「音楽と香水は同じ言語を話しているのだと気づきました。作曲し、ノートとアコードからなる処方を書くのです。」
オリヴィエ・ポルジュ、シャネルの映像『I Am a Nose』での発言を紹介したザ・パフューム・ソサエティ
1974年7月30日、フランス・グラース生まれ。
父の仕事を継ぐつもりはありませんでした。音楽を愛し、美術史を学び、手を動かして何かをつくる仕事に惹かれていた青年が、やがてシャネル(Chanel)の4代目の専属調香師となります。
オリヴィエ・ポルジュの歩みは、単純な家業の継承ではありません。父のもとを離れて学び、ディオール オム(Dior Homme)やフラワーボム(Flowerbomb)などを生み出してから、シャネルへ戻りました。受け継ぐものと、自分で変えるもの。その間にある創作の余地を、今も探し続けています。
調香史
香水よりも、音楽と絵画の近くで
父は、シャネルで長く香水づくりを率いたジャック・ポルジュ(Jacques Polge)です。父が同社の3代目専属調香師になった1978年、オリヴィエは4歳でした。
家には小さな香水のサンプルが置かれていましたが、家庭の話題が香水一色だったわけではありません。絵画について話すことも多く、画家のアトリエに漂うテレピンの香りも記憶に残っています。湿った石や、休暇先のゴム製のブイといった、ありふれた匂いもまた、幼少期の風景の一部でした。
最初に夢中になったのは音楽です。ピアニストへの憧れはあったものの、その道で生きるほどの腕前ではないと感じ、美術史を学ぶ道へ進みます。製本や紙を扱う仕事にも関心がありました。何かをつくりたいという気持ちはあっても、その対象がまだ香水に定まってはいなかったのです。
原料を量る手仕事が、進路を変えた
転機は、美術史を学んでいた時期のインターンシップでした。父の働く研究室で、サンダルウッドの精油などを量る仕事を経験します。
精油、樹脂、粉末。それぞれに重さや粘りがあり、植物の収穫や季節と結びついている。遠くから眺めていた調香は、思っていた以上に具体的な手仕事でした。音楽や美術に向かっていた関心が、目の前の素材へつながった瞬間です。
香水を学びたいと申し出た息子に、ジャックは自分で教える道を選びませんでした。外へ出て、別の人々から学ばせたのです。オリヴィエも後に、父から受け継いだのは技法だけではなく、感性や趣味の土台だったと振り返っています。
グラースのシャラボ(Charabot)、続いてジュネーブのエーシーエム(ACM)で訓練を重ねます。修業には、5種類以内の原料で古典的な香水の主要アコードを再現する課題もありました。少ない素材で、何を残せばその香りになるのか。その問いは、後の仕事に残り続けます。
アイ・エフ・エフで、自分の仕事を持つ
1998年、アイ・エフ・エフ(IFF/International Flavors & Fragrances)へ入社。ニューヨークで、カルロス・ベナイム(Carlos Benaïm)やソフィア・グロスマン(Sophia Grojsman)らの仕事に触れ、国際的な香水ビジネスの中で経験を積みました。
2003年には、同社に在籍したままフランスへ戻ります。本人はこの帰国を、自分の感性に近い香水文化との再会として語っています。
2005年のディオール オムでは、デザイナーのエディ・スリマン(Hedi Slimane)と直接やりとりしながら、アイリスを中心とした男性香水をつくりました。男女の香りの分類に収まりきらない、化粧品を思わせる粉っぽさや、木とレザーの表情が共存する香りです。
「とても少ない原料を、きちんと整った姿に仕上げる。それが、私の目指したことでした。」
オリヴィエ・ポルジュ、ディオール オムについて、国際香水賞の受賞者インタビュー、2009年
アイリスの存在を明確に打ち出し、当時の男性香水に新しい選択肢を示しました。この2005年のオリジナルは、後年の同名作とは異なる香りです。
同年には、ヴィクター&ロルフ(Viktor & Rolf)のフラワーボムも登場。カルロス・ベナイム、ドミティユ・ミシャロン=ベルティエ(Domitille Michalon Bertier)らとの協働から生まれた、豊かな花と甘さを持つ香水です。
2012年のランコム(Lancôme)、ラ ヴィ エ ベル(La Vie Est Belle)は、ドミニク・ロピオン(Dominique Ropion)、アン・フリッポ(Anne Flipo)との共同作。アイリスにプラリネやバニラの甘さを重ねた開発には、3年、5,521回の試作を要したと紹介されています。これをオリヴィエ一人の処方や発想へ還元せず、三人の共同制作として読むことが大切です。
2009年には国際香水賞(Prix International du Parfum)を受賞しました。10月21日の授賞式でトロフィーを渡したのは、音楽家ウィリアム・クリスティ(William Christie)。音楽を愛する調香師にとって、印象的な節目だったでしょう。
父と二人で働き、4代目へ
2013年、シャネルはオリヴィエの参加を発表し、同年9月から父ジャックや研究開発責任者クリストファー・シェルドレイク(Christopher Sheldrake)と働く体制になります。2015年、父の退任に伴い、香水づくりを率いる立場を引き継ぎました。
