「香水は芸術作品でなければならない。そしてそれを包む器は、傑作でなければならない。」
― ロベール・リッチ
基本情報
設立年: 1932年
創設者: マリア・アデライド・ニエリ(通称:ニナ・リッチ)/息子ロベール・リッチ
本拠地: フランス・パリ
公式サイト: https://www.ninaricci.com
現在の親会社: スペインのプイグ(Puig)グループ(1998年より)
創設者・ブランドの成り立ち
靴職人の娘、パリへ
ニナ・リッチの本名は、マリア・アデライド・ニエリ(Maria Adelaide Nielli)という。1883年、イタリア北部のトリノに生まれた彼女は、五人きょうだいの一人であった。父は靴職人で、一家はやがてモンテカルロへ移り住んだが、父の早すぎる死が一家の生活を一変させた。家族は離散し、ニナは母と姉妹とともにパリへと向かった。
まだ14歳だったニナは、パリで縫い子として働き口を得た。スケッチを描くよりも生地を手で感じながら形を生み出す、という彼女独自のスタイルはこのころから始まっていたのかもしれない。10代のうちから腕を磨き、やがてパリのファッション界で頭角を現していく。
そんなニナの人生に転機をもたらしたのが、バスの中での偶然の出会いであった。フィレンツェ出身の宝石商の息子、ルイジ・リッチと知り合い、間もなく結婚。こうして彼女は「ニナ・リッチ」という名を手に入れた。「ニナ」というのは幼いころから呼ばれてきたニックネームであり、本名を超えて一生涯ついてまわった愛称である。23歳で息子ロベールを出産したが、27歳のときに夫を亡くし、以来ニナは女手一つでロベールを育てた。この母子の絆が、のちに世界的なメゾンを生み出す原動力となる。
ラファン時代―約20年間の修業
1908年、ニナは「ラファン(House of Raffin)」というパリの仕立て屋に入社した。ここで彼女は約20年間を過ごすことになる。ラファンは当時のパリに80以上あったクチュール・サロンのひとつで、決して華やかな存在ではなかった。しかしニナは、ここで自分だけの完全に自律したアトリエ部門を築き上げた。専属の職人、縫い子、そして固定客を持ち、地方のドレスメーカーへパターンを販売するという副業でも実績を積んだ。
彼女のデザインの特徴は、スケッチを使わないことであった。生地を直接トルソー(ドレス用のマネキン)にあてがい、ドレープ(垂れ落ちる生地の曲線)やシルエットを手で確認しながら形をつくっていく。このアプローチは、同時代のマダム・グレ(アリックス・グレ)と並んで高い評価を受けるほどの技術的な洗練をもたらした。
49歳、息子の一声で独立へ
ラファンの主人が亡くなったのは1929年のことであった。その後、独立する1932年にはニナは49歳になっていた。それなりの蓄えもあり、引退しても不思議ではない年齢だった。だが、広告業を経てビジネスの才覚を磨いていた息子ロベールが、母を翻意させた。
条件はひとつだった。ニナが創作全権を持ち、ロベールがいっさいの経営を引き受けること。こうして二人は合意し、パリのキャプシーヌ通り(Rue des Capucines)に小さなアトリエとサロンを開いた。
これが、メゾン・ニナ・リッチの誕生である。
公式サイトはこの創業を「息子ロベールが母への贈り物として」パリに設立した、と表現している。母と息子による共同経営という形態は、当時のクチュールの世界では極めて異例であった。ニナはスケッチを一枚も描かず、終始トルソーに生地を巻きつけながらデザインを生み出した。
「上品に、優しく、女性を包む服をつくること」― これがニナの一貫した美学であったと、当時を知る人々は語っている。
ただし、この言葉の出典については公式インタビュー等の一次情報での確認には至らなかった点を申し添えておく。
急拡大とオートクチュールの頂点へ
1932年から1939年のわずか7年間で、メゾンの従業員は40人から450人へと拡大した。ニナ・リッチのスタイルは、シャネルやランバンのような前衛的なエレガンスではなく、フランスの上流中産階級(オート・ブルジョワジー)の女性たちが求める「洗練された実用性」を体現するものであった。その顧客層の違いゆえに、セシル・ビートンやアメリカ版『ヴォーグ』が積極的に取り上げることはなかったが、それは彼女のターゲットが最初から違ったということでもある。
