人々のために、教育施設や学校、スポーツや芸術の施設をつくり、環境にも心を配っていました。
— アンナ・ゼニア(Anna Zegna)— 2015年、祖父エルメネジルドについて
ゼニアの始まりは、香水でも、仕立てられたスーツでもない。イタリア北部の町トリヴェロで生まれた毛織物工場である。創業者エルメネジルド・ゼニアは、上質な生地をつくる仕事と、その仕事を支える人々や土地の暮らしを、切り離して考えなかった。
その工場の羊毛、書斎のインク、車の窓から入る山の空気。2026年の香水コレクション「メモリエ」は、創業者を取り巻く場所や道具を題材にしている。服の肌触りを育ててきたメゾンが、今度は嗅覚を通じて自らの来歴を語ろうとしているのである。
基本情報
ブランド名:ZEGNA(ゼニア)
設立:1910年(毛織物事業)
創設者:エルメネジルド・ゼニア(Ermenegildo Zegna)
誕生の地:イタリア、ピエモンテ州トリヴェロ
公式サイト:ZEGNA
創設者とブランドの成り立ち
1910年、18歳の創業者とトリヴェロの毛織物工場
エルメネジルドは1892年1月2日、トリヴェロに生まれた。1910年、18歳のときにこの町で織物事業を始める。設立当初の会社には、兄弟のエドアルドとマリオ、共同事業者のコスタンツォ・ジャルディーノ・ヴィトリも加わっていた。後に創業者の名で知られるメゾンの出発点は、家族と協力者による生地づくりだった。
目指したのは、世界でもっとも美しい生地をつくること。そのために良質な天然繊維を産地から直接調達し、イタリアで織り上げ、海外へ届けた。完成した服を売る前から、原料の選択と織物の品質が仕事の中心にあったのである。
工場は1920年代末には700人を超える従業員を抱え、1938年にはアメリカにゼニア・ウールンズ・コーポレーションを設けて生地の輸出を進めた。北イタリアの一工場から、国境を越えて生地を届ける事業へと育っていった。
学校、森、山岳道路を育てた地域への取り組み
エルメネジルドは、製品の美しさを、それが生まれる環境の美しさと結びつけていた。1930年代には、町に学校や病院、プールなどを整備し、工場の周囲では針葉樹の植林を始めた。人が働く工場と、生活する町、山の自然を、ひとつの場所として育てようとしたのである。
1938年には、山岳道路「パノラミカ・ゼニア」の最初の区間の建設が始まる。山を身近な場所にし、孤立を和らげ、地域の経済と観光に新しい可能性を開くための道だった。町から標高1,500メートルのビエルモンテへ向かう道路の建設は、植林や周辺環境の整備とともに進んだ。
1952年には道がモンテ・マルカの麓まで延び、1957年にはビエルモンテのスキー場が動き始める。道そのものに加え、散策路や展望の場所、宿泊・レクリエーションの施設も生まれた。現在の香水が山道や森を題材にできる背景には、長い年月をかけて手を入れたこの風景がある。
エルメネジルドは1966年11月18日に亡くなった。彼が始めた地域への取り組みは家族に引き継がれ、1993年には第三世代によって「オアジ・ゼニア」が発足した。2000年にはゼニア財団も設立され、孫のアンナたちが、創業者の考えを次の世代へつないでいる。
織物から衣服へ、そして香水へ
息子のアルドとアンジェロは、事業を生地から衣服へと広げた。1967年に既製服が導入され、翌1968年にはノヴァーラに既製服を製造する工場が開かれる。1972年には、体型に合わせて仕立てる「ス ミズーラ」のサービスも始まった。素材を織る技術に、身にまとう形をつくる技術が重なっていく。
香水の歩みでは、2003年に「エッセンツァ ディ ゼニア(Essenza di Zegna)」が登場した。これは1910年の織物事業の創業とは別の節目である。その後、2011年にエスティ ローダーとの香水ライセンス契約が結ばれ、2012年には「エッセンツェ(Essenze)」が展開された。
初期のエッセンツェは、五つの香りにイタリア産ベルガモットを異なる強さで用い、マンダリン、パチョリ、アイリスなどにそれぞれ焦点を当てていた。カラブリアの収穫を自ら確保するベルガモットは、この時期の香水づくりにおける特徴的な素材だった。
2013年に発売された「ウオモ(Uomo)」では、調香師アルベルト・モリヤスがベルガモットと、ヴァイオレッティーン・キャプティブと呼ばれる香料を組み合わせた。天然の素材と新しい香料技術をどう一つの香りにまとめるかという試みである。
香りの個性やブランドのDNAについて、妥協するつもりはありませんでした。
— トゥルーディ・ローレン(Trudi Loren)— エスティ ローダーの香水制作担当、2012年のウオモ発表時