エルネスト・ボー(Ernest Beaux)、アンリ・ロベール(Henri Robert)、ジャック・ポルジュ、そしてオリヴィエ。これはシャネルの香水制作を率いた4人の系譜であり、同社で働いた調香師が合計4人だけという意味ではありません。
オリヴィエに求められたのは、父の作品をつくり直すことでも、歴史から離れて自分だけの香りを置くことでもありません。膨大な処方と原料の蓄積を理解し、その中から、今のシャネルとして意味のある香りを考える仕事でした。
ミジアとガブリエル──人物から生まれる花
2015年のミジア(Misia)は、オリヴィエがシャネルで発表した最初の作品です。名前の由来は、ガブリエル・シャネル(Gabrielle Chanel)の友人で芸術家たちの支援者でもあった、ミジア・セール(Misia Sert)。
スミレ、ローズ、アイリスを思わせるパウダリーな香りには、バレエの舞台裏や舞台化粧のイメージが重なります。人物の肖像を直接描くのではなく、その人を取り巻く文化や場所の空気から香水をつくる。レ ゼクスクルジフ ドゥ シャネル(Les Exclusifs de Chanel)の物語を、自分の感性で継ぐ一作でした。
2017年のガブリエル シャネル(Gabrielle Chanel)では、ジャスミン、イランイラン、オレンジブロッサム、グラースのチューベローズを組み合わせ、想像上の白い花を描きます。父が手がけたチャンス(Chance、2002年)以来となる、新しい女性香水の柱として紹介された作品です。
N°5を中心に、新しい着こなしを考える
シャネルの専属調香師は、新作だけをつくる仕事ではありません。N°5のような既存の香水を、原料の品質とともに守り続ける役割があります。
1987年から続くミュル家(Mul)との協力関係は、その仕事を支えるものです。グラースの花を育て、収穫し、抽出して香料にする。アイリスのように、栽培と乾燥に長い時間を要する素材も扱います。自然の変動と、香水の変わらない印象。その間をつなぐために、畑と研究室の両方が必要なのです。
2016年のシャネル N°5 ロー(N°5 L’Eau)では、元の香水の個性を残しながら、より軽やかな表現を探りました。花やアルデヒドの骨格を見つめ直し、柑橘や木、ムスクの明るさへつなぐ。過去を保存するだけでなく、今の人がまとえる形を考えることも、継承なのです。
自然の再現ではなく、香水をつくる
グラースの花を大切にしていても、目指しているのは花の忠実な複製ではありません。オリヴィエは、ガブリエル・シャネルが求めた「人工的な香水」という言葉を、繰り返し説明しています。
「私たちはいつも、自然そのものの香りから離れて、より抽象的なものにしようとしています。」
オリヴィエ・ポルジュ、パーソレーズ、コメット発表時のインタビュー、2024年
ローズやジャスミンを組み合わせ、どれか一輪とは違うものをつくる。異なる布からドレスの輪郭を形づくることにも似た発想です。素材がよいだけでは、香水にならない。何を組み合わせ、どのような形を与えるかに、調香師の仕事があります。
その考えは、2016年のボーイ シャネル(Boy Chanel)にも表れています。男性香水の伝統的なフゼアを出発点にしつつ、女性がまとったときの魅力へ目を向けた作品です。
「中間の香水をつくろうとしたのではありません。とても男性的な香水をつくろうとしたのです。性別は、それをまとう人が与えるものですから。」
オリヴィエ・ポルジュ、ウィメンズ・ウェア・デイリーでの発言を紹介したアウト、2016年
コメット──粉のようで、光のような香り
2024年に登場したコメット(Comète)の視覚的な出発点は、ガブリエルが1932年に発表したダイヤモンドのジュエリーです。彗星をかたどったネックレスのきらめきを、香りへ移そうとしました。
「輝きと、星屑の印象から始めました。パウダリーなノートを集めながら、とても明るいままでいることに、面白さを感じたのです。」
オリヴィエ・ポルジュ、ザ・グロスのインタビュー
アイリス、ヘリオトロープ、ムスク。アーモンドを思わせる柔らかさはあっても、単純に菓子の甘さへ向かう香りではありません。花の印象から温かさを生み、粉っぽさと光を両立させています。
オリヴィエがアイリスに惹かれるのも、それが花、木、パウダーのどれかひとつに収まらないからです。ひとつの原料の中に、複数の方向へ開く可能性を見ています。
ブルーの、さらに深い表情へ
父が2010年に発表したブルー ドゥ シャネル(Bleu de Chanel)にも、オリヴィエは新しい章を加えました。2018年にはパルファム版、2025年にはレゼクスクルジフ(L’Exclusif)を発表しています。
レゼクスクルジフでは、クリーミーにも感じられるサンダルウッドに、より暗くスモーキーな表情を与えました。単に濃くするのではなく、香りの中にある異なる力を引き合わせる仕事です。
「完璧な香水というものはありません。香水の個性は、緊張から生まれるのです。」
オリヴィエ・ポルジュ、バッスルのインタビュー、2025年
少ない素材を使うことは、単調にすることではない。この言葉は、ミニマリズムと豊かな表情が、彼の中で矛盾しない理由を伝えています。
ちなみに…
