ギー・ロベール(Guy Robert)──香りの交響曲をつくり、その記憶を伝えた人

ギー・ロベールのスケッチと代表作品を掲載した調香師名鑑のサムネイル

「香水は、まず何よりも、よい香りでなければなりません。」

ギー・ロベールの信条として、パフューム・シュラインの追悼記事、2012年

1926年1月29日生まれ、2012年5月28日没。

マダム ロシャス(Madame Rochas)、カレーシュ(Calèche)、ディオレッセンス(Dioressence)、そしてアムアージュのゴールド(Gold)。ギー・ロベールの代表作を並べると、華やかな香水の歴史が一つの線になります。

その線を支えていたのは、複雑な香りを、複雑なまま心地よくまとめる技術でした。花と木、明るさと陰影、清潔感と動物的な温かさ。対照的な要素を重ねながら、最後には一つの香水として感じさせます。

同時にロベールは、自分の技術を言葉にして残した人でした。講演では調香師の思い上がりを笑い、著書では先人たちの仕事を解きほぐし、香水を保存する活動にも加わります。作品をつくることと、その世界を次へ伝えることが、分かちがたく結びついていたのです。

調香史

グラースの家族から、ニューヨークの研究室へ

ロベールは1926年、フランスのグラースに生まれました。祖父ジョセフ・ロベール(Joseph Robert)は、香料会社シリス(Chiris)で、溶剤による花の香りの抽出を発展させた人物の一人です。父のヴィクトール(Victor Robert)も調香師でした。

叔父のアンリ・ロベール(Henri Robert)は、後にシャネル(CHANEL)でプール ムッシュウ(Pour Monsieur)やN°19を手がけます。エルネスト・ボー(Ernest Beaux)やアンリ・アルメラス(Henri Alméras)といった調香師も、一族に近い存在だったと伝えられています。

職業としての調香を知るより前に、調香師たちのいる世界を知っていた。その環境は、ギーの大きな財産でした。若い頃からグラースで蒸留や原料の仕事に触れ、第二次世界大戦後にはニューヨークへ渡ります。そこで叔父アンリのもとで働き、本格的な訓練を受けました。

香りを記憶するだけでなく、処方をどう整理し、どう読むかを学ぶ時間でもありました。後の著書には、長年使った自分の並べ方に書き直すと、他人の処方の香りも頭の中で理解できる、という説明が登場します。音楽家が楽譜を読むように、香りの構造を読む技術です。

素材とベースを知る、長い実務の時間

1949年以降、ロベールは複数の香料会社で働きました。香水をつくるだけでなく、調香師のチームを率い、海外の顧客と仕事をし、若い調香師を教える立場にもなります。

香水用の調合ベースで知られたド・レール(De Laire)での経験は、その技術を理解するうえで重要です。1952年、同社の化学者にヘキシルシンナミックアルデヒドをつくってもらい、メイシアン(Mayciane)という一連のベースをつくれたと、本人は後年の論文に記しています。

新しい分子に気づくだけでは、香水にはなりません。どんな花の印象を支え、ほかの素材とどう働くかを見抜く必要があります。祖父の時代の抽出技術から、合成素材を使ったベースの設計へ。ロベールの仕事は、その両方の蓄積の上にありました。

後には高砂香料工業(Takasago)などでの仕事やコンサルティングにも携わり、パリのクアンテッセンス(Quintessence)で活動した時期もあります。香水のほか、石鹸、タルク、デオドラント、化粧品の香りも扱いました。名作の瓶に名前が残る仕事だけが、調香師の日常ではなかったのです。

マダム ロシャス──花の奥に、人の温かさを

1960年のマダム ロシャスは、ロベールの名を広く知らしめた作品です。依頼したエレーヌ・ロシャス(Hélène Rochas)は、1955年に夫マルセル・ロシャス(Marcel Rochas)を失い、34歳で事業を引き継いだ女性でした。

