「(歴史に残るような)普遍的にいい香りを創りたい。そこに大前提がある。老舗の大手ブランドのよくできたストラクチャーと、独立系の、いわゆるニッチフレグランスの新しさを掛け合わせたところに生まれると思う。こうした香りは10〜30年後も世に残る」
—— サノマ(çanoma)クリエイター・創業者 渡辺裕太
基本情報
- 設立年:2020年9月(パリにてローンチ)
- 創設者(クリエイター):渡辺裕太(日本人)
- 調香師:ジャン=ミッシェル・デュリエ(Jean-Michel Duriez、フランス人)
- 公式サイト:canoma-parfum.com
創設者・ブランドの成り立ち
「エリート街道」からの逸脱
渡辺裕太は、高校時代に陸上100メートルでインターハイへ出場するほどのアスリートであった。スポーツと学業の両立を経て東京大学大学院工学系研究科技術経営戦略学専攻(TMI)を修了。その後、外資系投資銀行モルガン・スタンレー証券に入社し、みずほ証券プリンシパルインベストメントにも在籍。企業の合併・買収(M&A)、リート(REIT、不動産投資信託)上場、メザニン投資と呼ばれるプライベート・エクイティ案件などに携わる、典型的なエリートキャリアを歩んでいた。
しかし、渡辺は金融の世界である確信を得る。「分かったことは、私は金融に向いてなかったことです」と後にフォーブスジャパンのインタビューで率直に語っている。職業に付随する社会的評価と自分の内側の興味が一致しないことに気づいた渡辺は、金融業界に3年半在籍した後、フランスへの渡仏を決断する。
香りへの原体験
渡辺が香水に惹かれたのは、中高生の頃にまでさかのぼる。最初に購入した香水はアラン・ドロンの「サムライ(Samourai)」であったという。大学生時代も香水を集めていたが、当時は「自分が作る側になるとは思ってみませんでした」と本人は語る。
フランスへの転換点となった別の原体験も、渡辺自身が語っている。20歳ごろに渋谷のセレクトショップ「トゥモローランド(TOMORROWLAND)」を訪れた際、「香りは嗅がない限り、気づかない」という発見があったという。レオナルド・ダ・ヴィンチのモナ・リザは誰でも思い浮かべられても、ゲランのミツコの香りをいま頭の中で再生できる人は少ない——嗅覚という感覚の特殊性に、渡辺は深く魅了されていた。
パリへ、そしてデュリエとの出会い
2015年にフランスへ渡った渡辺は、パンテオン・ソルボンヌ大学とパリ第九大学(パリ=ドフィーヌ大学)でMBAを取得した。本来は「フレグランスのMBA」とも称されるÉcole Supérieure du Parfum(エコール・シュペリウール・デュ・パルファン)への入学を希望していたが、タイミングが合わず断念。一般大学でのMBA取得という迂回路を選ぶ。
フランス語で経営学修士(MBA)を学ぶなかで、修了に必要な香水メーカーでのインターンシップを求めて100社に応募したが、返事が来たのはわずか10通。面接にまで辿り着いたのはジャン=ミッシェル・デュリエのブランドと、当時話題のセレクトショップ「オフィシーヌ・ユニヴェルセル・ビュリー(OFFICINE UNIVERSELLE BULY)」の2社のみであった。友人たちはビュリーを勧めたが、渡辺はデュリエの香水に「純粋に良い香水だと感じた」こと、そして「香りに対する哲学が自分と合っていそうだ」と感じたことから、デュリエのもとで学ぶことを選ぶ。
インターン期間中は主にファイナンスのサポートを担いながら、デュリエとの深い議論を重ねていった。その後、知人のジュエリーブランドの立ち上げにも参画し、ブランド設立に必要な知見を一通り揃えた渡辺は、ついでデュリエに調香師としての参加を打診。デュリエは快諾した。
ブランド誕生 ── クラウドファンディングからトゥモローランドへ
サノマの正式ローンチに先立つ2019年、渡辺はブランドのクラウドファンディングを実施した。当時はブログで活動報告を発信し続けており、香水好きのコミュニティの間でじわりと話題が広まっていった。
