薫玉堂(くんぎょくどう/KUNGYOKUDO)|京都で430年以上続く香老舗の歴史と、暮らしに香りを届ける挑戦

薫玉堂の実物「宇治の抹茶」の箱と線香を参考にしたブランド紹介用の生成イメージ。背景は実店舗の写真ではない。

それでも100年後も香りを作り続けていたい

負野和夫(取材当時、薫玉堂社長)

京都・西本願寺の門前に、安土桃山時代から香りを商い続ける店がある。1594年創業の薫玉堂(くんぎょくどう/KUNGYOKUDO)である。

本願寺出入りの薬種商を原点に、寺院に納める香を調えてきた。香木を見極め、香料を組み合わせ、用途にふさわしい香りを仕立てる。長い年月をかけて受け継がれてきた技術は、やがて現代の暮らしに向けた香りづくりへと広がっていく。

転機となったのは2014年。仏前に線香を供える習慣が変化するなか、薫玉堂は420年の歴史を持つ自らの仕事を見つめ直した。

伝統を守ることと、新しい香りを生み出すこと。その二つを結びつけてきた負野家の歩みをたどる。

基本情報

  • ブランド名: 薫玉堂(くんぎょくどう/KUNGYOKUDO)
  • 創業: 1594年(文禄3年)
  • 創業地: 京都・西本願寺門前
  • 創業者: 負野理右衛門
  • 主な人物: 負野和夫、負野千早
  • 事業の原点: 本願寺出入りの薬種商、寺院に納める御香の調製
  • 公式サイト: KUNGYOKUDO

創設者とブランドの成り立ち

1594年、薬種商・負野理右衛門の創業

薫玉堂の歴史は、1594年に負野理右衛門が西本願寺の門前で薬種商を営み始めたことにさかのぼる。

理右衛門は幼い頃から香木に関心を持ち、とりわけ沈水香木の鑑定や香材の研究に打ち込んだ。

理右衛門はその知識を深め、薬種の商いから薫物を扱う仕事へと活動を広げていった。

香木への関心は、香道の修練にもつながった。理右衛門は志野流香道の家元を迎えて稽古に励んだという。

本願寺との関係と、代々受け継がれた調香帳

薫玉堂を語るうえで欠かせないのが、本願寺との深いつながりである。

負野家には、本願寺がまだ大阪の石山にあった時代、織田信長との争いを逃れる際に祖先が同行したという由緒が伝わる。御真影を背負って野を進んだことから、本願寺より「負野」という名字を授かったとされる。

その後、薫玉堂は本願寺をはじめ、全国の各宗派の本山や寺院へ香を納める仕事を担ってきた。

負野家に伝わる調香帳には、香木のほか、漢方薬にも用いられる植物由来の素材などが記されている。歴代の作り手が蓄積してきた香りの知識を、後の世代へ伝える記録である。

香道の文化も受け継がれている。京都本店に残る香室「養老亭」は、1788年の天明の大火で焼失した後、江戸時代後期に再建された建物である。現在も香道の教場として使われ、香りを鑑賞する文化を伝えている。

仏前の線香から、日常の香りへ

数百年にわたって寺院との関係を築いてきた薫玉堂にも、時代の変化は訪れた。

家庭に仏壇を置く習慣が薄れ、日常的に線香を焚く人が減っていったのである。寺院向けの香を中心とする従来の仕事を続けるだけでは、事業の将来を描くことが難しくなっていた。

負野千早は、このままでは事業が縮小していくという危機感を抱いていた。

転機となったのは、工芸や伝統産業の経営支援に取り組む中川政七商店との出会いである。

2014年、薫玉堂は同社の協力を得て、ブランドの再構築に着手した。

最初に取り組んだのは、新しい商品の企画ではなかった。自分たちは何を受け継ぎ、何を強みとしているのか。社員も交えて、その問いを考えることから始めたのである。

まずは自分たちが何者かということに立ち返って考えていったんです

負野千早

そこで改めて浮かび上がったのが、薫玉堂が古くから掲げてきた「御香調進所」という言葉であった。

御香調進所とは、相手の求めに応じて香を調え、届ける仕事を表す呼び名である。薫玉堂は、自らを「日本最古の御香調進所」と位置づけている。

その本質を、寺院向けの線香という製品の枠だけに限定する必要はない。香りを必要とする人や場面が変わっても、それに応じた香りを仕立てるという仕事は続けられる。

長い線香が変えた、老舗の常識

改革は、作り手自身が当然と思っていたことを問い直す機会にもなった。

負野千早にとって象徴的だったのが、部屋で焚くための線香の開発である。

それまで薫玉堂には、長い線香は仏壇用、短い線香は部屋焚き用という考え方があった。しかし、新しい商品を検討するなかで、中川政七商店側から長い線香のほうが見た目に美しいという提案があった。

