「香りは、勉強して理解するものではありません。直感で感じ、判断するものです」
— チャ・ヘヨン、創業者(韓国語からの訳)
NONFICTION(ノンフィクション)は、香りを通して、飾らない自分へ戻る時間を提案する韓国発のブランドである。その出発点にあったのは、忙しい日々のなかでようやくひとりになれる、創業者のバスタイムだった。
基本情報
ブランド開始: 2019年11月、韓国・ソウル。
創設者: Cha Haeyoung(チャ・ヘヨン)。
公式サイト: 日本公式サイト / グローバル公式サイト
ノンフィクションは、香水と香りをまとったボディケア製品を軸に展開するライフスタイル・ビューティーブランドである。身体を洗い、保湿し、香りをまとう。そうした日常の行為を、自分自身を整える小さな儀式として捉えている。
創設者とブランドの成り立ち
ファッションから始まった仕事
チャ・ヘヨンはソウルで生まれ、釜山で育った。 大学卒業後は衣料ビジネスを始め、大学近くの小さな店を経て、ファッションのセレクトショップ「プロダクト」を運営するようになった。
衣服の仕事には10年近く携わった。好きで始めた分野だったが、続けるうちに、新しい好奇心が湧かなくなっていったという。
一方、香りのある日用品は、以前から生活のなかにあった。20代半ばにニューヨークへ短期留学した際には、ルームメイトとアパートを分け合いながら、食費を節約してでもニッチブランドのキャンドルや上質なボディ製品を購入していた。
香水を特別な日の装いとして使うだけではなく、暮らしのなかに香りを置く。その楽しみを、チャはブランドを始めるずっと前から知っていたのである。
芸術との出会い
ファッションへの関心が薄れ始めた頃、親交のあった俳優ユ・アインから、若い作り手を支える場を一緒につくらないかと誘われた。才能があっても、自分の作品や活動を世の中へ伝えることが難しい人たちのための場所だった。
チャは、2014年に発足したアーティスト・グループ、Studio Concrete(スタジオ・コンクリート)の立ち上げに加わる。写真家、画家、グラフィックデザイナーらが集まり、ソウルにギャラリー、アトリエ、ショップ、カフェを備えた拠点を構えた。
衣服を扱ってきたチャにとって、文化や現代美術は新しい領域だった。本人はこの転換を、よく知らなかったからこそ勇敢になれた、と振り返っている。
さまざまなアーティストと仕事を重ねるなかで、やがて別の思いが育っていく。一つのカテゴリーに深く向き合い、完成度の高いブランドをつくりたい。その対象として選んだのが、自身が長く愛用してきた香水とボディ用品だった。
バスルームで生まれた着想
チャにとって入浴は、人や仕事、スマートフォンから離れられる、貴重なひとりの時間だった。浴槽のそばに並ぶ香りの製品を眺め、それらがこの時間を豊かにしていることに気づいたとき、自分でもセルフケアの儀式を深める製品をつくりたいと考えた。
「短い時間でも、自分のための時間をつくることは必要です」
— チャ・ヘヨン(韓国語からの訳)
ノンフィクションが扱う「儀式」とは、大げさなものではない。身体を洗う、クリームを塗る、香りをまとう。繰り返される行為のなかに、外へ向いていた意識を自分へ戻す時間をつくることだ。
現在のブランドストーリーも、この考えを「リチュアル」「リセット」「リフレッシュ」という三つの言葉で表している。香りは、日常から逃れるためというより、日常のなかで自分を取り戻すための媒介なのである。
「ノンフィクション」という名前
ブランド名の候補は数百にのぼった。チャが大切にしたのは、ブランドを豊かに見せるために、存在しない物語をつくらないことだった。
ネーミングを考える過程では、バスタイムの体験を起点に、チームで「本当の人生と偽りの人生とは何か」を話し合った。最終的に選んだのが、虚構ではない、ありのままを意味する「ノンフィクション」である。
化粧品の名前らしくない違和感も、選択の理由になった。その言葉が人の目を止め、ブランドの考え方へ関心を向けるきっかけになると考えたのである。
「他人に見えているものはフィクションです」
— チャ・ヘヨン(英語からの訳)
他人からどう見えるかではなく、自分が何を感じるか。ノンフィクションという名前には、その視点の転換が込められている。
香りの愛用者から創業者へ
チャは、香水業界で経験を積んだ調香師ではない。むしろ当初は、よい香りは海外でつくられるものだと考え、韓国で自分の香水をつくる発想すらなかったという。
それでも、自分が使いたい香りと、その香りを届ける世界観については明確な考えがあった。香りの熱心な愛用者として培った感覚を、専門家との協働によって製品へ変えていったのである。