求められたのは、優雅で、新しさがあり、同時に多くの人が好きになれる花の香りです。ロベールが念頭に置いた作品の一つが、ランバン(Lanvin)のアルページュ(Arpège)でした。けれども、ただ似た香りにするのではなく、背景にもう少し温かさを加えようとします。

マイケル・エドワーズ(Michael Edwards)が紹介した制作回想では、ロベールはカロン(Caron)のニュイ ド ノエル(Nuit de Noël)を思い起こしています。エルネスト・ダルトロフ(Ernest Daltroff)が用いた、肌に寄り添うサンダルウッドの効果でした。

ただし、その重さをそのまま移すと、マダム ロシャスの繊細な花を覆ってしまいます。そこで、持続性を与えるサンダルウッド調の素材と、立ち上がりを助ける素材を組み合わせ、求める温かさに近づけたと伝えられています。

ローズ、ジャスミン、スズランやイリスなどの花々を、アルデヒドが明るく照らす。その奥には、木とムスクの柔らかな支えがあります。親しみやすさを求められた仕事の中で、ロベールは、香りに人の体温を感じさせる方法を探していたのでしょう。

カレーシュとエキパージュ──エルメスの輪郭をつくる

翌1961年、エルメス(Hermès)のカレーシュが生まれます。公式史はこれを、メゾン初の女性向け香水として位置づけています。名前は、エルメスを象徴する軽やかな馬車に由来します。

カレーシュにも、花の豊かさとアルデヒドの明るさがあります。しかし、マダム ロシャスよりも、イリスやベチバー、シプレの乾いた輪郭に目が向きます。同じ調香師の近い時期の仕事でも、素材の役割が変わると、作品の姿は変わるのです。

エドワーズが伝えた回想では、ロベールはフローレル(Florel)のフルール ヴェルト(Fleurs Vertes)を着想の一つに挙げています。軽いグリーン・シプレの印象を保ちつつ、花と木の部分を豊かにする。ジャスミンを支えるスズランのアクセント、柑橘を生き生きとさせるマンダリンなど、部分ごとの役割が考えられています。

「繊細なアルデヒド、豊かに広がるジャスミン、軽やかなローズの、きわめて女性的な組み合わせ。」

エルメス、カレーシュ オードトワレ公式説明

1970年には、エルメス初の男性向け香水エキパージュ(Équipage)を手がけます。馬術の世界に由来する名は、仲間やチームの精神も思わせます。ハーブの生気、スパイスの強さ、柔らかな木の感触。その均衡が、この作品の魅力です。

エルメスとの仕事は、1955年のドブリス(Doblis)にもさかのぼります。ドブリスのような先行する作品があることを踏まえると、カレーシュの「初」という言葉は、公式の女性向け香水史上の位置づけとして読むのがよいでしょう。

ディオレッセンス──偶然から見つけた、動物的な深み

1969年のディオレッセンスは、ロベールの明るいフローラルとは違う顔を見せる作品です。ディオール(Dior)が求めたのは、毛皮のコレクションに寄り添う、強い動物的な個性を持つ香りでした。

創作のきっかけとして、印象的な逸話が残っています。アンバーグリスを扱った手を、ミス ディオール(Miss Dior)の香りを模した安価な石鹸で洗ったとき、二つの香りが重なって新しい方向が見えた、という話です。これはルカ・トゥリン(Luca Turin)が伝え、ボワ・ド・ジャスマン(Bois de Jasmin)でも紹介されています。

高級な原料と安価な模倣品。価値の異なる二つが出会っても、鼻に届くのは価格ではなく、組み合わせの結果です。ロベールは、その意外な重なりを見逃しませんでした。

原作は、アンバーグリスの動物的な気配に、パチョリや苔の温かさ、ローズやジャスミンを重ねたシプレとして語られています。1979年にはマックス・ガヴァリー(Max Gavarry)による改作があり、後年も処方が変化しています。現在の製品や後年のヴィンテージを、そのまま1969年のロベールの原作と考えることはできません。

