ジミー チュウ(Jimmy Choo)― 靴職人の夢が香りに宿るまで

ジミー チュウの世界観と代表製品「I Want Choo Forever 100ml」を表現したブランドイメージ

「It has always been my vision to fully accessorise the woman and fragrance is an integral part of the modern wardrobe.」
(女性をあらゆるアクセサリーで装うことが、ずっと私のビジョンでした。香りは現代のワードローブに欠かせない要素です。)

― タマラ・メロン(Tamara Mellon)、ジミー チュウ共同創業者・当時のプレジデント

基本情報

設立: 1996年(ジミー・チュウとタマラ・メロンによる共同設立)

フレグランス事業開始: 2011年(インターパルファムとのライセンス契約に基づく)

公式サイト: https://www.jimmychoo.com

「ジミー チュウ」は英語圏での発音に準じたカタカナ表記。日本語では「チュウ」と表記されることが多い。

創設者・ブランドの成り立ち

マレーシアの少年、靴を縫う

ジミー・チュウ(本名:ジミー・チュウ・ヤン・キート/Jimmy Choo Yeang Keat)は、1948年11月15日、当時英国領だったマレーシアのペナン島に生まれた。 家族は客家系の華人で、父もまた靴職人だった。 少年ジミーは幼い頃から父の仕事場で過ごし、11歳のとき、母のために革のスリッパを一から縫い上げた。

なお、苗字の本来のスペルは “Chow(チョウ)” だったが、出生証明書に誤って “Choo(チュウ)” と記載されてしまった。 後に世界的なブランド名となるその「誤り」は、今日に至るまで彼の名を飾り続けている。

父について、チュウ本人はこう語っている。

「My parents were shoemakers and I have followed my father’s lead. He inspired me.」(両親は靴職人で、私は父の歩みを受け継いだ。父が私を刺激してくれた。)

― ジミー・チュウ

ロンドンへ、そして独立へ

1982年、チュウはマレーシアを離れ、ロンドンのハックニーにあるコードウェイナーズ・テクニカル・カレッジ(現ロンドン・カレッジ・オブ・ファッション)に入学。 卒業後はデザイン会社でも経験を積んだ。卒業年は1983年と1984年の記録があり、資料によって異なる。 卒業後もマレーシアに帰国せず、ロンドンに残ることを選んだチュウは、やがて自ら独立する道を歩み始める。

1986年、チュウはロンドン東部・キングスランドロードの旧メトロポリタン病院跡地に小さなワークショップを構えた。 地元の市場でも靴を売りながら、オーダーメイドの顧客たちにその名を知られるようになっていった。

ヴォーグの8ページ、そしてダイアナ妃

転機は1988年のロンドン・ファッション・ウィークに訪れた。ヴォーグの編集者がチュウの作品に目を留め、8ページにわたる大型特集が組まれることになったのである。 この掲載は彼の知名度を一気に押し上げ、受注が急増。オーダーに追われる日々が始まった。

さらに1990年代前半には、ダイアナ妃との運命的な出会いが訪れる。

「Choo first met Diana in 1991 when he was summoned to Kensington Palace by the princess after his name came across in the Press. ‘I was so excited I could not sleep the whole night. In fact I was so scared of oversleeping that I practically stay awaked.’」
(チュウが初めてダイアナ妃に会ったのは1991年。報道で彼の名を知った妃に、ケンジントン宮殿へ招かれた。『興奮して、その夜は眠れませんでした。寝過ごすのが怖くて、ほとんど起きたままだったのです』。)

― ジミー・チュウ

ケンジントン宮殿に招かれた夜の興奮を、こう語ったチュウの靴は、その後のほぼあらゆる公式の場でダイアナ妃の足元を飾った。 ダイアナ妃の後ろ楯はブランドの格を決定的に引き上げる力となった。

タマラ・メロンとの邂逅——ブランドの誕生

こうして名声を高めていったチュウの工房に、ある女性が頻繁に出入りするようになる。英国ヴォーグのファッションアシスタント、タマラ・メロンだった。メロンはジミーの靴の色を変えたり、独自の改造を依頼したりしていたという。

ヴォーグを退社後、メロンは1995年にチュウに提案を持ちかける。「ラグジュアリーなレディメイド(既製品)ラインを一緒に立ち上げよう」と。 メロンの父、トム・ヤーディが15万ポンドを出資し、その50%の株式を取得。1996年5月、ジミー チュウ社(Jimmy Choo Ltd.)が正式に設立された。 メロンがプレジデント、父がチェアマンを務め、メロン自身がブランドのビジョンと事業運営の中心を担った。

ブランドの最初の店舗は同年秋、ロンドン・モトカム・ストリートにオープン。ハンナ・コールマンが初期の従業員として加わり、この店舗の店長を務めた。 ほどなく、ある別の若い女性も重要な役割を担うことになる——チュウの妻の姪であるサンドラ・チョイである。彼女は1989年からチュウの個人工房に関わっており、1996年のブランド設立時には創業時のディレクターの一人としてコレクションのデザインを担った。

