Nebbia(ネビア)— 霧をまとう、フィリッポ・ソルチネッリの詩的香水ブランド

ネビアの世界観と代表製品「Nebbia Fitta Extrait de Parfum 50ml」を表現したブランドイメージ

「NEBBIA(ネビア)は、境界のための衣服であり、消失した境界と、おぼつかない足取りのための覆いである。それは、人生の異なる年齢をぼやけさせ、思考を覆い、私たちに常識的な観点の厳粛さを失わせる。NEBBIA(ネビア)は、神秘の内側で動く空気の肖像であり、落ち込んだ心に静かなスリルが横切ることであり、希薄化され、変形しやすい、浮遊する、感情のパラレル世界に走る実体のないノイズのことだ。」

— フィリッポ・ソルチネッリ

基本情報

設立年: 2017年

創設者: フィリッポ・ソルチネッリ(Filippo Sorcinelli)

公式サイト: filipposorcinelli.com

創設者・ブランドの成り立ち

霧の町に生まれた少年

1975年7月1日、フィリッポ・ソルチネッリはイタリア中部マルケ州のモンドルフォ(Mondolfo)という小さな丘の上の町に生まれた。アドリア海から内陸へほんの数キロ、霧が谷を満たし、オリーブ畑の輪郭をぼかす――そんな土地の風景は、後にネビアというブランドが体現する「霧」のイメージと無縁ではないだろう。

幼少期の刷り込みは、のちの創作活動のほぼすべての原点となっている。5歳のとき、母親に連れられて通った地元の教会で、フィリッポは薫香(インセンス)の香りと典礼衣(法衣)の美しさ、そしてパイプオルガンの響きに打ちのめされた。同時に、仕立て師の叔母のもとで縫製や刺繍の技術に触れることになった。音、布、香り――この三つの感覚的な世界への没入が、彼の人生を形作っていく。

13歳のオルガン奏者

フィリッポが驚くべき早熟さを示したのは音楽の分野だった。13歳にしてファーノ大聖堂のオルガン奏者となり、のちにリミニ、サン・ベネデット・デル・トロントの大聖堂でもその役目を務めた。後に、彼はその経験についてこう述べている。

「大聖堂で13歳でオルガンを弾くことは、単に名誉であるだけではなく、子供の通常の活動を脇に置く大きな責任でもあった。友人たちがサッカーをしたり、かくれんぼをしているとき、私は司教の典礼の祝典でオルガンを弾くために付き添いを頼んでいた。これは人生の見方を変える体験だった。」

その後、ペーザロのロッシーニ音楽院で研鑽を積み、ローマの教皇立聖楽院(Pontifical Institute of Sacred Music)で音楽を完成させた。並行してファーノの美術学院でもマエストロ・ダルテという美術課程の修了資格を取得している。美術、音楽、そして教会という三つの世界の重なりが、フィリッポ・ソルチネッリという存在を形成した。

法衣から香水へ——ブランド誕生の流れ

2000年ごろ、フィリッポは修道会に入ろうとしていた友人のために法衣を一着手作りした。これが転機となり、2001年にサンタルカンジェロ・ディ・ロマーニャ(Santarcangelo di Romagna)にアトリエ「LAVS(ラヴス)」を設立する。LAVS(ラヴス)とは「Laboratorio Atelier Vesti Sacre(ラボラトリオ・アトリエ・ヴェスティ・サクレ/典礼衣工房)」の頭文字であり、同時にラテン語で「讃美(Laus/ラウス)」を意味する言葉でもある。

このアトリエは、教皇ベネディクト16世・フランシスコ・レオ14世を含む歴代法王や、多くの枢機卿のための衣装を手がけるほどの名声を確立した。フィリッポは注文を受けるにあたり、完成した典礼衣を出荷前に香りで包む習慣を持っていた。この「衣服に香りを宿わせる」という実践が、香水制作への道を開いた。

「私たちにとって、LAVS(ラヴス)の完成品に香りを与えることは慣習である。私たちは作品を感覚の要求に満ちた旅として捉えている。UNUM(ウナム)プロジェクトの起源はこの考えに根ざしている——私たちの創作物を際立たせることができる香りを作る必要性。」

