ダビドフ — 葉巻商の息子が生み出した、水と自由の香り

ダビドフの世界観と代表製品「Cool Water Man Eau de Toilette」を表現したブランドイメージ ブランド創業者

「煙草は、時を止める。」
― ジーノ・ダビドフ(Zino Davidoff)

基本情報

設立年(香水事業): 1984年(最初のフレグランス「ダビドフ(Davidoff)」発売)
グループ創業: 1980年(ジーノ・ダビドフ SAとして)
創設者: ジーノ・ダビドフ(Zino Davidoff、本名:スセレ=マイエル・ダビドフ)
公式サイト: https://www.zinodavidoff.com
フレグランスのライセンス管理: コティ(Coty Inc.)

創設者・ブランドの成り立ち

煙草商の家に生まれたウクライナの少年

ジーノ・ダビドフは1906年、当時ロシア帝国領であったキエフ(現在のウクライナのキーウ。一部資料ではノウホロド=シヴェルスキーとも)に生まれた。父のアンリ・ダビドフは煙草商で、キエフで事業を営んでいた。幼いジーノが最初に吸い込んだ香りは、父が友人たちのために手で巻いたオリエンタル・タバコの芳香だったという。

5歳のとき、帝政ロシアによるユダヤ人迫害(ポグロム)を逃れて一家はジュネーブへ移住し、1911年に父はフィロゾッフ通り(伝記資料によってはフィロゾッフ広場と表記)に小さな煙草店を開いた。第一次世界大戦中、この店は亡命ロシア人たちの集いの場となり、あのレーニンも顧客として記録に残っている――もっとも、店の台帳によれば彼は代金を払っていなかったそうだが。

ラテンアメリカへの放浪、そしてキューバとの出会い

学校を卒業したジーノは大学進学を選ばず、「世界を見たい」という一心でラテンアメリカへと旅立った。無一文に近い状態で、手荷物はディナージャケット1着のみだったという。アルゼンチンに着くや、彼の国際連盟発行のパスポートが何者かに盗まれた。しかし当局がそのパスポートを見たことがなかったため、ジーノの堂々とした立ち居振る舞いから「外交官」と判断されてしまい、あっさりとアルゼンチン市民権を発行してもらったという逸話が残っている。

1924年に旅立ってからの数年間、ジーノはアルゼンチン、ブラジル、そしてキューバの煙草農園やシガー工場で働いた。ハバナではオーヨ・デ・モンテレイ(Hoyo de Monterrey)社のパラシオス氏に師事し、キューバ産シガー(「プーロ」)の栽培・保存・製造のすべてを習得した。

ジュネーブに帰還し、「王国」を築く

1930年にジュネーブに戻ったジーノは、父の店を引き継ぎ、シガー部門と専用地下貯蔵庫を設けた。そこで彼が考案したのが、ハバナと同じ温度・湿度でシガーを保存するための装置——今日の「ヒュミドール」の原型である。これは世界初の試みとされており、ジーノ・ダビドフの名をシガー愛好家の間で一躍高めることになった。

第二次世界大戦中、中立国スイスのジュネーブは富裕層の避難地となり、ダビドフの店はヨーロッパにおけるほぼ唯一のハバナ・シガー供給拠点として機能した。戦後、ジーノはボルドーの銘醸ワインの格付け名(シャトー・マルゴー、シャトー・ラトゥールなど)を冠したシガーシリーズを企画し、「グラン・クリュ」の世界観を葉巻に持ち込んだ。キューバ側はこのアイデアを「うまくいくはずがない」と懐疑的だったが、これが大成功を収めた。

ジーノの店の顧客リストには、ヨシップ・ブロズ・チトー元帥、バイオリニストのアイザック・スターン、ピアニストのアルトゥール・ルービンシュタイン、そしてオーソン・ウェルズらが名を連ねた。なかでも最大の取引として語り継がれるのが、亡命後のエジプト国王ファルーク1世との商談だ。ジーノが事前の信用調査を欠かさなかった末に成立させた4万本のシガー受注は、当時のヨーロッパでも際立った大型契約だったという。

一方でジーノは「政治とは距離を置く」という信念を貫き、キューバ革命後もカストロともバティスタとも会見しなかった。「農業・商工大臣とだけ付き合い、政治には一切関わらなかった」と後に語っている。

売却、そしてブランドへの飛躍

1970年、ジーノはマックス・エッティンガー社(Max Oettinger Company)へ煙草部門を売却し、以後は同社のアンバサダーとして活動を続けた。1980年、非タバコ製品を扱うための持株会社「ジーノ・ダビドフ SA」(Zino Davidoff SA)が設立され、時計・レザーグッズ・筆記具・フレグランスなど多様な高級品へとブランドが広がった。

