「どんな花でも摘んでみれば、グリーンノートが香るでしょう。」
ジョゼフィン・カタパノ、マイケル・エドワーズが紹介した本人の言葉、エセンシェ2013年追悼講演
1918年12月29日、ニューヨーク州ブルックリン生まれ。2012年5月14日没、享年93歳。
エステー・ローダー(Estée Lauder)のユース デュウ(Youth-Dew)、ガイ・ラロッシュ(Guy Laroche)のフィジー(Fidji)、そしてノレル(Norell)。ジョゼフィン・カタパノの作品には、香りの好みだけでなく、香水を買う人の意識まで変えていったものがあります。
豊かに広がる樹脂の香りを作る一方で、摘んだばかりの花に感じる青さにも耳を澄ませる。その二つを支えていたのは、化学を学んだ人の探究心でした。アメリカで女性調香師がまだ珍しかった時代に、作品と後進の育成を通じて道を開いた人物です。
調香史
病院の検査室から、香料会社へ
カタパノは、イタリア系アメリカ人の家庭に生まれました。家族や同僚が親しみを込めて呼んだ名前は、ジョー(Jo)。ハンター高校(Hunter High School)を経てハンター大学(Hunter College)で学び、化学の知識を身につけます。
最初から調香師を志していたわけではありません。第二次世界大戦中に働き始めたのは、病院の検査室でした。しかし、血液を扱う仕事は好きになれなかったといいます。化学への愛着はそのままに、別の働き方を探すことになりました。
1940年代に入社したのが、ヴァン・アメリンゲン・ヘブラー(Van Ameringen-Haebler)です。後にインターナショナル・フレーバー・アンド・フレグランス、通称アイ・エフ・エフ(International Flavors & Fragrances/IFF)へとつながる香料会社でした。
「ジョゼフィンの『鼻』は、1940年代に当社へ入社するまで、まだ見いだされていない才能でした。」
アイ・エフ・エフ、公式人物紹介、2025年
調香師の家に生まれ、幼いころから香料に囲まれていた人とは違います。カタパノの場合は、化学を仕事にしようとした先に香りがあり、そこで自分の才能を発見したのです。
アーネスト・シフタンという師
香料会社でカタパノを導いたのは、アーネスト・シフタン(Ernest Shiftan、1903〜1976年)でした。ヨーロッパの調香の知識をアメリカにもたらし、技術だけでなく、顧客の期待を読み取る力にも優れた調香師です。後にアイ・エフ・エフの副社長を務めています。
カタパノはこの環境で、天然香料と合成香料の両方を使い、香りを組み立てる仕事を学びます。フランスの香水を単に再現するのではなく、アメリカのブランドや消費者が求める香りに応える。その仕事が、やがて自身の代表作へと結びついていきました。
ただし、師と弟子の名前は、作品の記録では区別しておく必要があります。香水専門サイトのボワ・ドゥ・ジャスマン(Bois de Jasmin)は、シフタンとの共作とされることもあるユース デュウについて、カタパノの作品だと説明しています。アイ・エフ・エフも、同作をカタパノが手がけた香りとして紹介しています。
調香師の名前が今ほど表に出なかった時代だけに、作品から作者の姿をたどることには、こうした記録を読み直す意味もあります。
ユース デュウ──女性が自分で香りを買うために
大きな転機となったのは、1953年のユース デュウです。依頼主は、化粧品ブランドを育てていたエステー・ローダー夫人でした。
当時のアメリカでは、香水は男性から女性へ贈られ、特別な日に使うものという見方が根強くありました。ローダー夫人が選んだのは、香水をまずバスオイルとして届ける方法です。入浴のためなら、女性は自分で買うことができる。しかも、そのまま香りとして身につけられるようにしたのです。
ブランドの公式な回顧でも、女性たちはお風呂のために買い、その後、日常の香りとして使い始めたと説明されています。ユース デュウの成功は、香りの構成と、それを生活へ届ける方法が一つになったところにありました。
香水史家のマイケル・エドワーズ(Michael Edwards)は、2013年のエセンシェ(Esxence)の追悼講演で、この制作を詳しく取り上げています。ローダー夫人が求めたのは、いつまでも続くような香り。カタパノは、トルバルサムなどの樹脂や、シベット、サンダルウッドといった素材を使い、厚みと広がりを備えた香りに応えたといいます。
同じ講演では、バスオイルの処方にも触れています。香料を希釈する油性成分としてミリスチン酸イソプロピルを用い、水中に溶け込ませるのではなく、水面に広がった香りを肌にまとわせる。その働きは、肌を覆う見えない薄衣のようなものとして説明されました。
