THE MERCHANT OF VENICE(ザ マーチャント オヴ ヴェニス)— 博物館から始まる、交易と工芸の香水

THE MERCHANT OF VENICEの日本語ブランド画像。ヴェネツィアの交易と工芸を表す背景に、公式写真のアラベスク100mLボトルを配置。

ヴェネツィアへの心の底からの愛と、ヴェネツィアの香水のすばらしい歴史が、このブランドを生む着想になりました。

— マルコ・ヴィダル

青と金の装飾、色鮮やかなガラス、風配図を刻んだキャップ。THE MERCHANT OF VENICE(ザ マーチャント オヴ ヴェニス)の香水瓶には、街の建築や工芸と、海の向こうへ向かった商人たちの記憶が重なる。香料の来歴を知ることと、その香りをいま身につけることを結ぶ、ヴェネツィア発のブランドである。

創設者のマルコ・ヴィダルは、香水事業を営むヴィダル家の4代目。その構想は、パラッツォ・モチェニーゴに香水文化を伝える展示を作る仕事から育った。博物館のために歴史を調べることが、現代の香水を作る出発点になったのである。

基本情報

  • ブランドの起点:2013年の文化プロジェクト。最初の香水コレクションは2014年10月発売
  • 創設者:Marco Vidal(マルコ・ヴィダル)
  • 母体:ヴィダル家のMavive(マヴィヴェ)。1986年にMassimo Vidal(マッシモ・ヴィダル)が設立
  • 誕生の地:イタリア・ヴェネツィア
  • 公式サイト:The Merchant of Venice/日本公式

創設者とブランドの成り立ち

街の香水事業を受け継いだ、ヴィダル家の4代目

家業の始まりは1900年。アンジェロ・ヴィダルが、石けんや香辛料、アジアから輸入した品々を製造・販売する会社を設けた。最初の香水工房があったのは、サン・スタエ地区のパラッツォ・モチェニーゴである。後に香水博物館が置かれる宮殿は、家族の仕事の原点でもあった。

事業は本土側へ広がり、ピノ シルヴェストレも生まれた。1980年に旧ヴィダル社がヘンケルの傘下に入った後、アンジェロの孫マッシモが1986年にMaviveを設立する。Massimo Vidal Veneziaを縮めた社名で、家族は香水事業を続けていった。

その次の世代にあたるマルコはヴェネツィアに生まれ、ボローニャ大学で国際外交を学んだ。自ら語る家族像は、街に深く根を下ろしながら、国際的なつながりにも開かれたものだった。彼が担うのは、街の文化を制作の題材にし、開発チームや調香師へつなぐ仕事である。家業の長さだけでなく、自分の街の何を香水で伝えるのかが、新しいブランドを考える焦点となった。

香水博物館の準備が、新しいブランドを育てる

ヴィダル家が家業と街の香水文化を結ぶ構想を進めたのは2011年。Maviveとヴェネツィア市立博物館財団の協働により、2013年、パラッツォ・モチェニーゴの展示が改装・拡張され、香水の歴史を伝える新たな道筋が加わった。

展示は、古い香水瓶を眺めるだけでは終わらない。香水職人ムスキエーレの工房を思わせる空間に蒸留器や容器を置き、壁の地図で香料を運んだ交易路を示す。別の部屋では原料の香りを実際に嗅げる。服飾、身だしなみ、容器、原料を一つの生活文化として見渡せる構成である。

マルコはこの仕事で街の香水史をひもとくうちに、身につける香水として文化を届ける構想を膨らませた。なぜ文化を事業へ組み込むのか。その理由も明快に語っている。

文化は、事業に信頼性と深みを与えます。

— マルコ・ヴィダル

歴史を商品名に添える前に、その歴史を調べ、体験できる場所を支えた。この順序が、ブランドのものづくりを理解する鍵になる。

2014年の発売と、「商人」が表す文化の往来

2014年10月、最初のムラーノ コレクションが発売され、カンポ・サン・ファンティンの古い薬局には旗艦店が開いた。2015年にはノビル オモ、ムラーノ エクスクルーシヴ、ムラーノ アートへと表現を広げている。

THE MERCHANT OF VENICEという名は、マルコがある夜、企画の名前を考えていたときに浮かんだ。世界のよい原料を求めて旅をする商人と、その旅で起こる文化交流を表せる名前だった。シェイクスピアの作品によって広く知られる言葉であることも、ヴェネツィアを世界へ伝える構想と重なった。

2022年には素材を主題にするアコルディ ディ プロフーモを発表し、歴史あるリブレリア・ストゥディウムの再生にも取り組んだ。国際書店に、香りの学習や調香の講座に使う嗅覚ライブラリーを加える。博物館から始まった仕事は、香水、店、学ぶ場所へと続いている。

