「私たちは所有者ではなく、遺産の守護者です。そして、この役割をとても真剣に受け止めています。」
ジャン・ケルレオ、サラ・コルトンによる『ビューティー・ファッション』の取材、2010年
1932年2月24日、フランス・ギクラン生まれ。2025年7月20日、リュエイユ=マルメゾンにて死去。93歳。
ジャン・パトゥ(Jean Patou)のミル(1000)やスブリーム(Sublime)をつくった調香師、ジャン・ケルレオ。彼が残したものは、自分の名が結びつく作品だけではありません。
廃番になった香水を、処方と原料からもう一度つくる。消えてしまうはずだった香りを、後の人が実際に嗅げるようにする。そのための場所、オスモテーク(Osmothèque)の設立も、ケルレオの大きな仕事でした。創作者としての誇りと、他の創作者の仕事を守る誠実さが、一人の中で結びついていたのです。
調香史
農家の息子が、化粧品の研究室へ
本名はジャン・ジョゼフ・ケルレオ。ブルターニュ地方、フィニステール県のギクランで、農業を営むイヴ(Yves Kerléo)とジャニー・プリケン(Jeannie Pouliquen)のもとに生まれます。
グラースの調香師の家に育った人ではありません。香水の仕事へ進んだのも、幼い頃から決めていた道ではなく、軍務を終えて職を探していたときの縁でした。
1955年、調香師である親戚の紹介を受け、ヘレナ・ルビンスタイン(Helena Rubinstein)の研究室へ入ります。資料には22歳と23歳の両方が見られますが、ペル・フムム財団(Per Fumum)の紹介では23歳。最初の仕事は、原料の準備や調合を支える研究室助手でした。
ジャック・ジャンツェン(Jacques Jantzen)の助手として約8年を過ごし、原料の扱いと、香りを組み立てる技術を実地で学びます。1963年には主任調香師となり、クリームや口紅など、化粧品への香りづけを担当しました。
この時代の香水には、エモーション(Emotion、1960年)があります。アルデヒドの明るさと花の厚みを持つ作品として、後年の香水批評でも取り上げられてきました。ケルレオは、華やかなファッションメゾンの表舞台に出る前から、日々使われる製品の中で香りを磨いていたのです。
ジャン・パトゥで、先人の仕事を受け継ぐ
1965年、フランス調香師賞(Prix des Parfumeurs de France)を受賞します。まだ市場に出ていない作品への評価が、次の扉を開きました。2年後の1967年、ジャン・パトゥに迎えられ、調香師兼技術責任者となります。
前任者には、ジョイ(Joy、1930年)を生んだアンリ・アルメラス(Henri Alméras)、そしてアンリ・ジブレ(Henri Giboulet)がいました。バラやジャスミンを惜しみなく使った、パトゥの豊かな香りの伝統。それを守りながら、新しい作品もつくらなければなりません。
ラコステ(Lacoste)の香水も、当時パトゥが担っていた仕事の一つです。ケルレオはオー・ドゥ・スポール(Eau de Sport)を制作し、その後、ミル、オー・ドゥ・パトゥ(Eau de Patou)、パトゥ・プールオム(Patou pour Homme)などを送り出していきます。
1976年から1979年には、フランス調香師協会(Société Française des Parfumeurs)の会長も務めました。会社の中で一本の香りに向き合いながら、職業全体の未来にも関わるようになります。
ミル──時間をかけて、豪奢な花を組み上げる
1972年に発表されたミルは、ケルレオとパトゥを象徴する作品です。当時の社長レイモン・バルバス(Raymond Barbas)が求めたのは、豊かで、あふれ出すような、常識に収まらない香水でした。
グラースのバラとジャスミンに、オスマンサス、アイリス、サンダルウッド、深いシプレの土台。さまざまな素材が、一つの大きな花束のように重なります。金木犀に通じるオスマンサスは、果実や革を思わせる陰影を加え、単に甘く華やかなだけではない奥行きを生みました。
構想から完成まで約10年をかけたと紹介され、名前には1000回の試作に由来するという逸話もあります。ただし、制作期間をどの段階から数えるかには資料差があり、試作回数も伝承として受け止めたいところです。
発売時には、宝石箱に収められた1000本をロールス・ロイスでパリの顧客へ届けた、とする紹介も残ります。香りの豪奢さと、その届け方が一つになるような逸話です。