甘い樹脂、スパイス、花、そしてウッディな奥行き。ユース デュウは、わずかな量でも存在を感じさせる香りです。その豊かさは後のアンバー系香水を考える際の重要な参照点になり、イヴ・サンローラン(Yves Saint Laurent)のオピウム(Opium、1977年)との関係も、香水史の中でたびたび語られてきました。ただし、似た系譜にあることと、同じ処方であることは別です。
ユース デュウは1994年、フィフィ賞のフレグランス・ホール・オブ・フェイム(FiFi Fragrance Hall of Fame)にも選ばれています。発売から数十年を経てなお、アメリカの香水史を語るうえで外せない作品となりました。
フィジー──花を自然に近づける、緑の香り
重厚なユース デュウだけでは、カタパノの仕事は語れません。1964年には資生堂(Shiseido)のゼン(Zen)を手がけています。黒いボトルに入った初代の香りで、同じ名を持つ後年の作品とは区別されます。そして1966年、ガイ・ラロッシュ初の女性用香水として登場したフィジーでは、まったく違う表情を見せています。
名前が呼び起こすのは、南太平洋のフィジー諸島です。しかし、その中心にあるのは甘いトロピカルフルーツではなく、花々を包む鮮やかな緑。ガルバナムやヒヤシンスの青さに、ローズ、ジャスミン、イランイラン、カーネーションなどの花が重なり、ウッディな土台へと続いていきます。ボトルはセルジュ・マンソー(Serge Mansau)がデザインしました。
「フィジーを作るにあたり、私は自然に近い、新鮮な花の香りを加えようとしていました。」
ジョゼフィン・カタパノ、マイケル・エドワーズが紹介した本人の言葉、エセンシェ2013年追悼講演資料
冒頭の言葉は、この考えにつながっています。花を摘めば、花弁の香りだけでなく、茎や葉の青さも一緒に感じる。カタパノにとって、グリーンノートは花の美しさを邪魔するものではなく、花を生きた姿へ近づけるものでした。
エドワーズが紹介した制作の話では、天然素材に当時の新しい合成香料を組み合わせ、多くの実験を重ねて、新鮮な効果を探ったといいます。自然らしさを求めることと、化学を使うことは矛盾しません。むしろ、新しい素材があるからこそ、それまで表しきれなかった花の軽やかさを作ることができたのです。
フィジー以前にもグリーン系の香水は存在しています。この作品の意義は、そのジャンルを初めて発明したということではありません。花の親しみやすさと緑の鮮度を結びつけ、身につけやすい形で広く届けたところにあります。
ノレル、そしてチャーリーへつながる仕事
1968年には、ファッションデザイナーのノーマン・ノレル(Norman Norell)と、レブロン(Revlon)を率いたチャールズ・レブソン(Charles Revson)の協力によって、香水ノレルが生まれます。
アメリカのデザイナーズ・フレグランスを語るうえで、重要な初期の一本です。ここでもガルバナムの青さが存在感を放ち、アイリス、カーネーション、ガーデニア、ジャスミン、ローズなどの花々に輪郭を与えています。フィジーに続くグリーン・フローラルの仕事でありながら、仕立てのよい服に通じる、端正な印象を持つ香りです。
エドワーズの著書『アメリカン・レジェンズ(American Legends: The Evolution of American Fragrances)』を紹介したサ・フルール・ボン(ÇaFleureBon)の書評でも、ノレルは香料濃度を高めた大胆な仕事として取り上げられています。繊細な花を、弱々しく終わらせない。そうしたカタパノの技術がうかがえる作品です。
エドワーズの追悼講演によれば、その後、カタパノはレブロンのチャーリー(Charlie、1973年)の開発初期にも関わりました。レブソンがより強い香りを求め、配合を濃くしていくうちにコストの問題が生じ、最終的にはフローラシンス(Florasynth)へ制作が移ったという経緯が語られています。
このため、チャーリーをそのままカタパノの発売作品として数えることはできません。それでも、フィジーからノレルへと続く仕事が、1970年代のアメリカの香りと接点を持っていたことは、見逃せない一面です。
シナバーとジェイ・エイチ・エル──豊かな香りの、その先へ
1978年のシナバー(Cinnabar)は、エステー・ローダーから発売された、ベルナール・シャン(Bernard Chant)との共同作品です。シナモンやクローブを思わせるスパイスに、カーネーションなどの花、樹脂やサンダルウッドが重なります。