「セックス・アンド・ザ・シティ」と世界的ブランドへの跳躍

1998年7月5日、HBO(エイチビーオー)のドラマ「セックス・アンド・ザ・シティ」の第5話でジミー チュウが初めて言及された。 このことはブランドが一般大衆へ広く知られるきっかけとなり、アメリカでの展開を急ぐ動機にもなった。同年11月、ニューヨークのオリンピック・タワーとロサンゼルスに米国初の2店舗が同時オープンした。

1999年のアカデミー賞授賞式では、メロンとサンドラ・チョイがロサンゼルスのホテルに部屋を構え、出席する女優たちのドレスに合わせてジミー チュウを染め直し、フィッティングを行うという先駆的な「レッドカーペット戦略」を展開した。 これはセレブリティを活用したマーケティングの先駆け的な試みとして広く知られている。

2001年、ジミー・チュウ本人はコレクションの規模拡大より職人仕事を重視する姿勢から、保有する50%の株式を売却し、会社を去った。 発言は確認されていないが、ウィキペディア等の情報によれば、「クチュールとその創造性を愛している。レディメイドはパートナーとチームに任せる」と語っていたとされる。

その後もタマラ・メロンの指揮のもと、ブランドは成長を続け、2011年にメロンが去る頃には一部資料では世界145店舗以上、企業価値は10億ドルを超える規模だったとされる。

2017年にマイケル・コース・ホールディングス(現カプリ・ホールディングス)が約13.5億ドルで買収し、現在は同グループのもとで運営されている。

ブランドのこだわり

香りづくりの哲学——「香りもアクセサリーである」

ジミー チュウがフレグランス事業に踏み出した背景には、明確なビジョンがあった。創業者タマラ・メロンが「女性を完全にアクセサリーでコーディネートする」という長年の夢を、靴やバッグの次は香りで実現しようと考えたのである。 この構想のもと、2009年10月5日、インターパルファムSA(エスエー)との12年間にわたる世界ライセンス契約が締結された(2010年1月1日発効)。

メロンはフレグランス発表の場でこう述べた。

「Fragrance gives a woman identity. When a woman comes into the room, you might recognise her by her smell. Or if she leaves her scarf behind and you pick it up, you smell her.」
(香りは女性にアイデンティティを与えます。部屋に入ってきたとき、香りでその人だとわかるかもしれません。置き忘れたスカーフを拾い上げれば、そこにも彼女の香りが残っています。)

― タマラ・メロン

香りを単なる商品ではなく、女性のアイデンティティそのものを表すものとして捉えるこの思想は、各フレグランスのコンセプト立案にも色濃く反映されている。

クリエイティブ・ディレクターのサンドラ・チョイも同様の哲学を持っており、メンズフレグランス「ジミー チュウ マン」のリリース時にはこう語った。

「I see fragrance as another accessory; I wanted to create something that would be an object of desire for the Jimmy Choo Man enhancing his independent spirit and complementing his effortless sense of style.」
(私は香りをもうひとつのアクセサリーと捉えています。ジミー チュウ マンをまとう男性が欲しいと思うもの、その自立した精神を引き立て、自然体のスタイルを補うものをつくりたかったのです。)

― サンドラ・チョイ、クリエイティブ・ディレクター

ボトルとパッケージング——靴の美学を香水瓶へ

ジミー チュウのフレグランス・ボトルは、いずれも「ジュエリーのような存在感」を目指して設計されている。ブランドの出発点となった初代ボトルは、ベネチアのムラーノ・ガラスの色彩と輝きにインスパイアされたファセット(多面カット)のコクーン型で、内容物のアンバーカラーを包む形で設計された。 頂部はシルバーエッジの黒いキューブ型キャップで仕上げられ、グラフィックな現代性を添えている。

外箱にはスネークスキン(ヘビ革)プリントが施されている。これはジミー チュウの靴やアクセサリーにも共通するブランドのシグネチャー素材であり、エキゾチックなラグジュアリーを象徴するモチーフとして一貫して用いられている。

パッケージングへのこだわりは数値にも表れている。2017年夏に発売されたレディース・フレグランス「ジミー チュウ ロー(Jimmy Choo L’Eau)」の淡いピンク色のパッケージングは、一見シンプルに見えながら、実に12の仕上げ工程を経て完成する。 盲押しのスネークスキンエンボス加工、ソフトタッチフィルムのラミネート、マットワニス、シルバーとホログラフィックフィルムの箔押しが重ねられる。

男性向けの「ジミー チュウ マン」では、アンティークのヒップフラスク(携帯用酒器)をモチーフにした四角いボトルにメタリックな装飾とレザー調のキャップが採用され、一方「アイ・ウォント・チュウ(I Want Choo)」シリーズではゴールドのハンマード(槌目)ジュエルエフェクトキャップとJC(ジェーシー)モノグラムロゴが女性らしい華やかさを演出している。

