ティエリー・ワッサー(Thierry Wasser)──畑から香水瓶まで、ゲランを受け継ぐ

ティエリー・ワッサーのスケッチと代表作品を掲載した調香師名鑑のサムネイル

「調香の世界では、私の肩の力の抜けたところが、私を救ってくれたのです。」

ティエリー・ワッサー、ラグジュアリー・トリビューンのインタビューより

1961年7月19日、スイス・ローザンヌ生まれ。

ゲラン(Guerlain)の香水を守る仕事は、処方を書くことだけではありません。花の畑に足を運び、生産者と話し、蒸留の現場を確かめる。そのすべてを引き受けてきたのが、創業家以外から初めてメゾンの専属調香師に選ばれたワッサーです。

本人が大切にする「肩の力を抜くこと」は、仕事を軽く扱うという意味ではありません。香りの前で考えすぎず、自分の感覚を信じること。その自由さを持つ人物が、長い歴史を継ぐ立場になったところに、ワッサーの面白さがあります。

調香史

スイスの農場と、少年を守ったアビ ルージュ

ワッサーはローザンヌのクレメット産院に、一人っ子として生まれました。3歳で父が家を去り、イタリア系の母方の祖父母が暮らすジュネーヴで育ちます。1970年からは、再婚した母イネスとモントルー近郊のシャンビーで暮らすようになりました。

森と農地に囲まれたシャンビーで、少年は隣家の農場に入り浸ります。季節ごとの収穫、動物、果実、土の匂い。香料の名前を学ぶよりずっと前に、植物が育ち、人がそれを扱う光景が身体に染み込んでいたのです。薬草にも夢中になり、屋根裏で植物を乾燥させ、シロップやお茶、浸出酒を作っていました。

アルプスでは岩登りやスキーも楽しみます。一方、学校生活は順調とはいきませんでした。体形をからかわれていた少年に、自信を与えてくれたのが、13歳のときに出会ったアビ ルージュ(Habit Rouge)です。母の友人がまとっていた香りに惹かれ、自分でもつけ始めます。香水は、まだ不安定だった自分を守る「鎧」のような存在でした。

その後、自ら数多くの香水を作るようになっても、私生活で選ぶのはこの香りです。作品の作者としての好みと、一人の愛用者としての記憶は、ワッサーの中で別々に息づいています。

薬草の見習いからジボダンへ

1976年に学校を離れ、ラ・トゥール=ドゥ=ペで薬種商の見習いを始めます。薬用植物やハーブティーを扱ったこの経験は、後年のプロフィールでは植物学の資格取得として紹介されています。大学で化学を修めて調香師を目指したわけではなく、植物に触れる実務から出発した人物でした。

香料会社を紹介する雑誌記事を読んだことが、次の扉を開きます。興味を持ったワッサーはジボダン(Givaudan)とフィルメニッヒ(Firmenich)に手紙を書き、採用試験を受けることになりました。後年、ルクスオーのインタビューで当時をこう振り返っています。

「私は19歳で、何も分かっていませんでした。嗅覚のテストを受けると、香水学校に席をもらえたのです。気がついたら、その世界に恋をしていました。」

ティエリー・ワッサー、ルクスオーのインタビューより

1981年、ジボダンで本格的な訓練が始まります。彼を見いだしたのは、校長のジャン・アドルン(Jean Hadorn)でした。匂いの正体を知っているかだけでなく、それをどんな言葉や感情で表すか。ワッサーによれば、試験では素材を言い当てられなくても、匂いを言葉に置き換える力を評価されたのだそうです。

学校と実習を経て、24歳ごろにジュニア調香師となり、1987年にはパリのファインフレグランス部門へ移ります。自分を選んでくれた人への恩を忘れないという姿勢は、後に生産者や共同制作者との関係にもつながっていきます。

ニューヨークで出会った、正反対の相棒

1993年、ワッサーはフィルメニッヒに移籍し、ニューヨークへ渡ります。ジボダン時代に身につけた技術を、異なる市場と創作環境で試す時期でした。

この会社で数多くの作品をともに作ったのが、アニック・メナルド(Annick Ménardo)です。後年のインタビューで、ワッサーは二人の関係を、性格の違いによってうまくいった協働として語っています。

「彼女は考えすぎて、私は考えなさすぎた。彼女には、香水を完成させるための肩の力の抜けたところが足りなかった。私にはそれがありました。私たちは強力なコンビだったのです。」

