AIは、嗅がずに香りを予測できる?

AIは、嗅がずに香りを予測できる? 香りの科学

分子の構造を見ただけで、それが花のように香るのか、草のようなのかを予測できるでしょうか。似た形の分子が似た匂いになるとは限らず、構造が少し変わるだけで印象が大きく変わることもあります。香りと分子の対応は、単純な形の分類では捉えにくい問題です。

Leeらが2023年に発表した研究は、人が使う香りの言葉を学習したAIで、この対応を地図にしようとしました。「主要嗅覚地図」と訳せるPrincipal Odor Map、略してPOMです。未学習の分子の香りを予測し、新たに人が嗅いだ評価と比較した点が、大きな特徴です。

分子の形を、香りのために読み直す

学習に用いたのは、香料などの既存データベースを整理した約5000分子と、138種類の香りの記述語です。一つの分子には、フルーティー、甘い、草のような、といった複数の言葉が対応しています。

AIには、原子を点、結合を線とした分子の構造を入力しました。グラフニューラルネットワークという方法で、原子の種類や周囲とのつながりのうち、香りの予測に役立つ特徴を学ばせます。

学習の途中で得られる、分子を256個の数値で表したものがPOMです。紙の上の地図のように2方向だけでなく、多数の軸を持っています。香りが近い分子を近くに置き、ジャスミンやラベンダーのような細かな特徴が、フローラルという大きなまとまりの中に位置する関係も捉えようとしました。

従来の、分子の部分構造をそのまま数えるような表現と比べ、POMでは、人の香りの分類に近いまとまりが保たれました。分子の形を単に整理するのではなく、人が感じる香りとの関係に合わせて、座標をつくったのです。

新しい分子を、訓練した人たちが嗅ぐ

既存のデータの一部を隠して当てるだけでは、未知の香りにも役立つかは十分に分かりません。そこで研究者は、学習に使っていない400分子を用意し、AIの予測とは別に、人の評価を集めました。構造や香りの範囲が偏りすぎず、学習例との違いもあるように選んでいます。

評価者は、香りと言葉の対応を訓練し、身近な20種類の匂いを使った事前試験の基準を満たした人たちです。各試料は15人以上が2回ずつ評価しました。55語の中から当てはまる言葉を選び、その当てはまり方を評定する方法を使っています。

試料は感じられる強さをそろえるように希釈しました。それでも匂いが弱かった42分子、不純物の影響が確認または疑われた32分子、重複など3分子を除き、最終的に323分子で予測を評価しました。この新しい評価結果を使って、モデルを学習し直してから成績を出したわけではありません。

「人並み」とは、何に近かったという意味?

比較の基準は、評価者全体の平均的な香りのプロフィールでした。AIの予測と、各評価者の回答が、それぞれその平均にどれくらい近いかを比べています。

323分子の53%では、AIの予測が、評価者のうち中央値に当たる人より、全体の平均に近くなりました。同じ学習データを使った従来型の比較モデルでは41%でした。香りの言葉ごとに見ると、55語のうち30語で、AIが中央値の評価者を上回りました。

これは、AIが53%の匂いを正解したという意味ではありません。複数の言葉による評価の並びが、パネル平均とどれくらい対応したかという比較です。一人ひとりの感じ方を正誤に分けたり、嗅覚のあらゆる能力で人を超えたと判定したりしたものでもありません。

得意不得意もありました。ニンニク様や魚様など、構造との関係を捉えやすい特徴では良好でしたが、ムスクの予測は弱い結果でした。ムスクには構造の異なる複数の系統があり、学習例の量や、言葉がまとめている化学的な範囲が影響すると著者らは考えています。

瓶の名前と、実際に香る分子が違うこともある

この研究では、AIの成績だけでなく、試料の中身も詳しく調べました。50試料について、成分を分離する化学分析と、分離された成分を人が嗅ぐ方法を組み合わせ、どの分子が匂いを生んでいるかを確認しています。

その結果、目的の分子が主に香る場合もあれば、微量の不純物が香りに大きく関わる場合もありました。たとえば、試料のバターのような印象が、購入した名目上の分子ではなく、不純物のジアセチルによると判断された例がありました。

50試料は無作為抽出ではなく、人同士やAIとの一致のしかたを考慮して選ばれています。したがって、その中で見つかった不純物の割合を、香料全般の割合にはできません。重要なのは、AIが入力として受け取る分子と、人が実際に嗅ぐ分子を対応させることでした。

香りの言葉以外にも、地図を使えるか

著者らは、構造の似たほうが、匂いはむしろ似ていないという、難しい3分子の組も調べました。41組を選んだ試験では、AIはこの逆転関係を半分のケースで捉え、比較モデルの19%を上回りました。形が似ていれば同じ香り、と決めつけずに予測できる余地を示しています。

さらに、地図の座標に比較的簡単な計算を加え、別の公開データで、香りの言葉の当てはまり、匂いを検出できる濃度の閾値、匂い同士の似ている度合いを予測しました。これらでも、化学構造の特徴だけを使う比較モデルと同程度か、それ以上の成績を示しました。

一つの課題の答えを覚えるだけでなく、複数の嗅覚課題に使える表現を得ることが、この研究の大きな狙いです。約50万の匂いを持ちそうな候補分子を地図上に置く試みも行いました。ただし、多くは未合成・未評価で、50万種類の香りを人が確認したわけではありません。

まだ、香水の混ぜ方は教えてくれない

POMは単一分子の香りを中心に学習した地図です。何と何を混ぜれば、どんな新しい印象になるかについて、明確な規則を与えるものではありません。また、脳や鼻の働きをそのまま再現した構造でもありません。

濃度によって香りの質が変わることもありますが、この地図には濃度が明示的に入っていません。分子の検出閾値を予測できても、ある濃度で人がどれくらい強く感じるかを、そのまま求められるわけではありません。個人差や、学習範囲にない構造にも限界があります。

著者らは、より良質な評価データを加えて更新し、将来は混合による知覚も予測できる表現へ進むことを課題に挙げています。現段階でも、化学者が候補を探したり、神経科学者が香りと脳の応答の関係を比較したりするための、共通の座標としての価値を期待しています。

研究にはGoogle Researchなどが資金を提供しました。著者の一部は研究中にGoogleに所属し、審査中に関連技術を事業化するOsmoへ移り、同社の持分や給与を得ていること、関連する知的財産が移管されたことを開示しています。

まとめ

分子構造から学んだAIは、新しい分子について、人が平均して使う香りの言葉を、典型的な一人の評価者に近い水準で予測しました。人の評価を置き換えて不要にしたのではなく、その評価から、香りの関係を整理する地図をつくった研究です。

この地図が、香りの表現だけでなく、類似性や検出閾値にも使えたことが重要です。混合や濃度、個人差という課題を残しながら、分子の世界と人が感じる香りの世界を、共通の道具で考える足場を示しました。

参考文献

Lee, B. K., Mayhew, E. J., Sanchez-Lengeling, B., Wei, J. N., Qian, W. W., et al. (2023). A principal odor map unifies diverse tasks in olfactory perception. Science, 381(6661), 999–1006. DOI: 10.1126/science.ade4401 / 原著全文(著者最終稿)。