ブランドのこだわり

交易路を、素材の組み合わせへ読み替える

ヴェネツィア共和国の交易船団ムーダは、複数形でムーデと呼ばれる。ブランドが参照するのは、港を経由して集まった香辛料、木、樹脂、油の多様さである。嗅覚開発に携わるニコラ・ポッツァーニは、その見方を端的に表す。

さまざまな交易路がヴェネツィアを通り、それぞれの航路から異なる原料が届いたのです。

— ニコラ・ポッツァーニ

アンダルシアン ソウルは、その具体例である。北アフリカの港からマラガ、スペイン沿岸へ進むバルバリアのムーダに着想し、ラムを思わせる要素、ラブダナムなどの樹脂、セージ、バニラを組み合わせた。地名を香水名にするだけでなく、航路に結びつく酒や香草の文化を、甘さの相手として取り込んでいる。

古い配合を調べ、現在の香りを作る

歴史への関心は、当時の処方をそのまま使うという意味ではない。ブランドが目指したのは、デザインも香りも現代のものとして作ることだった。

まず、デザインも香りも、現代のものです。

— マルコ・ヴィダル

マルコが2017年に紹介した製品開発の一例は、18か月に及んだ。歴史研究では自ら調整を担い、カ・フォスカリ大学の研究者らと協働した。ヴィダル家が復刻に関わった1555年のロセッティの香水書も、その知識の蓄積に位置づけられる。

マルコによれば、2025年当時はポッツァーニ率いる嗅覚開発チームが詳細な制作方針をまとめ、提携する香料会社と調香師へ渡していた。届いた複数の提案を評価し、修正を重ねて仕上げる体制だった。創設者が題材を選ぶ仕事と、専門家が香りの構成を詰める仕事が結びついている。

建築、ガラス、織物を、異なる容器へ移す

ムラーノ コレクションの色彩や模様は、ヴェネツィアのガラス工芸への関心を伝える。マルコは当時の製品開発で、熱を使った昇華による装飾技法を採ったとも説明している。工芸から着想を得ることと、すべての容器を同じ技法で手作りすることは区別して見たい。

青と金が印象的なアラベスクは、カ・ドーロの宮殿を着想源とする。唐草模様のあるガラスに、風配図を刻む金色のキャップと吊り札を組み合わせた。香りではタバコの葉、プラム、ジンジャーに、シナモンやシダーを重ねる。ラムと樹脂が中心のアンダルシアン ソウルと比べるなら、果実を伴うタバコと香辛料へ関心があるかが選び分けの焦点になる。

ノビル オモは、ヴェネツィアの伝統的な織物の柄を角形の容器へ移したシリーズである。マルコは装いを替えるように使い分けられるよう、香りに幅を持たせたと語る。現在のムラーノ アートでは、黒いボトルに色の異なるムリーネのガラス装飾を合わせる。建築の模様、織物の図柄、ガラスそのものの表情。同じ土地の工芸にも、容器へ取り込む方法はいくつもある。

土地のバラから、舞台に立つ人の声へ

制作の題材は交易史に限らない。ローザ モチェニガは、アルヴィソポリの邸宅に残るモチェニーゴ・ローズを中心にした作品である。ブランドの伝える来歴では、中国からフランスへ渡ったバラを、ジョゼフィーヌ・ボナパルトと親交のあったルチア・モチェニーゴがヴェネツィアへ運んだ。花の来歴にも、人と土地の往来がある。

マリア・カラスは、歌手の生誕100年を機に、オリヴィエ・ペシューとヤン・ヴァスニエが手がけた。歌声や人物像にある対照性を、現代的なシプレへ置き換える試みである。柑橘や花の明るさと木の輪郭を重ねる設計は、ローズを柔らかなムスクやバニラで支えるローザ モチェニガとは異なる。花を含む香水でも、何を表現するための花なのかが違う。

素材の名前と産地を、使い手の学びへつなぐ

アコルディ ディ プロフーモは、ベルガモット・イタリア、パチョリ・インドネシア、バニラ・マダガスカルのように、素材名と土地の名を組み合わせるシリーズである。ジボダンとの協働で生まれ、Sourcing4Goodとジボダン財団の取り組みに結びつけて、原料の調達と産地のコミュニティへの支援を掲げている。

一本ずつでも使える完成したオードパルファムであり、重ねづけも想定する。まず素材の表情を一つ確かめ、別の香りを重ねて変化を比べるための設計だ。かつて何が海を渡ったかを知る博物館から、いま原料がどこから届くのかを考え、自分で香りを組み合わせるところへ。ブランドの文化活動と商品づくりが、使い手の体験の中でもつながっている。

ちなみに、マルコが好むのは香料だけではない

マルコが2021年に好きな匂いとして挙げたのは、テレピン油、紙、油絵具、そして馬の匂いである。香水は、その日の自分がどう感じたいかに合わせて選んでいた。名高い香料ばかりでなく、本や絵、身近な生き物へも向かう嗅覚。その個人的な好みも、街の文化を香水へ運ぶ人物を知る小さな手掛かりとなる。

参考文献