調香師へのこだわり

ジミー チュウは一流の調香師と組むことでもよく知られている。初代フレグランスを手がけたのは、オリヴィエ・ポルジュ(Olivier Polge)。グラース(南フランスの調香の聖地)出身で、伝説的調香師ジャック・ポルジュを父に持つ。のちにシャネルの専属調香師に就任することになる彼が、ジミー チュウのために創り上げた香りについてこう表現している——「フェミニン、かつエンパワリング(力強い)で、多くのセンシュアリティが宿っている」。

その後の多くのフレグランスでは、アン・フリポ(Anne Flipo)が中心的な調香師を務め、「イリシット」「ジミー チュウ マン」「マン エクストリーム」などを手がけている。 「ローズ・パッション」ではナタリー・ロルソン(Nathalie Lorson)が起用された。

香水ラインナップ

2021年の時点ですでに36以上の香りを発表しているジミー チュウのフレグランスは、大きく女性向けラインと男性向けラインに分けられる。

レディース・ライン

ジミー チュウ オードパルファム(2011年)
ブランド初のフレグランス。グリーンノートのトップからタイガーオーキッドのミドル、スウィートトフィーとインドネシアン パチョリのベースへと展開するフルーティ・シプレー系。 調香師はオリヴィエ・ポルジュ。

ブロッサム(Blossom)(2015年)
シトラスとレッドベリーのトップ、スイートピーとローズのミドル、ホワイトムスクとサンダルウッドのベースを持つ、春の訪れを祝うような明るいフローラル。 ファセットカットのボトルは鮮やかなピンクのグラデーションカラーで彩られる。

イリシット(Illicit)(2015年)
「禁断の」を意味するネーミング通り、挑発的かつ甘美な一作。調香師アン・フリポが手がけ、ジンジャーとビターオレンジのトップから、ローズとジャスミン サンバックのミドル、ハニーアンバーとサンダルウッドのベースへと流れる。 ボトルはアールデコのクリスタルグラスにインスパイアされたマルチファセット型。 サンドラ・チョイが「実際に好きな香り」として公言している作品でもある。

アイ・ウォント・チュウ(I Want Choo)(2021年。発表・一部展開を2020年とする資料もある)
マンダリン・ジュースとベルベット ピーチのトップ、レッドスパイダーリリーとジャスミン サンバックのミドル、バニラとベンゾインのベースから成るアンバーフローラル。 ゴールドのジュエルエフェクトキャップとJC(ジェーシー)エンブレムが特徴的。以降、「フォーエバー」「ル・パルファム(Le Parfum)」「ウィズラブ(With Love)」などのバリエーションが展開され、ブランドを代表するシリーズとなっている。

ローズ・パッション(Rose Passion)(2023年)
コートダジュールの輝く海岸線をイメージして調香師ナタリー・ロルソンが創作。ヤシの実水とフランジパニのトップ、オーキッドとジャスミンのミドル、サンダルウッドとバニラのベースへと続くフローラル。 ムラーノ・ガラスをイメージしたファセットボトルにフューシャのグラデーションが施されている。

メンズ・ライン

ジミー チュウ マン(Jimmy Choo Man)(2014年)
ブランド初の男性用フレグランス。ラベンダーとマンダリンのトップ、ピンクペッパーとゼラニウム+パイナップルリーフのミドル、スエードとパチョリのベースを持つアロマティック・ウッディ。 調香師はアン・フリポ。その後「マン インテンス」「マン アクア」などのフランカーが展開され、男性向けフレグランスの柱となっている。

マン エクストリーム(Man Extreme)(2024年発表、2025年展開)
レッドサイム(赤タイム)のオイルを特徴的成分として取り入れた新作。アン・フリポとタンギー・ゲスネがコラボレーション。スカーレットのラッカー仕上げに赤プリントのレザー風キャップというボトルデザインも印象的。

ちなみに…

「ジミー チュウ」という名の誕生
ジミー・チュウの本来の苗字のスペルは “Chow(チョウ)” だったが、出生証明書に誤って “Choo(チュウ)” と記されてしまった。 世界的なブランド名となったその「ミス」は、今日まで彼の名を飾り続けている。

ブランドの文化的象徴性
「セックス・アンド・ザ・シティ」シーズン3の第1話(2000年)で、キャリー・ブラッドショーがスタテン島フェリーに乗ろうと走りながら片方の靴を失い「I lost my Choo!(チュウを片方なくしちゃった!)」と叫んだシーンはあまりにも有名だ。 その後も「プラダを着た悪魔」(The Devil Wears Prada、2006年)や「ハウス・オブ・カーズ」などの映画・ドラマに登場し、ジミー チュウはファッション文化の一部として定着している。

「ヴォーグ」との縁
ブランドを生んだタマラ・メロンも、ブランドに名を与えたジミー・チュウ本人も、そのキャリアを大きく変えたのは「ヴォーグ」との接点だった。チュウにとっては1988年の8ページ特集が起点であり、メロンにとっては編集者としての経験が「ジミー チュウ・ウーマン」を定義するセンスの源泉となった。

参考文献