マーク・ジェイコブス — ニューヨークから咲いた香りの物語

マーク ジェイコブスの世界観と代表製品「Daisy Eau de Toilette」を表現したブランドイメージ

「デイジーというのは、まったく計算された瞬間ではなかった。香料師は私が語った物語にインスパイアされ、突然ジュースとボトルと箱が生まれた。デイジーという精神はみんなの中に宿っている——あの無邪気さは、いたるところで象徴となってきたのだから」

— マーク・ジェイコブス(ハーパーズ バザー誌インタビュー、2023年)

基本情報

  • 設立年:フレグランス部門の正式始動は 2001 年
  • 創設者:マーク・ジェイコブス(Marc Jacobs)
  • フレグランスライセンス:コティ(Coty Inc.)との提携(2001年〜現在)
  • 公式サイト:marcjacobsfragrances.com

創設者・ブランドの成り立ち

ニューヨークで生まれた少年

マーク・ジェイコブスは 1963 年 4 月 9 日、ニューヨーク市に生まれた。 彼の人生は、幼少期から波乱に満ちていた。父親はマークが 7 歳のとき潰瘍性大腸炎で他界し、母親は精神的に不安定で 3 度再婚を繰り返した。その度に子どもたちはニュージャージー、ロングアイランド、ブロンクスと住む場所を転々とさせられた。

やがてマークは、ニューヨーク・アッパーウエストサイドに住む父方の祖母ヘレンのもとへ身を寄せることを選ぶ。 この選択が、後の「マーク・ジェイコブス」というブランドの原点となった。

「私はいつも、祖母と共に人生を歩んだと言っています。彼女は精神的に安定していて、私をとても励ましてくれた」

— マーク・ジェイコブス

祖母はファッションと旅を愛する女性で、マークに編み物を教え、彼の好奇心を無条件に後押しした。 性別にとらわれる声も否定の言葉も、家にはなかった。

「誰も私に『ノー』と言わなかった。『ファッションデザイナーにはなれない』とも、『男の子なのにタップダンスを習ってはダメ』とも、『同性愛は間違っている』とも——誰も言わなかった」

— マーク・ジェイコブス(ニューヨーク・タイムズ紙)

ファッションへの目覚め——チャリヴァリとパーソンズ

15 歳のマークは、アッパーウエストサイドにあった著名なセレクトショップ「チャリヴァリ(Charivari)」でストックボーイとして無給で働き始めた。 服を畳み、マネキンを着替えさせながら、彼はファッション業界の内側を肌で学んでいった。ハーパーズ バザー誌のインタビューによれば、当時12〜13歳のマークは毎晩寝る前に「赤いラコステのコーデュロイシャツをきれいに畳む」場面を頭の中で思い描いてから眠りにつくほど、服への執着は深かったという。

1981 年にニューヨーク美術デザイン高校を卒業したマークは、その後パーソンズ・スクール・オブ・デザインに進学する。在学中、彼は祖母に教わった編み物を生かした手編みセーターの卒業コレクションを発表し、「デザイン学生オブ・ザ・イヤー」「ペリー・エリス・ゴールドシンブル賞」「チェスター・ワインバーグ・ゴールドシンブル賞」の三冠を達成した。 このセーターは、祖母との絆の結晶でもあった。

そのパーソンズの卒業ディナーで、マークはルーベン・トーマスのエグゼクティブ、ロバート・ダフィ(Robert Duffy)と出会う。 ダフィはマークのデザインに目を止め、すぐに「スケッチブック」ラベルのレディウェアコレクションを担当させた。 この出会いが、30 年以上に渡る創造的パートナーシップの始まりとなった。

自分の名前を冠したブランドへ

1986 年、マークとダフィは日本のオンワード樫山から資金援助を受け、「マーク・ジェイコブス(Marc Jacobs)」ラベルとして初コレクションを発表。 卒業後の 1987 年、マークはファッション業界最高の新人賞とされるCFDA(米国ファッション・デザイナー協会)の「ペリー・エリス賞(新進ファッション・タレント部門)」を、当時最年少で受賞した。

