に関わる候補領域の活動は高くなり、その活動とIFN-γの間には負の相関が見つかりました。
香りで過去を思い出す体験を、主観だけでなく脳と血液の指標まで結び付けて調べたことが、この研究の成果です。短時間の反応と少人数という範囲を保ちながら、記憶・感情・身体の関係をさらに調べるための手掛かりを示しています。
研究の背景・開示:JSPS科研費22700683の一部支援を受け、追加の外部資金はないと申告されています。研究当時、共著者4人は花王の社員で、研究設計や材料・道具の提供にも関わりました。対照香も同社から提供されています。公的助成元は設計、収集解析、出版判断、原稿作成に関与しなかったと記載されています。
参考文献
Matsunaga, M., et al. (2013). Brain–Immune Interaction Accompanying Odor-Evoked Autobiographic Memory. PLOS ONE, 8(8), e72523. 原著論文・公開全文


