怖い映画を見たときと、穏やかな映像を見たときでは、脇から集めた汗の揮発成分の組み合わせが違っていました。一方、楽しい映像を見たときの成分は一つの型にそろわず、恐怖時に近い人と、穏やかなときに近い人に分かれました。
2020年の研究が探したのは、感情に伴う体臭の「化学的な特徴」です。単一の成分を探すだけでなく、多数の成分の増減をまとめて見ることで、感情状態と関係するパターンを調べました。
同じ24人から、三つの気分の汗を集める
参加したのは19〜34歳の非喫煙の白人男性24人です。約30分の映像を見てもらい、恐怖、幸福感、穏やかでやや快い中立状態を引き出しました。各回は1週間隔で、全員が恐怖、幸福、中立の順に参加しています。幸福条件だけは、楽しい気分を引き出しやすくするため2〜4人が同席しました。
採取前の2日間は食事や香り付き製品などに制限を設け、洗浄したTシャツの左右の脇に吸収パッドを取り付けました。採取後は冷凍保存し、パッドから出る成分を捕集して、二次元ガスクロマトグラフィーと質量分析で調べています。質問紙では、恐怖条件で恐怖感、幸福条件で幸福感がそれぞれ高く、映像による気分の誘導も確認できました。
解析に残ったのは135枚のパッドと1,655の分析ピークです。ピークは装置が捉えた化学的な特徴で、この数だけすべての分子を確定同定したという意味ではありません。研究では、まず条件を区別する組み合わせを探し、そのうえで候補成分を化学的な種類に分けました。
最もはっきり分かれたのは、恐怖と穏やかな状態
成分の組み合わせを使った統計モデルでは、恐怖と中立の違いが最も明確でした。幸福と中立、幸福と恐怖にも統計的な違いがありましたが、後者ほど区別は弱くなっています。モデル内でデータを分けて確かめる交差検証も行われました。
条件の区別に関わる94のピークを詳しく見ると、多くは恐怖時と幸福時がともに中立時より高い、あるいは低いという変化でした。恐怖時だけ、幸福時だけに特徴的な増減もあり、感情ごとに一つの成分が現れるという単純な形ではありませんでした。
なお、論文のモデル指標Q²は恐怖対中立で0.85でしたが、これは人の気分を85%の正答率で言い当てたという数字ではありません。同じ参加者の左右の脇を別試料として扱った探索的な解析で、新しい集団を使った予測の検証はまだ行われていません。
アルデヒド類が高い型と、エステル類が高い型
化学的な候補を整理すると、恐怖時には直鎖状のアルデヒドやケトンなどの信号が高く、中立時にはエステルや一部の環状化合物が高いという傾向が見つかりました。具体的な候補には、前者でヘキサナールやオクタナール、後者で酢酸エチルや酢酸プロピルなどが挙げられています。
ここでの「高い」は、分析装置で得られた信号の比較です。人が感じるにおいの強さや、その成分が感情を伝える力を直接測ったものではありません。また、通常の脇のにおいに関わる脂肪酸類も検出されましたが、条件を区別する94ピークには含まれませんでした。体臭を強く感じさせる成分と、状態の違いを反映する候補成分は、必ずしも重ならないのです。
楽しいときの汗が二つに分かれた理由は、まだわからない
幸福条件の試料には、アルデヒド・ケトン類が高い恐怖時に近い型と、エステルなどが高い中立時に近い型がありました。研究者は「興奮する楽しさ」と「穏やかな楽しさ」の違いではないかと考え、質問紙の回答との関係を調べています。
しかし、二つの型の幸福感はほぼ同じで、自己申告の覚醒度やほかの感情でも十分に説明できませんでした。心拍などの生理指標や身体の動きも含めて調べることが、次の課題になります。なお、型ごとの人数には本文と表で不一致があるため、人数の細かな比較より、二つの傾向が報告された点を重視するのが妥当です。
感情に伴う変化を、どう確かめていくか
この研究では条件の順番が固定され、幸福条件だけ同席者がいました。そのため、実験への慣れや人と一緒にいることの影響を、感情そのものから完全には分けられません。参加者も若い男性に限られます。今後は順番を入れ替え、同席条件をそろえた研究で再現を確かめる必要があります。
また、今回は採取した試料を化学分析に使い、別の人に嗅いでもらう試験はしていません。候補成分を組み合わせて、実際に受け手の反応が変わるかまで検証できれば、成分パターンと感情の伝達を結びつけられます。論文は発汗量にも言及しますが、そこで比較したのは分析ピーク面積の合計です。汗の重さを測った結果と区別して読む必要があります。
まとめ
同じ男性から集めた脇の汗でも、恐怖時にはアルデヒド・ケトン類、中立の穏やかな状態ではエステルや一部の環状化合物が相対的に高いという成分パターンが見つかりました。幸福時はそのどちらかに近い二つの型に分かれ、自己申告の幸福感や覚醒度では説明しきれませんでした。
得られたのは、感情に伴う体臭を「成分の組み合わせ」として調べるための手掛かりです。どの分子が他者への情報になるのかを確かめる、次の実験につながる成果といえます。
研究資金はUnilever R&Dから提供されました。論文では研究当時の同社所属著者が化学分析と関連する統計解析に参加し、ユトレヒト大学の著者が研究設計、汗の採取、自己申告データの解析を主導したと記載されています。著者らは潜在的な利益相反はないと申告しています。
参考文献
Smeets, M. A. M., et al. (2020). Chemical Fingerprints of Emotional Body Odor. Metabolites, 10(3), 84. https://doi.org/10.3390/metabo10030084(公開全文)


