ムスクを増やさず、ムスクに気づきやすくできる?

ムスクを増やさず、ムスクに気づきやすくできる? 香りの科学

ムスクの量を増やさなくても、別の香り成分を添えることで、ムスクの存在に気づきやすくなる場合があります。2023年の研究では、特定のアルデヒドがムスクに反応する嗅覚受容体の働きを高め、人が香りを検出する試験にも変化が現れました。

面白いのは、単に二つの香りの強さを足した話ではないことです。この研究は、一つの成分が、もう一つの成分を受け取る鼻の仕組みをどう変えるかを、細胞実験から人の知覚までつないで調べています。

ムスクを受け取る「入口」に注目する

研究の中心は、ヒトの嗅覚受容体OR5AN1です。受容体は、におい分子を受け取って細胞内へ信号を伝えるタンパク質。OR5AN1は、ムスコンやムスセノンなど、一部のムスク成分に反応します。

研究チームはまず、構造の異なる13種類のムスクについて、人がどの程度の濃度で気づくかを測り、成分ごとの感度の関係を調べました。感度の似方は、化学構造による分類と完全には一致しませんでした。一方、ムスコン、ムスセノン、ムスクケトン、ムスクキシレンのグループでは、人の感度とOR5AN1の反応が対応しました。鏡像関係にある分子を比べた結果も、この受容体と検出感度の結びつきを支えています。

そこで次の問いが生まれます。OR5AN1の反応を別の分子で変えれば、人のムスクへの感度も変わるのでしょうか。

780物質から、受容体の反応を高める組み合わせを探す

実験では、OR5AN1を発現させた培養細胞に、低濃度のムスセノンと780種類の香り物質をそれぞれ組み合わせました。候補を濃度別に調べ、さらに111種類の関連化合物を比較したところ、特定の構造を持つアルデヒドに、受容体の反応を高める働きが見つかりました。

有効だった物質には、炭素の鎖の長さや二重結合の位置に共通点がありました。同じような長さの分子でも、アルデヒド部分をアルコールや酸に変えたり、二重結合の位置を変えたりすると、同じ増強は得られません。アルデヒドなら何でもよい、という結果ではありませんでした。

詳しく調べた一つが、(Z)-2-ノネナールです。これを添えると、OR5AN1がより低いムスク濃度で反応したり、最大の反応が大きくなったりしました。変わり方は、組み合わせるムスクによって異なります。

同じ場所を奪い合う以外の働き方

研究チームは、こうした作用を「アロステリックな調節」で説明しました。これは、主な成分が結びつく場所とは別の場所への作用を通じて、受容体の働き方が変わる仕組みです。濃度と反応の関係を解析した結果や、受容体の一部を置き換える実験が、この説明を支えました。

受容体の特定のアミノ酸を変えると、ムスセノン単独への反応を大きく変えずに、増強だけが弱くなる例がありました。構造モデルと分子の配置計算から、増強成分が作用しうる場所も提案されています。ただし、これは実際の結合状態を直接撮影した構造ではなく、実験結果と計算を合わせた候補です。

同じ成分でも、マウスの対応する受容体や、別のヒト受容体では作用が異なりました。別のヒト受容体OR10J5にも増強する組み合わせが見つかり、仕組みがOR5AN1だけに限られない一方、どの受容体にも一律に働くわけではないことが示されました。

逆向きの調節もあります。ムスク成分のガラクソリドは、OR5AN1の一部のムスクへの反応を抑えました。また、人に自然に見られるOR5AN1の遺伝子型を五つ調べると、単独のムスクには反応しにくい型を含め、(Z)-2-ノネナールを加えたときに反応が増えました。混合物への反応を考えるときには、単独成分への感度だけでは足りないことが分かります。

人にも、ムスクを見つけやすい変化は起きた?

人の試験では、三つの容器のうち、ムスクが加わった一つを選んでもらいました。三つとも同じ濃度の増強成分、または比較用の成分が入っているため、その背景のにおいだけを手掛かりに正解することはできません。増強成分と比較用成分は、事前に感じる強さがそろう濃度を選んでいます。

ムスクの濃度を段階的に変え、正答率から偶然当たる分を補正して、検出のしやすさを比べました。研究全体の参加者は115人ですが、各試験すべてに115人が参加したわけではありません。増強を調べる試験は、ムスセノンで50セッション、ムスコンで28セッション行われ、多くの人が複数回参加しています。

(Z)-2-ノネナールを背景にした場合、比較用のノナナールを背景にした場合より、ムスセノンとムスコンの両方を検出しやすくなりました。ムスセノンでは、試した濃度範囲を通じた平均検出確率が0.34から0.46へ上がりました。

ムスコンでは、検出曲線から求めた感度の指標も、より低い濃度側へ移りました。ここで使う濃度は容器に入れる液の濃度です。空気中の濃度や、香水を肌につけたときの強さの倍率を示すものではありません。

一方、細胞では増強した別の候補、(E)-2-トリデセナールでは、ムスセノンの検出に有意な変化が認められませんでした。細胞で反応が増えることと、人が気づきやすくなることは、実際に両方を測って確かめる必要があるのです。

香りの混ぜ方を、受け取り方から考える

この研究の大切な点は、においの混合が、鼻の入口にある受容体の段階から相互作用を起こすと示したことです。増強の大きさは成分、受容体、濃度に左右され、抑制される組み合わせもあります。

試験の対象は特定のムスクと背景成分の組み合わせで、完成した香水の好ましさ、持続時間、肌での香り立ちを評価したものではありません。それでも、香りを設計するときに「何をどれだけ入れるか」に加えて、「一緒に届いた分子が、鼻でどう作用し合うか」を考える手掛かりになります。

なお、研究はFirmenichの社内資金で行われ、実施時点では全著者が同社の社員でした。関連する特許出願も開示されています。

まとめ

特定のアルデヒドは、ムスク受容体OR5AN1の働きを調節し、(Z)-2-ノネナールとの組み合わせでは、人のムスセノンとムスコンの検出も改善しました。一方、細胞での増強が人の検出の有意な改善につながらない候補もありました。

さらに、反応を抑える組み合わせや、反応しにくい遺伝子型でも混合時には応答が増える現象が見つかりました。ムスクの感じ方を理解するには、成分の量だけでなく、受容体の種類と、同時に届く分子同士の作用まで見る必要がある。そこが、この研究が開いた視点です。

参考文献

Trimmer C, et al. Allosteric modulation of a human odorant receptor. Current Biology. 2023;33:1523–1534.e4. doi:10.1016/j.cub.2023.03.016