2013年に香水事業を始めたと紹介されるフィリッポはコラボレーターのマルチェッロとともに香水ブランド「UNUM(ウナム)」を設立し、公式サイトによれば2014年に最初の香水を発表した。ゴシック建築や神聖音楽、ヴァチカンの精神性をテーマにした香水コレクションで、世界のニッチフレグランス愛好家の注目を集めた。

霧というテーマへの到達

UNUM(ウナム)がゴシック・宗教的テーマを探求する一方、フィリッポの視点はより自然現象・感情・詩的なものへと向かっていった。そして2017年、気象現象「霧(nebbia/ネビア)」に捧げた独立ブランド「Nebbia(ネビア)」が誕生する。

ネビアはフィリッポにとって決して偶然のテーマではない。マルケ州の丘陵地帯に漂う冬の霧、川沿いの朝もやに漂う鉄錆の匂い、木々の間に立ちこめる湿った緑の気配——幼い頃から体で知っている自然の感触が、このブランドの核心にある。公式サイトでは「彼自身の詩や絵画から着想を得て生まれた香りのコレクション」と説明されており、ネビアは単なる香水ではなく、ソルチネッリの詩作・絵画と地続きの作品群として位置づけられている。

「すべての香水は音楽なしには存在できない。それらは私が自分を表現したいすべての形を含んでいる——写真、芸術、音楽、絵画。」

— フィリッポ・ソルチネッリ

ブランドのこだわり

「感情の大気」——香りの哲学

ネビアの全作品はコレクション名「Atmosphere d’Emotion(アトモスフェール・デモシオン)」を掲げる。「感情の大気」と訳されるこの言葉は、ネビアの目指す体験を端的に表わしている——香水とは化粧品ではなく、感情が空気となって立ちのぼる現象そのものである、という思想だ。

フィリッポは、自身の香水制作について「ピラミッド・ノートよりも感情や振動の方が重要だ」と語る。調香師(ノーズ)には自身のアーティスティックなムードボードを渡し、それを嗅覚的な言語に翻訳してもらうスタイルをとっている。ノーズは非公開であり、あくまでフィリッポのアーティスティック・ビジョンを体現するための職人という位置づけだ。

Nebbia(ネビア)シリーズの各作品には、ロジックよりも詩情に訴える短い散文テキストが添えられている。それは「香水の説明」というより「香りの風景に誘い込む詩」であり、ソルチネッリの詩人としての側面が色濃く出ている。

ボトルと霧の哲学

ネビアのパッケージデザインには、ブランドのコンセプトが徹底的に反映されている。初期のボトルではキャップに綿が用いられ、「霧」を素材として直接体験できる設計となっていた。さらに特筆すべきは、ボトルを振ると中の液体が乳白色に濁り、まるでガラスの中に霧が立ちこめるように見える仕掛けだ。これは単なる演出ではなく、香水を「まとう」前から霧の体験が始まることを意味する。

2025年9月にリニューアルされたボトルは、より洗練された高級仕様となり、キャップにはマグマが流れるような造形が採用された。「流れ落ちるマグマのような曲線は、大気現象のように形を生み出し、絶え間ない変化の象徴となっています」と案内される。ガラスボトルのシンプルな造形とのコントラストが、現代アートのインスタレーションを思わせる佇まいを生んでいる。

香水ラインナップ

ネビアの作品は「Atmosphere d’Emotion(アトモスフェール・デモシオン)」コレクションに属する。ここでは2017年の「霧(Nebbia/ネビア)」シリーズ3作と、2022年に追加された「雨(Pioggia/ピオッジア)」シリーズ3作の、計6作を紹介する。公式サイトのコレクション全体には、さらに風をテーマにした4作が加わり、計10作が掲載されている。いずれも50ml エキストレ・ド・パルファム(Extrait de Parfum)で展開されている。

Nebbia(ネビア)シリーズ(2017年)——霧の三部作

フィリッポ・ソルチネッリが最初にリリースした3作は、「霧」という現象を三つの様相から解釈している。同じテーマを扱いながら、香りの表情はそれぞれ全く異なる。

ネビア フィッタ(Nebbia Fitta)——「厚い霧」

公式サイトの作品テキストにはこうある——「川沿いで鉄と石が酸素に浸る。無が塵のような存在となり、不可能への旅を試みる。手を近づけて、目を閉じて、あなたを取り囲む静寂の中に耳を傾けよ……」。