ゴールド──フランスの構成と、オマーンの香り

1983年、オマーンの香りの伝統を国際的に伝えるメゾンとして、アムアージュ(Amouage)が誕生します。その最初の香水を任されたのがロベールでした。

ドファール地方のフランキンセンス、ジェベル・アフダルのローズ。世界知的所有権機関(WIPO)が紹介する創作史では、この二つの土地の素材が中心に置かれています。さらにミルラ、ジャスミン、スズラン、サンダルウッド、アンバーグリス、シベット、ムスクなど、多くの素材が重ねられました。

「私の究極の交響曲。」

ギー・ロベールがゴールドに用いた表現として、WIPO「Designs, Fragrances, and Sustaining Traditions」

その比喩は、素材の数が多いという意味だけではないでしょう。花、樹脂、木、動物的な温かさが、ばらばらに主張せず、一つの大きな香りになる。ロベールが長く磨いてきた構成が、オマーンの素材と出会った作品です。

ゴールド ウーマン(Gold Woman)とゴールド マン(Gold Man)は、いずれもロベールの代表作として残っています。多くの作品資料は両作を1983年に置きますが、男性版を後年とする解説もあります。また、ゴールドを「最後の作品」とする紹介には注意が必要です。ロベールには、その後のラ・プレリー(La Prairie)やザ・ピンク・ルーム(The Pink Room)の仕事もあるからです。

調香を、料理と音楽と絵画から考える

ロベールの講演には、豊富な経験を持つ人ならではの率直さがあります。1998年、英国調香師協会のシンポジウムでは、調香の方法が十分に言葉になっていないことを問いかけました。

「私たちの芸術はとても謎めいていて、多くの調香師は、作品を組み立てるときの手順を説明できません。私たちの方法は、料理の技術、ある種の経験主義に似ています。私は、これでは自分たちの職業を十分に真剣に捉えていないと思うのです。」

ギー・ロベール、1998年の講演。「Biogenesis of a Perfume」Perfumer & Flavorist、1999年掲載

経験を否定したのではありません。経験の中に、音楽の和声や対位法にあたるものを見つけようとしていました。

同じローズの印象でも、ダマスコン、ローズオキサイド、ローズの精油、ゼラニウム、ローズアブソリュート、ゲラニオール、フェニルエチルアルコールなどでは、強さや表情が異なります。ロベールはそれを、音楽のオクターブに似た段階として考えました。

また、素材同士の関係を、絵画の色彩のように捉えています。色を増やせば豊かな絵になるとは限らないように、香料を積み上げすぎれば、灰色の混乱に陥ることがある。そのために必要なのが、調香師自身のパレットでした。

「私たちは画家のようなものです。単純な色を使う人もいれば、洗練された色を好む人もいる。大切なのは、結果です。」

ギー・ロベール『レ・サン・デュ・パルファン』。ナウ・スメル・ディスの書評に掲載、2007年

香りを長く残すことについても、ロベールは単純な処方上の解答を好みませんでした。

「毎日たくさんの曲を耳にしても、すぐに忘れてしまいます。でも、ときには頭から離れず、一日中口笛で吹いてしまう曲があります。その作曲家が、そのために保留剤を使ったわけではありません。」

ギー・ロベール、「Biogenesis of a Perfume」Perfumer & Flavorist、1999年

これは香料の揮発性や持続性という物理的な性質を否定する証明ではなく、本人の美学を伝える比喩です。印象に残る香水をつくるには、長く残る素材を足すだけでは足りない。アコードそのものの魅力を考える必要がある、という問題提起でした。

1976~1977年の論文「香水のベースノート」でも、ただ残香を長くするのではなく、時間の中で香りがどう変化するかを重視しています。豊かなベースは、重い素材の量だけでつくられるものではないのです。

記憶を保存し、言葉を残す

ロベールはフランス調香師協会の会長を務め、後進の育成にも関わりました。1990年に開設された香水保存機関オスモテーク(Osmothèque)では、ジャン・ケルレオ(Jean Kerléo)が進めた設立構想に、助言委員会の一員として参加しています。