香りの仕事を選んだ後も、音楽への関心は変わりません。美術館やギャラリー、コンサートに足を運び、朝のコーヒーや焼きたてのパンにも、気持ちを動かす香りを見つけています。
2025年のインタビューでは、ふだんの仕事中は香水をつけず、周囲を中立に保つと話しました。一方で、愛用する香りとしてシャネルのプール ムッシュウ(Pour Monsieur)も挙げています。「香水を一切つけない人」というより、仕事の日と香りを楽しむ時間を分けているようです。
若い自分への助言を尋ねられた際は、急ぎすぎないことを挙げました。モットーは「幸せでいること」。歴史あるメゾンの責任を引き受けながらも、創作を楽しむ余白を失わない姿勢がうかがえます。
調香作品
共同作者の記録は資料によって差がある場合があり、その箇所は注記しています。「—」は、この一覧で共同調香師を併記していないものです。
アイ・エフ・エフ時代に制作した主な作品
移籍後に発売された作品も、この表に含めています。
| 年 | ブランド | 作品名 | 共同調香師 |
|---|---|---|---|
| 2001 | アルマーニ(Armani) | エンポリオ アルマーニ ホワイト フォー メン(Emporio Armani White for Men) | カルロス・ベナイム |
| 2002 | リズ・クレイボーン(Liz Claiborne) | ボラ ボラ プール オム(Bora Bora pour Homme) | パスカル・ゴーラン(Pascal Gaurin)、ジャン=マルク・シャイラン(Jean-Marc Chaillan) |
| 2004 | ディオール(Dior) | ピュア プワゾン(Pure Poison) | カルロス・ベナイム、ドミニク・ロピオン |
| 2004 | アザロ(Azzaro) | ヴィジット フォー ウーマン(Visit for Women) | ドミティユ・ミシャロン=ベルティエ |
| 2005 | ディオール | ディオール オム | — |
| 2005 | ヴィクター&ロルフ | フラワーボム | カルロス・ベナイム、ドミティユ・ミシャロン=ベルティエ。ロピオンを含む記録もあり |
| 2005 | ブルガリ(Bvlgari) | オ パフメ オーテルージュ(Eau Parfumée au Thé Rouge) | — |
| 2005 | ゲラン(Guerlain) | キュイール ベルーガ(Cuir Béluga) | — |
| 2006 | アルマーニ | アルマーニ コード フォー ウーマン(Armani Code for Women) | ドミニク・ロピオン、カルロス・ベナイム |
| 2006 | ランコム | ミラク フォーエバー(Miracle Forever) | ドミニク・ロピオン |
| 2007 | サルヴァトーレ フェラガモ(Salvatore Ferragamo) | エフ バイ フェラガモ プール オム(F by Ferragamo pour Homme) | — |
| 2008 | バーバリー(Burberry) | ザ ビート(The Beat) | ドミニク・ロピオン、ベアトリス・ピケ(Béatrice Piquet) |
| 2008 | ドルチェ&ガッバーナ(Dolce & Gabbana) | ザ ワン フォー メン(The One for Men) | — |
| 2008 | ケンゾー(Kenzo) | ケンゾー パワー(Kenzo Power) | — |
| 2008 | ブルガリ | ジャスミン ノワール(Jasmin Noir) | ソフィー・ラベ(Sophie Labbé) |
| 2009 | ディーゼル(Diesel) | オンリー ザ ブレイブ(Only The Brave) | アリエノール・マスネ(Aliénor Massenet)、ピエール・ワルニエ(Pierre Wargnye) |
| 2009 | ジル サンダー(Jil Sander) | ジル(Jil) | ブルーノ・ジョヴァノヴィック(Bruno Jovanovic) |
| 2010 | バレンシアガ(Balenciaga) | バレンシアガ パリ(Balenciaga Paris) | — |
| 2010 | ヴァン クリーフ&アーペル(Van Cleef & Arpels) | ミッドナイト イン パリ(Midnight in Paris) | ドミティユ・ミシャロン=ベルティエ |
| 2011 | ジミー チュウ(Jimmy Choo) | ジミー チュウ | — |
| 2011 | ブルガリ | モン ジャスミン ノワール(Mon Jasmin Noir) | ソフィー・ラベ |
| 2011 | バレンシアガ | バレンシアガ パリ レサンス(Balenciaga Paris L’Essence) | — |
| 2012 | ランコム | ラ ヴィ エ ベル | ドミニク・ロピオン、アン・フリッポ |
| 2012 | バレンシアガ | フローラボタニカ(Florabotanica) | ジャン=クリストフ・エロー(Jean-Christophe Hérault) |
| 2012 | ヴィクター&ロルフ | スパイスボム(Spicebomb) | — |