ティエリー・ワッサー、ラグジュアリー・トリビューンのインタビューより

慎重に考え抜く人と、どこかで思い切って進める人。その組み合わせから、ランコム(Lancôme)のイプノーズ(Hypnôse、2005年)、ディーゼル(Diesel)のフューエル フォー ライフ フォー ハー(Fuel for Life for Her、2007年)、フェンディ(Fendi)のパラッツォ(Palazzo、2007年)などが生まれました。

また、カルバン・クライン(Calvin Klein)のトゥルース(Truth、2000年)は、ジャック・キャヴァリエ・ベルトリュード(Jacques Cavallier Belletrud)とアルベルト・モリヤス(Alberto Morillas)との共作です。共同制作の多いキャリアですが、どの作品も同じ顔ぶれで作ったわけではありません。

2002年にパリのフィルメニッヒへ戻り、同年にはクリスチャン・ディオール(Christian Dior)のディオール アディクト(Dior Addict)が発売されます。豊かなバニラと白い花の存在感を持つこの作品は、ゲラン以前のワッサーを語るうえで欠かせない一本となりました。

ゲランの5代目を引き受ける

2007年、ゲランの香水開発に携わるシルヴェーヌ・ドゥラクルト(Sylvaine Delacourte)と仕事をし、イリス ガナッシュ(Iris Ganache)やクァンド ヴィアン ラ プリュイ(Quand Vient La Pluie)を発表します。その後、ゲラン オム(Guerlain Homme、2008年)へと協業が続きました。

そして2008年5月、46歳のワッサーがゲランの専属調香師に就任します。1828年の創業以来、家族の外から選ばれた初の継承者でした。ジャン=ポール・ゲラン(Jean-Paul Guerlain)に続く、メゾンの5代目の「鼻」です。

新作を作る技術は、すでにありました。しかし、ゲランでは製造と原料調達まで責任を持つ必要があります。就任後の約2年間、ワッサーは先代と旅をしながら、その仕事を学びました。

2009年のチュニジア訪問は、とりわけ忘れられない出来事となります。体調の優れなかったジャン=ポールは、長く使われていなかった自らのオレンジの花の蒸留所へ、後継者を連れていきました。

「庭の片隅の椅子に座って、何を救えるかと私が見て回るのを、彼は眺めていました。頬を涙が伝ったのです。あの光景は決して忘れません。」

ティエリー・ワッサー、ラグジュアリー・トリビューンのインタビューより

その後、ワッサーはそこでネロリの蒸留を再開します。毎朝、花の価格について生産者と話し合い、収穫を受け入れる日々。かつてラベルに記されていた「調香師・蒸留師」というゲランの仕事を、実際の現場で受け継いだのでした。

香水には語彙がある。でも、文法はない

ワッサーは香水を、感情に触れる表現として捉えています。ラグジュアリー・トリビューンでは、素材と創作の関係を言葉にたとえて説明しました。

「原料は、語彙のように学んでいく言葉です。その言葉で物語を語る。ただ、文法がないのです。だから意味が通るまで、言葉を組み合わせなければなりません。」

ティエリー・ワッサー、ラグジュアリー・トリビューンのインタビューより

決まった組み合わせを守ることより、その香りが自分や相手に何を感じさせるかを重視します。モリヤスにかけられた、考えるのをやめて色を混ぜてみようという助言も、そんな姿勢に通じています。

もちろん、自由に作ることと、伝統を知らないことは違います。ゲランには、ベルガモット、ローズ、アイリス、ジャスミン、トンカビーン、バニラなどを核にした、ゲルリナード(Guerlinade)と呼ばれる香りの連続性があります。すべての作品が同一の配合という意味ではなく、素材や組み合わせを通してメゾンらしさが受け継がれているのです。

ワッサーはローズ、とりわけブルガリアローズを長く好んできました。一方、2024年にはレザー、ベルガモット、バニラが作る明暗の対比にも惹かれると話しています。好みを固定して自分の署名にするより、そのときに語りたいことに合う素材を選ぶ人なのです。

イデール──喜びの花束と、650回の試作

専属就任後の最初の大きな新作が、イデール(Idylle、2009年)です。ブルガリアローズなどの花を中心に、ムスクとシプレーの輪郭を組み合わせ、愛の夢を表現しました。

「イデールには、愛の象徴となる、新鮮で喜びに満ちた花束を思い描きました。」

ティエリー・ワッサー、キャンディ・パフューム・ボーイ掲載の発言より

明るく届く香りですが、完成までの過程は容易ではありませんでした。パフューム・ソサエティのインタビューでは、最も試作を重ねた作品としてイデールを挙げ、その数を約650回としています。

