Nasomatto(ナーゾマット)――「クレイジーノーズ」が解き放つ、自由と衝動の香り

ナーゾマットの世界観と香水「Black Afgano」を表現したブランドイメージ

「ブランドを閉めようかとも思った。でも、新しいブランド(オルト・パリジ)を支えるために、ナーゾマットの収益が必要だと気づいた。」

— Alessandro Gualtieri(アレッサンドロ・グアルティエリ)、Wallpaper*(ウォールペーパー)誌インタビューより

基本情報

設立年: 2007年(初期作品を2008年とする資料もあるが、現行公式はデューロやナルコティック・ヴィーの発売年を2007年と表記)
創設者: Alessandro Gualtieri(アレッサンドロ・グアルティエリ)
拠点: アムステルダム(オランダ)
公式サイト: https://nasomatto.com

「Nasomatto(ナーゾマット)」はイタリア語で「狂った鼻」を意味する。

創設者・ブランドの成り立ち

ザ・ノーズの原点

アレッサンドロ・グアルティエリは、イタリア・プーリア地方(Puglia)にルーツを持ち、ミラノで育った。父親は精肉業を営んでいた。

彼が最初に嗅いだ「生きた匂い」は、香水でも花でもなかった。肉と血の生臭さ、祖父ヴィンチェンツォが手入れしていた菜園の土の香り、そうした原始的な匂いの記憶が、後に彼の調香師としての美学の根底を形成した。

ドイツでの修行、そして運命の出会い

正式な調香師教育は、ドイツの訓練機関でスタートした。そこでは伝統的な調香技法を体系的に学んだ。ところが教育の軌跡に、ひとつの偶然が割り込んでくる。その訓練機関の近くの、町でただひとつのバーで、アルトゥレット(Arturetto)というイタリア人の熟練した調香師と出会ったのである。

「彼(アレッサンドロ)とアルトゥレットは兄弟ではなかったが、香水への情熱を共有していた。熟練したノーズだったアルトゥレットは、アレッサンドロに調香を教えた」——この師弟関係にも似た交流は、のちにナーゾマット共同創設へとつながる。公式の教育と非公式の師匠の双方から受けた指導は、「伝統を尊重しつつも、あらゆるルールを破ることを恐れない」という彼のスタイルを育てた。

大手ブランドでの軌跡と「クレイジーノーズ」の誕生

ドイツ修行後、グアルティエリはフレグランス大手の会社で8年間を過ごした。その後、独立したエージェントとして、Fendi(フェンディ)、Versace(ヴェルサーチ)、Helmut Lang(ヘルムート・ラング)、Valentino(ヴァレンティノ)、そしてDiesel(ディーゼル)のインハウス調香師を務めるなど、主要ブランドのフレグランス開発に長年携わった。

しかしこの期間、彼はある閉塞感を抱え続けていた。

「業界の数多くのルールや規制によって長年制限されてきたことへの、切実な爆発だった。私は完全に自分を表現し、自分の作品と考えをダイレクトに消費者と共有したかった。」

ブランドの指示書やトレンド予測に縛られ、「今シーズンは何が「流行」で何が「時代遅れ」か」を命じられ続ける日々。そんな中でも、彼の創作は常に大胆だった。奇妙な素材の組み合わせ、業界の常識を外れたフォーミュラ——その突飛な発想ゆえに、周囲からいつしか「クレイジーノーズ(Crazy Nose)」と呼ばれるようになっていた。

中東への旅が変えた感覚

大手での仕事と並行して、1980年代、グアルティエリはハールマン&ライマー(Haarmann & Reimer)という大手調香素材メーカーで働いていた当時、UAE(アラブ首長国連邦)のシャルジャ(Sharjah)を訪れた。そこで彼の感覚は一変した。

「あそこで完全にのめり込んだ。完全に魅了された。私にとって、あれが本物の調香だった。手で触れられる。実際に感じられる。」

その後、オマーン、インド、サウジアラビアへと旅を重ね、各国の古代的な調香技法を貪欲に吸収していった。ヨーロッパとは全く異なる香りの哲学——素材への敬意、官能性の直接表現、秘密のレシピ——これらが彼の中に深く根付いていった。

