「私はクロエを作った。なぜなら、クチュールは美しいと思っていたけれど、少し時代遅れで、人工的だとも感じていたから。美しくて質の高いものは、街を歩く女性たちの上に見られるべきだと思った」
— ギャビー・アギヨン(クロエ創設者)
基本情報
- 設立年:1952年
- 創設者:ギャビー・アギヨン(Gaby Aghion、本名:ガブリエラ・ハノカ)
- フレグランスライセンス保有:コティ(Coty Inc.)
- 現オーナー:リシュモン・グループ(Richemont Group)
- 公式サイト:https://www.chloe.com
創設者・ブランドの成り立ち
アレクサンドリアで育ったパリへの憧れ
ギャビー・アギヨン(本名ガブリエラ・ハノカ)は1921年3月3日、エジプト・アレクサンドリアに生まれた。父はギリシャ系ユダヤ人のタバコ工場経営者ハノカ氏、母はイタリア系ユダヤ人で、7人きょうだいの末娘として裕福な環境に育った。当時のアレクサンドリアはイギリスの保護領として栄えた国際都市で、上流家庭ではフランス語が話され、ヨーロッパの文化が色濃く流れ込んでいた。
幼いころからギャビーはパリのファッション雑誌に親しんでいた。母は雑誌の挿絵を見ながら縫い子に服を作らせており、こうした環境がのちにクロエの「美しさを手の届く場所に」という哲学の源となる。
1940年頃、ギャビーは幼なじみのレイモン・アギヨン——エジプトの有力綿花商人の息子——と結婚。1939年には夫の医学留学に同行して初めてパリを訪れるが、第二次大戦の勃発で帰国を余儀なくされた。
パリへの移住と「トルネード」のような日々
1945年、エジプトのユダヤ系住民への情勢が悪化し、24歳のギャビーは夫とともに二度目のパリ移住を果たした。「私はあんな優雅さを生まれて一度も見たことがなかった。私にとって、ファッションとはフランスそのものだった」——後年、彼女はそう語っている。
左岸(リヴ・ゴーシュ)のカフェに通い、ルイ・アラゴン、パブロ・ピカソ、ポール・エリュアールら左翼知識人・芸術家たちと交流する中で、ギャビーはパリの戦後ファッション状況に少なからず違和感を覚えた。「あのころ、フランスには存在しないものがたくさんあった。何もかも発明しなければならなかった。それが私を夢中にさせた」。
オートクチュール(高級注文服)が支配する当時のパリでは、一部の富裕層しか上質なファッションを享受できなかった。庶民は自宅で型を取り寄せ自前で縫うしかない。そのギャップに気づいたギャビーは、「女性が街を歩きながら美しく見えるための服を作りたい」という衝動を抑えられなくなっていった。
6枚のドレスから始まったブランド
1952年、ギャビーは決断した。「もう昼食のアポを取り続けるだけでは足りない。私は仕事をしなければ」。夫も家族も、友人たちでさえ「2週間もつかな」と懐疑的だった。
ギャビーはパリのアパートのメイド部屋でコットン素材の6枚のドレスを縫い上げ、お気に入りのブティックを訪ね歩き、店のラベルではなく自分のラベルをつけたまま売り込んだ。「エジプトのスポーツクラブで着ていたような服からインスパイアされた」と彼女は語っている。オートクチュールの張り詰めた緊張感とは対照的な、軽くて自由な、それでいて高品質な服——これがのちに「ラグジュアリー・プレタポルテ(高級既製服)」と呼ばれる概念の始まりであり、彼女はその言葉を自ら作り出した。
6枚のドレスは瞬く間に完売した。
ブランド名「クロエ」の由来
ギャビーはブランドに自分の名前を使わなかった。理由はいくつかある。「ガブリエラ」はすでにシャネルのイメージと重なりすぎた。当時の社会規範では、良家の既婚女性が仕事をすることは「恥」に映りかねなかった。万一失敗したとき、家族の名を傷つけたくもなかった。そこで彼女は友人の名前を拝借した。
「私は文字の丸みが気に入ったのよ」と語るギャビーは、友人クロエ・フィスマン(Chloé Huysmans)の名を使うことにした。クロエという名はギリシャ語で「若い緑の芽」を意味し、みずみずしさ、若さ、自然の美しさを帯びている。その女性こそが、ギャビーの思い描く「クロエ・ウーマン」——自由で、生き生きとして、自然体な女性——のイメージを体現していた。
ジャック・ルノワールとの二人三脚、そして黄金期
翌1953年、ギャビーはビジネスパートナーのジャック・ルノワール(Jacques Lenoir)を迎えた。ルノワールが経営・実務を担い、ギャビーが創造に専念するという分業体制で、ブランドは急速に成長した。
ブランドの公式年表によれば1957年、カフェ・ド・フロール(Café de Flore)で初のファッションショーを開催。モデルたちは来場者のテーブルの間を縫うように歩き、観客はコーヒーを飲みながらコレクションを楽しんだ。クロエがカフェで開催したショーについて、ニューヨーク・タイムズはこう記している。「クロエのショーはリトレラリー・カフェ(文芸カフェ)『クロズリー・デ・リラ』で開かれた。プレスは机を囲んでカフェ・オ・レを飲みながら…モデルたちはテーブルの間を縫って歩く」。
