オークモスは、シプレやフゼアの香りを支えてきた天然香料です。ただ、その複雑な成分の中には、接触アレルギーの原因となるアトラノールやクロロアトラノールも含まれます。香りの個性をできるだけ残しながら、これらを減らすことはできるのでしょうか。
Hélène Bougesらが2018年に発表した研究は、酵素を使って対象の成分を別の物質に変え、香料から分離する方法を開発しました。天然の混合物を丸ごと別物に置き換えるのではなく、その中の特定成分を選択的に処理しようとする研究です。
残したい香りと、減らしたい成分
原料のオークモスは、Evernia prunastriという地衣類(菌類と藻類などが共生している生き物)です。そこから溶媒で抽出し、ワックスなどを取り除いて得られる香料が、オークモス・アブソリュートです。多くの成分が混ざっているため、ある成分を減らそうとすると、香りに重要な成分まで失われるおそれがあります。
この研究で対象にしたのは、アトラノールとクロロアトラノールです。研究の背景には、これらの接触アレルギー性と、2018年当時進められていた規制への対応がありました。すべてのアレルギー原因物質を一度に取り除くことが目的だったわけではありません。
従来の分離や化学処理には、香りの変化、工程の複雑さ、資源や時間の消費といった課題があると著者らは考えました。そこで、西洋ワサビ由来のペルオキシダーゼという酵素、略してHRPを利用しています。
水に溶けやすい物質へ変えてから、分ける
酵素は、特定の化学反応を進める触媒として働きます。今回の発想は、HRPと過酸化水素を使い、アトラノールに由来する分子同士を結び付けて、水に溶けやすい物質へ変換することでした。二つの分子に由来する単位が結び付いたものを、二量体と呼びます。
その後、水の層と有機溶媒の層に分けると、水に溶けやすくなった生成物を水側に残し、香料として回収したい部分と分離できます。単にフィルターで元のアトラノールを捕まえる方法ではなく、先に化学的な性質を変えるのです。
研究者らは、まず純粋なアトラノールで反応を調べました。最初に試した条件では変化せず、アルカリ性を強めた条件で、別の物質を経て、水溶性の二量体が得られました。その構造は、核磁気共鳴や質量分析で調べています。
対照実験では、最初の酸化は過酸化水素だけでも起こり、その後の二量体形成に酵素が関わることが分かりました。最初から最後まですべての段階を酵素だけが担っている、という単純な仕組みではありませんでした。
アブソリュート中のアトラノールが大きく減少
次に、実際のオークモス・アブソリュートを処理しました。処理前の試料に含まれるアトラノールは43,000 ppm、約4.3%でした。ppmは百万分率で、ここでは香料原料中の成分濃度を表します。
100 mgの試料を用いて条件を変えた実験では、アトラノールは141 ppmから7 ppmの範囲まで減少しました。最も低い7 ppmが得られたのは、調べた中で過酸化水素量が多く、反応時間が4時間の条件です。どの条件でも同じ残存量になったわけではありません。
さらに、1.2 gへ規模を広げた実験では、処理後のアトラノールは60 ppmで、香料として約91%を回収できました。小規模の最良条件と、規模を広げた条件では、結果を分けて見る必要があります。
クロロアトラノールは、処理後の試料で検出されませんでした。ただし、「検出されなかった」は、分析で捉えられる範囲に見つからなかったという意味で、分子が一つも残っていない証明ではありません。
香りに重要な成分は残った?
研究者らは、処理前後の成分を液体クロマトグラフィーで比べました。これは、混合物の成分を分け、各成分の信号を調べる分析です。全体の組成はおおむね保たれ、香りに重要なメチルアトラテートは、この条件では変化していませんでした。
一方、ほかの成分が全く変わらなかったわけではありません。水と有機溶媒に分ける操作で取り除かれた成分や、少し減少した成分もありました。「対象成分だけを完全に除き、ほかは一切変えない」とまでは言えません。
そこで、人が実際に嗅いで違いを見分けられるかも調べています。56人に、0.5%のエタノール溶液にした試料を三つずつ提示しました。二つは未処理、残る一つは処理後のもので、違う試料を選ぶ三点識別試験です。
処理後の試料を選んだ人は22人でした。三択では偶然でもおよそ三分の一が当たるため、その人数を考慮して判定したところ、今回の試験では、処理前後を有意に嗅ぎ分けたとは言えませんでした。
これは、香りの品質を大きく損なわずに対象成分を減らせる可能性を支える結果です。ただし、二つの香りが完全に同一だと証明したものではなく、より濃い状態、香水に配合した状態、別の評価者でも同じ結果になるかは分かりません。
成分を減らすことと、安全性の確認は別の段階
この研究では、人の皮膚に試料を塗って、アレルギー反応を比べてはいません。特定の成分が減ったという化学的な結果から、処理したオークモスなら誰でも安全に使える、あるいはアレルギーを起こさないと結論することはできません。
著者らは、比較的穏やかな条件と、反応後の分離のしやすさに、製造方法としての利点を見ています。2018年当時の規制に対応しつつ、価値のある天然香料を使い続けるための技術として位置付けました。ただし、この結果だけで現在の製品の法規適合性が決まるわけではありません。
実証されたのはミリグラムからグラムの規模です。工業生産への拡大、溶媒や水の回収、費用、環境負荷を含む工程全体の評価は別途必要です。論文が掲げる持続可能性も、ライフサイクル全体を数値で比べて確認したものではありません。
研究はフランスの地域・大学・公的研究機関などの支援を受け、オークモス原料はIFF-LMR naturalsが提供しました。著者らは利益相反なしと申告しています。
まとめ
酵素を使ってアトラノール類を水に溶けやすい物質へ変えることで、オークモス・アブソリュートから大きく減らせました。主要な香り成分は残り、今回の56人による試験では、処理前後の違いを明確に嗅ぎ分ける結果にはなりませんでした。
研究の意義は、天然香料の複雑さを残しながら、特定の成分を狙って組成を調整する道を示したことです。化学的な選択性と、実際に感じる香りの両方を確認していくことで、原料の個性を生かした加工技術を考えられます。皮膚安全性や製造規模の検証は、その先に必要な別の課題です。
参考文献
Bouges, H., Monchot, A., & Antoniotti, S.(2018). Enzyme-Catalysed Conversion of Atranol and Derivatives into Dimeric Hydrosoluble Materials: Application to the Preparation of a Low-Atranol Oakmoss Absolute. Cosmetics, 5(4), 69. DOI: 10.3390/cosmetics5040069。原著全文(PDF)。© 2018 by the authors. Licensee MDPI, Basel, Switzerland. CC BY 4.0.
地衣類の補足:Natural History Museum(英国自然史博物館), Nature and pollution: what lichens tell us about toxic air。


