「私が監督だとすれば、香料は映画に登場する俳優たちです」
— ニコラ・ドゥウィット(創設者兼クリエイティブディレクター)
ホテルの一室、最後のカクテル、窓から差す光、旅先での出会い、誰かの肌に残る前夜の香り。CHAMBRE52(シャンブル サンカン ドゥ)は、そうした私的な記憶を「物語」として書き、それを香水へ翻訳するパリ発のフレグランスメゾンである。
ブランド名が示すのは、ブラジル・サンパウロのホテルに実在した「52号室」。しかし、シャンブル サンカン ドゥが目指すのは、創設者ひとりの記憶を閉じ込めることではない。香水をまとう人が自身の物語を重ねられる、世界に開かれた部屋をつくることである。
基本情報
ブランド名:CHAMBRE52(シャンブル サンカン ドゥ)
意味:フランス語で「52号室」
設立:2024年、フランス・パリ(同年11月デビュー)
創設者:Nicolas Dewitte(ニコラ・ドゥウィット)
拠点:パリ、フランス
主な製品:オードパルファン、エクストレ・ドゥ・パルファン、ヘアパフューム、パフュームキャンドル
公式サイト:https://www.chambre52.com/ 日本語での読みは「シャンブル サンカン ドゥ」。数字の52をフランス語で読むと「サンカント・ドゥ」に近いが、日本ではブランド公式表記として「サンカン ドゥ」が用いられている。
創設者とブランドの成り立ち
カリブ海からパリへ
ニコラ・ドゥウィットは、カリブ海の小さな島に生まれ、パリで育った。のちにフランス、カリブ海地域、イタリア、スペイン、ブラジル、アメリカで暮らし、訪れた国は70カ国を超える。幼い頃から続く移動と出会い、とりわけ海への親近感は、のちの「ソレイユ トンカ」や「ボワ フロッテ」にも流れ込んでいる。
ボガート・グループの年次報告書によれば、ドゥウィットは経済学の学位と国際商取引の修士号を取得し、国際事業開発のコンサルティングからキャリアを始めた。国や市場をまたいで事業を育てる経験が、後の香水ブランドの海外展開へとつながっていく。
2006年にはボガートに輸出部門責任者として加わり、2012年からはグループの副社長(Directeur Général Adjoint)を務めた。カーヴェンを含む複数ブランドの香水開発や海外展開に関わり、フランシス・クルジャン、オーレリアン・ギシャール、カロリーヌ・デュミュールら、同時代を代表する調香師たちと仕事を重ねていく。
それは調香師として処方を書く道ではなく、ブランドの意図、消費者の感覚、調香師の表現を結びつける仕事であった。20年以上にわたって香水を「開発する側」に立った経験が、のちに物語を起点として香りを演出する、彼独自のクリエイティブディレクションにつながったのである。
自分の物語を語る決断
他者のブランドを長年プロデュースしてきたドゥウィットは、やがて自分自身の経験を香りで語ることを考え始める。
「2年ほど前、自分のストーリーを香りで語ることを決めたんだ」
— ニコラ・ドゥウィット
転機となったのは、ブラジル・サンパウロへの旅であった。滞在先は、建築家ルイ・オオタケが設計したことで知られるホテル・ユニーク。その52号室で今後について考え、文章を書くうちに、散在していた人生の断片が香水の物語へ変わり始めた。
ドゥウィットはもともと文章を書くことが好きだった。52号室で綴ったのは、旅や出会い、愛、自己との対話、センシュアルな時間など、心を動かされた瞬間である。短いものは2〜3ページのエッセイ、長いものは20ページほどの小説になった。パリへ戻った彼は、それらを6つの香りとして形にすることを決める。
ブランド名は、その創作の起点となった部屋番号から「シャンブル52」とした。ホテルの部屋は一時的で匿名的な場所でありながら、日常から離れて自分と向き合い、ときに人生を変える出会いが起こる場所でもある。この二面性が、ブランドの親密さと開放性を同時に支えている。
赤いプールの記憶
52号室だけでなく、ホテル・ユニークの屋上にある赤いプールも、ブランドの造形を決定づけた。白い外箱と透明なボトルに対し、キャップや内箱へ深い赤が配されているのは、その水面の記憶からである。
「プールに飛び込むと、まるで血の海にダイブするような感じだった」
— ニコラ・ドゥウィット
この赤は、夜、身体、情熱、ブラックチェリー、サフランといった、シャンブル サンカン ドゥの香りに現れるイメージとも重なって見える。構想から香りとデザインの完成までには、およそ1年半を要した。
