グラフ(Graff)― ダイヤモンドの輝きをまとった香水

グラフの世界観と代表製品「Lesedi La Rona I 100ml」を表現したブランドイメージ ブランド創業者

「最上質のダイヤモンドは驚くほど稀少だ。これらの自然の奇跡が、世界で最も素晴らしいジュエルを生み出したいという生涯の情熱を呼び起こしてきた。」
— ローレンス・グラフ(大英帝国勲章オフィサー/OBE)

基本情報

「グラフ」は「Graff」と表記し、英語ではグラフと読む。設立者であるローレンス・グラフの姓を冠したブランドである。

創設者・ブランドの成り立ち

ロンドンの東端に生まれた少年

ローレンス・グラフは1938年6月13日、ロンドンのイースト・エンド(東部)、ステップニー地区に生まれた。父ハリー・グラフはロシア系、母レベッカ・シーガルはルーマニア系のユダヤ人家系であり、家族は帝政ロシアのユダヤ人迫害(ポグロム)を逃れ、最終的にロンドンに辿り着いた。ローレンスには1947年生まれの弟レイモンドがいる。

第二次世界大戦下のロンドンで幼少期を過ごしたローレンスは、シャドウェルのセント・ジョージ学校に通いながら、母親の営む菓子屋の手伝いをしていた。近隣のヘッセル・ストリート市場が立ち並ぶユダヤ人コミュニティの中で育ち、日常の商取引を体で覚えながら、商才の芽を育てていったとされる。

特筆すべきは祖母ケイティ・グラフの存在だ。彼女はコミュニティ全体から頼られる「家族の頭脳」であり、篤信なユダヤ教徒でありながら女性解放の夜明けの時代にあってその才知を発揮していた。ローレンスが後に語る「一族から受け継いだ起業家精神」は、この祖母への敬意と切り離せない。

ハットン・ガーデンの弟子入りと最初の挫折

本人の回想によると、15歳になったローレンスは、ロンドン中心部のジュエリー街として名高いハットン・ガーデンで最初の職を得た。宝石商シンドラー(Schindler)の工房に弟子入りしたのだ。

「15歳のとき、ハットン・ガーデンにあるシンドラーの工房に見習いとして入り、セントラル・スクール・オブ・アーツ・アンド・クラフツで技術を学んだ。3ヶ月後、雇い主から『あなたには見込みがない、ジュエリー業界での将来はない』と言われた。私は諦めなかった。むしろより強い決意で前に進んだ。」
— ローレンス・グラフ

雑用や床磨きを任される毎日であったが、わずか3ヶ月で「見込みがない」と解雇を言い渡されたことは、挫折というよりも彼の闘志に火をつけることになった。ローレンスはすぐに別の宝石商に移り、セントラル・スクール・オブ・アーツ・アンド・クラフツで学びながら技術を磨き続けた。その後、在籍していた工房が倒産するという苦境にも直面したが、ローレンスは自らの道を諦めなかった。

33石のダイヤモンドと最初の成功

18歳で経験豊かな宝石師と共同で工房を立ち上げたローレンスは、ヴィクトリア朝様式のジュエリー修理ビジネスを始めた。この時期に「ローレンスの商才」を語る上で欠かせない逸話が残っている。

あるダイヤモンド・ディーラーと出会い、33石の小さなダイヤモンドを60ポンドで前払いする商談にこぎつけたとき、ローレンスがとった行動は「普通」ではなかった。

「33個のリングを作るのではなく、全部を1本のリングにセットし、大きなダイヤモンドの輝きを生み出す優雅なリングを作った。それをイングランド北部の宝石商に売ったら、ロンドンに戻ったばかりの私にすぐ電話が来て、売れたからもう1本欲しいと言われた。」
— ローレンス・グラフ

こうして「ひとつの輝きに集約する」という彼の美学は、若き日の商行為の中に既に宿っていた。その後、6石・12石と重ねてクラスター状のリングを制作し、エメラルド、ルビー、サファイアなど色石との組み合わせへと創作の幅を広げていった。

