堺で300年なんて古いほうじゃありませんから
中田信浩(梅栄堂16代目社主)
大阪・堺で三百年以上にわたり香を商ってきた梅栄堂(ばいえいどう/BAIEIDO)。その歴史について、16代目社主の中田信浩は、堺では決して特別な長さではないと語っている。
古くから海外との交易で栄え、刃物や染物、香などの技術を育んだ堺。梅栄堂の歩みもまた、外国から運ばれる香木や薬種を扱う商人の仕事から始まった。香料を見分け、組み合わせ、線香として形にする。その技術は江戸時代の専門商、明治の商家、戦後の工場を経て、現在へと受け継がれている。
長い歴史を持つ一方、梅栄堂は古い処方をただ保存してきたわけではない。百年以上続く「好文木」の香りにも改良を重ね、仏事用の線香だけでなく、部屋で香りそのものを楽しむための作品を生み出してきた。変えずに残すものと、時代に応じて変えるもの。その選択に、梅栄堂の香づくりが表れている。
基本情報
- ブランド名:梅栄堂(ばいえいどう/BAIEIDO)
- 創業:1657年(明暦3年)。薬種問屋としての起源は室町時代
- 始祖:大和屋覚右衛門
- 1657年の屋号:沈香屋作兵衛
- 現代表:中田信浩(16代目社主・代表取締役社長)
- 創業地・本拠地:大阪府堺市
- 公式サイト:梅栄堂
創設者とブランドの成り立ち
堺の交易と薬種問屋・大和屋覚右衛門
中世から近世にかけて、堺は海外との交易を通じて多様な品物が集まる都市であった。東南アジアからは沈香、インドからは白檀など、海を越えて香木が運ばれてきた。香料は単に芳香を楽しむための品ではなく、薬や香辛料としても扱われていた。そのため、香木を商う仕事は薬種を扱う商人たちの仕事と深く結びついていた。
梅栄堂の始まりも、そうした薬種問屋の一軒にある。公式の沿革によれば、室町時代に大和屋覚右衛門を始祖として薬種問屋を営んだことが、その起源である。
16世紀の堺では線香の製造が広まっていった。香料を粉末にして用いる抹香に対し、棒状に成形した線香は、火をつけて継続的に香りを立たせられる。香木や漢方薬の知識を持つ薬種商が、その製造と販売に関わるようになったのである。
1657年、沈香屋作兵衛として香の専門商へ
1657年(明暦3年)、梅栄堂の前身は「沈香屋作兵衛」を名乗り、線香や香類を専門に扱うようになった。現在、梅栄堂が創業年として掲げるのはこの年である。
「沈香屋」は堺に特有の呼び名で、薬種問屋のなかでも香を専門に扱う商家に許されたものだった。沈香屋作兵衛は屋号を縮めて「沈作」とも呼ばれ、同業の「沈八」「沈和」と並んで知られるようになる。
江戸時代には、寺院で用いられる香に加え、香りを楽しむ文化も広がっていった。梅栄堂はそうした需要に応じながら、香木の扱いと独自の調合法を受け継いだ。
明治時代になると、屋号は「沈作」から「中田梅栄堂」へと変わる。各宗派の総本山からの注文も受けるようになり、寺院との関係を深めた。1891年の堺の商工業案内には、当時の当主である中田作五郎の名が確認できる。商いの名称や社会の仕組みが変わっても、香をつくり届ける仕事は続いていた。
1945年の堺大空襲と、調合記録からの復興
堺は1945年の空襲によって甚大な被害を受けた。市内に集まっていた線香業者も多くが被災し、梅栄堂も建物や設備などを失った。
しかし、すべてが失われたわけではなかった。中田信浩は、家業に伝わる戦後復興の経緯を次のように説明している。
それでも薬種を調合するレシピは残っていたので
中田信浩
中田によれば、残された調合の記録を手がかりに、先代たちは事業を立て直していった。香の処方が書き留められていたことは、単に同じ材料を再び集めるためだけではなく、梅栄堂が培ってきた香りの組み立て方を復興につなげる意味を持っていた。
戦災からの復興を経て、梅栄堂は戦後の暮らしに香を届け続ける。1950年代には営業車を使った販売活動の記録が残り、1960年代には「好文木」のテレビCMも制作された。伝統的な香を守る商家は、戦後の流通や広告の仕組みにも対応していったのである。
16代目・中田信浩の家業への転身
中田は1962年、堺市に生まれた。1985年に中央大学商学部を卒業し、同年、伊藤ハムに入社する。初めから家業一筋で歩んだのではなく、別の企業で働いた経験を持つ人物である。
1987年、梅栄堂に入社。2001年には代表取締役社長に就任した。