そして2020年9月、サノマはパリで正式にローンチを果たし、同年11月に日本へ上陸した。ローンチ後のある時期、ギンザシックスでポップアップ出展の機会を得た渡辺は、それまでのブログ経由でファンが集まり、小さなスペースに人だかりができた。その光景をたまたま目にしたトゥモローランドのバイヤーが関心を持ち、取り扱いが決まったというエピソードが残っている。
調香師 ── ジャン=ミッシェル・デュリエとは何者か
渡辺が選んだパートナー、ジャン=ミッシェル・デュリエ(Jean-Michel Duriez)は、アミアン生まれのフランス人調香師である。1983年に イジップ(Institut Supérieur International du Parfum、現イジプカ/ISIPCA)に入学し、翌年グラースで修行。1986年にパリのエー・デー・オー(E.D.O./エチュード・エ・ディフュジオン・オルファクティーヴ/Études et Diffusions Olfactives)で調香師としてのキャリアをスタートさせた。
1989年には日本の化粧品メーカー「花王(KAO Corporation)」に入社して8年間勤務。1997年、フランス老舗ブランド「ジャン・パトゥ(Jean Patou)」に入社し、ジャン・ケルレオ(Jean Kerléo)の後任として同社調香師の座を引き継いだ。2001年にジャン・パトゥがプロクター・アンド・ギャンブル(Procter & Gamble)に買収された後も調香師として在籍し続け、「エンジョイ(Enjoy)」(2003年)や「シラ デ ザンド(Sira des Indes)」(2006年)などを制作。2008年にはロシャス(Rochas)の調香師にも就任し、8本の香水を手掛けた。ドルチェ&ガッバーナ(Dolce & Gabbana)、エスカーダ(Escada)、ラコステ(Lacoste)、ヨウジヤマモト(Yohji Yamamoto)の香水も彼の手によるものである。
2015年、プロクター・アンド・ギャンブルが香水事業の売却を進めるなかで、54歳のデュリエは自らのブランド「ジャン=ミッシェル・デュリエ パリ(Jean-Michel Duriez Paris)」の立ち上げに向けて独立した。2016年には30年のキャリアを記念するコレクションも発表している。その後、ブランドを閉鎖し、「アトリエ・ジェイエムディー(Atelier JMD)」を設立。ブランドへの調香サービスや個人向けオーダーメイド香水を手がける会社として再スタートを切り、サノマとの協働へとつながっていく。
ブランドのこだわり
命名に込められた二重構造
ブランド名「çanoma(サノマ)」は、「茶の間(Cha-no-ma)=日常」と「茶道(Tea ceremony)=上質」を掛け合わせた造語である。日本語の「サ」を、フランス語のセディーユ付きの「ça」と表記することで、日仏文化の融合をブランド名の中に直接埋め込んだ。渡辺は、この命名の意図を「日本人的な感性とフランスのテクニックの融合」を体現するものとして説明している。
テーマは「上質な日常(エレガンス デュ コティディアン/élégance du quotidien)」。日常の中にひっそりと息づく上質さ、それがサノマの根底にある世界観である。
ロゴとパッケージ ── ミニマルの中にある奥深さ
ロゴは、ひらがなの「さ」とフランス語の「ç」を組み合わせたデザイン。ミニマルになりすぎず、しかし余計な装飾も排除した、洗練された上質さと「秘められたこだわり」を表現する。ラベルやパッケージも同じ思想に基づき、不要な装飾を極力省いたデザインが採用されている。
源氏香之図 ── 「隠されたテーマ」
各香水のボトルには、「源氏香之図(げんじこうのず)」のマークが一つずつあてがわれている。源氏香之図とは、香道の遊び「組香」の一形式であり、52種類の図それぞれに源氏物語の帖の名が付けられたもの。香水のインスピレーションと近しい帖の名を持つ図を選び、ラベルのシンボルマークとして採用することで、各香水の物語を「暗示」する役割を担う。