ジョイがつくった豊かな花の伝統を、そのまま繰り返すのではなく、より複雑な陰影を持つ構成へと進める。ミルには、後継者としてのケルレオの仕事がよく表れています。
スブリームと、香りの調和
1992年のスブリームも、長い時間をかけて構想された作品です。柑橘の明るさ、バラやジャスミンの豊かさ、バニラを含む温かい余韻が重なります。ミルと同じく厚みがありながら、こちらには、柔らかく肌を包むような表情があります。
ケルレオは、香水に音楽のような調和を求める人でした。時代によって香りの強さや好まれる表現が変わることを、次のように言い表しています。
「ジョイがクラシック音楽なら、ジョルジオはハードロックです。」
ジャン・ケルレオ、ロサンゼルス・タイムズのインタビュー、1993年
ジョルジオ(Giorgio)は、ジョルジオ・ビバリーヒルズ(Giorgio Beverly Hills)の存在感の強い香水です。この比喩は、片方だけが正しいという話ではなく、香水を取り巻く時代の変化を端的に伝えています。
ケルレオ自身は、素材の質と、全体が一つに調和することを大切にしました。天然原料への敬意を持ちながらも、それだけで作品が成立するわけではありません。花、合成香料、調合ベースを組み合わせ、処方全体の中で美しさをつくる仕事です。
メンズフレグランスと、ヨウジへの展開
1980年のパトゥ・プールオムは、ケルレオのメンズ作品を代表する一本です。後に廃番となってからも、香水愛好家の間で高い評価を受けてきました。
1987年のマ・リベルテ(Ma Liberté)、1994年のパトゥ・プールオム・プリヴェ(Patou pour Homme Privé)といった作品では、香りの骨格に通じるものを読み取る批評もあります。よい構造を別の文脈に置き、新しい表情を見いだすという見方です。ただし、作者自身が公表した制作工程と、嗅いだ人が見いだす類似は分けて考える必要があります。
1996年には、ヨウジヤマモト(Yohji Yamamoto)のヨウジ(Yohji)を制作しました。パトゥを通じた仕事で、スブリームとは違う、より暗い果実やグリーンの陰影を感じ取る評があります。
この作品をスブリームの構造の反転として読む解説もありますが、確認された本人の制作意図として言い切ることはできません。それでも、ケルレオの香りを、古典的な豪華さだけに閉じ込められないことは伝わります。新作をつくる人であると同時に、昔の構造に別の可能性を見いだす人でもありました。
消えた香水と、比べられないもどかしさ
ケルレオが古い香水に向かったきっかけは、単なる懐古趣味ではありませんでした。自分の新作を褒められた後に、「でも20年前の香水はもっとよかった」と言われる。その判断を、実際に確かめられないことが気になったのです。
「人は物事を、実際よりもよかったと記憶することがあります。でも、彼らが話している香水は、もう存在しませんでした。ですから、本当の比較ができなかったのです。」
ジャン・ケルレオ、『ビューティー・ファッション』の取材、2010年
香りの記憶は強く残る一方、年月の中で変わることもあります。過去の香水をよいものとして語るなら、実物に近い香りを嗅いで判断できるようにしたい。その誠実な疑問が、保存へ向かう出発点となりました。
1984年のマ・コレクシオン(Ma Collection)では、社長ジャン・ド・ムワイ(Jean de Mouy)の依頼を受け、パトゥの過去の12作品を再構成します。かつての愛用品を失った顧客のための仕事でした。
対象となったのは、アムール・アムール(Amour Amour)、ク・セ・ジュ(Que sais-je?)、アデュー・サジェス(Adieu Sagesse)、シャルデ(Chaldée)、モマン・スプレーム(Moment Suprême)、カクテル(Cocktail)、ディヴィーヌ・フォリー(Divine Folie)、ノルマンディー(Normandie)、ヴァカンス(Vacances)、コロニー(Colony)、ルール・アタンデュー(L’Heure Attendue)、キャリーヌ(Câline)です。
元の処方を読み、その時代の素材を確かめながら香りを組み直す。ケルレオは、この仕事を通じて、香水が商品であると同時に歴史的な資料でもあることを実感していきます。
オスモテーク──香りを嗅げる資料として残す