物語を香りへ変える
シャンブル サンカン ドゥでは、最初に香料のリストを置くのではなく、まず文章が書かれる。ドゥウィットはその物語を調香師へ渡し、感情を担う香料と香りの構成を対話によって探っていく。
ファーストコレクションでは、一つの物語を二人の調香師へ提示し、それぞれの提案から物語への共感がより深い案を選んだ。そこから技術的、ときには直感的な議論を重ね、意図、素材、感情の均衡を詰めていったという。
「まず物語があり、そこから生まれる感情を表現するために、どの香料が最も重要なのかを考える」
— ニコラ・ドゥウィット
彼が判断基準にするのは、単純な好き嫌いではない。「この香りは自分をどこかへ連れて行こうとしている」と感じられるかどうかである。最初の試作品で確信することもあれば、何年取り組んでも製品にならないこともある。ブランド立ち上げ時には既存作品の影響から距離を置くため、約18カ月にわたり他の香水を嗅がず、自らの6作品だけに向き合った。
ここでは、ドゥウィットが映画監督、文章が脚本、香料が俳優、調香師が物語を実演する重要な協働者となる。ブランドフィルムを手がけた映画監督セドリック・ヒメネスも友人でありプロジェクトのパートナーであることを考えると、この映画的な比喩は単なる説明以上に、メゾンの創作方法そのものを表している。
香りは肌の上で完成する
ドゥウィットにとって、調香室で出来上がった液体は、まだ完全な香水ではない。誰かの肌に触れ、感情や親密な時間の一部となったとき、初めて作品になる。
「香りを誰かがまとった瞬間に、残りの半分はその人自身の物語になります」
— ニコラ・ドゥウィット
創設者の記憶を忠実に再現することが、最終目的ではない。香りの構成が物語の半分を担い、残る半分を着用者が生きる。この考え方が、「52号室」を閉じた私室ではなく、他者と物語を分かち合う開かれた空間にしている。
2024年11月、シャンブル サンカン ドゥは6種のオードパルファンでデビューした。翌2025年、「タバコ メモリーズ」はフレグランス・ファウンデーション・フランスのアワードで、若い独立系ブランドを対象とする最優秀ニッチフレグランスに選ばれた。長い企業キャリアを経た新人メゾンが、最も個人的な作品によって早くも評価を得たことは象徴的である。
日本では2025年9月、パリ、ニューヨーク、ロサンゼルスに続くアジア初の展開地として東京で発売された。日本の細部への意識や静かな美しさが、時間をかけた手仕事を重んじるブランドの感覚と響き合うと、ドゥウィットは語っている。
ブランドのこだわり
強さと繊細さの共存
シャンブル サンカン ドゥの香りは、最初に印象を残す強さと、その後に現れる繊細さを同居させようとする。最初の6種のオードパルファンは約20%の濃度で設計されているが、濃さだけを競うのではなく、物語に必要な余韻や肌との距離を重視している。
その中心にあるのは「自己表現」である。香水は他者へ見せる装飾である前に、自分と向き合い、自分らしさを守る「第二の肌」になり得る。オランシェの自立した朝、コーントル タ ポーの親密な余韻、タバコ メモリーズの内省的な夜は、いずれも自分と他者の間に生まれる感情を異なる角度から描いている。
四人の調香師との対話
最初の6作品には、四人の調香師が参加した。カロリーヌ・デュミュールが「オランシェ」と「コーントル タ ポー」、ドミティーユ・ミシャロン・ベルティエが「キュイラ コール」と「タバコ メモリーズ」、ジャン=クリストフ・エローが「ソレイユ トンカ」、ニコラ・ボリューが「ボワ フロッテ」を担当している。
一人の専属調香師で統一するのではなく、物語ごとに異なる感性を迎えながら、ドゥウィットが全体の世界観をつなぐ。この方式により、作品はローズムスク、アクアティック・グルマン、レザー、タバコ、ウッディと広い領域へ展開しつつ、記憶と親密さという共通言語を保っている。
透明なボトルと赤
ファセットを刻んだガラスボトルは、ピエール・ディナンの孫であるジュール・ディナンがデザインした。透明であることには二つの理由がある。ニッチパフューマリーでは香水そのものが主役であること、そして「シャンブル52」が世界や他者に対して閉ざされた空間ではないことだ。
「シャンブル52は閉ざされた空間ではなく、世界と他者に開かれた空間です」
— ニコラ・ドゥウィット