この仕掛けはパッケージの外側からはわからない。興味を持った人がパッケージの内側を読んで初めて、源氏香之図の意味が記載されており、「隠されたテーマ」として機能する。
渡辺がこの工夫にこだわる背景には、「名前からの先入観を与えたくない」という哲学がある。「香りを楽しんでもらうために、商品名やデザインからの前情報を抑えるのが案外難しくて」と渡辺は語っており、製品名に試作品番号をそのまま使うことも同じ思想の延長にある。
香水名に試作品番号を使う理由
サノマの香水には、「1-24」「3-17」など試作品番号がそのまま製品名に採用されている。「1-24」は「1」というカテゴリの香りにおける24番目の試作品を意味する。
この命名には二つの理由がある。一つは、嗅ぐ前に先入観を与えないため。もう一つは、規制変更等により処方を修正する必要が生じた際に、番号の変更をもって「処方に変化があった」ことをユーザーに知らせるためである。
「余白」の美学
渡辺はフォーブスジャパンのインタビューで、サノマの香りが持つ「余白」について、以下のように語っている。
「パリにおける美しさを考えたとき『余白がない美しさ』を感じたことがあります。一方、日本には『余白の美しさ』があります。サノマの香りが持つ余白は、意味のある余白であるべきだと思っています。語らないけど、意味がある。他の言葉で言い換えると洗練に近いでしょうか。」
—— 渡辺裕太
香りづくりの哲学 ── 「新しさ」と「ストラクチャー」の両立
渡辺は、現在の香水市場が「大手」と「ニッチ」に二分されていると分析する。大手は技術的に完成度が高いが新しい提案に乏しく、ニッチは新しさに突出しているが「香水というより『香り』や『匂い』に近いものが多い」と感じている。
サノマが目指すのはその中間——「良いストラクチャー(香り全体の構造)で、そしてその中に新しい提案があるもの」。渡辺はカルバン・クラインの「シーケーワン(ck one)」を例に挙げ、「90年代に発表されたシトラスメインのジェンダーレスな香りが年代・性別を超えて愛された」ように、サノマも「10〜30年後も世に残る」普遍的な香りを目指すと語っている。
渡辺の役割はあくまでクリエイション(ディレクション)であり、調香技術はデュリエに委ねる。「どんな香水を作るか、インスピレーションの共有、商品化の判断など調香以外の全てを担っている」のが渡辺の仕事である。
香水ラインナップ
サノマの主な香水ラインは以下の通りである。30mlを中心に展開されており、一部製品は9,350円(税込)、一部は価格が異なる。
デビュー4作(2020年)
1-24 鈴虫(オリエンタル×スパイシー)
ブランド立ち上げ前から最初に作りたいと構想していた、渡辺の思い入れが最も強い香り。夏の終わり、湿気の残る空気に秋の予感がよぎる瞬間をモチーフに、シダーウッドやアンバーがオリエンタルな雰囲気を作り出し、カルダモン、サフラン、バジルがアクセントを加える。
2-23 胡蝶(ウッディ×スパイシー)
パチュリ中心のウッディとスパイスを組み合わせたローズ香水。渡辺が幼少期にアゲハチョウを卵から育てた経験から、スパイスに四川山椒を選んでいる。アニマル感を排除し、甘さを抑えたローズが特徴で、4種の中で最も重厚感があり持続時間も長い。2021年のインタビュー時点では、初期4種の中で2番目に人気だった。
3-17 早蕨(ムスク×アロマティック)
ラベンダーやセージのアロマティックノートを中心に、松のウッディノートと青リンゴが包み込む、寒い冬の朝に窓から暖かな光が差し込む情景を表現した香り。渡辺は「どこか一つの香料を強めて個性を強調するのではなく、心地よく使えるバランスを追求した」と語っており、2021年のインタビュー時点では、初期4種の中で最も販売実績が高かった。
4-10 乙女(グリーン×フローラル)