ランバンやシャネルと比べて価格を3分の1ほど抑えながらも、最高レベルの仕立てを維持した。また、1年に2回、若い女性向けの「中間コレクション(intermediary collection)」を発表するという先進的な取り組みも行っていた。これはプレタポルテ(既製服)の先駆けとも言える試みであった。
第二次世界大戦中もニナは創作を続けた。戦後の1945年、ロベールはオートクチュールの復興と戦争救済資金の調達を兼ねた展示会を企画した。パリの主要クチュリエ40社以上が参加し、バレンシアガやマダム・グレを含む200体以上のドールが最新コレクションをまとい、ルーブル宮の装飾美術館に展示されたこの催しは大成功を収め、ヨーロッパ・アメリカ各地を巡回した。
香水事業の誕生と伝説の一本
1930年代、ロベールは「このメゾンをさらに成長させ、海外での存在感を高めるには香水が必要だ」と確信していた。1937年には広告業の仕事を畳み、その後1941年にはニナから会社資本の半分を譲り受けて正式に香水部門を立ち上げた。
1946年、メゾン初の香水「クール・ジョワ(Coeur Joie)」が誕生した。調香師は、20世紀最高のノーズ(調香師)のひとりに数えられるジェルメーヌ・セリエ(Germaine Cellier、ルール社)。ボトルはハート形のラリック・クリスタル、パッケージのイラストはクリスチャン・ベラールが担当した。ロベールと幼馴染みだったマルク・ラリックがボトル製作を引き受けたのは、この親密な関係が背景にある。出足こそ遅かったが、やがて国際的な香水市場でも存在感を示すようになった。
そして1948年、ニナ・リッチの名を世界に刻む香水が生まれる。「レール・デュ・タン(L’Air du Temps)」である。
ブランドのこだわり
「香水は芸術作品」― ロベールのフィロソフィー
ニナ・リッチの香水哲学を一言で表すなら、ロベールの言葉に凝縮されている。
「香水は芸術作品でなければならない。そしてそれを包む器は、傑作でなければならない。」
― ロベール・リッチ
ロベールにとって、香水とは単なる商品ではなかった。フランス語で「レール・デュ・タン(L’Air du Temps)」は「時代の空気」「時の精神」を意味し、文字通りひとつの時代を香りで刻もうとした。また公式サイトではロベールの言葉として次のように記されている。
「私は、自分と感受性が一致する人々のために仕事をしている。」
― ロベール・リッチ
このフィロソフィーは香りだけでなく、ボトルのデザインにも貫かれている。ニナ・リッチの香水には常に、クリスタルの彫刻家や著名なデザイナーとのコラボレーションが伴った。
鳩のボトル― レール・デュ・タンの誕生と進化
調香師フランシス・ファブロン(Francis Fabron、ルール社)によって生み出されたレール・デュ・タンは、第二次世界大戦後の解放感と平和への希求を香りに封じ込めた、フローラル・スパイシーの傑作である。ジャスミン、バラ、カーネーションを軸に30種類以上の原料が織り成すこの香りは、公式サイト上で「香水の歴史における最初のスパイシー・フローラル」と位置づけられている。
ロベール自身、この香りをこう評した。
「レール・デュ・タンは、小さな嗅覚の奇跡だ。」
― ロベール・リッチ
ボトルのデザインも数奇な進化をたどった。1948年の初代ボトルは、彫刻家ジャン・ルブルによる「太陽の形に1羽の鳩が乗った」デザインであった。しかしその3年後の1951年、ロベールの幼馴染みマルク・ラリックが「2羽の鳩がからみ合う」ストッパーをもつクリスタル・フラコンを制作した。愛し合う鳩の姿は戦後の「和解と愛」の象徴となり、以来ニナ・リッチを代表するアイコンとして定着した。
このボトルは2000年に「世紀の香水ボトル(Perfume Bottle of the Century)」に選出されている。
ラリックとの絆、アーティストとの協働
ニナ・リッチの香水ボトルにラリックが起用され続けた背景には、単なるビジネス関係を超えた人間的なつながりがあった。ロベールとマルク・ラリックは幼少期からの友人であり、ラリック家はリッチ家のために独占的にボトルを製造していたとも言われている。