1957年には早くも「ヴォーグ・パリ」誌に定期掲載されるようになり、程なくしてブリジット・バルドー、マリア・カラス、ジャッキー・ケネディ、グレース・ケリーといった著名人がクロエを愛用し始めた。
カール・ラガーフェルドという才能との出会い
「私には才能がない。でも他人の才能を見抜く才能がある」——ギャビー・アギヨン
1960年代、ギャビーは若いデザイナーたちを積極的に採用した。その中に、当時まだ駆け出しのカール・ラガーフェルド(Karl Lagerfeld)がいた。1964年にクロエと関わりを持ったラガーフェルドは、1966年からデザイナーとして活躍し始め、1974年には専任(exclusive designer)となった。
ラガーフェルドのクロエ時代は黄金期と呼ぶにふさわしかった。シフォンや薄絹を使った流れるようなドレスは、フェミニンかつ解放的な70年代の精神を体現し、クロエの名を世界に知らしめた。「毎コレクション、私はその瞬間の気分を結晶化しようとした」——後年ラガーフェルドはこう語り、その言葉はのちに2023年のニューヨーク・ユダヤ博物館での回顧展タイトル「ムード・オブ・ザ・モーメント(Mood of the Moment)」に引用されることになる。
1983年にラガーフェルドがシャネルへ移籍するまで約20年、彼はクロエのデザインを主導した(1992〜1997年には二度目の復帰も果たした)。1985年にはギャビー自身もダンヒル・ホールディングス(現リシュモン・グループ)に株を売却し、経営から退いた。クロエはその後もステラ・マッカートニー(1997〜2001年)、フィービー・ファイロ(2001〜2006年)らの手を経て進化を続け、2023年にはシェミナ・カマリ(Chemena Kamali)が新たなクリエイティブ・ディレクターに就任している。
ブランドのこだわり
香りづくりの哲学:「グラースの伝統」と自然への敬意
クロエのフレグランスを長年手がけてきた調香師ミシェル・アルメラック(Michel Almairac)は、そのアプローチについてこう述べている。「私の香水づくりの哲学は、グラース(Grasse)の伝統に深く根ざしており、抽象的なものより、自然の美しさを参照することを好む。美しいジャスミンを作ることは直感的で自明のことだ」。南フランスの花の都グラースを拠点とする天然素材メーカー、ロベルテ(Robertet)社とのパートナーシップはその哲学を体現しており、植物由来の素材を大切にしながら、合成香料も組み合わせた香りづくりが行われてきた。
クロエが2008年の香水を企画した際、コティのチームがロベルテに求めたのは「彼女たちの母親や祖母が使っていたのとは違う、でも古典に恥じない、現代の女性のためのシグネチャー・フレグランス」であった。その結果が、ローズを軸にしながらも、フリージアやピオニーのフレッシュさ、ライチの甘み、シダーウッドのドライな奥行きをバランスよく組み合わせた2008年版のクロエ・オードパルファムである。
息子のロマン・アルメラック(Romain Almairac)は父の仕事をこう評した。「オリジナルのクロエ・オードパルファムは、ごくシンプルで少ない成分で作られていた。これほどの成功は誰も予想していなかった」。
ボトルとパッケージ:リボンが結ぶ「クロエ・コード」
2008年以降のクロエ・フレグランスを象徴するアイテムといえば、縦溝(フルーテッド)のガラスボトルと、ボトルネックに手作業で結ばれたグログラン・リボン(grosgrain ribbon)である。この縦溝はネオクラシカルな柱(コラム)を想起させ、「控えめに気品を主張する」というブランドのスタンスを体現している。リボンの縫い目はクロエのファッションが長年使ってきた装飾コードへのオマージュであり、ボトルはただの容器ではなくファッションハウスの世界観の延長として設計されている。
2024年発売の「クロエ ロー・ドゥ・パルファム・アンタンス(L’Eau de Parfum Intense)」ではリボンの色がガーネット(深い赤)に変更され、ボトルはリフィル可能な設計となった。このフレグランスの全容量にリフィル対応が導入されており、サステナビリティへの意識も垣間見える。
香水ラインナップ
初代クロエ(1975年)——チューベローズのソリフロール
1975年4月、クロエ初のフレグランスが発売された。ラガーフェルドがパルファン・ラガーフェルド(当時、製薬会社イーライリリーの子会社)と組み、ライセンスフレグランスビジネスとして立ち上げた作品である。調香師はベティ・ブッセ(Betty Busse)。
当時としては約178〜180種もの天然素材・オイルを使用した贅沢な処方で、チューベローズを軸に、ジャスミン、イランイラン、スズラン、アイリス、ナルシスなどが重なり合う重厚な白花フレグランスであった。フロスト仕上げのカラー(オランダカイウ)の茎を模したストッパーを持つボトルはデザイナーのジョー・メッシーナ(Joe Messina)が手がけ、フレグランス・ファウンデーション賞(パッケージング部門)を受賞した。