上質な原料への関心と、メゾンらしい香りの個性。その両方を保ちながら、ゼニアは服以外の表現を育ててきた。エッセンツェの素材に焦点を当てた構成から、2026年の「メモリエ(Memorie)」では、創業者の場所と道具を中心に据えた六つの香りへ、物語の組み立て方も変わっている。
ブランドのこだわり
メモリエの制作:創業者の場所を調香師が訪ねる
メモリエを手がけたのは、ドミニク・ロピオン(Dominique Ropion)、ファブリス・ペレグラン(Fabrice Pellegrin)、クエンティン・ビッシュ(Quentin Bisch)の三人。彼らは現地を訪れ、それぞれの体験を持ち帰って制作した。工場や書斎、道路や林床といった異なる舞台を通じ、創業者の生活を思い描くコレクションである。
「イル ラニフィーチョ(Il Lanificio)」の題材は、毛織物工場である。ペレグランがそこで受け取ったのは、羊毛が生地へ変わる工程だけではなかった。
初めて毛織物工場に入ったとき、甘く、安心させてくれる匂いに抱きしめられたように感じました。
— ファブリス・ペレグラン — イル ラニフィーチョの制作について
その包み込まれる感覚を、タヒチアン・バニラ、スエードのアコード、サンダルウッドで表した。アコードとは、複数の香料を組み合わせてつくる香りのまとまりである。ここでは、羊毛や織物の柔らかさを、甘さやクリーミーな木の感触へと移している。織機や工場という題材に、人の手が触れる素材の温かさを見いだした点が面白い。
車と雨上がりの森:空気や土を表す素材の選択
「ア トリヴェロ(A Trivero)」では、創業者の車、ランチア・アウレリアが出発点になる。窓を開けて山道を走り、冷たい空気が車内へ入ってくる。その動きのある場面を、ビッシュは香りにしようとした。
ア トリヴェロは、慣れ親しんだ場所を離れ、未知の世界へ踏み出す瞬間を捉えています。
— クエンティン・ビッシュ — ア トリヴェロの制作について
ラベンダーの清涼感に対し、ミルラには樹脂の温かさだけでなく、山や森の空気に通じるミネラル感を求めた。ミルラは樹木から得られる樹脂である。素材を植物の名前として選ぶだけでなく、走る車から受ける感覚を表す役割を与えている。
ペレグランの「イル ソットボスコ(Il Sottobosco)」は、雨上がりの森の下草や地面を題材にする。彼自身も雨の日に現地を歩いた。そこで感じた木や土の匂いを、パチョリとキャロットシードの土っぽい表情で描き、ピンクペッパーで明るさと動きを添えた。工場の柔らかな甘さとは異なる、根や林床に近い感触である。
一つの土地でも、工場に入るとき、車で走るとき、森を歩くときでは、体が受け取るものが違う。メモリエの各作品は、同じ景色を一律に再現するのではなく、場所との接し方の違いを香りにしている。
ボトルデザイン:風景の色とトネリコのキャップ
メモリエのボトルは共通の形を持ち、グラデーションの色で物語を分けている。イル ラニフィーチョの琥珀色はオアジ・ゼニアの移ろう風景、ア トリヴェロの青は開いた車窓から入る空気、イル ソットボスコの茶色は土や木、葉を表す。色もまた、作品が向かう場所を示す手がかりである。
キャップにはトネリコ材を使い、その上に銀色の家紋をあしらった。箱には、メゾンの象徴となる232号線を表す隙間の意匠と、毛織物工場を描いた切手風の図柄がある。ボトルは詰め替えて使い続けられる設計で、香りだけでなく、容器と包装にも来歴を残している。
ちなみに…
メモリエのキャップにある家紋をよく見ると、片足に石を持つ鶴がいる。これは警戒や安全を表す図柄で、家紋のモットーも「用心にこそ安全がある」という意味を持つ。単なる装飾に見える小さな紋章にも、ゼニア家が受け継いできた言葉が隠れている。
参考文献
- Anna Zegna on Her Grandfather Ermenegildo Zegna and the Zegna Man — Vanity Fair、2015年8月3日、アンナ・ゼニアの発言 — https://www.vanityfair.com/style/2015/08/anna-zegna-on-her-grandfather-ermenegildo-zegna-and-the-zegna-man
- History of the Group — ゼニア・グループ公式、織物事業と地域への取り組み — https://www.zegnagroup.com/en/overview/history/
- メモリエ:メンズフレグランス — ゼニア公式、コレクションのテーマと六つの舞台 — https://www.zegna.com/jp-ja/memorie-mens-fragrances/