グラフ・ダイヤモンズの誕生と国際展開

1960年、22歳のローレンスはグラフ・ダイヤモンズ(Graff Diamonds)を設立した。2年後の1962年には、当時まだ卸売と工房中心だったジュエリー業界にあって異例のことに、ロンドンに2店舗の直営ブティックをオープンした。

1966年には、宝石デザイナーのロバート・トーマスに依頼して制作したダイヤモンド・リボン・ブレスレットがデビアスのダイヤモンド・インターナショナル・アワードの大賞を受賞し、グラフの名が業界に広く知られるきっかけとなった。

29歳となった1967年頃、ローレンスは「国際的な顧客層を開拓する」という決断を下し、自らジュエリーを携えて世界を行商しはじめた。

「イースト・エンド出身の人間が、王や王子たちと食卓を囲むというのは、相当なことだった。」
— ローレンス・グラフ

シンガポールを訪れた際、かつてイングランドで働いていた知人がロビンソン百貨店でジュエリー売り場を立ち上げようとしているところに偶然出くわし、「7日間待ってほしい。ロンドンに戻って商品を持ってくる」と約束して展示会を成功させたエピソードは、彼の果敢な起業家精神を象徴する。1974年頃からは中東の富裕層顧客の獲得にも注力し、ブルネイのスルタン・ハサナル・ボルキアが生涯の顧客かつ友人となっていった。

その後、イギリス国外に最初のブティックを開いたのは2000年のことで、モナコのオテル・ド・パリへの出店だった。2024年12月の日本法人の発表では世界に60店舗あまりを展開し、日本にも10店舗が存在する。2013年には、ジュエリー業界への貢献が認められ、英国女王誕生日叙勲で大英帝国勲章オフィサー(OBE)を授与されている。

ブランドのこだわり

ダイヤモンドを香りに翻訳する哲学

グラフが香水の世界に踏み出したのは、ダイヤモンド・ジュエリーを擁するラグジュアリーブランドの中でも異色の経緯があった。2018年4月、グラフはインターパルファム(Interparfums Inc.)との間に独占的なフレグランス・ライセンス契約を締結した。この契約は当初8年間で、3年ごとの自動更新オプションが3回付いており、最長で2035年まで延長される可能性がある。注目すべきは、これが契約発表当時、グラフにとって唯一のライセンス契約であったという事実だ。

インターパルファムのCEO・ジャン・マダールはこのとき次のように語っている。

「グラフのマントラは”Finding the Exceptional(例外を探せ)”です。このユニークなブランドの根本的かつ特有の特性を、類まれなフレグランスとパッケージングに解釈していきます。グラフが世界で最も美しいジュエルを生み出すために宝石を調達し磨いてきたように、私たちは世界の自然美の中から最も崇高で稀少な原料を探し出し、グラフの顧客に唯一無二のフレグランス体験を提供します。」
— ジャン・マダール(インターパルファム会長兼CEO)

ウォルター・ジョンセンとの出会い

グラフはフレグランスの創作にあたり、インターパルファムのウォルター・ジョンセン(Walter Johnsen)を起用した。「フレグランスの王」とも呼ばれるジョンセンは、アナ・スイ、ダンヒル、グッチなど多数のブランドで実績を積んできたフレグランス開発を率いるクリエイティブ・ディレクターである。

ジョンセンはまずロンドンのグラフ本店に赴き、創業者ローレンス・グラフと直接面会してブランドのDNAを肌で感じることから始めた。

「グラフのことはラグジュアリーなダイヤモンド会社として知ってはいましたが、まずブランドに深く入り込み、そのDNAを理解することが重要でした。代表する作品を生み出せるように。」
— ウォルター・ジョンセン

本物のレセディ ラ ロナ ダイヤモンドは厳重な金庫の中にあったため直接見ることはできなかったが、キュービック・ジルコニア製のレプリカを間近で観察したジョンセンは、そのファセット(宝石の小面)の精密さからグラフが求める創作の深度を直感したという。