グランジという「失敗」と、その後の逆転

1988 年、マークとダフィはともにペリー・エリス社に移籍し、マークはウィメンズデザインのバイスプレジデントに就任した。 ここで彼はさらなる挑戦に踏み切る。

1992 年(1993年春夏コレクション)、マークはシアトル発のグランジ・カルチャーをそのままランウェイへ持ち込んだ。チェック柄のオーバーサイズシャツ、フランネル、ドクターマーチン、乱れたヘア——ソニック・ユース、ニルヴァーナ、エルセヴン(L7)のサウンドが流れる中、モデルたちが歩いた。

「私は彼女たちに、街を歩くときと同じ格好をしてほしかった。ドラァグクイーンのようでも、奇異な生き物のようでもなく……今日の美しい女の子たちはちょっとだらしなく見える、それが彼女たちのリアルな姿だから」

— マーク・ジェイコブス(ニューヨーク・タイムズ紙、1993 年)

しかし業界の反応は即座で厳しかった。「だらしない」「労働者階級の服を高額商品に仕立てた」と批判が相次ぎ、コレクションは生産中止に。マークはペリー・エリスを解雇された。 伝説によれば、このコレクションの服がカート・コバーンとコートニー・ラブに送られ、彼らはそれを焼却したという。

しかし時間が評価を逆転させた。今日このコレクションは、1990 年代ファッション史上もっとも影響力のある発表の一つとして再評価されている。 解雇から数十年後、当時コレクションを「だらしない」と酷評した批評家キャシー・ホーリンもニューヨーク・マガジン紙上でその評価を公式に撤回した。

ルイ・ヴィトンとの章

解雇後、マークとダフィはすぐに立ち上がり、1993年秋に自社のライセンス会社「マーク・ジェイコブス・インターナショナル」を立ち上げ、ブランドを独立再建した。 1997 年、アナ・ウィントゥアのつながりでエルヴィエムエイチ(LVMH)のベルナール・アルノーに引き合わされ、マークはルイ・ヴィトン初のクリエイティブ・ディレクターに就任する。 ここでマークは、それまで旅行鞄や革製品を中心としていたルイ・ヴィトンに初めてプレタポルテのラインを創設し、村上隆やステファン・スプラウスとのコラボレーションで同ブランドをグローバルな文化現象へと押し上げた。

このルイ・ヴィトン(LV)での 16 年間の在任中(1997〜2013)、マークは並行して自身のブランドをも成長させ続けた。2001 年、コティとのライセンス契約を締結し、フレグランス事業への本格参入を果たす。2013年10月にルイ・ヴィトンを退任した後は、自身のブランド拡大に専念することとなった。

ブランドのこだわり

香りづくりの哲学——「物語」が先にある

マーク・ジェイコブスのフレグランス開発において、最も特徴的なのは「香り」よりも「物語」から始まるプロセスだ。

「まず名前から始まります。そして、その言葉が自分にとって何を意味するかの物語を語り始める。コティがそうしたビジュアルな手がかりや私が投げかける言葉・物語を、フレグランスに翻訳してくれるのです」

— マーク・ジェイコブス(コスモポリタン UK、2014 年)

マーク自身はチーフパフューマーではなく、「精神(スピリット)」を定義するクリエイティブ・ディレクターとしてフレグランス開発に関与する。 実際の調香はコティを通じて、アルベルト・モリヤス、ドミティーユ・ミシャロン・ベルティエ(アイエフエフ/IFF)、アン・ゴットリーブ、カリス・ベッカーらワールドクラスの調香師たちが担当している。

ボトル・パッケージのこだわり

マーク・ジェイコブスのフレグランスにおいて、ボトルはもう一つの「デザイン作品」として機能している。

デイジーのボトルは透明なガラスブロックに、触れると動く柔らかなデイジーの花びらをかたどった花がキャップに咲く設計。 オフィシャルサイトは「ヴィンテージの魅力と現代性を同時に体現するレトロクールなひねり」と表現する。

ロラ(Lola)のキャップについて、マーク自身は発言している。

「その頃手がけていたクルーズコレクションからカラーパレットを意識していました。生地や革のスウォッチを手当たり次第に試し始めて、それがキャップデザインの基礎になった」

— マーク・ジェイコブス(ダブリューダブリューディー/WWD誌)