ガルシア・マルケスの小説『百年の孤独』の叶わぬ恋を描いたワンシーンに着想を得た香り。南国のようなフローラル、爽やかなアクアティック、グリーン、ウッディを組み合わせ、あえて香りの芯を作らないことで捉えどころのない雰囲気を演出している。
第2期以降の作品
7-18 浮舟(マリン×フローラル)と8-17 松風(アニマリック×ウッディ×アクアティック×フローラル)は、2023年10月に伊勢丹新宿で開催された「サロン ドゥ パルファン 2023」にて先行発売された。7-18 浮舟のコンセプトは「晩夏の日光・中禅寺湖」、8-17 松風は「厳島神社の朝」を情景の起点としている。この2作の発売時には、仙台の伝統工芸「玉虫塗(たまむしぬり)」を施した限定ボトルも同時展開された。玉虫塗は光の加減で色合いが微妙に変わる宮城県の漆芸技法である。
10-20 蜻蛉(グルマン×フローラル)は、ほうじ茶をモチーフに、緑茶のフローラル、磯のニュアンス、グルマンな甘さが重なり合う一作。海藻、ナツメグ、ほうじ茶アコード、コーヒーなどを用いた香調である。
12-11 夕霧(マリン×ウッディ×グルマン)と21-12 幻(シトラス×スパイシー×ウッディ)は2025年秋の「サロン ドゥ パルファン 2025」(伊勢丹新宿)で初お披露目された最新2作。12-11 夕霧は、秋の夕方に突然の雨に降られ、濡れたアスファルトとコーヒー豆の香りが交わる情景をモチーフに、コーヒーとアクアティックノートのアコードをグルマン調の甘さが包む。21-12 幻はデュリエが「自由に描いた」香りとされており、ベルガモットやバジルのアロマティックにアクアティックノートの爽やかさとモダンなウッディノートが加わる構成で、11,000円(税込)と通常ラインより高い価格設定となっている。
ボディケアライン
香水に加え、3-17 早蕨、2-23 胡蝶の香りを使用したハンドクリーム、3-17 早蕨のヘア・ボディオイル、フレグランスシャンプー、トリートメント、ボディウォッシュも展開されている。渡辺はインタビューの中で、「日本人の嗜好的にはルームフレグランスの方が売れるが、香水への一歩手前として、香りと体の距離を縮めるという狙い」でボディケア展開を進めていると語っていた。
ちなみに…
「5番」は永久欠番
サノマの製品番号体系において、「5」は永久欠番となっている。渡辺自身がファッションスナップのインタビューで「香水史に偉大な功績を残したシャネル N°5への敬意を込めて」と説明しており、デビュー4作の次の作品番号が「6」から始まる理由はここにある。
インターハイ出場経験を持つ創業者
渡辺は学生時代、陸上競技(100メートル)でインターハイへの出場経験がある。文武両道を超え、金融から香水というキャリアの転換を経た「両極の存在」として紹介されることも多い。フォーブス ジャパン(Forbes Japan)のインタビューで「向いてないものからは引け」と語った言葉は、そんな渡辺の人生哲学を端的に示している。
デュリエとピエール・エルメの共著
調香師ジャン=ミッシェル・デュリエは、パティシエのピエール・エルメとの親交でも知られる。2012年には共著『オー クール デュ グー(Au Cœur du Goût)』(味覚の核心)をアニェス・ヴィエノ出版から刊行しており、香水と菓子の対応関係から発想した70のレシピを収録している。
参考文献
- Wikipedia(仏語)Jean-Michel Duriez
- çanoma 公式サイト「12-11 夕霧」製品ページ
- çanoma 公式サイト「21-12 幻」製品ページ
- 香水ブランド「サノマ」、創業者が挑む後世に残る … – BeautyTech.jp
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- çanoma online store
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