ジーノ自身が口にした言葉として、晩年のインタビューでこんな一節が残っている。

「私は煙草を吸う男(a man of smoke)だ。母は歯科医にさせたかったが、私には人の口の中で働くことはどうしてもできなかった。ある意味では歯科医になったのかもしれない——ただし、歯ではなく煙で。」
― ジーノ・ダビドフ

1994年1月14日、ジーノはジュネーブで87歳の生涯を閉じた。

ランカスター社との契約と、香水事業の幕開け

ジーノ・ダビドフ SAは1984年、フランス系化粧品グループのランカスター(Lancaster Group)と提携し、初のフレグランス「Davidoff(ダビドフ)」を発売した。これは老舗の高級タバコブランドが初めて香水という異分野に踏み出した挑戦であり、後のブランド拡張の先駆けとなった。1990年にランカスターがドイツのベンケイザー・グループに買収され、さらに後にコティ(Coty)へ統合されていく経緯のなかで、ダビドフのフレグランス・ライセンスはコティへと引き継がれた。コティとダビドフのパートナーシップは現在まで20年以上にわたり続いており、2023年に改めて長期延長が合意されている。

ブランドのこだわり

「生の濃厚な体験」という哲学

ダビドフブランドの核にある哲学は、ジーノ・ダビドフ自身が体現した「好奇心と旅と人生の深い享受」に由来する。ブランドの公式モットーは「生の濃厚な体験(The intense experience of living)」とされており、フレグランス担当副社長ユーグ・ド・ラ・シュヴァスネリは「ダビドフの家に妥協は存在しない(There are no half-measures in the house of Davidoff)」と繰り返し語っている。

ジーノ自身のライフスタイルをひと言で表すなら「アール・ド・ヴィーヴル(art de vivre:生の芸術)」だろう。彼は世界を旅し、農園で働き、政治家や芸術家を顧客に迎え、葉巻の保存という実用的な問題にまで美学をもち込んだ。その精神はフレグランスのコンセプト設計にも反映されており、各製品は単なる香りではなく「男の生き方」を体現するものとして位置づけられている。

ボトルデザインの哲学

ダビドフのフレグランスボトルは、製品の世界観を視覚的に体現することを重視して設計される。代表作クール・ウォーター(Cool Water)の青いボトルは波をイメージし、シリーズ展開を通じて青のグラデーション(「青の50の色合い」)を基調にした統一感を保っている。クール・ウォーター・ディープ(Cool Water Deep)では、デザイナーのティエリー・ド・バシュマコフが「海の力強さ」と「青い空気感」を瓶の形で表現しようと、緩やかなカーブと異なる青の濃淡を用いた。

素材へのこだわり

近年のフレグランスでは、原料の産地への意識が高まっている。たとえばクール・ウォーター・リボーン(Cool Water Reborn、2022年)では、チュニジアのローズマリー(収穫地で現地蒸留)と、ハイチ産のベチバー(責任ある調達)が使用された。これはコティとダビドフによる「プレミアム化」戦略の一環であり、素材の透明性を高めながら現代の消費者ニーズに応える姿勢を示している。

香水ラインナップ

ダビドフのフレグランスはすべてコティがライセンス生産している。ブランドの香水事業は大きく以下の柱で構成される。

クール・ウォーター・シリーズ(1988年〜)

ブランドを代表するシリーズで、1988年に調香師ピエール・ブルドン(Pierre Bourdon)が創作した「ダビドフ クール・ウォーター」を核とする。トップにミント・海水・ローズマリー、ハートにラベンダー・ジャスミン・ゼラニウム・ネロリ、ベースにオークモス・ムスク・サンダルウッドを配した芳香族アクアティック系の香りで、「ニュー・フレッシュネス(New Freshness)」と呼ばれるオルファクティブ運動の先駆けとなった。

ドイツ・英国・米国の香水カウンターで入荷待ちが生じるほどの売上を記録し、フレグランス財団(Fragrance Foundation)が主催するフィフィ・アワード(FiFi Awards)にて1992年に「メンズ・フレグランス・オブ・ザ・イヤー(プレステージ部門)」を受賞した。発売以来(2004年時点)の累計売上は約17.5億米ドルに達し、「1分間に9本が売れ続けた計算になる」とされている。