- Memorie, il nuovo guardaroba olfattivo di Zegna — Vogue Italia、2026年3月6日、調香師たちの制作談 — https://www.vogue.it/article/nuovi-profumi-zegna-recensione-fragranze
- 2021 Annual Report — ゼニア・グループ公式、創業と事業の沿革(10–11頁) — https://www.zegnagroup.com/wp-content/uploads/2022/05/2021-Annual-Report.pdf
- In ricordo di Ermenegildo Zegna — ゼニア財団、2016年11月18日、創業者の生涯 — https://www.fondazionezegna.org/2016/11/18/in-ricordo-di-ermenegildo-zegna/
- The Panoramica Zegna 80 years on — ゼニア財団、2018年8月18日、山岳道路の歴史 — https://www.fondazionezegna.org/en/2018/08/18/the-panoramica-zegna-80-years-on/
- From Sheep to Shop — ゼニア財団の常設展、既製服への展開 — https://www.fondazionezegna.org/en/permanent-exhibition/
- Gucci Group N.V. Announces Financial Results for First Quarter 2003 — 2003年7月2日、Essenza di Zegnaの発売を記録した当時の公式資料 — https://www.sec.gov/Archives/edgar/data/1001576/000104746903023359/a2114228z6-k.htm
- Hot Gifts: His and Hers with Ermenegildo Zegna and Oscar de la Renta — Vanity Fair、2012年12月18日、Essenze初期の素材と構成 — https://www.vanityfair.com/style/2012/12/Hot-Gifts-For-Him-and-Her-with-Oscar-de-la-Renta-and-Ermenegildo-Zegna
- Zegna and Lauder cement partnership with ‘Uomo’ — TRBusiness、2012年11月14日、発売会見と制作関係者の発言 — https://www.trbusiness.com/regional-news/international/zegna-and-lauder-cement-partnership-with-uomo/67747
- Il Lanificio Eau de Parfum — ゼニア公式、香りの構成・ボトル・公式商品画像 — https://www.zegna.com/ww-en/fragrances/product.il-lanificio-eau-de-parfum.38085824/
- A Trivero Eau de Parfum — ゼニア公式、着想と香りの構成 — https://www.zegna.com/ww-en/product.a-trivero-eau-de-parfum.38085826/
- Zegna Launches 6 Fragrances as an Olfactory Memoir of Its Founder — Harrods、調香師の発言と各作品の制作背景 — https://www.harrods.com/en-au/c/stories/beauty/zegna-fragrance-collection-launch
- Il Sottobosco Eau de Parfum — ゼニア公式、着想と香りの構成 — https://www.zegna.com/ww-en/fragrances/product.il-sottobosco-eau-de-parfum.38085828/
- Memorie: Fragrance Collection FAQ — ゼニア公式、ボトルの色と家紋の意味 — https://me.zegna.com/en-sa/memorie-fragrance-faq