アンバーとパチョリに始まり、貴重な木々の香りをまといながら、湿った大地のアコードへと沈んでゆく。大地、鉄、苔——霧の中に立つ人間が感じる原初的なものへの引力を、重く、しかし圧迫感なく表現した一作だ。

ネビア デンサ(Nebbia Densa)——「濃密な霧」

「湿った苔の上に落ちた枝の延長、地平線のない謎の大聖堂を動かす木々の間をかきわける不確かな足取り……。日常の息吹は失われ、薄い雲が形を再形成する。」

ベチバーとサンダルウッドが静謐な骨格をつくり、ボタニカルムスクとパロサント(南米産の聖なる木)が深みを加える。ベースは露(つゆ)のアコードが締めくくる。フィリッポ自身のテキストもこの作品に添えられている——「そして微かな苦悩の中で、珍しい光の中で瞳を閉じながら、呼吸しようとする。この無限なる存在は、瞬間の香りとともに自らを位置づけたいと欲する。」

ネビア スペッサ(Nebbia Spessa)——「深い霧」

「私たちが航海する見えない海の中、瞬間的な恐怖と引きつるような快楽を混ぜ合わせ、塩辛い嫌悪と官能の狭間で、揺れ動く自己の境界を動かしながら。」

海のリッケン(海洋性地衣類)、アクアティックノート、そして露のアコードというユニークな構成に、塩気を思わせる表情が重なる。ウッディやアンバーの重さを持たず、水面に浮かぶ霞のような軽さと海辺の湿気が同居している。

Pioggia(ピオッジア)シリーズ(2022年)——雨の三部作

2022年、ネビアのコレクションは「ピオッジア(Pioggia)」——「雨」をテーマに拡張された。霧から雨へ、同じ水の変容を別の感情でとらえ直すシリーズだ。

ピオッジア デボレ(Pioggia Debole)——「小雨」:ベルガモット、パインウッド、マリンノート、レモンのトップに、ジャスミン、バージニア・シダーウッドを経て、ベンゾイン・サンダルウッド・モスに辿り着く。「暖炉にくべる湿った薪の匂いを嗅いだことがあるかい?」という言葉で誘われる、内省的で穏やかな雨の一作。

ピオッジア モデラータ(Pioggia Moderata)——「ほどよい雨」:ミラノの石畳を濡らす雨の記憶をテーマに、ベルガモット・アイリス・マートル・ナツメグのトップからジャスミン・クローブへ、最後にムスク・トンカマメ・ラブダナム・パチョリのベースへと至る。

ピオッジア フォルテ(Pioggia Forte)——「大雨」:突然の豪雨の記憶の中で結ばれた二つの身体のメタファー。ガーデニア・ローズのトップに、ゼラニウム・ジャスミン・シクラメンのハート、そしてモス・ベンゾイン・アンバーへ。3作の中で最も官能的な表情を持つ一作だ。

ちなみに……

「法王の香水師」という異名

フィリッポ・ソルチネッリを世界的に有名にしたのは、UNUM(ウナム)の最初のフレグランス「LAVS(ラヴス)」だった。これは教皇ベネディクト16世・フランシスコの典礼衣を出荷前に包んでいた香りを香水化したもの。「教皇の香水(The Pope’s Scent)」として話題を呼び、インセンス香水の名作として世界中の愛好家の間で語り継がれている。ネビアのブランドも、この「聖なる衣服の香水師」という文脈の延長線上にある。

ボトルを振ると霧が立つ

ネビアのボトルは振ると中身が乳白色に濁る——という仕掛けが、長年のファンの間で語り草となっている。旧製品の成分表には「Synthetic Fluorphlogopite(シンセティック・フルオロフロゴパイト/合成フルオロフロゴパイト)」や「CI 77891(シーアイ77891/二酸化チタン)」といった光を散乱させる素材が見られ、こうした成分による視覚効果と考えられる。視覚的にも「霧の瓶」を体現している。

2021年のアート&リタルジー賞受賞

フィリッポ・ソルチネッリは2021年に、典礼衣の分野における革新性を評価されてポンティフィカル典礼研究所(Pontifical Liturgical Institute)から「アート・アンド・リタルジー賞(Art and Liturgy Prize)」を受賞した。香水ブランドではなく、あくまで典礼衣デザイナーとしての功績に対してのものだが、その精神性が香水にも貫かれていることは疑いない。

参考文献