昔から知っているにおいに触れた瞬間、子どものころの場面が鮮やかによみがえる。そんな経験を、同じ物の写真を見たときと比べた研究があります。
170人の学生が参加した実験では、幼少期と結び付きやすいと選ばれたVicks VapoRubのにおいを嗅いだ人は、その画像を見た人より、思い出の鮮明さを高く評価しました。一方、酢では同じ差は見られませんでした。においなら何でも同じように働くというより、思い出とのつながりが重要だと考えさせる結果です。
「思い出が豊かになる」を、どう比べる?
研究の対象は、本人が過去に経験した出来事の記憶、いわゆる自伝的記憶です。単語を覚える実験とは異なり、日常の中で生まれた思い出を扱っています。
においと記憶の研究には、比べ方の難しさがあります。においを嗅いだ人と写真を見た人が最初から違う出来事を思い出したら、差は手掛かりの働きなのか、もとの記憶の違いなのか分かりません。また、においそのものの効果と、「あの商品だ」と分かったことの効果も重なり得ます。
そこで研究チームは、まず対象の名前を示して、思い出す出来事を選んでもらい、その後ににおいか画像を提示する方法を採用しました。名前で一度手掛かりを与えた上に、感覚の手掛かりを追加する「二段階の手掛かり提示」です。この工夫を通じて、においが画像よりも思い出の主観的な豊かさを高めるかを調べました。
幼少期と結び付くにおいを、事前に選んだ
予備実験では、オランダの大学の学生や職員17人に、10種類のにおいを提示しました。ピーナッツバター、ベビーパウダー、シナモン、コーヒー、日焼け止めなどについて、何のにおいか分かるか、幼少期とどれほど結び付くかを尋ねています。
その中で、Vicks VapoRubは認識されやすく、幼少期との結び付きも強かったため、幼少期に関連する刺激に選ばれました。一方、酢は比較的認識されやすいものの、幼少期との関連が弱く、対照的な刺激として選ばれました。
ここでいう「幼少期に関連する」は、この予備調査の集団での位置付けです。同じ商品を使った経験がない人にまで共通する性質ではなく、何を身近に感じて育ったかが関わります。
170人が、名前から選んだ記憶を思い出し直す
本実験には、オランダの大学で心理学を学ぶ学生170人が参加しました。平均年齢は20歳で、女性が多い集団でした。全員が、まずVapoRubと酢のそれぞれについて、幼少期の記憶を思い出し、短く書きました。
その後、無作為に、実物のにおいを嗅ぐ条件か、商品の画像を見る条件へ割り当てられました。においは内容物が見えない金属容器に入れ、何のにおいか分かるラベルを付けています。画像にも商品名が読める形で示され、画面に10秒間提示されました。
各人は、VapoRubと酢の両方を扱い、どちらを先に提示するかも釣り合わせました。提示後には、最初に選んだ思い出をできるだけ詳しく書き、その記憶をどれほど鮮明に、細かく、感情を伴って感じるかを評価しました。
半数の85人には、感覚の手掛かりを出す前にも同じ3項目を評価してもらいました。論文の「手掛かりなし」は、この提示前の評価を指します。別に85人の無提示対照群がいたという設計ではありません。
VapoRubでは、においのほうが高い評価
主な解析では、鮮明さ、細かさ、感情の強さの3項目を平均し、思い出の主観的な質を表す複合得点にしました。提示前にも評価した人の比較では、VapoRubでも酢でも、感覚の手掛かりを受け取った後に複合得点が高くなりました。この比較には、におい条件と画像条件の両方が含まれます。
研究の中心となる、においと画像の直接比較では、VapoRubの複合得点はにおい条件4.09、画像条件3.57で、におい条件のほうが有意に高くなりました(p=0.04)。酢では、においと画像による有意な差は認められませんでした。
対象の名前を知り、思い出す出来事を先に選んだ後でも、VapoRubでは、実際のにおいを追加することで記憶体験の評価が高まったのです。
特にはっきり差が出たのは「鮮明さ」
3項目を一つずつ見ると、結果はより具体的になります。VapoRubの鮮明さは、におい条件4.58、画像条件3.85で、有意な差がありました(p=0.01)。
一方、細かさと感情の強さは、におい条件の平均が高かったものの、画像条件との差は有意ではありませんでした(それぞれp=0.18、p=0.17)。複合得点の上昇を「細部も感情もすべて強くなった」と一括りにせず、最も明確だったのは鮮明さだと読むと、結果の意味が保てます。
酢では、これら個別の項目にも、においと画像の有意な差は見られませんでした。今回の2刺激の比較は、幼少期と結び付きやすいにおいが、その時期の記憶を鮮明にする手掛かりになり得ることを支持しています。
書かれた文章の感情語には、差がなかった
研究チームは、思い出の記述にどんな言葉が使われたかも調べました。オランダ語版のLIWCという文章分析ツールで、感情全体、肯定的な感情、否定的な感情に関する語が、文章中で占める割合を比較しています。
しかし、VapoRubでも酢でも、におい条件と画像条件に有意な違いはありませんでした。本人が思い出をどう体験したかという評価と、書いた文章に感情を表す語がどれだけ含まれるかは、異なる測定です。
著者らは、鮮明な記憶を思い出しても、その感覚がすべて文章に表れるとは限らないと考察しています。文章分析で差がなかった結果も含めることで、今回捉えたのが主に主観的な記憶体験の変化だと分かります。
懐かしさの手掛かりは、経験によって変わる
この研究では、全員に幼少期の記憶を選んでもらっているため、においのほうが写真より古い記憶を引き出すかは検証していません。また、内容が実際の出来事とどれほど正確に一致するかも確かめていません。鮮明に感じることと、正確に思い出すことは区別が必要です。
使った対象は2種類で、VapoRubと酢には幼少期との関係以外にも違いがあります。一人ひとりに最適な懐かしいにおいを選んだわけではなく、記憶が本人にどれほど重要かも直接測っていません。文化や世代、個人の経験に応じて刺激を選ぶ研究が、次の課題になります。
さらに、最初に名前から意図的に出来事を思い出す手順だったため、街角のにおいで突然、忘れていた記憶が浮かぶ体験をそのまま再現したものとは異なります。その代わり、思い出を先に固定して、においの追加による違いを比較しやすくした設計でした。
まとめ
幼少期と結び付きやすいと選ばれたVapoRubでは、名前から選んだ思い出ににおいを加えた人が、画像を見た人より複合得点と鮮明さを高く評価しました。酢では同じ有意差はなく、細かさ・感情の強さの個別評価や、文章中の感情語にも、においと画像の明確な差は見られませんでした。
思い出す対象を先に決めてから比べることで、においが記憶体験に加える働きを捉えた研究です。何の香りかだけでなく、その香りとどんな時間を過ごしてきたかが、思い出を鮮明にする手掛かりとして重要そうです。
著者らは、申告すべき潜在的な利益相反はないとしています。
参考文献
de Bruijn MJ, Bender M. (2017 online). Olfactory cues are more effective than visual cues in experimentally triggering autobiographical memories. Memory. 原著論文。