千早は当初、一般の人に受け入れられるのか疑問を抱いていた。

ところが、長い線香は新しい薫玉堂を代表する商品の一つとなった。

2016年には、京都の風景や文化を題材とする新たな商品展開が始まった。2014年に着手したブランドの再構築が、具体的な香りの形になっていったのである。

さらに2018年には、京都を離れて東京・丸の内のKITTEに出店。「香りを誂える」という考え方を、より幅広い人々へ届ける場を設けた。

ブランドのこだわり

天然香木の個性を見極め、香りの品質を守る

薫玉堂の香りづくりを支えているのは、天然香料を中心とした調香技術である。

白檀や沈香などの香木に加え、桂皮、丁子、龍脳といった植物由来の香料を用い、それぞれの芳香を組み合わせて一つの香りに仕立てる。

天然の香木は、同じ種類であっても産地や木の個体、採取する部分によって香りが異なる。古い調香帳に配合が記されていても、材料をそのまま量り取るだけで、常に同じ香りが生まれるわけではない。

そこで重要になるのが、素材の違いを見極め、調合を微調整する作り手の経験である。

当時、業務統括部長を務めた山口浩樹は、昔から薫玉堂の香りを使い続けている人々の存在を踏まえ、次のように語っている。

香りの品質を保っていかなければ

山口浩樹

薫玉堂では、香木の仕入れに際しても、熟練した担当者が現地で品質を確かめている。希少な香木を確保するだけでなく、その香りを判断できる人材を育てることも、ものづくりの一部なのである。

京都の風景を題材にした線香づくり

2016年に始まった新たな商品展開では、京都の土地や四季の情景が香りの題材となった。

京都の具体的な場所や風景を香りの名前に取り入れたのである。

その一つが「線香 宇治の抹茶」である。

宇治の茶畑に整然と並ぶ茶樹、その緑が山の端まで続く風景を着想源としている。目指したのは、抹茶の深い芳香によって、慌ただしい日常のなかにひと息つける時間を生み出すことである。

一方、「線香 醍醐の桜」は、京都・醍醐の花見を題材にした作品である。桜並木を歩き、次々と花が開いていく様子や、舞い降りる花びらに包まれる情景を香りで表現している。

両作品に共通するのは、京都の名産や名所を単に香料へ置き換えるのではなく、その場所で過ごす時間や季節の印象を香りの主題にしていることである。

お香の天然原料を、肌に触れる香りへ応用する

薫玉堂が現代の暮らしに向けて選んだ方法は、線香の刷新だけではなかった。

2017年にはハンドクリーム、2018年には石鹸を展開。京都の四季折々の素材と、お香づくりに用いる天然原料を組み合わせ、香りを楽しむ機会を広げた。

負野千早は、その開発の考え方をこう表現している。

現代の暮らしに合わせたオリジナル商品なんです

負野千早

お香の原料として親しんできた素材を、手を洗うときや肌を整えるときにも楽しめる形へと応用したのである。

ただし、薫玉堂にとって、お香以外の商品づくりが2010年代に初めて始まったわけではない。1912年には基礎化粧品を発売し、1915年には蚕繭解舒液事業部から石鹸も発売されている。

2010年代の取り組みは、そうした過去を持つ薫玉堂が、改めて現代の生活にふさわしい製品を考え直したものといえる。

火を使わない香りと、使う場面の広がり

薫玉堂が扱う香りには、焚いて楽しむものだけでなく、衣類や手紙、身の回りの品に香りを添えるものもある。

例えば文香(ふみこう)は、小さな香袋を手紙などに忍ばせ、受け取る相手へ香りを届けるものである。衣香は衣類に移り香を添え、匂い袋は鞄に入れて持ち運ぶことができる。

一つの香り方を押しつけるのではなく、暮らしの場面に合わせて、香りの形そのものを選び直す。それが、薫玉堂のものづくりに見える具体的な姿勢である。

参考文献