保存機関の実現には、長い時間がかかりました。香水は変質するのだから保存できない、と疑う声もあります。1988年、フランス香水委員会のジェラール・ドゥルクール(Gérard Delcour)が支援し、ヴェルサイユの商工会議所なども加わることで、構想は形になっていきました。
1990年4月26日、オスモテークがヴェルサイユの香水学校イジプカ(ISIPCA)の敷地内に開設されます。ジャン=クロード・エレナ(Jean-Claude Ellena)、ギー・ロベール(Guy Robert)ら、多くの調香師や関係者の協力によるものでした。
歴史を保存するとは、古い瓶を並べることだけではありません。処方、原料、制作時の背景を照らし合わせ、香りそのものを可能な限り正確に残す。そのために、メーカーや個人から大切な資料を預かります。
ここで重要なのが、冒頭の「所有者ではなく、守護者」という言葉です。処方は、自由に売ったり使ったりするためにもらうものではなく、守るために託されるもの。信頼がなければ、この保存機関は成立しません。
保存できないとされたものを、守り続ける
オスモテークでは、光や酸素、温度の影響を抑えるための保管方法が採られてきました。2010年の取材では、アルゴンガスを用い、約12℃の環境で保存していると紹介されています。
保存への疑問に、ケルレオは具体的な経験で応えました。
「保管庫で使っている方法のおかげで、香水は確かに長持ちします。20年以上たっても、申し分のない状態のものがあります。」
ジャン・ケルレオ、『ビューティー・ファッション』の取材、2010年
もちろん、それはすべての香水が永遠に変わらないという意味ではありません。現在のオスモテークも、状態を確認し、必要に応じて処方に基づく再調合を行っています。保存とは、しまい込むだけでなく、継続して手をかける仕事です。
コレクションには、フランソワ・コティ(François Coty)のシプレ(Chypre)、ポール・パルケ(Paul Parquet)のフジェール・ロワイヤル(Fougère Royale)など、近代香水を知るうえで重要な作品が含まれます。さらに、古代ローマの文献に記された王の香水、ル・パルファン・ロワイヤル(Le Parfum Royal)の再構成も手がけました。
新しい香水を学ぶために、昔の香水を嗅ぐ。専門家だけでなく、一般の愛好家もその体験に触れられることが、オスモテークの大切な役割です。
流行の速さに、何を残すのか
ケルレオは、香水が次々に発売され、短い期間で消えていくことにも批判的でした。
「ほぼ毎日、新しい香水が市場に現れます。多くは数カ月だけ売られ、流行遅れになったとして姿を消してしまいます。」
ジャン・ケルレオ、ナウ・スメル・ディスが紹介したビジネス・スタンダードのインタビュー、2005年
長く考えて一つの作品をつくる人にとって、その速さは見過ごせないものだったのでしょう。保存への取り組みは、昔だけを称えるためではなく、優れた仕事が流通の都合だけで失われることへの応答でもあります。
1999年、ケルレオはパトゥの仕事をジャン=ミッシェル・デュリエ(Jean-Michel Duriez)へ引き継ぎ、オスモテークの活動にいっそう力を注ぐようになりました。2001年には、フランソワ・コティ賞の名誉賞を受賞しています。
2008年、オスモテークの会長職はパトリシア・ド・ニコライ(Patricia de Nicolaï)へ渡ります。自分一人が守り続けるのではなく、役割そのものを次の人へ引き継ぐ。それもまた、保存の一部でした。
受け継がれる、香りへの入り口
ケルレオとの出会いを、調香師を目指すきっかけとして挙げる人に、ソフィー・ラベ(Sophie Labbé)がいます。作品を見せ、仕事を伝え、香水の世界に入る扉を開くことも、彼が残したものの一つです。
2025年7月、ケルレオは93歳で亡くなりました。一部の訃報は7月23日と伝えていますが、葬儀告知とフランス語の人物記録では7月20日となっています。
その後もオスモテークは活動を続けています。2020年から会長を務めるトマ・フォンテーヌ(Thomas Fontaine)のもと、2025年9月にはヴェルサイユ中心部の新施設が開設されました。2026年2月の報道では、収蔵する香水は約6000点、そのうち約1000点が市場から姿を消した作品と紹介されています。