独立への決断とナーゾマット誕生

大手での経験を積みながら、グアルティエリはひそかに、いつか自分のブランドを起こしたときに作る香りを書き留め続けていた。そして独立にあたって、ひとつの心構えを自分に課した——「かつてのキャリアで得たコネクションには頼らない。一から全部やる」と。

2007年、旧友アルトゥレットの助力を得て、アムステルダムでナーゾマットを設立。初期コレクションは2007〜2008年に姿を現し、2008年の同時代の記事には最初の5作品が紹介されている。「絶望的な爆発」とも形容されるその出発は、業界に対する反抗の宣言でもあった。

最初のリリースには、Absinth(アブサン)、Hindu Grass(ヒンドゥー・グラス)、Narcotic Venus(ナルコティック・ヴィーナス)、Duro(デューロ)、Silver Musk(シルバー・ムスク)の5作品が並んだ。控えめに言っても異色の顔ぶれだった。「長い間ドアを叩き続け、ようやく1軒の店が取り扱いに同意した。その後、多くの店が続いた」——デビューは決して華々しいものではなかったが、反応は確実に広がっていった。

ブランドのこだわり

「感じろ、定義するな」という香り哲学

ナーゾマットの最も際立った哲学は、香りの成分(ノート)を公開しないことである。業界標準の「トップ・ミドル・ベースのノート一覧」は存在しない。その背景には、グアルティエリ自身の深い信念がある。

「以前、香水は魔法のポーションであり、成分は厳守される秘密だった。私はこのアプローチを自分の香水づくりで維持したい。成分を明かすことは、嗅覚体験を制限し、誤った方向へ導いてしまうから。」

彼は香りの「ピラミッド(ノート構造)」を信じない。代わりに、各作品の「効果」や「テーマ」を短い言葉で提示する。Duro(デューロ)なら「男性的な力のあらゆる発現を高める」、ブラック・アフガノ(Black Afgano)なら「最高品質のハシシを喚起する」——受け手は自分の鼻と感覚を信じてその作品と向き合うことを求められる。

グアルティエリはこの姿勢をこう言い切る。

「なぜ私に聞くの?人はいつも全てを説明し、理解し、物事に理由をつけようとする。時には、ただ感じればいい。」

創造プロセス——制御の喪失を歓迎する

彼の作業は、ロジカルな設計図ではなく、本能と偶然に委ねた探索だ。

「私は何かを作り始めるが、ある時点でそれが自ら選択をし始める。プロセス自体が私を導いてくれる。制御を失い、自分だけが決定者でなくなる感覚が好きだ。私の関与は、生きていて、新しいことを言い続けられるものを創ること。香りが私の意味の奴隷ではなく、自らの知性を持つようにしたい。」

この「制御の放棄」の美学は、調香のプロセスそのものを一種のパフォーマンス・アートとして捉える視点から来ている。

ボトルとパッケージのデザイン

ボトルは、ミニマルな正方形のガラス瓶。そのシンプルさを圧倒するのが、各作品に固有の木製キャップである。

スモークオーク(ブラック・アフガノ)、ウェンジウッド(デューロ)、ゼブラノウッド(ナルコティック・ヴィー)、バールウッド(パードン)、コルク(バラオンダ)、ヘーゼルナッツの木(ブラマージュ)、パドウク(ヌディフローラム)など、各作品のテーマや素材感に呼応した素材が選ばれている。木目のパターンは指紋のように唯一無二であり、同じ香水であっても2本として全く同じキャップは存在しない。

「キャップは、嗅覚的イメージの背後にある物理的概念を体現している。」

パッケージはすべてイタリア製。素材と色は、その香りを構成するアイデアや成分を反映するよう設計されている。

香水ラインナップ

ここでは公式サイトに掲載される代表的な11作品を紹介する。いずれもエクストレ・ド・パルファン(extrait de parfum)——高濃度の香水——で提供されており、これ自体がブランドの「一切の妥協をしない」という姿勢の表れである。

ブラック・アフガノ(Black Afgano)——伝説のカルト作品

2009年にリリースされた。グアルティエリ自身が6年以上の歳月をかけて完成させた一作。着想源は「最高品質のハシシ」。ハシシが引き起こす陶酔、幸福感、解放——そのムードをオルファクトリーに体験させることを目指した。