1996年には女性向けの「クール・ウォーター ウーマン」が登場し、その後も毎年のように季節限定版やコレクターズエディションが発売されるなど、このシリーズだけで30本以上のバリエーションが世に出ている。2022年には「クール・ウォーター リボーン(Cool Water Reborn)」が発売され、ローズマリーとベチバーを主軸に置いたアロマティック・フゼア系の解釈でオリジナルへのオマージュを捧げた。

ダビドフ(Davidoff、1984年)とジーノ・ダビドフ(Zino Davidoff、1986年)

ブランド最初のフレグランス「ダビドフ」は、調香師エドゥアール・フレッシエ(Edouard Fléchier)が手がけたシプレー系の男性香。後に廃番となったが、今もヴィンテージの愛好家から高く評価されている。これとは別に、1986年にはミシェル・アルメラック(Michel Almairac)が手がけた「ジーノ・ダビドフ」が登場した。こちらはベルガモット・ラベンダー・クラリーセージをトップに、ローズ・ジャスミン・ゼラニウムをハートに、そしてサンダルウッド・パチョリ・バニラをベースに持つ、複雑でウッディな構造の香りである。

エコー(Echo)・シルバー・シャドウ(Silver Shadow)

2000年代に登場した都市的・洗練派向けのシリーズ。「エコー(Echo)」はアーバンでトレンディな路線を担い、「シルバー・シャドウ(Silver Shadow、2005年)」は「より成熟した男性、より経験を積んだ男性のための香り」として位置づけられた。

「シルバー・シャドウは魅力的な名前で、多くのカリスマ性と神秘性を持っている。何かを自分の後ろに残していくという感覚を支える。」
― ダビドフ副社長 ユーグ・ド・ラ・シュヴァスネリ

アドベンチャー(Adventure)・ホライゾン(Horizon)

「冒険」と「探求」をキーワードにした路線。「アドベンチャー(Adventure、2008年)」は荒野の力強さを、「ホライゾン(Horizon、2016年)」は「大地と大気の境界線」をコンセプトに、調香師オリビエ・ペシュー(Olivier Pescheux)とジャック・ユクリエ(Jacques Huclier)が制作した。グレープフルーツ・ローズマリー・ジンジャーのトップから、ベチバーとカカオのベースへと続く、アースとエアのデュアリティを表現した香りである。

ブレンド・コレクション(Blend Collection)

2014年以降、「レザー・ブレンド(Leather Blend)」「アガー・ブレンド(Agar Blend)」「アンバー・ブレンド(Amber Blend)」「ウッド・ブレンド(Wood Blend)」など、単一素材の個性を前面に出したラインが展開された。これはニッチ香水市場への接近を意図した試みとも解釈できる。

ちなみに…

ピエール・ブルドンとクリード家のあいだに渦巻く謎

クール・ウォーターを語るうえで、しばしば話題に上るのが、その調香師ピエール・ブルドンとクリード(Creed)の関係だ。ブルドンが1985年の「グリーン・アイリッシュ・ツイード(Green Irish Tweed)」の制作に関わったという説に加え、クリード家との関係悪化を経て、自ら開発したフォーミュラをより軽やかなオードトワレ仕様へ作り直したものが、1988年のダビドフ クール・ウォーターだった、という物語も愛好家の間で語られている。ただし、関係悪化や同じ処方からの作り直しという経緯を裏づける一次資料は確認できず、確定したブランド史とは区別したい。二作品の香りの近さや作者をめぐる議論は、今も香水愛好家の関心を集めている。

コティは2025年、このクール・ウォーターの誕生秘話を追ったドキュメンタリー映画「ピエール・ブルドン、ジェントルマン・パフューマー(Pierre Bourdon, Gentleman Perfumer)」を公開した。ブルドン本人がマルセル・プルーストの『失われた時を求めて』を読んで調香師を志したこと、また香水をシューベルトのセレナーデにたとえたことが明かされている。

「ほんの少しの音符で、形が生まれ、雰囲気が生まれ、渇望が生まれる。それは中毒になる——もう一度聴きたくなる。それが本当の香水だ。」
― ピエール・ブルドン

スヌープ・ドッグも愛用していた?

1993年のヒップホップ・アルバム『ドッグスタイル(Doggystyle)』所収の楽曲「ロディ・ロディ(Lodi Dodi)」のなかで、若きスヌープ・ドッグはデイリーのフレグランスルーティンとして「ダビドフ クール・ウォーターとジョンソン&ジョンソンのベビーパウダー」を口にしている。香水業界の外から、ストリートカルチャーのアイコンが言及した瞬間として、今もファンのあいだで語り草となっている。

参考文献