当初、ジョンセンは世界各地のフレグランスハウスすべてに試作品の依頼を出したが、最初に届いた120本のサンプルの中に「グラフ」にふさわしいものは見つからなかった。ニューヨークとロンドンの店頭を一軒一軒歩き、グラフのマーケティング担当ベティーナ・バンバーガーと議論を重ねた末に、再度各ハウスに扉を叩いた。今度は約70の試作が届き、20本に絞り込み、さらに10本へ、最終的に6本の香水が選ばれた。

「これらのフレグランスが届いたとき、その香りの種類が好きかどうかに関わらず、品質の差がわかる。それぞれに独自のシグネチャーとキャラクターがあり、市場の何にも似ていない。」
— ウォルター・ジョンセン

ボトルへのこだわり

レセディ ラ ロナ コレクションのフラコン(香水瓶)は、グラフ・レセディ ラ ロナ ダイヤモンドのエメラルドカットの輪郭からインスピレーションを受けてデザインされている。長く滑らかなファセットが並ぶ建築的な美しさを持ち、グラフのロゴが刻まれた鉛フリーのクリスタル製フラコンだ。ダイヤモンドが光を屈折させ多面的な輝きを生むように、フラコン自体がその香りを視覚的に体現するデザインになっている。

素材への徹底したこだわりと社会的責任

ジョンセンが世界各地から調達した原料には、一切の妥協がない。レセディ ラ ロナ Iに使われるピンク・ペッパーコーンは、ブラジルのアマゾン流域にある農場で一粒ずつ手摘みされたものを使用し、同農場の再植林活動も支援している。レセディ ラ ロナ IIに用いる四川山椒は、最適な収穫時期に摘まれた後、天然香料を手がけるエルエムアール(LMR/ラボラトワール・モニク・レミー)によりサステナビリティ基準のもとで選別されている。レセディ ラ ロナ IIIではグラスのバラを供給する女性経営の農家と独占契約を結び、レセディ ラ ロナ Iなど複数の香水に使われるイランイラン、バニラ、クローブはマダガスカル沖のノシ・べ島のコミュニティ農家から仕入れ、そのコミュニティに学校と病院を建設する支援も行った。

香水ラインナップ

レセディ ラ ロナ フレグランス コレクション(Lesedi La Rona Fragrance Collection)

グラフのフレグランスは、「レセディ ラ ロナ フレグランス コレクション」という一つのラインを軸に展開されている。

「レセディ ラ ロナ(Lesedi La Rona)」とはボツワナのツワナ語で「私たちの光(Our Light)」を意味する。このコレクションのインスピレーションとなったのが、同名の歴史的ダイヤモンドだ。2015年11月、ボツワナのルカラ・ダイヤモンド社のカロウェ鉱山で発掘されたその原石は1,109カラット。発見当時、宝石品質のダイヤモンド原石としてカリナンに次ぐ史上2番目の大きさであり、100年以上ぶりの大発見であった。2016年のサザビーズ・ロンドンのオークションで最高入札額6,100万ドルに留まり売却に至らず、2017年にグラフが5,300万ドルで取得した。

その後18ヶ月をかけて最先端の分析機器とグラフのクラフツマンシップで研磨した結果、302.37カラットの主石「グラフ レセディ ラ ロナ」と66石、計67石のダイヤモンドが誕生した。このダイヤモンドは米国宝石学会(ジーアイエー/GIA)によってスクエア・エメラルドカットとして史上最大かつ最高のDカラー・最高クラリティと認定された。

コレクションは2020年3月のロンドン・ハロッズでの独占発売をもって正式に産声を上げた。折しも新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の世界的拡大が始まった時期と重なったが、ハロッズでの販売は継続され、パンデミック中にハロッズで売上上位3位以内のフレグランスとなったという。日本には2023年2月に上陸し、2024年12月には日本で新たに4種類の追加が発表され、計10種類となった。

最初の6香水(Ⅰ〜Ⅵ)