また、このレール・デュ・タンのボトルは後世のアーティストにも再解釈されている。2010年にはフィリップ・スタルク(Philippe Starck)が「最小限に削ぎ落とした」新しいフラコンをデザインし、2羽の鳩の本質だけを残すアプローチで話題を呼んだ。スタルク本人は「自分は最小限を追い求める人間だ(I am a man in search of the minimum)」と語っている。
メゾンの象徴的なモチーフ
公式サイトによると、ニナ・リッチは「三美神、鳩、りんご、花」という象徴的なモチーフを通じて女性を語るブランドである。これらのシンボルは香水だけでなく、ブランド全体のビジュアルアイデンティティを形成している。
香水ラインナップ
クラシックの時代(1946〜1980年代)
ニナ・リッチの香水史は、ロベールのキュレーションのもとで一貫して「女性の優美さとロマンス」を追求してきた。代表的な作品を以下に挙げる。
クール・ジョワ(Coeur Joie、1946年)
メゾン初の香水。「喜びに満ちた心」を意味し、調香師ジェルメーヌ・セリエがシトラスとフローラルを繊細に組み合わせた作品。ハート形のラリック・クリスタルに封じられたこの香りは、戦後解放されたパリの空気を象徴している。
レール・デュ・タン(L’Air du Temps、1948年)
ニナ・リッチを世界的ブランドに押し上げた傑作。シャネル ナンバーファイブ(N°5) やゲランのシャリマーと並び称されるフレンチ・パフュームの古典であり、現在もラインナップの中核を占める。
ファルーシュ(Farouche、1974年)
「無愛想な、野生の」を意味するファルーシュは、ニナ・リッチとしては珍しいフローラル・シプレ(シプレとは、オークモスやラブダナムを使った複雑な香り系統)の作品。香水評論家マイケル・エドワーズが「史上最高の香水のひとつ」と評したことでも知られている。
ニナ(Nina、1987年)
ロベールが亡き母への追悼として制作した、フローラル・アルデヒド系の香水。調香師クリスチャン・ヴァッキアーノによる作品で、当時の「ポイズン」や「オブセッション」のような大胆な香りが主流だった1980年代にあって、あえて繊細な女性性を打ち出した一本であった。ロベールは1988年に世を去っており、これが彼の遺作に近い香水となった。
プイグ時代の新展開(1998年以降)
1998年、メゾンはスペインの美容・ファッション複合企業プイグ(Puig)グループに買収された。プイグはそれ以前よりパコ・ラバンヌを傘下に持つほか、世界のプレステージ・フレグランス市場でシェアを拡大してきた企業である。
プルミエ・ジュール(Premier Jour、2001年)
「最初の日」を意味するプルミエ・ジュールは、調香師ソフィー・ラベとカルロス・ベナイムが手がけたフローラル系の香水。マンダリン、スイートピー、ガーデニア、オーキッドを重ね、最後はムスクとサンダルウッドで締めくくる。ボトルはデザイナーのファビアン・バロン(Fabien Baron)が手がけた透明な円筒形で、当時のニナ・リッチにおけるデザイン刷新を象徴した。
ニナ(Nina、2006年)
1987年の「ニナ」とは別物として生まれ変わった2006年版「ニナ」は、トフィーアップル(りんご飴)や禁断の果実の誘惑にインスパイアされたフルーティー・フローラルの一本である。ラズベリー色に染められたりんご型のボトルは、シャルル・ペローやグリム兄弟の童話に着想を得たもので、以来ブランドを代表するアイコンとなっている。2026年現在も現行ラインに名を連ね、「ニナ」の名を持つ香水の現代的な系譜を担う。現在はヴィーガン対応で、原料の90%が天然由来成分である。
ちなみに…
アンディ・ウォーホルとニナ・リッチ
ニナ・リッチはかつてアンディ・ウォーホルにショーウィンドウのデザインを依頼したことがあると、複数の文献に記されている。ウォーホルは1950年代にニューヨークの高級百貨店ボンウィット・テラーなど複数の場所でウィンドウ・ディスプレイを手がけたことで知られるが、ニナ・リッチとの具体的な時期や内容については公式一次情報での確認には至らなかった。
ひ孫・ロマーノ・リッチの「ジュリエット ハズ ア ガン」
ニナ・リッチのひ孫にあたるロマーノ・リッチ(Romano Ricci)は、2006年にニッチ・フレグランスブランド「ジュリエット ハズ ア ガン(Juliette Has A Gun)」を立ち上げた。ロマーノは「祖父ロベールが調香のすべてのルールを教えてくれた。そしてルールを破ることも」と語っており、リッチ家の香水への情熱は世代を超えて受け継がれている。また、ロマーノの「最初の嗅覚の記憶はレール・デュ・タン。家族の工場中に漂っていた香りだった」という言葉は、このブランドの香りがいかに一族の生活に根づいていたかを物語っている。