ノンフィクションは2019年11月にローンチし、同時期にセフォラへ入店した。 入店にあたっては通常の新規ブランド審査でプレゼンテーションを行い、チャは香り、ボトル、価格のバランスに強い自信を持って臨んだ。
初期の社員は2人。自宅に集まって仕事をしていた小さなチームが、香水とボディケアを通して、ひとりの時間の過ごし方を提案し始めた。
小さなチームが世界へ
創業直後、コロナ禍でボディケア製品が贈り物として広まったことが、ブランドの大きな成長機会になった。 自宅で過ごす時間が増えるなか、香りのある日用品は、自分をいたわるものにも、誰かを気遣うものにもなった。
ただし、急成長は華やかなことばかりではなかった。チャはメールや会議への対応に追われ、喜びを感じる余裕もなかったと振り返っている。
その後、ノンフィクションは2022年に日本へ進出。2025年3月には東京・代官山に路面旗艦店を開き、2026年春にはニューヨークのロウアー・イースト・サイドに北米初の店舗を構えた。
ブランドのこだわり
香りを物語へ変える
ノンフィクションの香水は、創業者ひとりの感覚だけでつくられるわけではない。社内のフレグランス・ラボやマーケティングチームと方向性を組み立て、その構想に適した外部の調香師や香料会社と開発を進める。
試作を重ね、完成まで3年ほどを要する場合もある。 森の休息、真昼の木陰、肌に近い温もり、花の記憶。香りを構成する素材だけでなく、どのような情景や感情を伝えるのかが、開発の中心に置かれている。
素材を選ぶ姿勢
公式の品質方針では、世界各地のパートナーから香料を慎重に選び、植物由来原料を採用するとしている。また、パラベン、フタル酸エステル、MIT/CMITなどを使用しない方針を掲げている。
ただし、ノンフィクションは天然香料だけを用いるブランドではない。たとえばザ・グレーでは、天然ムスクの質感を再現するヴィーガン香料「トンキトン・ムスク」を採用している。
素材の由来だけで価値を決めるのではなく、表現したい香りにふさわしいものを選ぶ。その姿勢は、調香師との協働にも表れている。
調香師との対話
ブランドには、モーリス・ルーセル、ドミニク・ロピオン、バルナベ・フィリオン、アレックス・リーら、異なる作風を持つ調香師が参加している。
なかでもルーセルとの出会いは印象的である。フランスで初めて会ったとき、ルーセルはノンフィクションから自発的に着想した試作品をすでに用意していた。それが後のザ・ベージュにつながったという。
ブランドの方向性を一方的に伝えるだけでなく、調香師がノンフィクションをどう受け取るかも作品に反映される。複数の作り手による解釈が、香りの幅を広げているのである。
冷たくないミニマリズム
円周に文字を配したロゴ、深いグリーン、斑点のある紙、円や半円、四角を組み合わせた図形。ノンフィクションの初期デザインは、ニューヨークを拠点とするデザインスタジオとの協働から生まれた。
チャが避けたかったのは、流行の書体を使っただけの、冷たいミニマリズムだった。目指したのは、祖母の家を訪れたときのような温かさ。もてなし、親しさ、自然さ、謙虚さといった感覚が、デザインや店舗づくりの基準になった。
その考えは、製品を実際に試せる洗面台や、自然光、生花を取り入れた店舗にもつながっている。棚から香りを選ぶだけでなく、手を洗い、質感を確かめ、少し立ち止まる場所として設計されているのだ。
香水ラインナップ
ここでは、ブランドの成り立ちをたどれる主要なオードパルファムを取り上げる。
ブランドの輪郭をつくった香り
初期の4作品は、ノンフィクションの基本的な香りの世界を形づくった。
**Santal Cream(サンタルクリーム)**は、サンダルウッド、ベチバー、フィグ、カルダモンを組み合わせた香り。木の落ち着きと、クリーミーな無花果の柔らかさが重なる。
**Gentle Night(ジェントルナイト)**は、フィグ、ホワイトティー、スエード、シダーウッドなどで構成される。甘さと木の静けさが隣り合う作品である。
**Gaiac Flower(ガイアックフラワー)**は、スモーキーなガイアックウッドとワイルドローズを軸に、アンバーやバニラを重ねた香り。花の華やかさだけでなく、木の暗さと温もりを持つ。
**Forget Me Not(フォーゲットミーノット)**は、バジル、ピンクペッパー、レモングラスを中心にしたグリーン・アロマティック。公式には、バジルを浮かべたシャンパンのような明るさを持つ香りとして描かれている。
その後、パチョリとビターオレンジの苦味を組み合わせた**In the Shower(インザシャワー)や、ヒノキ、ユズ、ナツメグ、フランキンセンスで森の静けさを表現するFor Rest(フォーレスト)**が加わった。
バルナベ・フィリオンとの共作であるフォーレストは、Forest=森と、For Rest=休息を重ねた名前を持つ。作品名そのものに、ノンフィクションが香りへ求める役割が表れている。