| 2013 | パコ・ラバンヌ(Paco Rabanne) | インビクタス(Invictus) | ヴェロニク・ニベルグ(Véronique Nyberg)、アン・フリッポ、ドミニク・ロピオン |
| 2013 | バーバリー | ブリット リズム(Brit Rhythm) | アン・フリッポ、ドミニク・ロピオン |
| 2013 | レペット(Repetto) | レペット オードトワレ | — |
| 2014 | ヴァレンティノ(Valentino) | ヴァレンティノ ウオモ(Valentino Uomo) | — |
シャネルでの主な作品
| 年 | ブランド | 作品名 | 共同調香師 |
|---|---|---|---|
| 2015 | シャネル | ミジア オードトワレ/チャンス オー ヴィーヴ(Chance Eau Vive) | — |
| 2016 | シャネル | ボーイ シャネル | クリストファー・シェルドレイクとの共作として紹介する資料あり |
| 2016 | シャネル | シャネル N°5 ロー/ミジア オードパルファン | — |
| 2017 | シャネル | ガブリエル シャネル | — |
| 2018 | シャネル | ブルー ドゥ シャネル パルファム/ココ マドモアゼル アンタンス(Coco Mademoiselle Intense) | — |
| 2018 | シャネル | パリ ビアリッツ(Paris-Biarritz)/パリ ドーヴィル(Paris-Deauville)/パリ ヴェニス(Paris-Venise) | — |
| 2019 | シャネル | ガブリエル シャネル エッセンス(Gabrielle Essence)/チャンス オー タンドゥル オードパルファン(Chance Eau Tendre) | — |
| 2019 | シャネル | 1957/パリ リヴィエラ(Paris-Riviera) | — |
| 2020 | シャネル | ココ マドモアゼル ロー プリヴェ(Coco Mademoiselle L’Eau Privée) | — |
| 2020〜2021 | シャネル | ル リオン ドゥ シャネル(Le Lion de Chanel、先行発売と世界展開) | — |
| 2021 | シャネル | パリ エディンバラ(Paris-Édimbourg) | — |
| 2022 | シャネル | パリ パリ(Paris-Paris)/ガブリエル シャネル パルファム/シコモア パルファム(Sycomore Parfum)/N°1 ドゥ シャネル ロー ルージュ(N°1 L’Eau Rouge) | — |
| 2024 | シャネル | ガブリエル シャネル ロー(Gabrielle Chanel L’Eau)/コメット | — |
| 2025 | シャネル | ブルー ドゥ シャネル レゼクスクルジフ/チャンス オー スプランディド(Chance Eau Splendide) | — |
参考文献
- Wikipedia — Olivier Polge
- The Perfume Society — Chanel perfumer Olivier Polge shares his musical passion
- Prix International du Parfum — Le Lauréat 2009: Olivier Polge
- The Fragrance Foundation UK — Olivier Polge
- The Glass Magazine — Glass meets Olivier Polge, Chanel’s perfumer
- Men’s Folio — Olivier Polge Shapes Chanel’s Olfactory Universe
- Persolaise — An Artificial Perfume: Olivier Polge on Chanel Comète
- The Gloss — Starman: An Exclusive Interview with Olivier Polge
- Bustle — Olivier Polge on Bleu de Chanel L’Exclusif
- A&E — Olivier Polge on Gabrielle Chanel’s Legacy
- Out — Welcome Boy Chanel
- Chanel — Gabrielle Chanel、作品と調香師
- Lancôme — Meet Our Perfumers
- IFF — Fine Fragrances、Flowerbomb2005
- IFF Scent — Flowerbomb20周年、共同制作者
- Persolaise — Paris-Édimbourg、2021年
- Fragrantica — Jimmy Choo、2011年
- Fragrantica — Repetto Eau de Parfum、原作2013年オードトワレとの区別
- Parfumo — Olivier Polge、作品一覧