このフレグランスには重要な業界史的意義がある。ラガーフェルドは「自身のブランドを持たないまま香水を出した最初のファッションデザイナー」とされており、その後の多くの「ハウス・フレグランス」のビジネスモデルに先鞭をつけた。
ナルシス(Narcisse)/イノセンス(Innocence)(1990年代)
1992年にナルシス(Narcisse)、1996年にイノセンス(Innocence)が発売された。いずれも初代ほどの商業的成功には至らず、その後クロエのフレグランス展開にはしばらく間隔が空いた。
クロエ オードパルファム(2008年)——シグネチャー誕生
2005年にコティがクロエのフレグランスライセンスを取得し、2008年に満を持して発売されたのが現在のクロエのシグネチャー・フレグランスとなる「クロエ オードパルファム(Chloé Eau de Parfum)」である。
調香師はミシェル・アルメラックとアマンディーヌ・クレール=マリー(Amandine Clerc-Marie)。トップにピオニー・ライチ・フリージア、ハートにローズ・マグノリア・スズラン、ベースにアンバー・シダーウッドが広がる。「クリーンで上品なローズ」というコンセプトは発売当時の市場で際立っており、ローンチ後に現在に至るまでブランド最大のベストセラーとなった。
この香水は初代(1975年版)とは全く異なる別人のような存在でありながら、「フレグランスをもって女性の全体像を完成させる」というブランドDNAは受け継いでいる。
ラブ・ストーリー(Love Story)(2014年)
2014年9月に欧州で発売。調香師はアンヌ・フリポ(Anne Flipo)。パリのポン・デ・ザール橋に取り付けられた「愛の南京錠(ラブロック)」からインスパイアされたコンセプトで、ボトルのデザインにも南京錠のモチーフが採用されている。ネロリ・オレンジブロッサム・マダガスカルジャスミン・シダーウッドで構成されるフレッシュ・フローラルで、2014年当時のクロエの世界観を現代的に昇華した作品である。
ノマド(Nomade)(2018年)——シプレの冒険
2018年発売。調香師はジボダン(Givaudan)のクエンティン・ビッシュ(Quentin Bisch)。クロエがそれまでのソフト・フローラル路線から一歩踏み出した意欲作で、オークモス・パチョリ・サンダルウッドをベースとするシプレ(chypre)構造を採用。トップにミラベルプラム、ハートにフリージア・ローズが香る。
「冒険・開放性・旅」をテーマに、ジボダン(Givaudan)の調香師による革新的な処方である。コンセプトについてコティのマーケティング担当シモナ・カッタネオ(Simona Cattaneo)はこう語った。「ノマドで私たちは、開放性・出会い・驚き・未知への非常に強い欲求に応えたかった」。ボトルはクロエの代表的なバッグ「ドリュー(Drew)」のシルエットにインスパイアされている。
アトリエ・デ・フルール(Atelier des Fleurs)コレクション(2019年〜)
2019年に発売が始まった高感度なモノフローラル・コレクション。各フレグランスが一つの花・素材にフォーカスし、その「知られざる側面」を引き出すコンセプトで展開される。「まるでパフューマーのパレットから花を一輪取り出すように」各香水を組み合わせて、自分だけのブーケを作れるという発想が新しい。
なかでも2020年に追加された「チューベローズ1974(Tuberosa 1974)」は、1975年の初代クロエへのオマージュとして特別な意味を持つ。作品名の「1974」は、ブランド公式が初代香水の創作年として紹介する年に由来する。初代の発売年は1975年と記す資料もあり、創作と発売の時期を区別して捉えたい。
クロエ ロー・ドゥ・パルファム・アンタンス(L’Eau de Parfum Intense)(2024年)
2024年発売。2008年のシグネチャーを再解釈した意欲作で、ミシェル・アルメラックと息子ロマン・アルメラックによる親子コラボである。ローズを軸としながらラズベリー・アンブロクサン・カシュメラン・シダーが加わり、「朝・昼・夜のバラ」というコンセプトで時間帯によって異なるバラの表情を一本の香水の中に詰め込んでいる。リフィル可能な150mlのリフィルが用意され、このフレグランスの全容量へのリフィル展開が実現した。
ちなみに…
- クロエという名の語源はギリシャ語の「クロエー(Chloé)」で、「若い緑の芽」「新鮮な若葉の芽吹き」を意味する。ブランドが一貫してフレッシュでナチュラルなフェミニニティを体現してきたことと、語源的に奇妙に符合している。
- ギャビー・アギヨンが最初のコレクションを披露した「カフェ・ド・フロール(Café de Flore)」は、クロエの2008年版オードパルファムの調香師ミシェル・アルメラックの息子、ロマン・アルメラックがファッションマガジン取材を受けた場所でもあった。偶然だが、クロエの物語は始まりも現代も同じ街角——パリの左岸から語られ続けている。
- ギャビーは自身のスタイルについてこう語っている。「私はずっとシンプルに着てきた。社交界でキラキラ輝くのは好きじゃない」。六枚のコットンドレスから始めた女性が、世界中の女性に自由な美しさを届けるブランドを作ったという物語は、クロエの香水が体現する「余分なものを削ぎ落とした美しさ」そのものと重なって見える。