前年に登場したオピウムと比較されることの多い香りですが、ユース デュウから続くカタパノ自身の仕事として見ることもできます。香水評論サイトのパフューム・ポッセ(Perfume Posse)は、スパイスから樹脂、ウッディへ移る構成と、長く続く香りを評価しています。濃密な香りの中で、どの素材に輪郭を与えるのか。その組み立て方に注目したい作品です。
続く1982年、アラミス(Aramis)から発売されたジェイ・エイチ・エル(JHL)は、ローダー夫人の夫、ジョセフ・ハロルド・ローダー(Joseph Harold Lauder)の名に由来します。夫のための香りとして作られ、その後、一般にも発売されたと紹介されています。
エドワーズはこの香りを、ユース デュウの世界をウッディで男性的な方向へ展開したものとして語っています。もっとも、作者の記録には違いがあります。カタパノの訃報とパルフモ(Parfumo)は彼女の作品として挙げる一方、フラグランティカ(Fragrantica)はチャントを記載しています。どちらかの名を消して単独作と断定するのではなく、異なる記録が残る作品として見ておきたいところです。
アントニアズ フラワーズ──生花の香りをとらえる試み
カタパノの晩年の仕事を考える際に、関与が伝えられる作品として挙がるのが、アントニアズ フラワーズ(Antonia’s Flowers)です。
フローリストのアントニア・ベランカ(Antonia Bellanca)は、日々扱う花の中でも、とりわけフリージアの香りを香水で表現したいと考えました。1985年に発売されたこの香りには、フリージア、ジャスミン、マグノリア、リリーを思わせる、明るい花束が描かれています。資料によっては1984年とするものもあります。
この作品は、生きた花の周囲に漂う香りを採取・分析し、その印象を再構成するヘッドスペース技術を、早い時期に香水へ生かした例として知られています。花から精油を得ることと、その花が空気中に放つ香りをとらえることは同じではありません。抽出しにくい花の印象を表すうえで、新しい技術が助けになったのです。
調香師として広く記載されるのはチャントです。一方、エドワーズの著書を紹介したサ・フルール・ボンの書評は、カタパノとの共作としています。彼女の関与を伝える資料はありますが、公式な共同クレジットまで確定した作品ではありません。
それでも、花を自然な姿に近づけるために化学を使うという発想は、フィジーで語られた考え方とも響き合います。カタパノの仕事をたどるときには、確かな代表作と、こうした関与の記録を分けて残すことが大切です。
次の女性調香師に、学ぶ機会を
カタパノが残したものは、香水だけではありません。長年アイ・エフ・エフで働き、幹部としての役割も担いながら、後に第一線へ進む調香師たちの成長を支えました。
その一人が、ソフィア・グロスマン(Sophia Grojsman)です。1965年にアメリカへ移住し、翌年アイ・エフ・エフで働き始めたグロスマンは、カタパノとシフタンを師として挙げています。ボワ・ドゥ・ジャスマンによれば、グロスマンに訓練の機会を与えるようシフタンに働きかけたのも、カタパノでした。
自分が調香師として成功するだけでなく、次の人が学べるようにする。その行動に、先駆者としてのもう一つの仕事が表れています。
1980年にはコスメティック・キャリア・ウィメンズ賞(Cosmetic Career Women’s Award)、1993年にはアメリカ調香師協会の生涯功績賞(American Society of Perfumers Lifetime Achievement Award)を受賞しました。
2012年5月14日、カタパノは93歳で亡くなります。家族が寄せた訃報には、作品とともに、姉妹や甥、姪たちを大切にしたジョーの姿が記されています。
「多くの人に『鼻』として知られ、アメリカで名を知られた女性調香師の草分けであるジョーは、エステー・ローダーのユース デュウとジェイ・エイチ・エル、ガイ・ラロッシュのフィジー、ノレル、資生堂のゼンなどを手がけました。」
カタパノの家族による訃報、ディグニティ・メモリアル、2012年
ちなみに、訃報には兄弟のパトリックとジョン、姉妹のカーメラの名も残っています。エドワーズは物静かな人柄を回想していますが、家族の言葉には、愛情深く、生き生きと人生を楽しんだ人の姿もあります。大きく広がる香りと、それを作った人の静かな佇まい。その取り合わせも、カタパノらしいところかもしれません。
名前が、次の世代の称号になる
カタパノの名は、アイ・エフ・エフの中でも受け継がれています。2024年にはナターシャ・コテ=ムザンナール(Natasha Côté-Mouzannar)が、ジョゼフィン・カタパノの名を冠するシニア・パフューマーの称号(Senior Perfumer, Josephine Catapano)へ昇格したと発表されました。