リリース当初は各地の店頭から入荷と同時に消えていき、正価185ドルのボトルが300ドル以上でeBay(イーベイ)に転売された。ニッチ香水コミュニティに衝撃を与え、ナーゾマットの名を世界に知らしめた代表作である。

デューロ(Duro)——最初のリリース

ブランド創設初期にリリースされた作品のひとつ。発売年を2008年とする資料もあるが、現行公式サイトでは2007年と記載されている。「Duro(デューロ)」はイタリア語で「硬い」「強い」を意味し、神話的な男性性・性的魅力の本質を凝縮しようとした。

ナルコティック・ヴィー(Narcotic V.)——女性の官能性への讃歌

旧名Narcotic Venus(ナルコティック・ヴィーナス)。愛の女神ヴィーナスへのオマージュとして、圧倒的な女性の官能性を主題にした作品。ブラジルで出会ったモングバフラワー(Monguba)の香りを再現する着想があったと紹介されている。

バラオンダ(Baraonda)——文学へのオマージュ

ロシアの作家ヴェネジクト・エロフェーエフの叙事詩的小説『モスクワ発ペトゥシキ行』(Москва — Петушки)からインスピレーションを得た作品。「バラオンダ」はイタリア語で「喧騒」「混乱」を意味し、ウイスキーとスパイス、木質系の素材が複雑に交差する。キャップにはポルトガルとイタリア産のコルクが使われている。

アブサン(Absinth)——禁断の植物の精神

苦艾酒(アブサン)にインスパイアされた作品。グアルティエリは「軽い笑い、無責任な軽やかさ、そして熱狂的なヒステリーへの降下」と説明する。ヨモギ(ニガヨモギ)の緑の要素と土っぽい深み、微かに樹脂的なスパイスが絡む。キャップにはオリーブウッドが使われている。

ファントマス(Fantomas)——フランス犯罪小説の幻

2020年にリリース。グアルティエリが幼少期から愛読していたフランスの犯罪小説の怪人「ファントマ」をテーマにした作品。「気づかれない侵犯を匂わせる、ほんの短い痕跡」と説明される。

その他の現行ライン

  • ブラマージュ(Blamage):「失敗の美しさ」をテーマにした哲学的な作品。ハシバミの木(Hazelnut wood)製の不規則なキャップが特徴
  • パードン(Pardon):2011年リリース。洗練された男性像——ダンディ——へのオマージュ。バールウッドのキャップが気品を醸す
  • シルバー・ムスク(Silver Musk):ムスクのみで構成されたかのようなミニマルな作品。手に入らない理想や憧れをテーマにしている
  • ヌディフローラム(Nudiflorum):「naked flower(裸の花)」を意味するラテン語から命名。親密さと肌の感覚をテーマとする
  • サドナーゾ(Sadonaso):2023年リリース。「人生の意義は官能的な喜びにある」という思想を香りにした作品

廃番作品

チャイナ・ホワイト(China White)とヒンドゥー・グラス(Hindu Grass)は現在廃番となっており、熱心なコレクターの間で引き続き高値で取引されている。

ちなみに……

グアルティエリ自身は、ヌディフローラム発表当時のWallpaper*(ウォールペーパー)誌インタビュー(現行ページの更新日は2022年10月18日)で、「ナーゾマットを閉めようかと思った時期があった」と率直に告白している。「閉めることが自分にできる一番クールなことだと思った」とさえ言っていた。それを思いとどまらせたのは、2014年に立ち上げた第2のブランド「オルト・パリジ(Orto Parisi)」の収益基盤として、ナーゾマットの存続が必要だったからだという——ブランド哲学と同様、何ともストレートな発言である。

また、「オルト・パリジ」はプーリアにある祖父ヴィンチェンツォの菜園に捧げられたブランドであり、2014年のEsxence(エスセンス)展示会でグアルティエリは大仰に「ナーゾマットは死んだ!オルト・パリジが生まれた!」と宣言したという——実際にはどちらのブランドも健在である。

さらに彼の妻はオランダ人ファッションデザイナーのリリアン・ドリッセン(Lilian Driessen)で、二人は共同でマリア・ラックス(MariaLux、後にMaria L〔マリア・エル〕と改名)というブランドも手がけてきた。グアルティエリの創作は、ナーゾマット、オルト・パリジ、マリア・エルという少なくとも3つの香水プロジェクトへと広がってきたのである。

参考文献