シトラスを三つの記憶に
シトラス・コレクションでは、3人の調香師が、それぞれの記憶から柑橘の香りを組み立てた。
**Neroli Dream(ネロリドリーム)**は、ジュリエット・カラグーゾグーが15歳で過ごしたチュニジアの夏に着想を得た作品。ネロリ、オレンジブロッサム、ミュゲ、ムスクで、白い花の透明感を描いている。
**Open Arms(オープンアームズ)**は、アレックス・リーによる作品。果実だけでなく、花、葉、枝、苦い皮まで含めた、一本のビターオレンジの木を表現する。
**Simple Garden(シンプルガーデン)**では、ドミティル・ミシャロン=ベルティエが両親の田舎の庭を思い、ライム、ベルガモット、クラリセージ、シダーウッドを組み合わせた。
同じ柑橘を扱いながら、白い花、木陰、緑の庭へと景色が変わる。シトラスを単なる爽やかさで終わらせないコレクションである。
ムスクが描く二つの人物像
2024年に発表された**The Beige(ザ・ベージュ)とThe Grey(ザ・グレー)**は、モーリス・ルーセルとの協働作である。テーマは「ペルソナ」、すなわち人物が持つ顔や側面だった。
ザ・ベージュは、オリス、ゼラニウム、ジャスミン、トンカビーンを柔らかなムスクへ重ねたフローラル・ムスク。一方のザ・グレーは、シプリオール、ベンゾイン、マグノリアとムスクを用い、より暗く輪郭の強い表情を見せる。
肌に近い香りを、柔らかさと強さという二つの方向へ展開した作品群である。
二人の調香師、四つの花
2025年の**The Flowers(ザ・フラワーズ)**は、モーリス・ルーセルとドミニク・ロピオンによる4作品で構成される。
ルーセルが手がけたのは、ローズと野の花を扱うThe Rose(ザ・ローズ)とYoung Memories(ヤングメモリーズ)。感覚に刻まれた記憶や感情から、花を捉えている。
ロピオンは、長く向き合ってきたアイリスとイランイランを選び、**Iris Concrete(アイリスコンクリート)とBois d’Ylang(ボワ・ド・イラン)**を制作した。
たとえばザ・ローズは、ローズにゼラニウムの緑やサンダルウッドを組み合わせ、花弁だけでなく茎まで感じさせるフローラル・ウッディとして構成されている。
花の名前は共通の入口でも、その先には調香師ごとの異なる視線がある。ザ・フラワーズは、その違いを香りでたどれるコレクションなのである。
ちなみに…
記憶の匂いを芸術へ
2024年、ノンフィクションは第60回ベネチア・ビエンナーレ韓国館で、アーティストのク・ジョンアによる《Odorama Cities(オドラマ・シティーズ)》の調香パートナーを務めた。
韓国の都市や故郷にまつわる600件以上の「匂いの記憶」を集め、16人の調香師による嗅覚体験と、ドミニク・ロピオンが手がけた香水へ展開したプロジェクトである。
バスルームで過ごす個人の時間から始まったブランドが、人々の故郷や都市の記憶を扱う芸術へ参加する。香りを記憶と感情の媒体として捉えるノンフィクションの考え方が、異なる規模で形になった出来事だった。
「韓国発」の先へ
チャはKビューティーへの敬意を持ちながらも、その言葉だけでブランドを定義されたくないと語っている。目指すのは、国境を越え、創業者個人への依存からも離れていけるブランドである。
ノンフィクションを試すときは、国や流行のイメージよりも、香りが自分にどんな時間をもたらすかに目を向けてみたい。朝の気分を切り替える香りなのか、夜に静けさを取り戻す香りなのか。その問いは、チャがバスルームで抱いた最初の着想に、よく似ている。
参考文献
- HEYPOP「어떤 거짓도 없이, 논픽션」 — https://heypop.kr/n/463/
- Marie Claire Korea「향에 담긴 시간, 논픽션 #브랜디그」 — https://www.marieclairekorea.com/lifestyle/2021/11/brandig-nonfiction/
- NONFICTION「Brand Story」 — https://int.nonfiction.com/pages/our-story
- Beauty Independent「South Korean Fragrance Brand Nonfiction Opens First North American Store In New York」 — https://www.beautyindependent.com/south-korean-fragrance-brand-nonfiction-opens-first-north-american-store-new-york/