さらに本人は、この作品ではいつものゲルリナードを中心に据えなかったと語っています。社内でゲランらしくないと言われた経験から、伝統の意味を改めて考えることになりました。新しい作者の個性を示すことと、メゾンの香りとして受け取ってもらうこと。その両方を学んだ作品だったのです。

ラ プティット ローブ ノワール──新しい世代へ

ラ プティット ローブ ノワール(La Petite Robe Noire)の歩みでは、最初の香りと世界展開版を分けて考える必要があります。2009年の原型を手がけたのは、デルフィーヌ・ジェルク(Delphine Jelk)。その香りをもとに、ワッサーも携わった2012年版が世界へ広まりました。

ブラックチェリー、アーモンド、ローズ、紅茶、バニラやトンカビーン。その親しみやすさの奥には、ゲランらしい甘さと陰影があります。ワッサーは2012年の対話で、苦いアーモンドとラズベリー系の素材を組み合わせてチェリーの印象を作る過程に触れています。

この成功は、ワッサー一人の発明として語るより、ジェルクの発想を含めた共同の仕事として見ることで、いっそう具体的になります。二人はその後も複数の作品で協働を重ねていきました。

シャリマー パルファン イニシャル──継承を香りで考える

シャリマー パルファン イニシャル(Shalimar Parfum Initial、2011年)は、1925年にジャック・ゲラン(Jacques Guerlain)が作ったシャリマー(Shalimar)を、別の角度から捉え直した作品です。

若い姪から自分のためのシャリマーが欲しいと言われたことが、着想のきっかけだったと紹介されています。ベルガモット、アイリス、ローズ、トンカビーン、バニラといった原作につながる素材を残しながら、より軽やかな輪郭を与えました。

「シャリマーの個性を損なわずに時代に合わせ、魔法のような魅力を保ちながら変化させること。過去を称えながら未来を作ること。それが挑戦でした。」

ティエリー・ワッサー、香水ブログ「Geurengoeroe」掲載の発言より

原作をそのまま保存する仕事と、原作から新しい香りを生む仕事。その違いを引き受けることも、ゲランの調香師に求められています。

モン ゲラン──原料が語り始めるとき

ジェルクとともに作ったモン ゲラン(Mon Guerlain、2017年)は、ラベンダー、ジャスミン、サンダルウッド、バニラを核にしています。ワッサーにとって、ラベンダーは単にトップノートに置く材料ではありませんでした。小さな青い花に触れ、謙虚さや素朴さ、誠実さを感じたと語っています。

アンジェリーナ・ジョリー(Angelina Jolie)との関係については、制作の順序が大切です。2018年のハッシュタグ・レジェンドの取材で、本人はこう説明しています。

「モン ゲランのデザインを始めたとき、アンジェリーナ・ジョリーはまだいませんでした。」

ティエリー・ワッサー、ハッシュタグ・レジェンドのインタビューより

最初の香りの設計が先にあり、その後、ジョリーがボトルやコミュニケーションも含む協働に参加しました。彼女と話した経験は、次のフローラル版にジャスミン・サンバックをより豊かに使うことにつながったといいます。

インドでジャスミンの花輪が結婚式や寺院、家族を迎える場に使われるのを見て、ワッサーにとって花の意味は変わりました。愛や喜び、家族、願いと結びついた材料になったのです。原料を現地で見るという仕事は、品質の確認と同時に、香りを語るための経験を得ることでもありました。

17回目に戻したアンサン ミティーク ドリエント

アンサン ミティーク ドリエント(Encens Mythique d’Orient、2012年)には、共同作業の大切さを示す逸話があります。試作を気に入ったゲランの文化遺産担当者が、しばらくしてもう一瓶を求めたとき、ワッサーは改良を進めた新しい試作を渡しました。

ところが、相手が好きだったのは以前の香りでした。そこで試作をさかのぼり、最終的には17番目の処方を採用します。調香師自身には改良のつもりでも、周囲には前のほうが魅力的に感じられることがある。本人はこの経験を、近くの人の意見を聞くことの価値として語っています。

なお、コロン デュ パルファン(Cologne du Parfumeur、2010年)も、ワッサーの香りの輪郭を知るうえで大切なコロンです。ネロリを中心にした明るい作品で、花の蒸留とゲランの歴史を結ぶ仕事として位置づけられます。

