香水は、調香師が処方を完成させただけでは店頭へ届かない。液体を作る場所、瓶を成形する場所、表面を仕上げる場所、箱を刷って組み立てる場所が必要になる。20世紀初頭、パリ西郊のスレーヌに広がったコティの「シテ・デ・パルファン(Cité des parfums)」は、その連なりを都市の風景にした生産拠点である。
名香を生んだ創業者の物語から少し離れ、今回は場所と仕事に目を向けたい。セーヌ川沿いの工場群、近隣都市の専門工房、作業台に並ぶ工員、そして現在も残る建物。そこから見えてくるのは、香りと容器と包装を、一つの商品へまとめる産業の姿である。
基本情報
名称:コティのスレーヌ工場/シテ・デ・パルファン(Coty Suresnes/Cité des parfums)
場所:フランス、スレーヌ。セーヌ川と旧スレーヌ橋に近い、シャトー・ド・ラ・スルスの旧敷地周辺
成立:1900年代の拠点形成と、その後の段階的な増築。現存部分の重要な核は、建築家ジャン・バロによる1936年頃の建物である
現在:香水工場としての操業は終了。旧工場の一部は改修・増築を経て、ベル社の本社として使われている
歴史と収蔵資料:スレーヌ都市社会史博物館MUS
セーヌ川沿いに広がった工場群
邸宅の敷地から生産拠点へ
拠点の出発点は、スレーヌのシャトー・ド・ラ・スルスに関わる土地である。工場はセーヌ川と橋の近くに位置し、増築を重ねながら香水・化粧品の生産と営業部門を集めていった。「香水の都市」という呼び名は、一棟の大きな建物というより、用途の異なる施設が集まる場所を想像すると理解しやすい。
MUSが1927年とする航空写真には、川に面した細長い建物、並行して延びる屋根、その間を通る中庭や空地が写る。隣には樹木の多い土地と邸宅も見える。後年の整った煉瓦造の正面だけでは分からない、敷地に工場が重なっていった姿である。写真の見える範囲だけで各棟の工程までは決められないが、複数の棟と通路から成る工場群だったことは読み取れる。
スレーヌの面積と、全生産拠点の面積
規模を知る際には、どこまでを数えた数字かが重要になる。MUSの香水産業年表は、1915年の拡張後のシテ・デ・パルファンを1万5,000平方メートルとし、全生産拠点の合計を5万平方メートルと記している。後者を、そのままスレーヌ一か所の広さと読み替えることはできない。
香水の工業化は、巨大な建物を建てることだけではなかった。香り、ガラス、金属、紙という性質の異なるものを、必要な専門技術へ振り分けることでもあった。その広がりはスレーヌの敷地の外へ及んでいる。
瓶と箱は、近隣都市の専門工房とつながっていた
MUSの工場史が示す分担を並べると、完成品の背後にある地理がはっきりする。
| 拠点 | 記録される主な仕事 |
|---|---|
| スレーヌ | 香水・化粧品の生産、営業部門。1936年頃の新棟には石鹸、白粉・頬紅、管理、倉庫、技術部門など |
| ピュトー | 口紅のチューブ製造、金彩、香水瓶の研削・カット加工 |
| ヌイイ | 箱の印刷と組み立て |
| パンタン | クリスタル・ガラス製造 |
瓶を作ることと、出来上がった瓶を加工することも別の仕事である。パンタンのガラス製造とピュトーの瓶加工を区別すると、「コティの瓶」という一語に隠れていた工程の違いが見えてくる。口紅についても、金属のチューブを作る工程を、スレーヌでの化粧品生産と一括りにすることはできない。
箱には印刷と組み立てという二つの仕事がある。平らな紙面に意匠を載せるだけでは、瓶を収める箱にはならない。香水の完成形を考えるには、図案だけでなく、紙を立体にする作業まで視野に入れる必要がある。ドレーゲルの印刷の仕事と、コティの拠点ごとの製造分担を合わせて見ると、香水の外観を支える仕事の幅が分かる。
作業台、ガラス瓶、配送車から見る生産
繰り返し作れる瓶と、その仕上げ
MUS所蔵のコティ向けラリック瓶を調べた、Sophie Cheamの2014年の保存修復研究は、容器側の工業化を具体的に伝える。研究対象にはスティクス、ロル、レマンの香水瓶が含まれ、半自動生産を代表する作例として扱われている。ガラスを型の中で吹く、あるいは押して成形し、その後に研磨や栓の表面仕上げを加える。造形は、繰り返し作る技術と結びついていた。
これはラリックによる瓶の技術を示す記録であり、成形設備がすべてスレーヌにあったという意味ではない。香水を作る工場の歴史には、外で作られた容器や部材を含めて、製品として成り立たせる仕組みを読む必要がある。
工員の配置と、完成品を運ぶ仕事
同研究の歴史篇には、パトリス・ド・サランの1990年の著書から採られたコティの工員写真も載る。長い作業台に人が並ぶ場面、容器や箱状のものが置かれた机、機械の周囲で働く人々が写っている。一人の調香師の机とは異なる、多人数で品物を扱う空間である。
スレーヌ市の2010年の産業遺産案内は、そのうちの一場面を「口紅の包装作業場」として掲載している。ただし工場名を主題とした頁にあることだけで、写真の撮影地点までスレーヌと断定することはできない。近隣拠点にも化粧品の作業場があったことを踏まえて読むべき記録である。