最初のコレクションを構成した6つの香水の特徴は以下の通りだ。

  • レセディ ラ ロナ Ⅰ(フローラル・ウッディ・パウダリー):調香師ジュリー・プルシェ作。ピンクペッパーコーン、ベルガモットの明るい柑橘系トップに、オリス(アイリス根)、ローズ、エジプト産ジャスミンの花の心。レザー、パチョリ、アンバーが神秘的な余韻を残す。
  • レセディ ラ ロナ Ⅱ(シトラス・ウッディ):モロッコ産ネロリ・オイル、プティグレン、四川山椒、ピオニー、オレンジ・フラワー・アブソリュートが織りなす透明感のある複雑な香り。
  • レセディ ラ ロナ Ⅲ(フローラル・シプレ):調香師パスカル・ゴーランが手がけた。グラス産のローズ・サンティフォリア(百重の薔薇)をメインに、サフランとベルガモット。ラブダナムが包み込む。
  • レセディ ラ ロナ Ⅳ(オリエンタル・グルマン):マヌカ・ハニー、マルコナ・アーモンド、ブラジル産コーヒーなど食べられそうなほど甘美な構成。
  • レセディ ラ ロナ Ⅴ(オリエンタル・フローラル):ベルガモット、ヘリオトロープ、ネロリに、ローズ、バイオレット、イランイランを重ね、バニラとアンバーが温かな余韻を残す。
  • レセディ ラ ロナ Ⅵ(ウッディ・オリエンタル):ブラジルの野生蘭をオープナーにマダガスカル産クローブ、エジプト産ジャスミン、オレンジ・ブロッサムとインド産ウードの深みが合わさる。

追加された4香水(Ⅶ〜Ⅹ)

2024年12月に日本で追加が発表された4種類は、それぞれグラフが所有する希少なカラーダイヤモンドからインスピレーションを受けている。

  • レセディ ラ ロナ Ⅶ(ホワイト・フローラル・オリエンタル):グラフが誇る「カメレオン・ダイヤモンド(ナチュラル・グリーン・ダイヤモンド)」をイメージ。トップ:ネロリ/ミドル:イランイラン/ベース:ヴァニラ。
  • レセディ ラ ロナ Ⅷ(フローラル・ウッディ):ナチュラル・ライトピンク・ダイヤモンドをイメージ。トップ:ピンクペッパー/ミドル:ロサ・ケンティフォリア/ドライノート:パチョリ。「8」はアジア文化圏での吉数として意識されている。
  • レセディ ラ ロナ Ⅸ(アンバー・ウッディ・スパイシー):マダガスカル産ジンジャーとシナモン、中国福建省産紅茶のスモーキーな奥行き。
  • レセディ ラ ロナ Ⅹ(オリエンタル・アンバー):南アフリカ産ゼラニウム、ローズペタル・エッセンス、スペイン産ラブダナムに、シダーウッドとベンゾイン(安息香)のノート。東洋と西洋の原料が交差する。

ちなみに…

「ヴィッテルスバッハ・グラフ」ダイヤモンドをめぐる論争

ローレンス・グラフが名を知られるのは香水の世界だけではない。2008年12月、彼はクリスティーズのオークションで「ヴィッテルスバッハ・ブルー」と呼ばれる35.56カラットの歴史的ブルーダイヤモンドを約1,640万ポンド(当時の最高落札額)で購入した。

しかしその後、グラフはこのダイヤモンドを再研磨して近代的なカットに変え、4カラット以上を削り「ヴィッテルスバッハ・グラフ」と改名した。これに対しドイツの宝石学者や歴史家たちが猛反発し「レンブラントの絵画を上から塗りつぶすようなもの」と非難が集まった。グラフはこれに対し「ダイヤモンドには傷や摩耗があり、再研磨によって本来の可能性を引き出した」と応答した。

この出来事は、ダイヤモンドの「所有者」と「歴史の守護者」の間に生じる古典的な緊張関係として今も語り継がれている。

ロンドン史上最大の宝石強盗

2009年8月、グラフのロンドン本店がラテックス製のプロテーゼと特殊メイクで変装した2人組に銃を突きつけられ、約4,000万ポンド相当の宝飾品が奪われる事件が起きた。「英国史上最大の宝石強盗」とも呼ばれるこの事件は、犯人たちが本当に狙っていたのはヴィッテルスバッハ・グラフではないかという憶測を呼んだが、同ダイヤモンドは特別な金庫に保管されており難を逃れた。

参考文献