畑と調香師の声を守る

ワッサーは一年の約3分の1を原料のための旅に充ててきました。カラブリアのベルガモット、チュニジアのネロリ、ブルガリアやグラースのローズ、プロヴァンスのラベンダー、コモロ諸島のイランイラン、マダガスカルのバニラ。オーストラリアのサンダルウッドやインドのジャスミン、ベトナムのウードにも足を運びます。

原料の選択には、香りの良さだけでなく、安定して供給できるか、生産する人が続けていけるかという問題があります。気候の変化や収穫の不調を現場で見てきたことが、こうした関心を強めてきました。

2014年にレジオンドヌール勲章騎士章、2020年に芸術文化勲章騎士章を受章。2025年6月には、国際調香師創作者協会(Société internationale des parfumeurs-créateurs/SIPC)の第4代会長に就任しました。

同年のインタビューで掲げたのは、創作に使う素材の多様性を守ること、香水とその作者の文化的な位置づけを高めること、現場の使用実態を踏まえた規制を求めることです。規制に対する批判はワッサー自身の立場ですが、その背後にあるのは、畑や生産者の仕事が失われれば調香の表現も失われるという危機感でした。

2026年時点のゲラン公式紹介では、ワッサーはマスター調香師として、希少な自然原料の探索や特注香水の創作を担う人物とされています。一方、香水創作ディレクターを務めるのはジェルクです。長く一緒に働いてきた二人は、役割を変えながらメゾンの香りを支えています。

ちなみに…

音楽は、幼いころからの大切な楽しみです。チャイコフスキーとの出会いから、ストラヴィンスキー、プロコフィエフ、ラフマニノフなどへと聴く世界が広がりました。若いころにはモントルーの音楽祭で案内係を務め、演奏に触れる機会を得たこともあります。調香師でなければ指揮者になりたかったと語りながら、大変な仕事だから自分には向かないかもしれない、と笑うところもワッサーらしいところです。

絵画ではマーク・ロスコ(Mark Rothko)を好みます。色や表面から感情を受け取る感覚は、香りの質感を考えることにもつながっています。日常では犬との散歩を楽しみ、その足の裏にポップコーンのような匂いを見つけるような、身近な嗅覚の喜びも大切にしています。

敬愛する作品には、ミツコ(Mitsouko、1919年)を挙げています。桃の香りが、厳かなシプレーの中にふっと浮かぶ。それをモナ・リザの謎めいた微笑みにたとえながら、自分ではまとわなくても、強く心を惹かれる香水だと話しています。

