クラブで踊る身体、疾走する馬の息づかい、陽を浴びた岩。ヘッドスペース(Headspace)は、ひとつの素材に、その周囲で生まれる匂いと情景を重ねるフランスの香水ブランドである。目に見えない空気を分析する技術と、そこから何を描くかを決める調香師の仕事が、一瞬の体験を香水へと変えていく。
基本情報
- ブランド名:Headspace(ヘッドスペース)
- 創設年:2022年
- 創設者:ニコラ・シャボ(Nicolas Chabot)
- 拠点:フランス・パリ
- 公式サイト:Headspace
創設者とブランドの成り立ち
香水店の家族から、高級ブランドの仕事へ
シャボの家族と香水の関わりは、曾祖母が1930年に開いた香水店にさかのぼる。祖父母や母も店で働き、彼は香水が身近にある環境で育った。やがて23歳でディオールに入り、LVMH、エスティ ローダー、プランタンなどで、高級ブランドの位置づけを見直す仕事に携わった。
大きな企業で経験を積んだ後、再び香水の世界に近づきたいと考えていたシャボは、パリの骨董市でル・ガリオンの「ソルティレージュ」の瓶に出会う。造形に惹かれて祖母にブランドのことを尋ね、瓶を買い、来歴を調べ始めた。一本の古い香水が、次の仕事の入口になったのである。
ル・ガリオンの再興と、合成香料への探究
2014年、シャボはル・ガリオンを再始動させた。過去の香水を集め、香水の保存機関オスモテックを訪ね、かつてブランドを率いた調香師ポール・ヴァシェの娘にも協力を求めた。残された香りと処方を受け継ぐ一方、新作にも取り組んでいく。
2015年、新しいル・ガリオンについて語った言葉には、歴史を現在へつなごうとする姿勢が表れている。
ル・ガリオンを現代の世界へ連れてこなければならない。
ニコラ・シャボ
続く2016年には、合成香料の可能性を前面に置くエーテル(ÆTHER)を創設した。伝統的な香水の再興と、合成による新しい表現。シャボは異なる出発点を持つブランドを通じて、香りの素材と、それを作品にする方法を探ってきた。
エーテルについて語った2017年には、店に入るためにウードを使うことや濃度を高めることを求められる状況に触れ、商売と創造性の接点を問いかけている。
その二つは、どこで出会うのか。
ニコラ・シャボ
すでに売れている香水の条件に合わせながら、新しい表現をどう生むか。ヘッドスペースでは、周囲の匂いを捉える技術そのものが、新しい表現への入口になった。
2022年、IFFとの協働で始まった七つの香り
ヘッドスペースは2022年に誕生した。同年6月、ミラノの香水展エスクセンスで先行披露され、10月には香料会社IFFの施設で正式なローンチが行われた。出発点となったのは、IFFの調香師たちとつくった七つの香水である。
シャボが企画したのは、ヘッドスペース技術で捉えた匂いと、作品の核となる素材を組み合わせる香水だった。馬の息づかいとスティラックス、動く身体とニガヨモギ、嵐の後の自然とセージ。素材だけでは表しきれない、その場の空気をもうひとつの題材にした。
ブランド名にも二つの意味が重なる。ひとつは匂いを捉える技術の名。もうひとつは、想像が広がる頭の中の空間である。分析で得た匂いの手がかりを、調香師が情景へと組み立てる。その往復が、ヘッドスペースの制作を支えている。
ブランドのこだわり
空気の分析から、情景の構成へ
ヘッドスペース技術は、植物や物体の周囲の空気に含まれる匂いを捕集・分析し、その香りを再構成する方法である。咲いている花だけでなく、周囲の環境や、短い時間に生まれる匂いも創作の手がかりになる。
ヘッドスペースの香水では、その手がかりに天然香料と合成香料を組み合わせる。素材の名前と情景を対にすることで、同じ植物や樹脂にも、場所や身体の動きに応じた表情を与えている。
アブサント:ニガヨモギと踊る身体
ニコラ・ボーリュー(Nicolas Beaulieu)が調香した「アブサント(ABSINTHE)」の核はニガヨモギであり、重ねる題材は動く身体である。描かれているのは、音量が増していく夜のクラブで、人々の身体がすれ違い、近づく場面だ。
ニガヨモギの芳香に、ナルシスやパチョリ、しなやかなレザーアコードを合わせる。アコードとは、複数の香料を組み合わせてひとつの印象をつくる構成である。ここでは革の印象が、肌の温もりや身体の熱を表す要素になっている。植物の香りを、人の動きと肌の近さへ結びつけた作品である。
スティラックス:馬の温もりを樹脂と革で描く
ミロスラフ・ペトコフ(Miroslav Petkov)の「スティラックス(STYRAX)」は、疾走する馬を題材に、人と馬の身体がひとつにつながる瞬間を描く。スティラックスの革を思わせる側面を、馬と乗り手の近さへ結びつけている。
ラブダナムとアンバーの印象が、馬の身体に接して温まった鞍を表し、スティラックスの革の表情に、オスマンサスのアプリコットを思わせる香りが重なる。人、動物、植物の温もりを、樹脂と革と花の組み合わせでつなぐ設計だ。アブサントが群衆の中の身体を描くのに対し、こちらは乗り手と一頭の馬との近さに焦点を置いている。
調香台の試薬瓶を思わせるボトル
ジュール・ディナン(Jules Dinand)は、祖父でボトルデザイナーのピエール・ディナン(Pierre Dinand)とともにヘッドスペースのデザインに関わった。着想源は、調香師の机に並ぶ小さな香料の瓶である。
100mLのボトルには試薬瓶を思わせる形を採用し、黒いベークライトのキャップと簡潔な白い紙ラベルを合わせた。ベークライトは成形に用いる合成樹脂の一種である。ラベルの大きな白い余白は、香りから情景を思い描くためのキャンバスにも見立てられている。分析から想像へ向かうブランドの発想が、手に取る容器にも表れている。
参考文献
- Meet the HEADSPACE Paris Team — 創設者、調香師、デザイナーの公式紹介
- Serendipitous Moments: An Evening With Le Galion & The Perfume Society — ニコラ・シャボとジョー・フェアリーの公開対談
- Le Galion Paris: Are You an Aesthete? — Sergey Borisovによるニコラ・シャボ取材
- The Point At Which They Meet: Nicolas Chabot On Æther — Persolaiseによる本人取材の原文抜粋
- Headspace: A New Brand With a Creative Streak — Sophie Normandによる2022年のローンチ取材
- HEADSPACE Approach — 制作理念、技術、ボトルの公式説明
- ABSINTHE — 題材、香りの構成、調香師の公式説明
- STYRAX — 題材、香りの構成、調香師の公式説明