小容量を一般的な50mLではなく52mLとした点や、ボトルに小さく「52」を刻んだ点にも、ブランド名が控えめに反復されている。深い赤のキャップは透明なガラスと白いパッケージを引き締め、ホテル・ユニークの赤いプールの記憶を日常のオブジェへ置き換えている。
フランス国内のものづくり
香水はフランスで製造され、原料はグラースの工房で手作業により計量される。サプライヤーはブルゴーニュ、ブルターニュ、アキテーヌ、製造拠点はノルマンディーに置かれ、短い供給網とフランス国内の技術を重視している。
ボトルは繰り返し補充できる設計で、外箱も全体をリサイクル可能とした。内側の固定材を外せば保管箱として再利用できる。交換頻度を下げ、容器を長く使うという発想は、流行よりも時間に耐えるオブジェを目指すデザインと一貫している。
香水ラインナップ
ファーストエディション
2024年のデビューコレクションは、ドゥウィットが書いた6つの物語に対応する6作品で構成される。いずれも52mLと100mLのオードパルファンで展開され、6種各2mLのディスカバリーセットも用意されている。
| 香水 | 調香師 | 主なノート | 描かれる情景 |
|---|---|---|---|
| タバコ メモリーズ | ドミティーユ・ミシャロン・ベルティエ | サフラン、イリス、タバコリーフ | サンパウロの夜と、52号室で記憶に向き合う内省 |
| コーントル タ ポー | カロリーヌ・デュミュール | ネロリ、オレンジブロッサム・アブソリュート、バニラ・アブソリュート | 愛する人の肌に前夜の香りが残る朝 |
| キュイラ コール | ドミティーユ・ミシャロン・ベルティエ | ピンクペッパー、パチョリ、レザー | カクテル、ダンス、キスへと熱を増す夜 |
| ボワ フロッテ | ニコラ・ボリュー | フルール・ド・セル、シダー、サンダルウッド | 波と時間に磨かれた流木、海辺の静かな内省 |
| ソレイユ トンカ | ジャン=クリストフ・エロー | 海の飛沫、ココナッツウォーター、トンカビーン | 温かな砂、波、陽光に包まれる解放感 |
| オランシェ | カロリーヌ・デュミュール | ライチ、ローズ、ホワイトムスク | 清潔なリネンに包まれ、ひとりで目覚める自由な朝 |
タバコ メモリーズ
コレクションの中心に位置する、ドゥウィット自身が「最も個人的」とする作品である。サンパウロからパリへ戻る前夜、街とバーを巡った後に52号室へ戻り、最後の一杯を傍らに記憶を辿った時間から生まれた。サフランとイリスの華やかさ、タバコリーフの包み込むような煙、赤いプールを思わせるサワーチェリーの気配が、苦い記憶を受け入れて前へ進む心の変化を描く。
2025年の受賞を経て、2026年には「タバコ メモリーズ エクストレ」が加わった。ブラックチェリーを大胆に強め、サフラン、アイリス、タバコアブソリュート、オークモス、ラブダナムなどで原作の記憶をさらに濃くしたエクストレ・ドゥ・パルファンである。ボトルの赤は外側ではなく内側へ施され、感情が人の内に宿るという発想を、小さな工房の手仕事で表現している。
コーントル タ ポー
約20年前、ドゥウィットがイビサのホテルで妻へプロポーズした記憶から着想した。ネロリとオレンジブロッサムの光をバニラが包み、親密な夜の翌朝、相手の肌から香りがもう一度立ち上がる瞬間を描く。名称は「あなたの肌に寄り添って」という意味合いを持ち、肌によって香りが変わり、着用者の物語が加わるというブランド哲学を最も直接的に表している。
キュイラ コール
ピンクペッパーからパチョリ、レザーへと熱を増す、陶酔的な一夜の物語である。ミシャロン・ベルティエは、マダガスカル産バニラポッドが持つ温かく革のような官能性を出発点に、スモーキーレザー、スエード、動物的なムスク、スパイスを重ねた。
ボワ フロッテ
海を漂い、塩と時間に磨かれた流木を「旅への招待」として捉えた作品である。ボリューは、湿った木の表情を持つ香料クールウッド、ナツメグ、ターメリックリーフ、塩気、ブラックペッパーなどを用い、漂白された色、滑らかさ、粗さという流木の質感を香りへ翻訳した。
ソレイユ トンカ
海の飛沫と軽やかなココナッツウォーターに、トンカビーンのクリーミーな温度を重ねた。海を愛するドゥウィットの感覚が色濃い一本で、ジャン=クリストフ・エローはココナッツを帯びたトンカを、アンブロクサンによって現代的な持続性と透明感のある海辺の香りへ整えている。