デカダンス(Decadence)は 2015 年発売で、マーク自身のアイコニックなハンドバッグを模した深緑のボトルにゴールドチェーンと黒いタッセルが付き、磁石でキャップが固定される設計。 「フレグランスとデザイナーズバッグの融合」として大きな話題を呼んだ。

パーフェクト(Perfect)のボトルはエレガントな曲線のガラスにチャームが盛りだくさんのキャップという意外な組み合わせで、マーク自身が休暇中に「ボックスに入ったチャームを取り出して並べながら」デザインした。

香水ラインナップ

2001年のデビューから現在まで

マーク・ジェイコブスのフレグランスは 2001 年、コティとのライセンスのもとで女性向け「マーク・ジェイコブス フォー ウィメン(Marc Jacobs for Women)」として始まった。 翌2002年には男性向けも投入された。 現在に至るまで 100 本を超える作品が生まれており、その歴史は大きく以下のフェーズに区分できる。

スプラッシュ・コレクション(2006年〜)

2006 年に投入された「スプラッシュ(Splash)」は、ひとつの香料素材に集中した大容量のライトフレグランス。グラス(草)、レイン(雨)、コットン、キュウリ、ペアなどの「シングルノート」コレクションで、ミニマルな大型ボトルに詰められた。 「特別なときのための香りではなく、気が向いたらいつでも使えるもの」というコンセプトが新鮮だった。

デイジー・ファミリー(2007年〜)

デイジー(Daisy)は 2007 年発売。調香師はスイスのフィルメニッヒ(Firmenich)社のアルベルト・モリヤス。 コティでマーケティングを担当したエルワン・ル・ベリゴー(Erwan Le Berrigaud)の説明によれば、インスピレーション源は、マーク・ジェイコブスとソフィア・コッポラの友情、そしてコッポラの 1999 年の映画『ヴァージン・スーサイズ』の世界観。 名前は F・スコット・フィッツジェラルドの『グレート・ギャツビー』のデイジー・ブキャナンへのオマージュである。

「私には『デイジー』という名の犬がいて、彼女の名前はザ・グレート・ギャツビーのデイジー・ブキャナンから取りました。デイジーは文学の中で最も好きなキャラクターの一人です。それに、何の香りも持たない花をフローラルフレグランスのベースにするという皮肉さも気に入っていました」

— マーク・ジェイコブス(ハーパーズ バザー誌、2023 年)

ノートはワイルドベリー、ホワイトバイオレット、ジャスミン、サンダルウッド。 2008 年に香水財団(The Fragrance Foundation)の フィフィ(FiFi)アワードで「ウィメンズ・ラグジュアリー・フレグランス・オブ・ザ・イヤー」および「ウィメンズ・プレステージ ベスト・パッケージング」を受賞。 2018 年以降も、アルール誌の「ベスト・オブ・ビューティー」読者賞を繰り返し受賞している。

業界筋によれば、デイジー・フランチャイズの小売売上高は年間約 3 億ドルに上るとされ、コティのマーク・ジェイコブス香水事業を支える重要な収益源となっている。

アルベルト・モリヤスはデイジーの成功について語っている。

「デイジーはその忘れがたいオルファクティヴ・シグネチャーが、当時のトレンドを決定づけました。ファッションもフレグランスも、マーク・ジェイコブスが目指すのは若く、幸福な女性たちへの普遍的な女性性、フレッシュな花、そして自然の概念なのです」

— アルベルト・モリヤス(プレビュー誌)

デイジー・ファミリーはその後、デイジー・オー・ソー・フレッシュ(2011)、デイジー・ドリーム(2014)、デイジー・ラブ(2018年〜) などのフランカーに拡大し、2024年にはデイジー・ワイルドも加わった。

ロラ(Lola)(2009年〜)

ロラは 2009 年発売。調香師はカリス・ベッカーとヤン・ヴァスニエ。 フューシャのピオニー(牡丹)を主軸にしたウォームフローラル。マーク自身は「デイジーが無邪気で甘いなら、ロラはより官能的で——名前からして、色っぽく温かみのある精神を呼び起こす」と語っている。

バン(Bang)(2010年〜)