- W Magazine「Studio Concrete Sets Out to Be the K-Pop Group Equivalent of the Art World」 — https://www.wmagazine.com/story/studio-concrete-sets-out-to-be-the-k-pop-group-equivalent-of-the-art-world
- Monocle、チャ・ヘヨンへのインタビュー — https://monocle.com/business/entrepreneurialism/cha-haeyoung-interview-nonfiction/
- Tatler Asia「Nonfiction’s Cha Haeyoung on perfume as a piece of art」 — https://www.tatlerasia.com/style/beauty/cha-haeyoung-nonfiction-ceo
- NONFICTION「Quality & Promise」 — https://int.nonfiction.com/pages/quality-promise
- NONFICTION、ムスク・コレクションとモーリス・ルーセルのインタビュー — https://nonfiction.kr/special/musk.html
- NONFICTION「日本初のPOPUPストアを伊勢丹新宿店で開催」(2022年、日本参入・公式サイト開設) — https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000002.000100225.html
- NONFICTION、ガイアックフラワー商品ページ — https://nonfiction.kr/product/%EA%B0%80%EC%9D%B4%EC%95%85-%ED%94%8C%EB%9D%BC%EC%9B%8C-%EC%98%A4-%EB%93%9C-%ED%8D%BC%ED%93%B8-30ml/22/
- NONFICTION、フォーゲットミーノット商品ページ — https://nonfiction.kr/product/%ED%8F%AC%EA%B2%9F-%EB%AF%B8-%EB%82%AB-%EC%98%A4-%EB%93%9C-%ED%8D%BC%ED%93%B8-30ml/23/
- NONFICTION、シトラス・コレクションの調香師インタビュー — https://nonfiction.kr/campaign-single.html
- NONFICTION「Inspiration Behind the Fragrance — Two gazes at flowers」 — https://int.nonfiction.com/blogs/projects/inspiration-behind-the-fragrance-two-gazes-at-flowers
- NONFICTION、ザ・ローズ商品ページ — https://www.nonfiction.kr/product/detail.html?product_no=636&cate_no=157&display_group=1
- NONFICTION「ODORAMA CITIES by KOO JEONG A」 — https://int.nonfiction.com/blogs/projects/odorama-cities
- NONFICTION 日本公式サイト(フレグランスガイド・商品一覧) — https://jp.nonfiction.com/
- NONFICTION「代官山に日本初の路面旗艦店をオープン」(2025年) — https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000010.000100225.html
- NONFICTION「ザ・ベージュ オードパルファム」 — https://jp.nonfiction.com/products/the-beige-parfum
- NONFICTION「ザ・グレー オードパルファム」 — https://jp.nonfiction.com/products/the-grey-parfum
- NONFICTION「THE FLOWERS」日本発売リリース(2025年) — https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000012.000100225.html



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