匂いを感じない人は、日常の呼吸も違う?

匂いを感じない人は、日常の呼吸も違う? 香りの科学

香りを確かめるとき、私たちは少し鼻を近づけ、短く息を吸います。では、意識して嗅いでいない日常の呼吸にも、周囲の匂いを探る動きが含まれているのでしょうか。

Gorodiskyらが2024年に発表した研究は、生まれつき匂いを感じない「先天性嗅覚脱失」のある人と、嗅覚に問題がないと答えた人の鼻呼吸を、24時間記録しました。調べたのは、単に何回呼吸したかだけでなく、一息の中で空気の流れがどう変わるかです。

左右の鼻の空気の流れを、一日記録する

参加したのは、先天性嗅覚脱失の21人と、対照となる31人です。前者は、匂いを感じた記憶がないことに加え、医師の診察、嗅覚同定検査、MRIなどで状態を確認しました。対照群の正常な嗅覚は自己申告で、同じ嗅覚検査による確認は行っていません。

小型の記録装置を身につけ、左右の鼻孔につながる細い管で圧力の変化を測り、鼻の空気の流れに換算しました。測定中は普段どおり生活し、起きている時間や眠った時間などを日誌に記録してもらいました。

装置はおよそ1秒に6回記録するため、呼吸の大きな周期に加え、その中の細かな変動も捉えられます。ただし、口から出入りする空気は測っていません。鼻と口を合わせた呼吸全体の量を調べた研究ではありません。

呼吸の回数と、一息の中の山は別

息を吸って吐く一周期を1回と数えると、両群の呼吸回数に統計的に明確な差はありませんでした。どちらの群も、眠っているときには起きているときより呼吸がゆっくりでした。

違いが見えたのは、吸っている最中に空気の流れが一時的に強まる「ピーク」の数です。一息を吸う間に、小さな山が一つだけ現れることもあれば、何度か現れることもあります。呼吸が4回でも、吸気の山は4つとは限りません。

起きている間、対照群のピークは平均で毎分約23.8回、先天性嗅覚脱失群では約19.5回でした。この差は統計的に有意で、約4回の違いは、1時間にするとおよそ240回分になります。

ここで増えているのは「呼吸を丸ごと行う回数」ではなく、一息の中にも生じる細かな吸気の山です。眠っている間のピーク数には、両群で明確な差は見られませんでした。著者らは、覚醒中に多い山が、周囲の匂いを探る動きを反映している可能性を考えました。

匂いの少ない部屋では、どうなる?

この考えを補助的に調べるため、別の正常嗅覚の32人を、匂いが付きにくい材料と高性能の換気・フィルターを備えた部屋で測定しました。すると吸気のピークは平均毎分約17.2回となり、日常生活で測った先天性嗅覚脱失群との有意差はありませんでした。

匂いのある環境とのやりとりが、細かな吸気を増やすという説明に合う結果です。ただし、この対照実験の人たちは座っていました。外を歩いたり活動したりする日常記録とは条件が違うため、差を匂いの有無だけによるものと決めることはできません。同じ人の環境だけを変えて比較した実験でもありません。

眠っているときにも、波形の違いがあった

研究者は、ピーク数以外にも鼻気流の特徴を抽出しました。睡眠中と覚醒中を分けて計50指標をつくり、互いに似た情報を持つものを減らして27指標を比較しています。多数の比較による偶然の差に対処したあと、4指標で群の違いが残りました。

先天性嗅覚脱失群では、覚醒中の吸気ピークが少ないことに加え、吸気後の間がある呼吸の割合が高く、息を吐くときの流れの最大値が小さくなっていました。睡眠中には、一回ごとの吸気量の相対的なばらつきが大きくなっていました。

つまり、日中に匂いを探る動きが少ないという説明だけでは終わりません。睡眠中にも違いがあることから、著者らは、嗅覚のない状態で育つ過程で、鼻呼吸のパターン自体が変化する可能性を提案しました。今回の群間比較で、その発達過程を追跡したわけではありません。

呼吸だけで、嗅覚の状態を分けられる?

差の残った4指標を使い、どちらの群の人かを分類する計算も行いました。一人分を学習から外して予測する方法を繰り返すと、今回の52人では約83%の分類精度でした。匂いを提示せず、鼻気流のデータだけから分けた結果です。

ただし、先天性嗅覚脱失の人を正しく捉えた割合は67%、対照群を正しく捉えた割合は94%で、両群を同じ確かさで判定したわけではありません。分類に使う指標を選んだ集団の中での検証であり、新しい独立した集団で使える診断法として検証を終えた数字でもありません。

分類には睡眠中の吸気量のばらつきが特に重要で、それを除くと成績は大きく下がりました。著者らは、単なる嗅ぎ直しの回数を超えた、鼻呼吸の違いがあることを支持する結果と捉えています。

著者らは鼻気流による嗅覚脱失の分類に関する特許出願を開示しています。また、一部の著者には測定装置の特許と、装置を開発する企業への経済的利害があり、企業は今回の研究には関与していないと記されています。

健康との関係は、これから確かめる問い

著者らがさらに提案したのは、嗅覚と健康の関係を考えるとき、匂いの知覚だけでなく、鼻呼吸の変化にも目を向けるという視点です。鼻の空気の流れは脳活動と関わるため、呼吸パターンの違いが、感情や認知、身体の状態に影響する可能性があると考察しています。

これは今回、健康悪化の原因を明らかにしたという意味ではありません。病気や寿命への影響、脳活動の変化を同時に測って検証した研究ではなく、呼吸を変えれば症状や健康が改善するという治療効果も調べていません。

また、参加者は生まれつき匂いを感じない人たちです。感染症やけがなどで後から嗅覚を失った人にも同じ変化が起きるのか、失った直後なのか時間がたってからなのかは、今後の課題として残っています。

細かな変動を消さずに測る意味

測定方法にも示唆があります。著者らが記録をなめらかにする処理を加えると、吸気ピーク数の群の違いは見えなくなりました。呼吸の大きなリズムだけを残す測り方では、今回注目した細かな情報を取り逃す可能性があります。

一方、今回の記録速度も装置の電力消費との折り合いで決まっており、もっと速く測れば、さらに細かな違いが見つかるかもしれません。鼻の流れを日常の中で長く測ることと、細部まで捉えることの両方が重要になります。

まとめ

先天性嗅覚脱失のある人と対照群では、全体の呼吸回数よりも、一息の中の細かな吸気や、睡眠中を含む鼻気流の形に違いが見つかりました。鼻は、息をする器官であると同時に、周囲の匂いを探る器官でもあることが、日常の記録から浮かび上がります。

著者らは、匂いを感じないことに伴う変化を、知覚だけでなく呼吸の側からも調べる必要があると提案しています。細かな鼻気流を残して測る方法は、嗅覚と呼吸が生活の中でどう結びついているかを探る、新しい手がかりになります。

参考文献

Gorodisky, L., Honigstein, D., Weissbrod, A., Weissgross, R., Soroka, T., Shushan, S., & Sobel, N. (2024). Humans without a sense of smell breathe differently. Nature Communications, 15, 8809. DOI: 10.1038/s41467-024-52650-6 / 原著全文。原著:© The Author(s) 2024, CC BY-NC-ND 4.0。