調香作品

主な作品を年代順にまとめました。共同調香者として確認できる人物を記し、企画・芸術面の協働は調香クレジットと区別しています。

年 ブランド 作品名 共同調香師・注記
1987 サルバドール・ダリ(Salvador Dali) プール オム(Pour Homme) ロン・ウィノグラッド(Ron Winnegrad)との共作とする資料あり
1988 ジャック・ボガート(Jacques Bogart) フュリオ(Furyo) ロン・ウィノグラッド
1998 ミリアム・ミラーニ(Miriam Mirani) アカバ(Aqaba) —
1999 アンヘル・シュレッサー(Angel Schlesser) ファム(Femme) —
1999 キャンディーズ(Candie’s) キャンディーズ —
2000 カルバン・クライン トゥルース ジャック・キャヴァリエ・ベルトリュード、アルベルト・モリヤス
2001 ブルーノ・バナーニ(Bruno Banani) ウーマン(Woman) —
2002 クリスチャン・ディオール ディオール アディクト —
2002 アンヘル・シュレッサー オム(Homme) —
2004 クリスチャン・ディオール アディクト オー フレッシュ(Addict Eau Fraîche) —
2005 ランコム イプノーズ アニック・メナルド
2005 グレ(Grès) カリーヌ(Caline) —
2006 グレ カリーヌ ナイト(Caline Night) —
2006 カイリー・ミノーグ(Kylie Minogue) ダーリン(Darling) —
2006 ショパール(Chopard) プール オム —
2007 ディーゼル フューエル フォー ライフ フォー ハー アニック・メナルド
2007 フェンディ パラッツォ アニック・メナルド
2007 ジョルジオ・アルマーニ(Giorgio Armani) エンポリオ アルマーニ ダイヤモンズ(Emporio Armani Diamonds) —
2007 ジル・サンダー(Jil Sander) マン(Man) アニック・メナルド
2007 ゲラン イリス ガナッシュ シルヴェーヌ・ドゥラクルトと企画・創作面で協働
2007 ゲラン クァンド ヴィアン ラ プリュイ シルヴェーヌ・ドゥラクルトと企画・創作面で協働
2008 ゲラン ゲラン オム —
2008 ジル・サンダー マン アブソリュート(Man Absolute) —
2009 ゲラン イデール —
2010 ゲラン トンカ アンペリアル(Tonka Impériale) —
2010 ゲラン フローラ ニンフェア(Flora Nymphea) アクア アレゴリア(Aqua Allegoria)シリーズ
2010 ゲラン コロン デュ パルファン —
2010 ゲラン ブーケ ヌメロ アン(Bouquet Numéro 1) アクア アレゴリア
2010 ゲラン シャリマー オード ア ラ ヴァニーユ(Shalimar Ode à la Vanille) —
2011 ゲラン シャリマー パルファン イニシャル —
2011 ゲラン アビ ルージュ ロー(Habit Rouge L’Eau) —
2011 ゲラン イデール デュエット ローズ パチュリ(Idylle Duet Rose Patchouli) —
2011 ゲラン ジャスミノラ(Jasminora) アクア アレゴリア
2012 ゲラン ラ プティット ローブ ノワール デルフィーヌ・ジェルクによる2009年版をもとにした世界展開版
2012 ゲラン アンサン ミティーク ドリエント —
2012 ゲラン ブーケ ドゥ メ(Bouquet de Mai) アクア アレゴリア
2012 ゲラン ミルラ エ デリール(Myrrhe et Délires) —
2012 ゲラン ソンジュ ダン ボワ デテ(Songe d’un Bois d’Eté) —
2012 ゲラン ルール ドゥ ニュイ(L’Heure de Nuit) —
2012 ゲラン シャンハイ(Shanghai) —
2012 ゲラン ローズ ナクレ デュ デゼール(Rose Nacrée du Désert) —
2012 ゲラン リス ソレイヤ(Lys Soleia) アクア アレゴリア
2012 ゲラン イデール デュエット ジャスミン リラ(Idylle Duet Jasmin-Lilas) —
2012 ゲラン オム ロー ボワゼ(Homme L’Eau Boisée) —
2013 ゲラン ネロリア ビアンカ(Nerolia Bianca) アクア アレゴリア
2013 ゲラン クール デ サントゥール ヴェルサイユ(Cour des Senteurs Versailles) —
2013 ゲラン パルファン デュ 68(Parfum du 68) —
2013 ゲラン プラス ルージュ(Place Rouge) —
2013 ゲラン シャリマー オード ア ラ ヴァニーユ シュール ラ ルート デュ メキシク(Shalimar Ode à la Vanille Sur la Route du Mexique) —
2014 ゲラン ロム イデアル(L’Homme Idéal) —
2014 ゲラン ラ プティット ローブ ノワール クチュール(La Petite Robe Noire Couture) —
2014 ゲラン サンタル ロイヤル(Santal Royal) —
2014 ゲラン テラコッタ ル パルファン(Terracotta Le Parfum) —
2014 ゲラン リモン ヴェルデ(Limon Verde) アクア アレゴリア
2014 ゲラン シャリマー スフル ドゥ パルファン(Shalimar Souffle de Parfum) —
2015 ゲラン アビ ルージュ ドレスコード(Habit Rouge Dress Code) —
2015 ゲラン ラ プティット ローブ ノワール オー フレッシュ(La Petite Robe Noire Eau Fraîche) —
2015 ゲラン モン エクスクルジフ(Mon Exclusif) デルフィーヌ・ジェルク
2016 ゲラン アンブル エテルネル(Ambre Éternel) —
2016 ゲラン ネロリ ウートルノワ(Néroli Outrenoir) —
2017 ゲラン モン ゲラン デルフィーヌ・ジェルク
2017 ゲラン フォール フラワーズ(Fall Flowers) デルフィーヌ・ジェルク、アクア アレゴリア
2017 ゲラン ジョワイユーズ チュベローズ(Joyeuse Tubéreuse) デルフィーヌ・ジェルク
2017 ゲラン ウード エッセンシャル(Oud Essentiel) —
2017 ゲラン ルイ(Lui) —
2017 ゲラン ル フレンチー(Le Frenchy) —
2017 ゲラン ベルガモット カラブリア(Bergamote Calabria) アクア アレゴリア
2018 ゲラン シャリマー スフル ドゥ ルミエール(Shalimar Souffle de Lumière) —
2018 ゲラン ムスク ノーブル(Musc Noble) —
2018 ゲラン 190 アン ドゥ クレアシオン(190 Ans de Création 1828–2018) メゾン創業190周年記念

参考文献