参考文献
- Nina Ricci (designer)
- Nina Ricci (1883-1970) | BoF – The Business of Fashion
- Maria Nina Ricci – Fashionabc.org
- Nina Ricci – The Perfume Societyperfumesociety.org › … › EXPLORE PERFUME › Perfume houses
- Maison Nina Ricci
- NINA Ricci | Heir of her Time… – PureStyleEdition
- Nina Ricci (brand) – Wikipedia
- "Nina" and Robert Ricci – Perfume Projects
- L'Air du Temps perfume bottle – museelalique – Musée Lalique
- TIPPING THE VELVET::: : COEUR JOIE by NINA RICCI (1946) | The
- Going to the fragrance house of Roure-Bertrand-Dupont for his first …
- L'Air du Temps (perfume) – Wikipedia
- L'Air du Temps by Nina Ricci c1948
- Maison Nina Ricci
- L'Air du Temps – Eau de Toilette – Nina Ricci
- Nina Ricci L'Air du Temps: Fragrance Review & History of a True …
- L'Air du Temps – Eau de Parfum – Nina Ricci
- 12 Iconic Perfume Bottles That Have Made History
- L'Air du Temps by Starck: a technical challenge
- Cranky floral chypre: FAROUCHE by NINA RICCI (1974)
- The story of Nina Ricci
- NINA by NINA RICCI (1987) – The Black Narcissus
- Puig (company) – Wikipedia
- NINA RICCI : projet de rachat par Puig
- Puig enjoying fruits of growth, preparing for next generation
- Nina Ricci Premier Jour – Eau de Parfum | Makeup.uk
- The Parfumerie launches 'NINA' – Sunday Times
- Nina the original fragrance
- Nina Ricci Parfums – Facebook
- how andy warhol used store window displays to launch an art career
- Nina Ricci – perfumeuk.co.uk
- Nina Ricci Final – Slideshare
- The Story Of Romano & Juliette | ParfumPlus Magazine
- Interview with Romano Ricci of Juliette Has A Gun + Under His Hat …
- ニナ リッチ公式・メゾンの歴史
- ジュリエット ハズ ア ガン公式・ブランド創設
- スペイン国立衣装博物館・ラファンのコートとニナ リッチ
- メアリーヒル美術館・テアトル ドゥ ラ モード
- アメリカン ソーイング ギルド・テアトル ドゥ ラ モード