バンは 2010 年発売の、2002年以来の本格的な男性向けフレグランス。調香師はアン・ゴットリーブとヤン・ヴァスニエ。 3種のペッパー(ブラック、ホワイト、ピンク)を中心に、ウッドとヴェチバーで構成されたスパイシーでドライなフレグランス。 広告キャンペーンではマーク・ジェイコブス本人がフレグランスボトル以外何も身につけずに登場し、当時大きな話題となった。

「男性用フレグランスというのは、ある意味、皮膚に重ねるものです。だから、それ以外に何か着たとしたら、滑稽にしかならなかったでしょう」

— マーク・ジェイコブス(ハーパーズ バザー誌、カルヴァン・クライン対談、2010 年)

ドット(Dot)(2012年〜)

ドットは 2012 年発売。調香師はアニー・ブザンティアンとアン・ゴットリーブ。 マーク自身が好むポルカドット柄をモチーフにしたボトルが特徴。

「ポルカドットは陽気でシックで気まぐれ——私がずっと愛してきたエネルギッシュなパターンです」

— マーク・ジェイコブス(公式ユーチューブ(YouTube)、2012 年)

デカダンス(Decadence)(2015年〜)

デカダンスは 2015 年発売。調香師はアニー・ブザンティアン。 マーク自身が「成熟した女性のフレグランス」として初めて明確に位置づけたアイテム。プラム、サフラン、イリス、ブルガリアンローズ、ヴェチバーからなるオリエンタル・フローラル。ハンドバッグ型の深緑ボトルはスタイリストとコレクターの間で話題を呼んだ。

パーフェクト(Perfect)(2020年〜)

パーフェクトは 2020 年発売の新世代フラッグシップ。調香師はドミティーユ・ミシャロン・ベルティエ(アイエフエフ/IFF)。

フレグランスの名前は、マーク・ジェイコブスが手首に彫ったタトゥー「パーフェクト(perfect)」に由来する。

「私はリハビリプログラムに参加した後、手首にこの言葉を彫りました。それは完璧であることへの戒めではなく——『私は今のままで完璧だ』という意味です。私は間違いも犯すし、成長もする。色々な姿を見せる。でも、どんな姿であれ、それがすべて完璧なのです」

— マーク・ジェイコブス(ビジネスワイヤー公式プレスリリース、2020 年)

ダフォジル(水仙)、ルバーブのトップノートから、アーモンドミルクのハート、シダーウッドとカシュメランのベースへと展開するパウダリー・フローラル。 キャンペーンには 42 名の多様なキャストが起用され、一部はSNSのオープンオーディションで選ばれた。 このインクルーシブなアプローチは業界内で大きく評価された。

2023 年には姉妹バージョンの「パーフェクト・オー・ドゥ・トワレ」が加わり、コティのCEO スー・ナビは「デイジーとパーフェクトのフランチャイズにより、マーク・ジェイコブスのフレグランスは世界のウィメンズフレグランス・トップ 10 に成長した」と述べている。

ちなみに…

デイジーボトルの花びらは動く。 キャップを飾るデイジーの花びらは実際に触れると曲がる設計。 「まるで生きているみたい」と SNS で語るコレクターも多く、いわゆる「デイジーガーデン」として複数のボトルを棚に飾るファンが世界中に存在する。

デイジーは最も有名な「無香の花」をモチーフにしている。 マーク・ジェイコブス自身が指摘したように、実際のデイジー(雛菊)はほとんど無臭の花だ。 「香りのない花」からブランド最大のフレグランスを生み出したという逆説は、ブランドらしいひねりといえる。

ソフィア・コッポラとの友情がデイジーを産んだ。 コティのマーケティング担当者の説明によると、デイジーの「態度、ムード、情景」は、マーク・ジェイコブスとソフィア・コッポラの交流、そして彼女の 1999 年の映画『ヴァージン・スーサイズ』から着想を得たとされる。 コッポラはのちにデイジー「オー・ソー・フレッシュ」のテレビCMも監督している。

村上隆とデイジーがコラボ(2025年)。 2025 年、デイジーボトルが日本のアーティスト村上隆によって 4 種のカラー(イエロー、ピンク、グリーン、ブルー)でリデザインされ、限定販売された。

参考文献