お店で香りを使うなら、手の込んだブレンドのほうが魅力を伝えられるのでしょうか。香りそのものを楽しむ場面と、商品を選ぶ場面では、求められる役割が違うかもしれません。
2013年のAndreas Herrmannらの論文は、香りの「複雑さ」と買い物の関係を調べました。中心となる実地実験では、スイスの生活雑貨店で約400人の購入額を比較しています。研究の狙いは、売れたかどうかを確かめるだけでなく、香りを受け取るときの処理のしやすさが、買い物に関わる可能性を検討することでした。
「いい香り」の、その先を調べる
著者らが注目したのは、心理学でいう「処理流暢性」です。言い換えると、入ってきた情報をどれくらいすんなり受け取れるか、という考え方です。香りの心地よさが同程度でも、印象が単純で捉えやすい場合と、いくつもの要素を感じる場合とでは、周囲の商品への反応が変わるのではないか。これが研究の仮説でした。
比べたのは、オレンジの香りと、オレンジにバジルと緑茶を組み合わせた香りです。予備試験では、複雑さには差がある一方、心地よさやなじみなどには統計的に明確な差が見られない組み合わせとして選ばれました。ただし、「明確な差が見つからなかった」ことは、二つの香りがあらゆる点で完全に同じだという証明ではありません。
ここでの「シンプル」は、人が受け取る香りの印象についての区別です。オレンジ精油を使った香りを、化学的に一つの分子だけからできたにおいという意味で扱ってはいません。
同じ店で、日ごとに香りを変えた
実験は、皿やかご、カーテンなどを扱うスイス北部の生活雑貨店で行われました。18平日の調査期間に、オレンジ、オレンジ・バジル・緑茶、香りを加えない条件を日ごとに割り当てました。広告、価格、品ぞろえは一定に保ち、残り香を避けるため条件の切り替えにはデータを集めない日を設けています。
対象は、店内に5分以上滞在し、実際に商品を購入し、調査に応じた客です。購入額は回答だけで済ませず、レシートと照合しました。したがって、これは「買いたいと思ったか」という意向の調査より、実際の支出に近いデータを使った比較です。
オレンジの日は、調査対象者の平均購入額が高かった
平均購入額は、オレンジの条件で56.83スイスフラン、ブレンドの条件で43.11スイスフラン、香りを加えない条件で45.96スイスフランでした。著者らの解析では3条件全体の差はp=0.04で、事後比較でもオレンジ条件はほかの2条件より高いという結果でした。ブレンドと無香条件の間には明確な差が見られませんでした。
この結果の読みどころは、香りを加えた二つの条件が同じ方向の結果にならなかった点です。もし「気持ちのよい香りがあれば、同じように買い物が増える」という説明だけで十分なら、なぜ二つの香りで購入額が異なったのかが残ります。著者らはここに、香りの複雑さに注目する理由を見いだしました。
ただし、この店頭実験だけでは、客が香りを処理しやすくなり、その結果として支出が増えたという心の動きまで確かめられていません。売上に近い結果と、その結果が生じた仕組みは、分けて読む必要があります。
仕組みを探るため、別の実験室研究も行った
論文では店頭実験に加え、文字を並べ替えて単語を作る課題と、架空の買い物課題を用いた実験も行っています。著者らは、単純な香りの条件で課題成績や回答速度、商品選択の結果がよくなる傾向を、処理流暢性の説明を支える材料としました。
架空の買い物では、オレンジ条件で選んだ商品の合計金額が高く、選択にかかった時間が短いという結果が報告されました。選択時間を介した関係の統計解析も行われています。実際の店で見えた購入額の違いを、別の場面から説明しようとした構成です。
それでも、架空の買い物は現実の会計とは異なります。課題を速く終えたことも、香りの情報処理だけを直接測るものではありません。複数の結果が一つの説明と整合することと、その仕組みが唯一の原因だと証明されることの間には、距離があります。
約400人という数字だけでは解消しない限界
店頭の結果を広げて読むとき、まず注意したいのは、条件を変えた単位が「日」であることです。同じ日に来た客は、天候や混雑、客層など共通する影響を受けます。ところが、報告された比較は客ごとの購入額を使った解析です。約400件の記録があっても、約400人を独立に別々の香りへ無作為に割り当てた試験と同じ精度が保証されるわけではありません。
もう一つは、購入した客だけを調べたことです。何も買わずに帰った人や、5分未満で退店した人は含まれません。仮に香りが「買うかどうか」や「店に残るかどうか」に影響していたなら、調査対象に入る人自体が条件によって変わる可能性があります。そのため、今回の平均購入額から、来店客全体の購入率や店全体の売上増加率を計算することはできません。
さらに、実地実験は一つの店、比較した香りも特定の組み合わせです。この結果から、どの店でもオレンジが最適、複雑な香水は好まれない、という結論には進めません。背景として空間に漂う香りと、商品として向き合って選ぶ香水では、香りへの注意の向け方も目的も異なるからです。
まとめ
約400人の店頭比較では、シンプルなオレンジの香りの日に、調査に応じた購入者の平均支出が高くなりました。著者らは実験室での課題も組み合わせ、香りの複雑さと情報処理のしやすさが、買い物に関わる可能性を示しました。
この研究が加えたのは、香りの心地よさだけでなく、印象の捉えやすさにも注目する視点です。背景にある香りの特徴が、目の前の商品を選ぶ行動とどう結びつくのかを検討しました。ただし、日ごとの割り当てや購入者に限った集計を踏まえると、同じ効果が広く起きるかは未確定です。ほかの香りや店舗でも、来店客全体の購買と処理のしやすさを合わせて確かめることで、この仮説をより確かなものにしていく必要があります。
注:原著の総数と群別人数に1人の差があるため、約400人と表記しています。
参考文献
Herrmann, A., Zidansek, M., Sprott, D. E., & Spangenberg, E. R.(2013)The Power of Simplicity: Processing Fluency and the Effects of Olfactory Cues on Retail Sales. Journal of Retailing, 89(1), 30–43(オンライン公表2012年)。
DOI:10.1016/j.jretai.2012.08.002
原著全文:Washington State University公開PDF
権利表記:© 2012 New York University. Published by Elsevier Inc. All rights reserved.