「アメリカで名を知られた初期の女性調香師の一人、ジョゼフィン・カタパノにちなんで名づけられています。」
アイ・エフ・エフ・セント(IFF Scent)、ナターシャ・コテ=ムザンナールの昇格発表、2024年
この称号は、創造面での影響力と、会社の価値観や理念を体現する姿勢を評価するものだと説明されています。かつて作品の陰に隠れがちだった調香師の名前が、今は後に続く人をたたえる名前になっているのです。
ユース デュウの豊かな残り香と、フィジーの花を包む緑。表情は違っても、どちらにも、香りを人の暮らしへ届けようとしたカタパノの仕事が残っています。
調香作品
主な作品と、関与が伝えられる作品をまとめています。ジェイ・エイチ・エルとアントニアズ フラワーズについては、作者資料の違いを併記しました。
| 年 | ブランド | 作品名 | 共同調香師・作者記録 |
|---|---|---|---|
| 1953年 | エステー・ローダー | ユース デュウ。バスオイルとして登場 | カタパノ作。シフタンとの共作表記には異論があります |
| 1964年 | 資生堂 | ゼン。初代の黒いボトルの作品 | ― |
| 1966年 | ガイ・ラロッシュ | フィジー | ― |
| 1968年 | ノレル/レブロン | ノレル | ― |
| 1978年 | エステー・ローダー | シナバー | ベルナール・シャン |
| 1979年 | ラルフ・ローレン(Ralph Lauren) | チャップス(Chaps) | アイ・エフ・エフの人物紹介がカタパノ作として掲載 |
| 1982年 | アラミス | ジェイ・エイチ・エル | 訃報・パルフモはカタパノ作、フラグランティカはチャント作と記載 |
| 1985年(1984年とする資料もあります) | アントニアズ フラワーズ | アントニアズ フラワーズ | 主な記録はチャント。カタパノとの共作を伝える書評がありますが、公式共同クレジットは未確認です |
チャーリーは、エドワーズの講演で開発初期への関与が語られる作品です。発売された香水の作者としては、この表に含めていません。
参考文献
- Dignity Memorial, “Josephine Catapano Obituary”(2012年)
- IFF, “Meet an IFF Pioneer: Joséphine Catapano”(2025年)
- IFF Scent, Natasha Côté-Mouzannar — Senior Perfumer, Josephine Catapano(2024年)
- IFF, “The Unique Journey of American Perfumery”(2025年)
- Esxence 2013, Michael Edwards, “Tribute to Guy Robert & Josephine Catapano”(講演映像)
- Esxence, “Tribute to Guy Robert & Josephine Catapano”(講演資料、Yumpu掲載)
- Bois de Jasmin, “Perfumers on Perfume: Ernest Shiftan”(2015年)
- Bois de Jasmin, “Fragrances That Influenced Perfume History: 100 Great Perfumes Series 2”(2011年)
- Estée Lauder, “Fragrance Firsts”
- Surrender to Chance, “Estée Lauder Youth Dew EDP”
- ÇaFleureBon, “American Legends by Michael Edwards”(2024年)
- Perfume Posse, “Estée Lauder Cinnabar”(2024年)
- Vanity Fair, “The Tale of Antonia’s Flowers”(2013年)
- Fragrantica, “Antonia’s Flowers” ブランド紹介
- Fragrantica, “JHL — Aramis”
- Parfumo, “Josephine Catapano”
- WHAT WE DO IS SECRET, “Sophia Grojsman”
- Perfumer & Flavorist, “Josephine Catapano”(2012年)
- Wikipedia, “Joséphine Catapano”
- Wikipedia, “Fidji (perfume)”