オランシェ
「オランシェ」は、カリスマ性があり、現代的で洗練されていたというドゥウィットの曽祖母の名前である。同時に、女性が創作し自立するための場所を論じたヴァージニア・ウルフの『自分だけの部屋』にも触発された。ライチ、ローズ、ホワイトムスクが、清潔なリネンの中でひとり静かに目覚める自由を表す。
旅をするセット
ディスカバリーセットにはファーストエディション6種を各2mLで収録する。トラベルセットは各10mLの3本組で、「マイアミ」がタバコ メモリーズ、ソレイユ トンカ、コーントル タ ポー、「パリ」がボワ フロッテ、キュイラ コール、オランシェという構成である。前者は陽光と官能性、後者はウッディ、レザー、ローズムスクの端正な陰影をまとめている。
肌から髪、空間へ
2026年には、オランシェ、ソレイユ トンカ、コーントル タ ポーの3作品がヘアパフュームへ展開された。すべてを機械的に別製品へ広げるのではなく、髪の動きと相性が良いと直感した香りだけを選んだという。
同年のパフュームキャンドルは「ユヌ シャンブル ア ソワ」「ラスト ドリンク」「ソレイユ トンカ」の3種。ジュール・ディナンが手がけた深紅のラッカーガラスに、ミネラルとヴィーガンワックスのブレンドを収め、約50時間の燃焼を通して香り、光、時間を一つの室内体験へまとめている。
香水が肌の上で着用者との共同作品になるのに対し、キャンドルは家という私的な空間そのものを「部屋」に変える。シャンブル サンカン ドゥという名を、製品カテゴリーを超えて最も素直に拡張したコレクションといえるだろう。
ちなみに…
「52」は容量にも潜んでいる
ファーストエディションの小さいボトルは50mLではなく52mL。ボトル表面にも「52」が小さく刻まれており、使い始めてしばらくしてから気づくような発見として設計されている。
オランシェは架空の名ではない
詩的な響きから創作上の人物名にも思えるが、オランシェはドゥウィットの曽祖母の実名である。家族の記憶と『自分だけの部屋』の思想が重なることで、一人の女性への肖像が、自由と自立を表す香りへ広がった。
妻へのプロポーズもホテルで
ブランド誕生の場所がサンパウロのホテルだっただけでなく、コーントル タ ポーの原点もイビサのホテルで妻へプロポーズした記憶にある。ドゥウィットにとってホテルの部屋は、移動の途中にある匿名の空間であると同時に、人生の重要な場面が刻まれる親密な舞台なのである。
参考文献
- 「香料は映画に登場する俳優たち」。ニコラ・ドゥウィットが描く香りの物語
- 【香水連載 vol.27】まもなく日本初上陸する「CHAMBRE52」とは?
- Inside new niche fragrance brand Chambre52
- BOGART 2024年度年次報告書 — Nicolas Dewitteの経歴(本文30頁)
- Bogart innovates in perfumes and enhances synergies with its retailer network
- CHAMBRE52公式「À propos」— 調香師と制作体制
- Fragrance Foundation France — Tobacco Memories受賞記録
- フランス発のフレグランスブランド「CHAMBRE52」が日本上陸
- CHAMBRE52公式「Engagement」— 製造、供給網、容器設計
- CHAMBRE52公式「Parfums」— 香水およびセット構成
- CHAMBRE52公式「Tobacco Memories」
- より深く鮮明に。シャンブル サンカン ドゥが「タバコ メモリーズ エクストレ」を発売
- CHAMBRE52公式「Contre ta Peau」
- CHAMBRE52公式「Cuir à Corps」
- CHAMBRE52公式「Bois Flotté」
- CHAMBRE52公式「Soleil Tonka」
- CHAMBRE52公式「Orencie」
- 空間を香りとオブジェで彩る。シャンブル サンカン ドゥから、3種のパフュームキャンドルが登場
- CHAMBRE52公式「Bougies」
- Ohtake公式「Unique Hotel」



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