自分が嗅いできた香水は、いつまでも同じ状態で存在するとは限りません。廃番や処方変更によって失われていく作品を、原処方とともに残す。その活動は、先人の仕事を知ることを大切にしたロベールに、よく似合う役割でした。

1983年には、創造的な調香での業績をたたえるハックフォース=ジョーンズ賞(Hackforth-Jones Award)を受賞しています。そして2000年には、著書『レ・サン・デュ・パルファン(Les Sens du Parfum)』を刊行しました。

224ページの本には、嗅覚、素材、香水史、創作の方法が収められています。単なるレシピ集ではなく、先人がどのような素材を選び、どのような作風をつくったかを考える本です。フランソワ・コティ(François Coty)、ジャック・ゲラン(Jacques Guerlain)、ダルトロフ、アルメラスなどの仕事が、個々のパレットとして語られます。

エドワーズの『パーフューム・レジェンズ(Perfume Legends)』や香水分類の仕事にも協力しました。新しい香水をつくる人であると同時に、過去の香水を理解するための相談相手でもあったのです。

ちなみに…52年を経て、謙虚になる

ロベールは、優れたジャズ・ピアニストで、料理を愛し、小説も書く人だったと、トゥリンは回想しています。香水の話をしていたと思うと、オリーブオイルやレストランの話になる。専門家でありながら、専門の外にも楽しみを持つ人でした。

一方、業界を見る目は鋭く、講演には皮肉も交じります。若い頃はすぐに調香を教える本を書きたくなり、少し経験を積むと自分を天才だと思い、作品を批判する人々を愚かだと考えてしまう。そんな調香師の成長を語ったうえで、自分についてはこう言います。

「香水を理解しようと52年間試みてきた今、私はとても謙虚になりました。」

ギー・ロベール、「Biogenesis of a Perfume」Perfumer & Flavorist、1999年

彼が最後まで探したのは、香水を本当に成り立たせているものと、ただ積み重なっているだけのものの違いでした。その問いは、華やかなゴールドにも、抑制のあるエキパージュにも通じています。

2012年5月28日、ロベールは86歳で亡くなりました。残ったのは多くの香水と、香水を考えるための言葉です。「まず、よい香りであること」。簡単そうに聞こえるその言葉の後ろに、半世紀を超える試行と記憶があるのでした。

調香作品

同名の再発売や別濃度は、必要なものだけを分けています。共同調香師欄の「記録なし」は、制作に関わった人が一切いなかったという意味ではありません。

年 ブランド 作品名 共同調香師・注記
1955 エルメス ドブリス(原作) 記録なし
1956 ジャン パトゥ(Jean Patou) ラッソ(Lasso) 記録なし
1959 グレ(Grès) シューダ(Chouda) 私的使用を中心に伝わる作品
1960 ロシャス(Rochas) マダム ロシャス 記録なし
1961 エルメス カレーシュ 記録なし
1969 ディオール ディオレッセンス(原作) 1979年の改作はマックス・ガヴァリー
1969 ロシャス ムッシュ ロシャス(Monsieur Rochas) 記録なし
1970 エルメス エキパージュ 記録なし
1974 グッチ(Gucci) グッチ N°1(Gucci N°1) 記録なし
1974 マリークヮント(Mary Quant) ハヴォック(Havoc) 記録なし
1976 グッチ グッチ プール オム(Gucci pour Homme) 後年の同名作とは別作品
1979 メナード(Menard) メルファム(Mérefame)パルファム 記録なし
1981 メナード メルファム オードトワレ 記録なし
1983 アムアージュ ゴールド ウーマン 記録なし
1983 アムアージュ ゴールド マン 男性版を1988年とする解説もあり
1988 アムアージュ アムアージュ クリスタル&ゴールド(Amouage Cristal & Gold) 記録なし
1990 ラ・プレリー ワン パーフェクト ローズ(One Perfect Rose) 記録なし
2000 ザ・ピンク・ルーム パルファム N°1(Parfum No 1) ブランド創設者との創作協働

参考文献