研究には、側面にCotyの名前を大きく描いた配送車の写真もある。瓶や箱を作る仕事の先に、それらを運ぶ仕事が続いていた。川沿いという立地と、実際に何をどう運んだかは別の問いであり、この写真が確かに示すのは、社名を掲げた道路輸送の姿である。
1936年頃の新工場は、何を集めたのか
香水を作る旧棟と、化粧品・管理部門の新棟
フランソワ・コティは1934年に亡くなる。現在の工場景観を考えるうえで重要なのは、その後の建設である。建築家ジャン・バロが1936年頃に建てた新棟には、石鹸製造、白粉と頬紅の製造、管理部門、従業員向けの施設、倉庫、技術用の施設が入った。一方、香水製造は古い建物で続けられた。
つまり、現在よく紹介される煉瓦造の建物を、創業時からすべての香水を作っていた工場と考えると、時代も用途もずれてしまう。公的な建築調査は、煉瓦と鉄筋コンクリートを用いた構造、陸屋根や鋸歯状の屋根も記録している。工場を眺める際には、見栄えのよい正面と、生産施設の構成の両方が手がかりになる。
働く人のための施設も、工場の一部だった
建築調査には、製造作業場や研究室と並んで、診療室、食堂、組合用の部屋が構成要素として挙げられている。MUSは、工場の歴史として乳幼児を預かる施設、女性工員の出産休暇、従業員の8日間の有給休暇や年金基金への拠出も伝えている。
こうした施設と制度は、働く人の暮らしが工場運営に組み込まれていたことを示す。ただし、それだけで賃金、作業負担、職場での関係まで評価することはできない。MUSへ白粉入れを寄贈した人の家族には、両親と祖母の一人がこの工場で働いていたという来歴が残る。製品は、複数世代の仕事の記憶を伴って、地域の博物館へ受け継がれている。
工場の閉鎖後に残った建築と装飾
コティの工場としての活動は終わり、建物は別の用途へ移っていった。1995年の建築調査は、1989年にH・ギヨームとA・ビゴッツィがアグファ・ゲバルトの写真・映像関連工場を受け入れる改修を行ったと記録する。さらに2003年にはヴァロド・エ・ピストルによる改修と現代的な増築が加わった。
MUSは2016年からベル社の本社が置かれていると説明しており、ベル社の現在の公式表記でも本社はスレーヌのアレ・ド・ロンシャン2番地である。今日残るのは、過去の工場群全体をそのまま保存した施設ではなく、1930年代の建築の一部を引き継ぎ、用途と姿を変えた建物である。
工場正面の中庭には、かつて入口の両側に噴水があり、香炉を囲んでひざまずく女性たちの浮彫が飾られていた。MUSによれば、ルネ・ラリックの意匠を彫刻家アンドレ・オーギュスタン・サレが表したものである。浮彫は2001年の建物改修時に取り外され、博物館での保管と修復を経て、パルク・デュ・シャトーに移された。屋外に残された石を洗浄し、雨から守る覆いを付ける仕事までが、この場所の歴史をつないでいる。
香水瓶と箱、工場の航空写真、従業員の家族が残した品、そして移設された装飾。同じ産業の遺産でも、それぞれが伝える仕事は異なる。コティのスレーヌ工場を知ることは、名香を生んだ人物の背後へ目を向け、香水を繰り返し作り、仕上げ、届けた人々と場所を捉え直すことなのである。創業者の歩みと作品については、フランソワ・コティの記事も合わせて読むと、この生産拠点との関係がつかみやすい。
補足
成立年には公的資料間にも相違がある。MUSの香水年表と文化省の建築調査は1905年のシャトー購入、MUSの工場案内は1907年の公園の一部購入、市の2010年の案内は1909年のスレーヌ進出と記す。これらを同じ売買の確定年や、確認済みの連続した開発段階として一本化することはできない。また、閉鎖時期は現在のMUS案内が1960年代、2010年の市の案内が1970年代までの活動を記しているため、本稿では閉鎖年を特定していない。
参考文献
- MUS de Suresnes:8 – L’usine Coty/工場の立地、拠点分担、航空写真と建築資料
- MUS de Suresnes:L’œuvre du jour – 23 avril/1927年の航空写真、従業員制度と工場の変遷
- MUS de Suresnes:La parfumerie/香水産業年表と1915年の面積
- フランス文化省POP:Parfumerie Coty, puis usine Agfa Gevaert/1995年調査、建築の用途・構造・改修
- Sophie Cheam:コティ向けラリック瓶の保存修復研究、2014年/成形・仕上げの技術、歴史篇46頁の工員・配送車写真
- スレーヌ市:Parcours patrimoine 20e siècle、2010年/8頁「L’usine Coty」
- フランス文化省POP/MUS:白粉入れ、所蔵番号2016.3.2/寄贈者家族の工場勤務の来歴
- Groupe Bel:Mentions légales/現在の本社所在地
- MUS de Suresnes:Étude des collections/旧コティ工場の浮彫の保存修復と移設