- 2023〜2024年、ニューヨークのジューイッシュ・ミュージアムにおいてギャビー・アギヨンの回顧展「ムード・オブ・ザ・モーメント:ギャビー・アギヨンとメゾン・クロエ(Mood of the Moment: Gaby Aghion and the House of Chloé)」が開催され、約150点の衣装と未公開のアーカイブ資料が展示された。ファッション史においてしばらく「語られなかった先駆者」として、ようやくその功績が大きく照らし出された形である。
参考文献
- CNN Style「The story of Chloé founder Gaby Aghion's 'ready to wear' revolution」
- How Gaby Aghion, Founder of the House of Chloé, Took the Fear Out of Fashion
- Gaby Aghion (Chloé) – The Fashiongton Post
- Gaby Aghion : Chloé ou le prêt-à-porter qui libère les femmes
- Each should be beautiful. – Private Wealth
- Gaby Aghion, fashion designer: Co-founder of Chloe House, which
- The story of Chloé founder Gaby Aghion's 'ready to wear' …
- Chloe by Karl Lagerfeld c1975
- Story – Maison Chloé
- Chloé: Signature fragrance, Drew bag & sneaker – CM Models
- Karl Lagerfeld – Wikipedia
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- Buy Chloe EDP (new version – 2008) Sample – Surrender to Chance
- Chloe launches the new Chloe L'Eau De Parfum Intense | SENATUS
- Story – Maison Chloéwww.chloe.com › en-us › maison › history
- 5 Fragrance Moments from Karl Lagerfeld – Perfume Professor
- Perfume Intelligence – The Encyclopaedia of Perfume
- The Perfume Magazine
- Karl Lagerfeld: A Line of Beauty honours iconic late designer
- 20 of the best Quotes By Karl Lagerfeld | Quoteikon
- Chloe :: Perfume Houses
- Chloe – CHLOÉ PERFUME – News Parfums
- Coty – Wikipedia
- Coty unveils new Chloe scent – Cosmetics Business
- Chloé(クロエ) クロエ オードパルファムの口コミは良いの?気になる効果や評判、公式情報まとめ | ONEcosme
- Chloe Eau de Parfum was launched in 2008. #Chloe … – Instagram
- https://www.chloe.com/jp/フレグランス_cod51125872se.html
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- Nomade by Chloé (Eau de Parfum) » Reviews & Perfume Facts
- Chloé Crafts a Scent for the Curious Globe Trotter | Val's Vanity
- Chloé Nomade Eau de Parfum – Makeup
- Discover Chloé's Atelier Des Fleurs – Cult Beauty
- Perfume Atelier des Fleurs – Tuberosa 1974 Chloé [§274]
- Chloé Expands Its Clean Fragrances: 'Moment of Reinvention' – Ethos
- コティ公式|クロエのリフィルと認証
- クロエ公式|チューベローザ1974
- ロベルテ公式|ミシェルとロマン・アルメラック
- クロエ公式|シェミナ・カマリ就任