中田が経営を担うようになった時期、日本の線香市場は変化のなかにあった。仏壇を置く家庭の減少などを背景に、従来の仏事用線香の需要は縮小していた。家業を引き継ぐことは、長い歴史を守るだけでなく、その歴史をどのように次の需要へつなげるかを考える仕事でもあった。
梅栄堂は香木を用いた伝統的な線香をつくり続ける一方、コーヒーや緑茶など、生活のなかで親しまれている香りを題材にした線香にも取り組んだ。海外の展示会への出展や、異業種との共同開発も進めている。
ブランドのこだわり
沈香・白檀と漢薬香料を組み合わせる調合
香木の代表が、沈香と白檀である。沈香は、ジンチョウゲ科の樹木に樹脂分が蓄積した部分から得られる香材であり、品質や産地によって香りが異なる。そのなかでも特に優れたものは伽羅と呼ばれる。白檀は、木そのものに芳香を持ち、単独でも香りを楽しめる香木である。
しかし、梅栄堂の線香は、香木を粉にして固めるだけでできるわけではない。桂皮、丁子、龍脳、藿香、安息香など、漢方薬や香辛料とも関わりの深い原料を組み合わせることで香りをつくる。
それぞれの素材は同じ働きをするわけではない。桂皮や丁子は香りに特徴を与え、藿香や安息香は配合のなかで香りの土台や持続性に関わる。貝甲と呼ばれる巻貝の蓋も、香気の調和や保持に用いられる素材である。
香料の品質と配合比率を見極める
天然香料は、産地や収穫時期、個体差によって状態が変わる。同じ名称の原料を仕入れても、すべてが同一の香りになるわけではない。
梅栄堂は原料を選ぶ段階から品質を確認し、香木の香りを聞き比べながら、製品に適したものを選定する。中田も、良質な素材を見極めるため、日頃から香木を聞き比べて感覚を磨いていると説明している。
中田は代表挨拶で、その難しさを端的に表している。
香づくりは非常に微妙なものでございます。
中田信浩
手作業と機械化を組み合わせた線香づくり
梅栄堂の製造工程には、古くからの職人仕事と機械設備の双方が使われている。
線香づくりは、原料の品質検査から始まる。沈香や白檀などの香料を粉末にし、処方に従って計量・調合する。混合した粉末はふるいにかけ、練り上げて粘土状にする。この練った塊は「玉」と呼ばれる。
玉は押出機によって細い線香状に成形され、決められた長さに切られる。その後、乾燥板に並べ、曲がりを整えながら自然乾燥させる。乾燥には季節による違いがあり、公式の工程説明では、夏場は数日、冬場は十日以上を要するとされる。
乾燥の途中では、線香の間隔や曲がりを確認して形を整える。最後に束ね、検品し、包装する。細い線香を均一な形に保つには、香りの配合とは別の技術も求められる。
一方、梅栄堂は機械化にも取り組んできた。製造設備にはコンピューター制御による調合装置があり、原料を定められた割合で供給できる。押出しから寸法を揃える工程までを、一台の機械で行う設備も導入している。
好文木に受け継がれる香りと改良
梅栄堂の歴史を一つの作品から理解するなら、「好文木(こうぶんぼく)」は欠かせない。
好文木とは梅の別称であり、中国の故事に由来する名である。梅栄堂の好文木は、百年以上つくり続けられてきた代表的な線香で、16代目の中田によれば、五代前の当主の時代に生まれた作品である。
好文木には、白檀、桂皮、龍脳などの天然香料が使われる。白檀を中心とする香木の表現に、漢薬香料を組み合わせることで成り立つ香りであり、梅栄堂が得意としてきた調合の考え方を知る手がかりとなる。
中田は、好文木の基本となる香りは維持しながら、時代の変化に合わせて少しずつ改良してきたと説明している。原料の品質を選び続けると同時に、受け継がれた香りをどのように現在へ届けるかを考えてきたのである。
残香飛と、日常の香りを題材にした新しい線香
伝統的な香木の調合と並んで、梅栄堂は日常生活で親しまれる香りを題材とした線香もつくっている。
その一例が、コーヒーの香りを表現した「残香飛(ざんこうひ)」である。香木や漢薬の調合による伝統的な線香とは異なり、焙煎したコーヒーを思わせる香ばしさを題材とし、煙を控えめにした作品である。
同じく緑茶の香りを題材とする線香など、梅栄堂は身近な飲み物や生活の情景を香りとして表現する作品を増やしてきた。
海外展開と異業種との共同制作
梅栄堂は国内の伝統的な販売経路に加え、海外の展示会や異業種との共同制作にも活動を広げてきた。
また、手塚プロダクションとの共同制作では、鉄腕アトムやブラック・ジャックといったキャラクターを題材とするお香を制作。ビームス向けには、定番の好文木を基にした別注の調合も行っている。


