悪臭に香りを重ねるとき、大切なのは香りの強さだけではありません。2023年の研究では、調製した糞便臭にペパーミントやユーカリの精油はよく調和した一方、ジャスミンなどの花の抽出物は調和しにくいと評価されました。さらに、特定の嗅覚受容体の反応を抑える香料を組み合わせると、モデル臭の不快感の評定が低くなっています。
研究の中心は、排泄物や体臭などが混ざる介護場面のにおいを想定し、二つの方法を組み合わせた香料を開発することでした。一つは受容体への作用から素材を選ぶ方法、もう一つは悪臭と香料を一緒に嗅いだときの調和から選ぶ方法です。
まず、スカトールとインドールに応答する受容体を探す
研究者は糞便臭の特徴に関わるスカトールに着目しました。ヒトの嗅覚受容体398種類をそれぞれ培養細胞に作らせ、スカトールを加えたときの反応を調べています。受容体が働くと細胞内の信号を介して発光が増える仕組みを使い、その光を測定しました。
ここで応答が見つかったのがOR2L3です。スカトールの濃度が高くなるほど反応が大きくなり、もう一つの糞便臭成分であるインドールにも濃度に応じて反応しました。受容体を入れていない比較用の細胞は、同じような反応を示しませんでした。
次に約800種類の香料素材を調べ、スカトールによるOR2L3の反応を抑えるものを探しました。数十種類の候補の中から、木質・アンバー調、サンダルウッド調、トロピカルフルーツ調の3素材と、クラリセージエキスを選び、詳しく検証しています。四つともスカトールとインドールに対する細胞の応答を抑えました。
このような素材を、受容体の反応を妨げる「アンタゴニスト」と呼びます。におい物質を化学的に分解するのではなく、受け取る側の信号に着目した選び方です。細胞での試験は候補を絞る手段になり、その後に人が嗅いで確かめる段階が必要です。
人が嗅いでも、悪臭の強度は低く評価された
20人の専門パネルが、スカトールまたはインドールと香料を一緒に嗅ぎ、悪臭の強度を0〜5の尺度で評価しました。ボトルの中には二つの綿球を入れ、一方に悪臭の試料、もう一方に香料を染み込ませています。香料同士は、おおむね同じ強さに感じられるよう希釈しました。
悪臭だけの強度を4としたとき、選ばれた四つの香料を加えた条件では、いずれも悪臭の平均強度が低くなりました。クラリセージエキスでは、両方の悪臭とも約1に下がっています。細胞で選んだ素材が、人による評価でも役立つ可能性を示した結果です。
ただし、こうした官能評価の図には群間差の検定が記載されていません。細胞実験には統計検定がありますが、それをそのまま人の評定差に当てはめることはできません。ここでは示された平均値の方向として読みます。
花の香りより、ハーブやグリーン系が調和した
実際の悪臭は、スカトールやインドールだけでできているわけではありません。研究者は、この二つに硫黄系の成分や低級脂肪酸を加えてモデル糞便臭を作り、混合物全体を心地よい印象へ整える素材も探しました。
こちらは6人の専門パネルが、精油や植物抽出物とモデル臭を一緒に嗅ぎ、「よく調和している」から「まったく調和していない」までの3段階で評価しました。ペパーミント油、ユーカリ油、ガルバナム油は調和する側の評価になりました。対して、ジャスミン、チュベローズ、オレンジフラワーの抽出物は調和しない側の評価になっています。
花の抽出物にはもともとインドールが含まれるため、糞便臭と重なるとその特徴が目立ったのではないか、と著者らは考察しました。ただし、インドールだけを除くなどして確かめた実験ではなく、原因の説明は仮説です。具体的に確認されたのは、今回の素材・濃度・モデル臭で調和の評価が異なったことです。
調和に使った精油は、試した条件ではOR2L3の応答を抑えませんでした。この結果は、先ほどの受容体の抑制とは別の選び方ができることを支えています。すべての嗅覚受容体への作用を調べ尽くしたという意味ではありません。
二つの選び方を、一つの処方へ
研究者は、受容体抑制用と調和用の素材を含まない、フローラル調の基礎香料を作りました。論文ではこれを「ブランク香料」と呼びますが、無臭の対照ではなく、花の香りを持つ比較用の処方です。
モデル糞便臭の試験では、この基礎香料に、受容体を抑える素材だけを加えたもの、調和用の精油だけを加えたもの、両方を加えたものを比較しました。20人が不快から快いまでの5段階で答えた結果、各技術を加えた処方は基礎香料より快い側となり、併用した処方の平均値が最も高くなりました。
さらに、モデル糞便臭に2-ノネナールを含むモデル加齢臭を加え、研究でいう「介護臭」のモデルを作りました。こちらでは、悪臭だけ、基礎香料を加えた条件、二つの技術を併用した条件を比較しています。併用処方は基礎香料より快い側に評価されました。介護臭モデルでは各技術を単独で加えた条件を比較していないため、単独技術に対する優劣は糞便臭モデルの結果と分けて考える必要があります。
著者らは、目立つ悪臭成分の受容体反応を抑え、残る混合臭を調和させることで、二つの技術が補い合ったと説明しています。また、一部の素材には別の体臭関連受容体を抑える先行知見もあるとして、複雑なモデル臭への効果を考察しました。今回の官能試験だけで、それぞれの寄与や統計的な相乗作用まで確定したわけではありません。
まとめ
この研究は、スカトールとインドールに応答するOR2L3と、その反応を抑える香料素材を見つけました。同時に、モデル糞便臭と調和する精油を人の評価で選び、二つの技術を併用する処方へつなげています。
糞便臭モデルでは併用処方が各単独処方より快い側の平均評定となり、介護臭モデルでも基礎香料より不快感が小さくなりました。実際の介護施設や利用者の健康・生活の質への効果は今後の課題ですが、受容体の情報と、混ぜた全体を嗅ぐ評価を行き来する香料設計の道筋が示されています。
研究当時、著者9人全員は高砂香料工業に所属していました。独立した研究資金・利益相反の声明は本文に見当たりません。
参考文献
三原尚・村井正人・寺田育生・桑原裕香理・小林剛・佐野昇・石田賢哉・星野邦秀・平野奈緒美(2023)「嗅覚受容体技術および調和型消臭技術を用いた介護臭低減香料の開発」日本化粧品技術者会誌、57(1)、42–49。原著論文