自分の作品が残るだけではありません。多くの調香師の仕事が、今も実際に嗅げる。そのことに、ケルレオの生涯の広がりがあります。
「匂いでしかない原材料から、夢を見させてくれる何かをつくることができる。それは素晴らしいことです。」
ジャン・ケルレオ、ロサンゼルス・タイムズのインタビュー、1993年
調香作品
オリジナル作品と、過去作品の復刻を区別して掲載します。資料に年の差がある作品は注記しました。
| 年 | ブランド | 作品 | 共同調香師・注記 |
|---|---|---|---|
| 1955年以降 | ヘレナ・ルビンスタイン | 化粧品への香りづけ | 研究室内での担当業務 |
| 1960 | ヘレナ・ルビンスタイン | エモーション | 共同調香師の記載なし |
| 1968頃 | ラコステ、発売をパトゥが担当 | オー・ドゥ・スポール | 1967年とする資料もあり |
| 1972 | ジャン・パトゥ | ミル | 共同調香師の記載なし |
| 1976 | ジャン・パトゥ | オー・ドゥ・パトゥ | 共同調香師の記載なし |
| 1980 | ジャン・パトゥ | パトゥ・プールオム | 共同調香師の記載なし |
| 1984 | ジャン・パトゥ | マ・コレクシオン、12作品 | 過去の処方に基づく再構成。原作の作者とは区別 |
| 1987 | ジャン・パトゥ | マ・リベルテ | 共同調香師の記載なし |
| 1992 | ジャン・パトゥ | スブリーム | 共同調香師の記載なし |
| 1994 | ジャン・パトゥ | パトゥ・プールオム・プリヴェ | 共同調香師の記載なし |
| 1995 | ジャン・パトゥ | ヴォワヤジュール(Voyageur) | 一部資料は1994年 |
| 1996 | ヨウジヤマモト、発売をパトゥが担当 | ヨウジ | 共同調香師の記載なし |
| 1998 | ジャン・パトゥ | パトゥ・フォーエバー(Patou For Ever) | 共同調香師の記載なし |
| 1998 | ジャン・パトゥ | アン・アムール・ドゥ・パトゥ(Un Amour de Patou) | 作品記録による |
参考文献
- Per Fumum:Jean Kerléo、インタビュー紹介・略歴
- Nez:Jean Kerléo, disparition du patriarche de la parfumerie、2025年7月24日
- Sarah Colton/Beauty Fashion:L’Osmothèque, Preserving the Past to Ensure the Future、2010年2月
- Los Angeles Times:Nose for the New、1993年2月21日
- Now Smell This:Jean Kerleo on the state of modern perfumery、2005年2月13日
- Wikipediaフランス語版:Jean Kerléo
- La Maison des Obsèques:Jean Kerléo葬儀告知
- ENAOS:Jean Kerléo葬儀告知
- Premium Beauty News:The Osmothèque broadens scope in the heart of Versailles、2026年2月18日
- Osmothèque:Le Parfum Royal
- Osmothèque:公式サイト
- Perfume Projects:Jean Kerléo
- Perfume Projects:Jean Patou作品史
- Fragrantica:Jean Kerleo
- Bois de Jasmin:Jean Patou 1000、2014年
- Fraterworks:1000 Reimagined、2024年
- ÇaFleureBon:Helena Rubinstein Emotion、1960年作品のレビュー
- Bois de Jasmin:Yohji Yamamoto, Long Lost Favorite Perfume
- Raiders of the Lost Scent:Yohji、2026年
- Association François Coty:受賞者・規定
- DSM-Firmenich:A Day in the Life of Sophie Labbé


